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掌にかかる虹  作者: 繭美
第十章 日出の時間
30/47

朝焼け

 外に出た。


 体がぼろぼろに壊れていた。驚いた。

 側にはずっと会いたくて、故に守ろうとしたものの姿があった。


 合図を送った。送り続けた。

 自分の体を元に戻す為に。守ろうとしたものの為に。

 最善の道筋を、歩いてきた筈だ。



   ◇◇◇

 サキは起きた時に、額に重みを感じた。誰かに頭に乗られていた。

 目で見なくても、漂ってくる煙の匂いで、サキにはそれが誰かわかった。

 サキは少しだけ頭を上げて、自分が起きたことを相手に知らせた。

「気がついた?」

 メジストが額から降りてきて、サキと向かい合う。彼女の煙管の煙がなびき、淡く色づいた空へ消えていった。

「夜が明ける頃よ」

 サキとメジスト以外は周囲に誰もいない。それを確認し、サキは前方の崖淵へと動いた。

 崖下ではルカナーディが、全貌(ぜんぼう)を現していた。サキは崖下の王国を、じっと見つめた。

「よく聞いて」メジストがサキの前足に触れる。

「だけど嫌なら、教えなくても良いから」

 サキは静かに、長い首を縦に振った。

「絡まっていた糸は、ほどけたのかしら」

 サキはもう一度、首を縦に振った。そして東の低い空を顎で示した。

 メジストはそこに一筋の雲を見つけた。一筋の雲は朝焼けの中、雪のように輝いている。

「……あれが、そうなのね」憂いげに言った。

「あと、こっちは嫌でも教えなさい。……ファウラの居場所、今の感覚でもわかる?」

 サキはしばらく宙を見回した後で、今度は首を、力なく横に振った。

 鋭い感覚を奪った主であるメジストは、地面に視線を落とした。


   ◇◇◇

 陰惨な光景を目の当たりにした。逃げたいと思った。

 暗雲の記憶は風に飛ばされて、夢から目覚めた時には、亜季は何も思い出せなかった。


 差し込む朝焼けの光で、亜季が目覚める。

 夢うつつで、古めかしい天井板を見た。ここはどこだろうと、ふと思った。

「亜季」傍らから、心配そうな声。

「……大丈夫か」

 みのりだった。彼は床に直に座って、亜季の顔を覗き込んでいる。疲れが少し、目元に浮かんでいた。

「……ここ、ルカナーディ?」

「そう」

「国は」

「無事に戻ったよ」

「……そっか」

 亜季は日が昇り始めた空を見て、かすかに微笑んだ。


 亜季とみのりはルカナーディの城下町の宿屋に、身を潜めていた。

 額の紋様さえ隠していれば、亜季は普通の少女なので、森よりも町の方が安全だと皆に言われた。

 国での用事が終わり次第、誰かが様子を見に行くので、それまでは宿屋で待機しておくように。亜季とみのりは、皆にそう言い渡されていた。


 亜季は昨晩のことを、みのりに詳しく聞いた。

 今は早朝なので静かにしようと、声を潜めて会話をした。

「結局ファウラは、一人で行ったんだ……」

 寝台で上半身だけ起こした亜季が、顔を伏せた。

「手紙は、宝物にしますってさ」

「……それは嬉しいけど」

 亜季はさらに顔を伏せて、腰から掛かっている毛布を掴んだ。

「本当に大丈夫なのかな。……その、ロヅはどうしてる?」

「わからないよ。会っていないもの」

 みのりが静かに立ち上がった。寝台横の台に備えられていた、壺の水を器に注いで、亜季へと差し出した。亜季は受け取って、二口だけ飲んだ。そして器を台に戻した。

 みのりは再び床に座ると、両肘を寝台に付いた。

「だけどファウラはよほどのことがない限り、家に無事に着くと思うよ。そうでなきゃ、皆もやらせない」

「そうじゃなくて」

「気持ちの面なら、亜季が出る幕じゃない」亜季の言葉を(さえぎ)る。

 みのりの口調と表情が厳しいものへと変わったので、亜季は怯えた。

 身を縮めて、毛布を固く握った。

「ロヅは亜季より年上の男性だ。出会った時の男の子じゃない。生き方だって違う筈だから、何かしてあげたくても――少し、余計だよ」

「………」

「だから、そんなに気に病まないで」みのりが口調を和らげた。

「ゆっくり休もう。ファウラもきっと、亜季にそれを望んでる」

 亜季が瞬きをしていると、彼は普段通りの、穏やかな笑みを浮かべた。

「ロヅの為にも、釘を刺す言い方を選んだだけだし」

「……わかった」

 亜季は素直に頷いた。


 そしてしばらくみのりから目を逸らし、視線を泳がせる。

 亜季は自分の中にある、言いようのない気持ちが何なのかを考えた。

 やがてどうにか言葉に出来たので、それを相手に伝えた。

「でもあんたが相手なら、話は別。出る幕じゃなくても、出てやるんだから」

「……何それ」

 苦笑いへと変わったみのりを、亜季がじろりと睨んだ。

