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掌にかかる虹  作者: 繭美
第七章 朱い竜と魔術師の女
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過ちと決意

 みのりがいなかったので、亜季は天秤棒を使って、井戸水を運ぼうとした。結果、すぐに重心を崩して、桶の水を一滴残らず零してしまった。

 水がかかって濡れた衣服を絞っている時、亜季は罵声を聞いた。

 自分に向けられたものでないと知っていても、たじろいでしまう罵声を。

 亜季は慌てて宿屋に入り、二階へと上がった。廊下奥の扉を開けた。


「どうしたの」

 先ほどの声の主であろうロヅは、椅子に座ってうなだれていた。足元には、しわが入った手紙が落ちている。

 ファウラが冷たい表情で、落ちている手紙を拾い上げた。

「今ヤハブ様から手紙が届きまして」

「内容は道々、話せばいい」

 ロヅが鋭く言葉を遮り、顔を上げた。怒りを堪えている表情だ。

「……そうですね。支度を急ぎましょう」

 ファウラは抑揚なく言うと、壁に立てていた細い杖を手にした。

 いつもよりさらに物静かな振舞いから、ファウラも怒りを堪えているとわかる。

「亜季、今すぐあいつらと合流するぞ。……少人数が、裏目に出たんだ」

 ロヅが立ち上がり、部屋の隅にある剣を取った。

「何が、あったの?」

 ファウラが亜季の側に立ち、目を見て言った。

「落ち着いて聞いて下さい。メジスト様がサキとの契約を、解除しました」


 亜季達は手紙が示した、洞穴へと向かった。

 別行動していた一同は町の近くまで戻っていた。町から少し離れた洞穴で、待機していた。

 道中、この世界の文字が読めない亜季に、手紙の内容が語られた。

 ――昨日の真夜中、メジストがサキだけを連れ出し、契約の解除を持ちかけた。

 王国を戻す為に、サキ以外の者と、紋様の契約を交わす為だった。紋様の契約は、一体ずつとしか交わせないので、サキとの契約を解除する必要があった。

 サキはそれに反対し、抵抗した。メジストに手もあげた。

 メジストは契約を無理矢理に解いてサキの力を下げ、場を治めた。結果、望み通りにことを進めた――。


 サキはメジストによって、潜在する能力を引き出されていた。命を握られる代わりに、魔力と感覚が増幅されていた。

 変身の能力は強い竜のみが、老年に持つ力。

 サキは自身の潜在能力とメジストの助力によって、人間へと姿を変えていた。

 契約が解除された今、サキの魔力は弱くなり――もう人間に、変身できなくなっていた。


 洞穴には宵闇に到着した。入り口では、鞍を付けられた動物が大人しく座っている。

 そしてみのりが、松明を手にして立っていた。

「奥に皆がいる」みのりが暗闇に、松明(たいまつ)を掲げた。

 洞穴は血の匂いがした。亜季は匂いが漂ってくる、洞穴の奥を凝視した。

 壁際を背に、メジストとヤハブが座っていた。

 そして体中が傷ついた朱い竜がいた。紋様のあった額は、鱗が剥がれている。

「……さっちゃん!」

 亜季がまず、サキの側へと走った。一段大きく傷ついた額を、必死に下から見上げた。

 そんな亜季を見て、サキは小さく鳴いた。


 ロヅはヤハブに近寄った。ヤハブはメジストに、治癒の術をかけている最中だった。メジストの右腕は、サキによって火傷を負っている。外衣は焼け焦げていた。

「頼まれた薬草だ」

 ロヅがヤハブへと、皮袋を投げた。ヤハブが受け取ると、何枚かの葉が袋から零れた。

「助かる。応急手当は済んだんだが」

「………」

「責めないのか」

「ヤハブを責める気は無い」

 ロヅがメジストへと視線を変え、険しい声を出した。

「もっと冷静だと思っていたが」

「極めて冷静よ」

 メジストは突き放すような態度を取った。

「ルカナーディが戻ってきている。だけどこのままゆっくり現れてきては、国が危ない。できる限り一気に、戻す必要がある」

 ロヅはメジストを睨みながら、黙って話を聞いた。

「いきなり荒野になった不気味な土地だから、他国から攻められなかったのかもしれない。しかし中途半端に人々が戻ってきて、戦力ががた落ちしている領地と見られたら……言うまでもないわよね? そうよね。ヤハブ」

