隠蔽
別れは、あまり考えていなかった。
最初に出会った時の亜季は、人の身に化けた自分よりも、小さな子供で。
その後すぐに見つけた亜季には、背丈を追い越されていたけれど。
ルカナーディが消滅してから現れた亜季は、二回目に会った時と、そう変わらない姿だったから。
ロヅとは、人の身に化けた自分と同じくらいの背丈の時に、出会った。
あれは彼が名前を変えた直後だったかもしれない。
亜季を知っている少年だったので、時折、話をしに行った。一緒に遊んだ。
月日が経ち、ロヅは少年から青年へと、成長した。
別世界で、時間の流れが違うからか。
亜季の月日の経ち方は、出鱈目だった。
人間の寿命は竜よりも短い。だから親しくなっても、別れを覚悟しないといけない。人間は竜の自分より早く死ぬ。
だけどもしかすると、別世界にいる亜季だけは。
また数年後、あまり変わらない姿で、再会してくれるかもしれない。そしてまたその数年後にも――。
長く一緒にいられるような、気がしていた。
◇◇◇
何かが耳に聞こえてきたので、サキは目覚めた。
視界に星空が飛び込んでくる。冷たい夜風が頬に当たったが、体はそう寒くなかった。星明りの下、サキは誰かの腕の中にいた。
(……しまった)
サキはメジストに横抱きされ、呪文を唱えられていた。
血の気が引いた。急いで彼女から体を離したが、遅かった。
サキの額の紋様に激痛が走る。悲鳴をあげて、サキは地面に倒れ込んだ。
メジストは、サキを抱えていた両手で印を結び、さらに呪文を唱えた。痛みはより激しいものとなり、紋様を軸に全身を巡る。
「痛いよ。やめてよ!」
懇願すると、メジストが呪文を止めた。しかし印を組んだ両手をほどく気配は無い。
(完全に油断した)
サキは辺りを感じ取った。ずっと後ろに、ヤハブとみのりがいるらしかった。
ヤハブが施した魔除けの魔法陣まで戻れば、メジストの魔術も無効にできるかもしれないが、魔法陣からは遠く引き離されている。
「命令する。サキ、竜に戻るな」主の口調は冷ややかだった。
「あの二人はどうしたの」
「今は夜中よ。ヤハブには薬も使って、さらに寝かせておいたけれど。みのりは勝手に、深く眠ってくれている」
「………」
「ルカナーディを戻した後、亜季がどうなってたか忘れたの?」
サキは、亜季が術後に無防備になると、思い出した。
亜季だけに負担をかけまいと協力したが、ここまで考えていなかった。こんな仕打ちが待っているとは、思いもしなかった。
「竜の時はもちろん、変身後でも隙を見せて寝てくれるなんて、無かったからね。丁度良い機会かと思って。さあ言いなさい、サキ」
両手で印を結んだままのメジストが、尋問を始める。
「何に気づき、何を隠している?」
サキが口を結んだ。
二つの世界の間に関わりがあった時、見えなくなる空間がある。時間にも隔たりがある。
国の消滅はこれらが関係している。
別世界から来た少年少女の、帰還も関係している。
別世界から来た少女の亜季は、六度も行き来した為か、最も国を修復させる力を持つ。
「サキは強いけれど本当に馬鹿なのよ。私に何を話したか覚えていない。……亜季の世界に行った時、元の世界へ帰る為の扉は移動していた。だからすぐに帰れなかった。……それでも増幅された竜の持つ感覚でどうにか見つけ出せた、と。この感覚のおかげで亜季も元の世界に戻せたのだと」
サキは地面に這ったまま、メジストの言葉を聞いた。
「そんな昔話を私には話した。そこまで研ぎ澄まされた感覚を、私の術によって授かっているのに……なぜあの娘にサキが劣るの。なぜ今は、別世界への扉が見つけられないの」
「わからないよ!」
「いや。今日確信した。サキは何かを隠している」
メジストが再び呪文を唱えた。サキはひきつれた叫びをあげて、うずくまった。
痛みに耐えかねて、サキが一つの真実を口にした。
「……時間と空間の流れが、ここと亜季達の世界を、分けてるの」
「………」