「みのりは別世界に来てから、いっそう不満を言ってくれなくなった。今だって結構、大変な状況なのに……どうしてまず、あたしを励ましてる訳?」

「心配だから」

「こっちも同じで、あんたが心配なのっ」

 亜季が潜めていた声を、うっかり張り上げた。

 慌てて口を両手で押さえて、一呼吸。そしてまた声を潜ませて、気持ちを伝えてゆく。

「たまには不安や、不平不満を口にしてくれるみのりの方が……ええと」

 亜季は話の途中で、言葉に迷った。

「どう言うんだっけ」

「『やりやすい』とか?」みのりが続きを探った。

「あ。それかも」顔を輝かせる。

 それから咳払いをして、なるべく厳しい表情を作って、みのりに言った。

「みのり。たまには本音も聞かせてよ」

 亜季の言葉で急に、会話に間が空いた。


 部屋がとても静かになった。みのりが会話を続けようとしなかった。

 表情は穏やかだったが、彼は口を結んでいた。

「どうしたの?」

 おそるおそる、亜季が尋ねる。

「……本音って」今度はみのりが、亜季から目を逸らした。

「ろくなものじゃないよ。聞いたら亜季は、俺が嫌になる」

「……ちょっと。怒るよ」

 亜季が毛布をめくって、寝台から降りた。そしてみのりの横に移動して、同じように直に床に座る。

 亜季は真剣な眼差しで、みのりを見た。

「あんたみたいな良い奴、嫌いになる訳ないじゃない」

「そうかな」みのりはまたもや、苦笑いを浮かべている。

「そうだよ。あたしじゃ頼りないだろうけど……少しは恩返しさせてよ」

 亜季は眉間にしわを寄せて、宿屋の天井を見上げた。

「この世界に来た晩に、みのりが言ってくれたじゃない。『どんなことになっても、その時に二人で考えよう』って」

「……ああ。うん」

「あたし達は今、一緒にいるんだから。……だから本音くらい、聞かせてよ」

 同じ世界から来て、同じ年なのだから。自分も頼りにしてほしい。本音は、ろくなものじゃなくても良いじゃないか。亜季はそんなことを、みのりに説き伏せた。

 みのりは口を挟まずに、それを聞いていた。亜季の話が終わると、ようやく口を開いた。

「じゃあ、今の本音を言ってみる」

 亜季は気を引き締めて、次の言葉を待った。

「眠いかも」

 ……みのりがまた、亜季から目を逸らした。

「みのり……まさか」亜季は逸らされた目をまじまじと見た。充血していた。

「……うん……」

 みのりの煮え切らない態度に、亜季が大きな溜息をついた。

 今いる部屋には、寝台は、一台しかなかった。亜季はみのりの腕をぐいと引き、自分が使っていた寝台へと誘った。

「この部屋だけど、やましい気持ちは無いよ。ただ他に部屋が空いてなくて」

「聞いてない。疑ってない。いいから、こっち来て」

 亜季は半ば無理矢理に、みのりを寝台に寝かせた。自分だけ寝台から降りると、みのりの体に、雑に毛布を掛けた。

「だけど亜季は」

「椅子で休めれば充分」

「もしも何か起きたら」

「その時はこれ使ってでも、起こしてあげる」台の上にあった水の壷を、亜季が構えた。

「……早く寝なよ。いくら一人起きてられたからって、無茶しすぎ」

 みのりが疲れているとは、亜季も気づいていた。

 しかし一睡もしてない上、体を横にもしていないなんて事実は、危うく見落す所だった。

「今度はあたしが寝ないから」

「じゃあ三十分だけ」

「腕時計もう無いから計れない。寝る時間の目安は、みのりが起きるまでか、あたしがもう一度寝たくなるまで」

「………」

「まだ文句あるの?」

「や。……ありがとう」

 みのりが瞳を閉じた。

「おやすみ」

 すぐ、寝息を立て始めた。

 亜季は寝顔を見つめながら、ふと思った。

(……みのりの不平不満を聞いたのって、いつが最後だろう)

 元の世界でみのりと過ごした日々を、亜季は思い返してみた。


 中学生の頃からすでに、みのりはなかなか、負の感情を出さない少年だった。

 気楽に構えられる人柄だからこそ、誰とも接していた。

 軽い愚痴は言う。下校中や休日に偶然出会った時などに、亜季はそれを聞いていた。

 試験の時期。遊びの予定が駄目になった時。

 自分がつまらないと感じた時に、一言二言は不満をこぼす。以前の交際相手から連絡が来てしまったと、廊下で親友に相談しているのも、見たことがある。

 あとは彼は名前について、小さな不満を抱えていた。

 平仮名で『みのり』も嫌いじゃないけれど。中年、後年を考えると漢字表記が良かったなぁ、と。苦笑いで名前を書くことが、割とあったように思う。

 いつか教室で喧嘩の仲裁に入った時は、相手に対して。

 呆れているだけにも見えるような、怒った顔をしていた。


 そんなことを亜季は一人、椅子に座って思い出していた。

 経過した時間以上に懐かしく感じられて、妙に切なくなった。

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