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掌にかかる虹  作者: 繭美
第九章 晩の虹
29/47

破片

 亜季は一人、夢の中で灰色に包まれていた。

 灰色は前回と比べて大分明るいが、未だ光源を感じなくて単調である。

 白に近い灰色の闇の中に、亜季はいた。

 そして手には、輝く虹の輪を抱えていた。


(子供の頃は、虹の橋を渡ろうとしてたな)

 虹がかかっている場所へ向かって走ったけれど、追いつくことは無かった。

 その場所に行く前にいつも、虹は姿を消していた。

 憧れの虹が今、手の中にある。

(やっぱり、綺麗)

 自分の顔ほどの虹の輪。渡れなくても触れることが出来た。亜季はぼんやりと、幸福を感じた。

 満足したので、その憧れのものを元に還そうと、青い穴を探し始めた。


 青い穴を見つけた。青緑の穴は、今日は隣にいなかった。

 穴は前より広がり、丁度、窓くらいの大きさになっていた。

 亜季は豊穣の祭の、宴の時のように、窓から世界を覗いた。

 通う高等学校へ行く道の、最後の交差点――自分が帰るであろう場所を見た。

 風景は写真のように止まっていた。


 青い空。灰色の電信柱と、それらを繋ぐ電線。

 青信号。

 ……無数の硝子の破片。

 白色と黒色が連なっている横断歩道。その上に何かが引き摺られた跡。黒の上の赤。

 群衆が、何かを囲んでいた。

『……急車を呼べ』

『手遅れ』

 動かぬ風景から聞こえてくるざわめきが、亜季の耳に張り付いた。


(嫌だ。あそこには戻りたくない)

