成果
沢山のものを見てきた。
色々なものは色々な考えを持っていた。
どの考えにも何も感じずに、ただ理解していた。
それに変化が起こった。
理解していたものに疑問を覚えるようになった。
いつからか深い感情を抱いていた。
ずっと見ていたものが強く移った。
手を伸ばした。
ある時、ずっと見ていたものに、手を伸ばした。
◇◇◇
ルカナーディの人々が戻ってきた。
一刻も早く全てを戻さないと、争いごとが起こる可能性も出てきた。それから亜季達が国を戻していると知られる可能性も、大きくなっている。
不思議なことを行う亜季は、崇められるか恐れられるか、わからない。大勢の人間に理解してもらうには、時間がかかりそうだった。
そして国を戻すことに貢献していても、不吉とされる瞳を持ったファウラは、隠したい人間だった。
契約後の亜季の力を確認したら、すぐさま跡地から離れると、一同の間で決まった。
「二手に別れて、イメライトで合流しましょうか」
洞穴の壁にもたれながら、メジストが言った。
すぐにファウラが顔を上げた。続いてヤハブが、訝しげな表情をメジストに向けた。
亜季とみのりはこの場にいなかった。二人は、外で佇むサキのもとへ行っていた。
「そろそろ移動した方が、ファウラの為にもなるでしょう」
「……ああ」
ロヅはメジストと視線を合わせず、短く返した。まだ、紋様が亜季に移ったことに、わだかまりを抱えていた。
メジストが合流場所に指定したイメライトは、ルカナーディの隣国だった。今までいた町とは反対側の方角にある。
そしてファウラが育った家は、このイメライトの森に隠れていた。
「俺は今日これからでも、町に戻るよ」
話が終わると、ヤハブが立ち上がった。洞穴の外はすっかり暗かった。
「部下達が待機しているからな。あまりお前達と行動していると、怪しまれる。満月の晩はルカナーディに行くが、イメライトへは……どうするかわからん」
去る前にヤハブは、幼少時から知っている青年の肩に、手を置いた。
「ロヅ、結果はお前が見ててくれ」
ヤハブは待機させていた動物に乗り、一同から離れた。
◇◇◇
亜季がメジストと、契約を結んだ夜。
亜季とみのりは、竜の姿から変わらなくなったサキと、共に過ごした。
人の姿を失くしたサキの、心の内を、亜季は気にしていた。みのりは、何も出来なかった自分を悔やんでいた。
だから二人は、サキの側で過ごした。
洞穴に戻ろうとしないサキの側で、野宿をした。サキの体に寄り添いながら、眠る前まで話しかけた。サキは尻尾を振ったり、短く鳴いたりして、話に相槌を打っていた。
そうして一晩が過ぎた。
ごろごろと空を揺るがすような音を、亜季は聞いた。竜が機嫌の良い時に鳴らす音は、雷のそれによく似ている。
竜が喉を鳴らす音で、亜季は目覚めた。
辺りはまだ薄暗かった。仰向けに寝ていた亜季はまず、サキとロヅが向かい合っているのを、逆さまに見た。
ロヅはサキの傷ついた額を見ていた。……サキは『元気だ』と伝えたくて喉を鳴らしたのだなと、亜季は思った。亜季は体を起こし、目をこすった。
「夜中にどうしたの」
空は、まだ薄暗かった。
「いや、あと少しで夜明けだ。……結局、外で一晩過ごしたんだな」
「ん。野宿慣れしてきた。……おはよう」
亜季は、口に手を添えて欠伸をした。
「おはよう」みのりも起きてきた。
亜季はサキの頭の側で、みのりは胴体の所で眠っていた。二人は起き上がって、それぞれ、獣毛の毛布を畳んだ。
ロヅが自身の額を指差し、亜季に聞いた。
「額は大丈夫か?」
「もうあまり痛くないみたい。メジストさんの治療のおかげ」
亜季は、傍らのサキを見上げて微笑んだ。
「メジストさんの火傷も治りそうだって、ヤハブさんが言ってたし……。魔法ってすごいね」
「サキ達の具合なら、もう知ってる」
ロヅが冷めた目で亜季を見た。
「今はお前に聞いたんだ」
「あたし?」
亜季は前髪を両手で上げ、額に付いた紋様を、ロヅに見せた。
「何ともないよ。ほら」
「痛みは」
「なし」
「……ならいい。寝起きざまに悪いが、ここを離れてくれ」
ロヅは腰に携えていた剣に、手をやった。
「……その剣は?」みのりがロヅの剣を見つめた。
ロヅは彼を無視して、剣の鞘でサキの額をこづいた。
「弱まった分、手加減無しで付き合え」
額をこづかれたサキは、しばし大きな瞳でロヅを見つめた。
やがて尻尾を振り、側にいる亜季の背中を、鼻先で押した。
「ほら、離れよう」
みのりも亜季の背を押した。サキとロヅは、亜季達と反対の方向に進んだ。
お互いが充分に離れた頃、亜季は激しく物がぶつかる音を、後ろから聞いた。