 ヤハブが顔を伏せて、頷いた。

 ルカナーディは現在、特に敵対している国は無かった。加えて山間にある為、獣が多く出没する、不便な土地だ。

 それでも自由な領地と見られ、攻め込まれる危険性はある。

 そうなれば、亜季が全てを戻しても、国が無事かはかわからない。

「私はそれも構わないけれど。国に家族が待っているのは、貴方達でしょう」

 メジストが側にいる二人の男に、冷淡に言った。


「それでも物事には、順番というものがあります」ファウラが口を開いた。

「せめてサキも納得するように、手順を踏むべきだった。そうすればサキもメジスト様も、余計な痛みを負わなかったでしょうに」

 ファウラは亜季の隣で、サキの額を見上げていた。

「計画には反対しません。肝心の亜季も、もうそのつもりですから。ですが私からも提案をさせて下さい。契約後に亜季の時計を使って魔術を行うのは、満月の晩まで、待って下さい」

「ファウラが助力してくれるって訳ね」

「ええ。その晩なら魔力が一番強い。拍車がかけられると思います」

 メジストに対する怯えは、ファウラから消えていた。ファウラはメジストに一礼すると、ロヅの隣へと移動した。


 メジストは立ち上がり、サキに寄り添っている亜季へと近づいた。全員がいる場で目的を果たそうと考えた。

 紋様を描く契約によって、サキの潜在能力を引き出していた。この契約は血が通った生物ならば、誰とでも行える。メジストが亜季と契約すれば、精霊を元に還す力の、増幅が見込める。ルカナーディを一気に戻す可能性に近づく。

 ただし契約には条件が伴う。

「……何年だ」

 座ったままのヤハブが、メジストの背中に問いかけた。

「その契約を一回するごとに、何年分の命を注ぎ込んでいるんだ」

「年齢の話なんてやめて」

「煙に巻くな。契約者を強くするのに、命を握るのに。主はどれだけの代償を払っている?」

「……貴方達の半生ぐらいの年月。だから貴方達は、そう真似れない術よ」

 亜種族の魔術。己の命を削り、契約者の力を最大限に引き出す。契約者の全身に魔力を巡らせているので、服従も可能となる。

 そのことまでは知る人間も多かったが、削られる年月までは、知られていなかった。メジストもサキに、他の者が払えない代価を払っていた。

 周囲が一段と静まった。


「だけども私にとっては、削って支障が無い年月。そんなに長く生きなくても良いの。これで話は終わり」

「待って」

 松明で周囲を照らしていたみのりが、言った。

「それでも、この方法で一番代償を払うのは……メジストさんだ」

 メジストは昨日見せつけられたような、不適な笑みを浮かべた。

「ではみのりは、より早い手を提案できるの? 一国と一人の命。どちらが重いかなんて……天秤にかけなくても、わかるでしょう」

 みのりが押し黙った。

 最初に亜季、次にサキ、最後にメジストを見て――彼は心苦しげな表情で、頭を下げた。

「……何も言えません。すみませんでした」


 最後に、サキがメジストの行く手を拒んだ。

 亜季をかばうように、傷ついたまま、メジストの前に立ちはばかる。

「いい加減になさい」声を荒げた。

「邪魔をするな。結局あんたは、その娘の帰還も妨げてるのよ!」

 サキが小さく唸った。

 その後ろから亜季が姿を現した。彼女は前に出ると、サキに向かって言った。

「ごめん。契約させて」はっきりとした口調だった。

 途端にサキが唸るのをやめた。

「亜季。こっちまで来て、掌と額を出して」

 亜季は、メジストへと歩み寄った。

「どんな命令でも耐えなさい。そうしないとサキより痛い目に合わせる」

 亜季が青ざめた。竜のサキが受けた傷を、見たからだ。

「役目が果たせなかったら、仕方ないです」そう言って目をつむる。

 右手で前髪を上げて額を晒し、左手をメジストに差し出す。体は少し震えていた。

「……今のは冗談。支配下に無いサキを敵に回すほど、私も強くないの」

 メジストが左手で、短剣を取り出した。

 刃が亜季の皮膚を切ろうとした瞬間、サキがもう一度、邪魔に入った。

 鼻先をぶつけて短剣を払い、メジストに低く唸る。

「……またか」

「かばうなら、あたしじゃないでしょう!」亜季が叫んだ。

 叱られた竜が首を縮める。その様子を見て、亜季も悲しそうにうなだれた。

「ごめん。……全然、偉そうに言える人間じゃない」

 亜季が、メジストにしばしの待機を願い出た。

 メジストはそれを受け入れて、短剣を拾うと、後ろに下がった。


「白状すると、昔さっちゃんに最低なことをした」

 周囲は静かに、亜季の言葉を聞いた。

 それは話の流れに似つかわしくない、子供の懺悔だった。

「覚えてる? さっちゃんをかくまう時に『このことは誰にも秘密』って約束したこと。でもあたしは別世界へ行けたことが嬉しくて、誰かに自慢したくなって。別れた後……さっちゃんに会えなくなったからもう良いかなって、竜と出会ったことまで、周りに話した」