 すぐに亜季は、風景が見えない場所へと逃げたくなった。

 だけれど約束は守りたいし。

 何より手持ちの虹には、多くの命がかかっていたので、逃げる訳にはいかなかった。亜季は怯えながらも、怖い風景に手を入れて、虹を落とすように還した。

 動かぬ風景の中に、一陣の風が吹いた。

 虹はその風に煽られ、高みへと上って行った。

 亜季は逃げようとしたけれど、駄目だった。

 恐怖と絶望のあまり、立つことも出来なくなった。その場にへたり込み、両手で自分を抱えた。

 動けなくなった亜季が唯一、出来た行動は。

 一人の友達の名を、呟くことだった。

 すると再び、どこからか強風が吹いた。

 気味の悪いざわめきと、亜季の恐怖の記憶は、それで消し飛んだ。

 恐怖で冷えた体も、温もりを取り戻していった。


 亜季は無意識に、青い穴に背を向けて立ち上がり。灰色の闇の中。

 風が吹いた方向へと歩き出した。


   ◇◇◇

 魔法陣の中の灰が、夜風にさらわれた。

 空は、魔術を行う前の色へと戻った。濃紺の空に、車輪のような満月が輝いている。

 そして一同は平坦な荒野ではなく、崖上にいた。

 崖下では、行方を眩ませていた国が現れていた。

 月光が国全体をうっすらと包んでいる。町明かりも見て取れた。どうやら崖下の王国も、夜を過ごしていたらしい。

 代償となった腕時計――夜風にさらわれた灰は、崖下に消えていった。


 空からサキが降りてきた。

 静かに術を行うと、一同は取り決めていたのだが。

 サキは大きな振動を響かせて、着地した。倒れそうになる自分の体を、必死に支えている。

 一歩動いた後で、右足を崩した。ロヅが側に駆け寄り、サキに呼びかけた。

「静かに倒れろ。亜季の心配は、しないでいいから」

 サキはロヅを信じ、体を横たわらせて眠りに就いた。

 地面ではサキよりも前に、亜季とみのりが倒れていた。

 みのりは俯せに倒れていた。

 亜季は仰向けに倒れ、小刻みに震えている。両腕を胸の前で交差させて、己を抱えている。喘ぎ苦しみながら、何かうわ言を言ったが、周囲には聞き取れなかった。

 皆が二人に声をかけると、まずみのりが上半身を起こして、顔を上げた。

 そして彼は疲労の表情のまま、震える亜季の方へと、片手を伸ばした。

「負荷が掛かったのは、亜季だけか」

 メジストが冷静に言い、傍らに準備しておいた道具の方を見た。自分が何かできないか、考え始めていた。

 この中で最も癒しの術が得意なヤハブが、亜季の側へ寄ろうとした。

 それよりも前に。

 ファウラが亜季のもとへと、駆けつけていた。

 交差させている両手をほどき、自分を抱えるのをやめさせる。そしてファウラは、そっと亜季を抱きしめた。

 背中に回した右手には、細い杖を構えている。

「最後だから私が」

 そう呟きファウラが、己が苦手とする癒しの魔法の呪文を、唱え始めた。

 亜季の表情が和らいでいく。

 ようやく身を起こしたみのりが、亜季に手を重ねると、彼女は静かな眠りに就いた。苦しそうだった表情は、安らかな寝顔へと変わった。

「本当にありがとう。亜季」

 ファウラが亜季を両手で抱きしめ、言葉の届かない耳元に囁く。

「……貴女も無事に自分の国へ帰って、どうか幸せにお過ごし下さいね」

 そうしてファウラは亜季の体を、再び地面に横たわらせた。みのりはまだ、亜季に手を重ねている。

 ファウラがみのりに微笑みかけた。別れを惜しんだ分、歪んだ笑みとなる。

「みのりも、亜季も、お元気で。短い間でしたが大変お世話になりました。あの時ロヅと外に出て、本当に良かった。貴方達にも会えた」

 何とか身を起こしているみのりと、眠っている亜季に。

 ファウラは深々と頭を下げた。

「出会ってからすぐ、友のように私を心配してくれた。そして何の偏見もなく接してくれて、命も助けてくれた。……私は貴方達のことを、生涯忘れません」

「こちらこそ本当にありがとう」

 みのりも疲労の色を抑え、笑顔を見せた。

「俺も亜季も、一生ファウラを忘れないよ」

「……嬉しいです」

 ファウラが肩に掛けていた焦茶色のベールを、頭に掛けた。

 顔を隠す前に――最後に満面の笑みで、みのりに言った。

「亜季が起きたら『頂いた手紙は宝物にします』と、お伝え下さいね」

 そして彼女は一人、杖と小さな灯りを手にして、一同から離れた。


 ヤハブはロヅの様子を見ていた。

 術は成功を遂げている。

 別世界の少年少女が残っている分、まだ元通りになっていない所があるかもしれないが、傍目にはそれは窺えない。

 何より、城が戻ってきた。町も全て戻ってきた。

 人々が帰ってきた。ヤハブやロヅの家族も、おそらく帰ってきた。

 術が成功した時、ヤハブは戻ってきた国を感激の想いで見つめた。中央部の城をしばらく眺めた後で、ファウラに頼まれた用件を思い出した。

 そしてヤハブが、ロヅの方を振り向いた時にはすでに。

 彼は全く故郷を見ていなかった。

 竜の友のもとへと一番に駆けつけ。地面に倒れていた二人へ必死に呼びかけ。

 ルカナーディで待機する二人と別れを惜しむ、彼女を見守り。

 走り出した背中を、無言で見送っていた。

 今もまだ、走り去った方向を見ている。

 稀にしか見せない、戸惑いの表情で。


『もしもロヅが私を追おうとしたら、ヤハブ様が止めて下さい』

 それがヤハブへの手紙に託された、ファウラの願いだった。

 ファウラは生きることへの執着を持っているし、強い力もある。

 ただ一人でイメライトの家に戻り、そこで待機するには。やはり余裕が無いと言えた。昼間は夜間ほどの魔力は無いし、体力の面でも劣りを見せる。人に出会った時の対応も、どれだけ機転が利くかはわからない。