「時間と空間の流れが歪んだ場所が、世界を行き来できる扉になっている。だけど今回はルカナーディが消えるほどに、その歪みがひどくなったから。糸が絡まったみたいに……扉は壊れてしまった。それで亜季とみのりは、帰れなくなっている」
「どうやってそれを知った?」
「ルカナーディの町が戻ってきた時、時間と空間の歪み――世界を行き来できる扉の欠片を見つけて、そう、気づいたの」
「扉の欠片はどこにある」
「……わからない。見えなくなった」
メジストが呪文を口にした。言葉だけで自分を地に伏せる相手を、サキは激痛の中、睨み上げた。
「……こんなことするメジストに、すぐに言えないことがあるのなんて、当たり前だよ」
メジストはサキを見下ろし、呪文とは違う言葉を放った。
「つまりは、亜季?」
サキが身をびくりとさせた。
「国が戻れば、別世界への扉も元に戻り、あの娘は帰る。……まさか友と別れたくない一心で、邪魔をしているのか」
「亜季のことを、話さないで」
「疑わざるを得ないわ」
心臓が高鳴る。ファウラの監視を頼まれたことが、サキの頭にどうしようもなく浮かんでくる。亜季は、ファウラよりもずっと弱い。あの力が特別なだけで、体を守る術などは一切持っていない。……そういう育ち方をしている。
そして目の前の相手は、十年以上も付き合った自分にすら、躊躇せずこれだけの苦痛を与えてくるのだ。
「他に何を隠している」
「何も隠してなんかいない」これは嘘だった。
別世界への扉の欠片を、サキは見失ってなどいなかった。
サキは秘密を抱えながら、痛みと、何かが腹から飛び出しそうな感覚をも堪えていた。
「サキはこの間、思い出話の『杖を持った人間』が女だったかもしれないと言った。偶然にしろテムサが別世界への扉を拡げ、ルカナーディを消す道も拡げたかもしれない。……その可能性を肯定した」
「それが何」
「ファウラが不利になりかねない情報を、よく話したものね。殺しを嫌がった癖に」
「……あれは、そんなつもりで言ったんじゃない」
「どうだか。優先するものの為なら、あんたも卑怯になるでしょうよ」
信頼は損なわれていた。サキの主人を敬う気持ちも、消えかけていた。
「異物でもあるあの二人を、還せたら、それで国は戻るんじゃないの?」
殻を壊してでも、と付け加えられる。
「……メジストは……、亜季にもひどいことする気?」
メジストは、自分を睨み上げるサキから目を離さなかった。
そして告げた。
「場合によっては、いくらでも」
「場合って、何だ」
その言葉が引き金かのように。突如、周囲に炎が現れた。柱のように燃え上がった炎が、両者を一気に囲みだす。暗闇に火の粉が舞う。
サキが四つん這いの姿勢から立ち上がった。
「メジストなんて嫌いだ」話し方から、抑揚が潜まる。
「これ以上すれば命を取るわよ」メジストも声をより低くした。
「違う」
力を込めて地面を蹴り、人の身のまま、宙へと浮き上がる。サキの赤い髪が、炎の熱気に煽られた。
「取られやしない。サキはサキが思うように動く。サキの方がメジストより強いから」
言葉を浴びせられた上空へと、メジストが両手を構えた。
(わかる。この女は何年生きようが、逆らわれるのが嫌いだ。苦手だ)
(このまま挑発を続ければ、隙が作れる)
(所詮は宙から見れば、姿の小さい女だ)
サキは不適に笑って見せた。
「強いサキが怖いから契約したんだ。そんな弱虫の言うことなんて誰が聞くもんか。絶交だ」
「人恋しさに契約に乗った分際で!」メジストが怒鳴り、続けて呪文を口にした。
サキの体は宙で大きく跳ね、額と体の節目からは、血が出てきた。
それでもなお、サキは挑発を続けた。
「本気を出してきてるから痛くなんかない」と。
宙に浮いたまま、強者の笑みを浮かべた。
「……メジストに貰った体なんて、いらないもん」
言葉を続けるのは、躊躇った。友人達を守る為とはいえ、別れたくなかった。
(だけど……この女をもっと逆上させる言葉は、こうだ)
「握られた命ならもういらない」
雄々しい火竜が姿を現した。辺りはさらに炎上した。