 亜季が全身で、サキの朱色の体にしがみつく。小刻みな震えがサキに伝わった。言葉から取れるよりも、亜季は今の事態に怯えていた。

「大事な約束だったのに、破ってごめん。今まで黙ってて、本当にごめんなさい。約束を嘘にしたら、良い訳なかった」

 亜季が辛そうに話していた。彼女がサキを想っているのは、その場の全員に伝わった。

 だけど頑なに謝っている訳は、事情を知っているみのりにしか察せなかった。

 誰も亜季の話を信じなかった。嘘つきだと言われ、言葉以外でも蔑まれた。彼女の両親も『別世界に行った』など幼い戯言と、聞き流した。そしてサキの存在も否定された。

 亜季はおそらく心の深い所で、それらを約束を破った罰と、受け止めた。

「さっちゃんとまた会えて。あたしは協力するって、皆と約束をしたから」

 サキの体から離れた亜季は、一段と真剣な表情になっていた。

「今度こそ約束を守らせてほしい」

 ついにサキが大きな体を引いた。亜季が再び、額と掌を、魔術師に差し出す。

 メジストは細い刃物で、亜季の掌を薄く切った。赤い血がじんわりと出てくる。メジストは自身にも同じことをすると、二人分の血を、亜季の右手の甲で混ぜ合わせた。

 血を混ぜた指先で、亜季の額に、サキと同じ紋様を描く。

 メジストが長い呪文を唱えると、入れ墨のような形で、額に紋様が残った。


「もうすぐ、亜季とみのりがここに来るみたいよ」

 亜季に紋様が移ったその晩。

 洞穴の外で佇むサキに、メジストが寄った。

 今は、サキとメジスト以外は周囲に誰もいない。他の者は洞穴で休んでいた。

「口が利けない今でも、あんたの心を見抜きそうな奴ばかりじゃない。辻褄を合わせたのだから、秘密は隠し通しなさいよ。……本当はお互いに、殺そうとしたこともね」

 メジストが言葉を区切った。

「特に亜季。あれは確かに、竜の姿だけでもサキを好きになったでしょうけれど。私を殺そうとした事実までは決して、受け入れない女の筈よ」

 その通りだと、サキは思った。

 殺すまでもなかった。

 だけど怒りから本能的に動いた。側の女を獲物として見下し、残忍に殺そうとした。

 亜季に知られたらどうなるか。

 軽蔑して罵倒してくるだろうか。恐れて逃げるだろうか。それとも、無理に笑って媚びてくるか。どれを想像しても、ぞっとする。

 竜としての一面に流された、自分が情けなかった。

 サキは大粒の涙を一つ零した。竜の姿で泣くのは、これが初めてだった。

 泣くサキの額に、冷たい感触が訪れた。

 額を冷たくしたのは、メジストだった。紋様があった箇所に、竜の血液を塗り込んでいる。利き手ではない左手を使って。右手は、肩から包帯が巻かれていた。

 彼女が呪文を唱えると、鱗が剥がれた額の痛みが、和らいだ。

「……サキ。気持ちを考えないで命令を下して、悪かった」

 悲しそうな顔をしていた。そんなメジストの表情を、サキは初めて見た。

 サキの後悔の気持ちが、いっそう強くなった。

 ……彼女は悪質な冗談を口にするが、自分にだけは決してそれを行わない。非情な面が目についたのも、嘘をつかずに話していたからこそだった。

 もっと常に信頼すべき相手だった。彼女を傷つけた今さら、気がついた。

 サキはまた一粒、涙を零した。亜季とみのりが来る前に、メジストがその涙を拭った。


   ◇◇◇

 それでもサキは、亜季を一番に想っていた。

 危機を助けてくれたから。初めてできた人間の友達で、名付け親だから。人間の大人達を相手に一晩中、怒り続けてくれたこともあった。

 脆さとわずかな強さ、愚かさが、大好きだった。互いに相容れられないであろう部分も、サキが人間に求めたものだった。

 だからせめて帰還するまで。一緒にいられる、最後の一瞬まで。

 彼女と彼女の側にいる少年に尽くそうと、竜のサキは決めた。

第七章(終)

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