 ロヅはファウラを送るにも、適任者だった。

 ファウラを皆に会わせるまでは、一人で彼女の護衛を果たしていたのだ。

 彼は剣と、ある程度の魔法も扱う。剣の威力が不足している分は、魔法の応用で補えている。癒しの術も扱えた。神官の任務として癒しを行う、ヤハブや家族には及ばないものの、この術においてはファウラより上手だった。

 自分達で決めたこととはいえ、ロヅが戸惑うのは、ヤハブには当然に思えた。

 ファウラの守りをテムサに頼まれているのだ。それに、彼自身の感情もある。


 ヤハブがファウラと二人で話す機会が、一度だけあった。

 その時ファウラは窓辺で外を見ながら、ロヅの帰りを待ち侘びていた。

 すかさずヤハブは、からかいたい一心で『好いているな』と言ってみた。

 彼女は数秒の沈黙の後、はい、と。いつもの調子で返答をした。

 そして『他の方には、言わないで下さいね』と前置きをして、胸の内を語りだした。

 ファウラはまず、保護者であったテムサへの想いを告白した。

 彼女を敬愛してやまなかったが。時々、非常に苦しく思う時があった。

 ……自分のせいで、これまでの暮らしや地位を捨てさせてしまった。

 王家が呪いの赤子の始末を、テムサ一人に負わせなければ。王が玉座を降り、自らの手を汚してくれれば、こんなことにはならなかった。そんな想いまでヤハブにこぼした。

『お婆様から命を受けて、代わりを務めてくれるロヅにも、同じような気持ちを抱えているのですよ』

 俯いて微笑んでいた。それから変化する真紅色の瞳を指で示し、彼女はこう言った。

『あの人には、日向に居てほしい』

 物わかりが良いとも言えるその様は、つまらなくもあったので、ヤハブは『あいつは婚約者がいるのを内緒にしてるぞ』と嘘をついてみた。

 ファウラはそれには過剰に動揺し、嫉妬の態度も見せた。まだ割り切れていないらしい。


 自分を追おうとしたら止めろ。

 テムサの弟子に会い、自分のもとへ連れて来ることを盾にしているが、要はファウラは。

 ロヅをいち早く、消えていた家族や友と再会させてやりたいのだ。その気持ちはわかるのだが、ヤハブは了承しかねた。

 ファウラは去り際、全くロヅを見なかった。

 みのりと言葉を交わした後、サキの側にいるメジストに会釈をした。ヤハブには訴えの眼差しを向けた。そして一度も振り向かずに走って行った。

 その行動に、彼女も葛藤していたことが、表れていた。ファウラは強く慕う人間を見ないことで、甘えと迷いを堪えた。

 ロヅはまだ、ファウラが去った方を見ている。

 すばやい判断を心掛けている人間が、未練で動かなくなっている。

 ヤハブはファウラの意志に反する方へ背中を押すつもりで、彼に尋ねた。

「どうするんだ。お前は」

 その言葉で、ロヅはようやく我に返った。

 そして瞬時に考えた。どちらが早く無事を守れるか。

 あの家までの距離と、かかる時間。それまでの獣の数。宝玉。人間に出会う率。

 金の瞳が色を変える日出まではまだ長く、今宵は満月。

「決まっている。打合せ通りだ」

 他の気持ちを抑えてそう言い放ち。

 少女が去った方向に背を向けて、故郷の国へと駆け出した。


 一人起きたみのりが、亜季を運ぶと言い出した。

 運ぶ場所を再確認した後で、彼もヤハブに、早く城に行くように告げた。

 察しの良い少年のことだ。

 文字が読めなくとも、ヤハブやファウラの表情から。手紙の内容は。彼女の考えは。

 ある程度はわかっていたのかもしれない。

第九章(終)

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