驚いて振り返り、岩の破片が地面に転がるのを見た。
サキとロヅは近くの岩場へと移動していた。彼らの足元には、砕かれた、大きな岩があった。
「何なの一体」
「ロヅはいつもと違う剣を、持ってきていた」
サキが近くの岩を掴み、ロヅに投げつける。それを彼が避ける。時には剣の鞘で弾く。
空中で風を切る音が、亜季とみのりの耳にまで聞こえた。
「ヤハブには内緒にしててくれ。昔からうるさいんだ」
「わかったよー」みのりが明るく言った。
「相変わらず、察しがいいなぁ」
ロヅの声も、明るかった。
彼が剣を抜き、その他にいくつか道具を用意した。サキはそれを見守った後で、再びロヅに岩を飛ばした。
やがてロヅの周りに、灯火のような炎が現れた。小さいながらも火傷を負いそうな炎が、動く青年の周りに現れ出す。炎は現れてはすぐに消え、また別の場所へと現れる――サキの仕業らしかった。
亜季は、目の前で稽古事が行われていると、理解した。……一瞬は危険な光景に思えたが、表情の明るさや、待機時間があることで、違うとわかった。
(そう言えばさっちゃんとロヅって、昔から会ってたんだっけ)
亜季は二人の付き合いの長さを、痛感していた。
サキに、自分より長い付き合いの友達がいたことが、嬉しかった。……そしてこの二人の交流のきっかけは、どちらも『亜季の友達』であったことから。これも亜季は嬉しかったが、気恥ずかしくもあった。
「鬱憤晴らしを兼ねた励ましか。真似したいなぁ」
「……ちょっと今あいつ、さっちゃんの顔を狙ったよ?」
亜季とみのりはその風景を、始まりから終わりまで見つめた。
太陽が昇り始めた頃から、ファウラとメジストも様子を見ていた。
そして両者が軽い怪我を負った所で止めが入り、稽古は終了した。
◇◇◇
一行はしばらく、ルカナーディの跡地の荒野を歩いた。
そして、昨日メジストが魔術を施した場所——ぽつりと若草が生えている場所が見えた時、足を止めた。若草は、人間が一人立てるくらいの広さにしか生えていない。
「昨日は草原が現れたんだけれど。代償が弱いせいか、みのりとサキの力が及ばないせいか……。夜に、戻した場所が消えたの。たったあれだけを残して」
亜季達は、昨日の実験結果の詳細を、初めて聞いた。
ヤハブの手紙では『成功』とだけ、端的に報告されていた。
「役立たずで、すみません」
おどけた調子でみのりが頭を下げる。その隣でサキも頭を下げた。
「今から亜季に戻してもらうから。残り二人は何もしないでいいわよ」
「そうだな。居眠り者が増えても、邪魔なだけだ」
特にお前、と、ロヅが大きな竜の額を叩いた。
「亜季」
「はい」
「何か見える?」
亜季は、寝起きのように目をこすった。
「ちょっと待ってください。……視界が白く、ぼやけてて」
「そう」
「何があるか、見えません」
「もう充分みたいね」
メジストが、亜季の背中を強く押した。
「そこにいる精霊を、戻してきて」
「………」
亜季は、急に背中を押されて体をよろかせたが、そのまま何も言わず、若草が生えている場所へと駆け出した。
踵で音を立て、草の上で止まる。勢いよく宙を仰ぐ。
亜季がしたのは、それだけの動作だった。
周囲が一瞬、白くなった。
次の瞬間には、辺りは草の香りが漂っていた。なだらかな丘に、芽吹きはじめた緑が広がる。丘と草原は、以前に戻した森と繋がっていた。
丘の下方にいる栗色の髪の少女が、一行へと振り返った。
「……ここにいたのは羽虫ですよね? その子なら今、勝手に帰りましたよ」
大きく瞬きをして、首を傾げる。それから彼女は、風景が変わったことに気づいて、一人遅れて驚いていた。
「ご苦労」
メジストが笑顔で言い、使いの少女に戻ってくるように命じた。
亜季は一行のもとまで、しっかりと歩いて帰ってきた。今回は、眠らなかった。
メジストは、ことを静かに見ていたファウラに、声をかけた。
「これで満月の晩には、期待できそうかしら」
「……ええ。問題ないと思います」
ファウラは平坦に言うと、ついと傍らにいるロヅを見上げた。彼と目が合う前に、視線を草原に戻した。
「さて、じゃあ亜季と、ついでにみのりも私の方に」
「わかりました」
一行は打ち合わせ通り、二手に別れた。
これまでいた町に戻る者達と、次の目的地であるイメライトへ向かう者達とに。
町に戻る亜季は――イメライトの森へ羽ばたこうとしている竜に、慌てて声をかけた。
「さっちゃん!」
サキが翼を止めて振り返った。
「また今度。……会うまで元気でいてよ!」
サキが鳴いて応えた。嬉しそうな、高音の鳴き声だった。