気がかり
町に入る前に、亜季は頭部に薄茶色の布を巻いた。額にある契約の紋様を、しっかりと隠す為だ。
額から後頭部にかけて布を巻くと、亜季の短髪は、さらに短く見えるようになった。
薄い体型でこの髪型では、そろそろ男の子に間違われそうだ……と、亜季は複雑な気持ちになった。
「その色で良かった?」
布は、みのりが一足先に町に入り、彼女に買ってきた物だった。
「や。隠せれば、何でも構わないって」
そう言いつつ、亜季は内心で、みのりに感謝していた。布の薄茶色は最近、買い物で選ぶようになった色だから。
「さて。少し別行動を取りたいから、これを渡しておくわ」
メジストがみのりに、革袋を手渡した。袋の中には、球体の宝石が詰まっていた。
「あんた達に危害を加えそうな輩がいたら、投げつけなさい」
「これは何ですか」
「この宝石には、私の術が封じ込めてあるの。投げつけられた相手は眠ったり、大怪我を負ったりする」
「大怪我……」
亜季が袋を覗き込み、眉をひそめた。怪我を負わせるのは紫色の球だと、メジストが言った。
「メジストさん」みのりが声を低くした。
「まさかこれにも、メジストさんの命がかかってたりしますか」
「そんな訳ないでしょう。作るのは大変だけど」
「良かった」みのりが亜季と、顔を見合わせて笑った。
二人の様子を見て、メジストが嫌らしく笑った。
「使用者の魔力が足りなかった場合に、使用者の命を代用するだけよ。病気にかかる程度に、命を削るだけ」
「……え」
「だから亜季には使わせないで。残念ながら、重要人物だからね」
「了解です」
「では身支度が終わったら、町の入り口で会いましょう」
みのりとメジストは、互いに笑い合っていた。目を白黒させて動揺していたのは、亜季だけだ。
何か言いたげな亜季を後目に、メジストは一足先に、町に入って行った。
みのりは袋から球体の宝石を取り出して、陽光に透かしている。興味深げに。
「本当なのかなぁ」
「試さないで。もう出さないで。それ、絶対に使っちゃ駄目!」
亜季は袋ごと奪おうとしたが、試みは失敗に終わった。
みのりは玩具を貰った子供のように、大切そうに、宝石を懐にしまった。
亜季とみのりは町に入り、住み込んでいた宿屋に向かった。
数えれば二十日近く、滞在した宿屋。
留守にする日も多かったが、二人は宿屋仕事に馴染んでいた。亜季などはこの世界の料理を、宿屋の女将から教わった。
だから離れることは、少し寂しかった。
「二人とも元気で。仲良くね」
かっぷくの良い女将が、身支度を終えた亜季達に笑いかける。夕方の仕事の手を止めて、玄関まで見送りに来ている。
「はい。大丈夫です。色々とありがとうございました」
みのりが笑顔で一礼した。
「本当にお世話になりました」
亜季も同じように頭を下げた。
女将が力強く、亜季の細い体を叩いた。
「頼りがいのあるお兄さんで良かったわね。亜季」
「……はい」
亜季がぎこちない笑顔を見せた。
女将は報酬の金銭を、二人に差し出した。
「少ないけれど取っといて。……それと、これも」
金銭の上に、一枚の紙が添えられる。
「買い物を頼んだ時に、渡してもらっていた紙よ」
それはたった一言、短い言葉が書かれた手紙だった。
亜季とみのりは、言葉の意味を知っていた。
「そんな、こちらこそっ。服や毛布も貸していただきましたし」
「本当にどうも、ありがとうございました」
二人は改めてもう一度、女将に頭を下げた。
「またこの町に来たら、私の所へ」
「はい! ぜひ」
亜季とみのりは、女将と固く握手を交わした。
メジストと待ち合わせた場所へと向かう途中。
亜季はぼそりと、横を歩くみのりに話しかけた。
「何月生まれだったっけ」
「七月」
「誕生石はルビーだね」
「一月生まれの亜季より、半年はお兄さん」
「……でも同学年だもん。みのりがあたしのお兄さんに見えてたなんて、ちょっと心外」
「お兄さんみたいな人って意味だろ」
それでも釈然としない。そんな呼び方してないのに。亜季はそんなことを、ぶつぶつ言って歩いていた。
「んー。俺は実際、家で兄貴だしさ」みのりが困ったような笑みを浮かべた。
「長男さんだっけ」
「そう、弟一人と妹一人。三人兄妹」
「三人か。楽しそう」
亜季は共働き夫婦の一人娘なので、兄妹には憧れがあった。
(……兄妹と言えば)
ふと亜季は、気がかりなことを思い出した。出会った時は、兄妹かと考えた二人のことを。
「あのさ」さらにみのりの側へと寄り、小声で話しかける。
「ロヅとファウラって、恋人同士なのかな」
「今、なんて言った?」
みのりが、まじまじと亜季の顔を見つめた。
「恋人かなって。……あの二人を見ていたら、そう思わない?」
「信じられない。亜季は、この手の話に疎いのに」
亜季はみのりの言動に、引っかかりを覚えた。
「そんな言い方しないでよ」
「だってさっきも……。とにかく恋愛話からは、学校でも、席を外してたじゃないか」
久しぶりに元の世界での思い出が、二人の会話に出た。
確かにどうにも付いていけなくて、亜季は自分からは決して、恋愛話の輪に入らなかった。
ただそれを、今に指摘されるのは、妙に腹立たしい。
「わからないから、仕方ないじゃない。あたし、男子は髪を引っ張ってくるから、苦手だったの! ……ってそんなこと言いたいんじゃなくて……。もう、いいっ」
亜季が外方を向いて、早足で前に出た。
「ごめん」
すぐ、後ろからみのりの声がした。
「怒らせた。ごめん」
真顔で謝るみのりを見て、亜季も深く反省した。
言いたいことは他にあったのだから、そうむきにならなくても良かった。そもそもみのりの言い方には、悪意は込もっていなかったように思う。
さっきから不機嫌な自分を、なだめてくれてたのだ。これ以上甘えてはいけない。
亜季は足を遅め、またみのりの横に並んだ。
「こっちの方こそ、ごめんね。後でまた話すよ」
亜季は、宿屋で二人と共に過ごす内に、気になることが出来た。
ロヅとファウラの仲と、ルカナーディが戻ってきた後のこと。
変化する瞳を持つファウラは、おそらくルカナーディでは暮らさないのだろうが、それではどこへ行くのだろうか。
そしてロヅは『エルヴァ』と呼ばれていた幼少時、城内の建物で暮らしていた。
それが亜季は、気がかりになっていた。