実験
サキとメジストは宝石の原石を発掘した後、一行がいる町へ戻った。
そしてみのりとヤハブの二人を迎え、ルカナーディの跡地に出発した。
ルカナーディの跡地で、宝石を代償に探知の術を施し、実験を行う為だった。
国を戻す能力が、亜季以外にないかを調べる実験なので、亜季は、外す必要があった。
亜季と一緒に、ロヅとファウラも宿屋に残った。
「話す言葉は同じなのに、書く文字が違うとは、どういう訳だ」
亜季が書いた文字を見て、ロヅが言った。
「あたしに聞かないでよ。知らないよ、そんなの」
母国語を綴った紙を手に、亜季が言い捨てた。
亜季は宿屋で働き、その休憩時間を、ロヅとファウラの部屋で過ごしていた。今、三人は丸い机を囲んでいる。机の上には数冊の本、紙、筆記具。そして櫛と髪留めが用意されていた。
亜季は魔法の勉強を始める前に、ファウラの髪を結うことにした。
ファウラは自分一人では、簡単に束ねることしかできないらしい。そう聞いた亜季は、少し凝った髪型に仕上げたくなった。
金褐色の長髪に櫛を入れながら、どのようにしようか迷っていた時。
「今日もこれを付けるのか?」
ロヅが机の上に用意されていた、簡素な髪留めを手に取った。
「ええ」ファウラが微笑んだ。「せっかくロヅに買って貰いましたから」
ロヅは髪留めを手で回してから、それを机に戻した。
「髪が邪魔にならない時は、外しとけよ」
「どうしてですか?」
「その方が似合ってる」
「……はい。わかりました」
ロヅはそっけない物言いだったが、ファウラは一際、笑顔になった。
二人の会話を聞いた亜季は、ファウラの髪を両側、耳上から後ろに向けて、細く編み込んだ。そして両側から編み込んだ毛先を、髪留めで束ねる。
華やかながらも、ただ髪をおろしている時と印象が近い髪型に仕上げた。その髪型はファウラにもロヅにもほめられた。
「よしっ」
亜季はささやかな達成感を得ると、はかどらない勉強に向かった。椅子に座り、ファウラの声に、耳を傾けた。
「願う結果を想像して、魔力を統一していきます。そこで見合う代償を払えば、魔法となります。亜季は夢の中で無意識に、近いことをしているかもしれませんね」
亜季はファウラの言葉を、獣の皮をなめした紙に綴っていった。文字が読めないので、聞いたことは細かく記した。
魔法のことを綴った紙は、表も裏も使用して、今日で十枚を超えようとしている。
「……亜季とみのりは、私達とは、魔力の流れが違うようです」
ファウラが亜季の左手首に、そっと触れた。
「触って、わかるものなの?」
「ええ、少しは。魔力は血と共に、熱を帯びて全身を巡るものですから」
ロヅも、亜季に触れてきた。右手首から掌まで触ると、こう言った。
「……魔力そのものが、無いんじゃないか?」
「そ、そこまで思うの?」
「魔力が無いから、魔法が使えないのかもな」
亜季は魔法を勉強するものの、いまだに何の魔法も使えなかった。
『願う結果を想像して魔力を統一』『代償を払う』と教えられても……せいぜい願う結果を想像するまでしか、出来そうにない。
「……ねえ、さっちゃんが人間になれるのも、魔法?」
「そうだな。サキと、メジストの魔法だ」
ロヅが亜季から手を離した。
「じゃあ、払っている代償って何」
問いかけに、ロヅとファウラが黙り込む。二人は目配せをした後、こう答えた。
「……サキの額の紋様は、魔法の契約をしている証です。メジスト様が紋様から全身に魔力を巡らせているので、サキは変身もできるのですが……魔力を巡らされているのは、全身を支配されているのと同じです」
「能力を授かった代わりに、サキはメジストには逆らえないんだ。……そしてメジストは、契約する時に命を削っている」
「……そんな風には、見えなかったよ」
亜季が視線を床に落とした。
「……もう何年もの付き合いで、関係は良好のようですし」
「メジストも、そう力で抑え込んでいない」
メジストとサキは信頼でも結ばれている。ロヅ達はそう捉えていた。亜季もそれに同意し、話はサキの性格へと変わっていった。
亜季が『出会った時のサキは無表情で、話し方も違った』と話すと、二人はとても驚いていた。
◇◇◇
ルカナーディの跡地にて、昼をとうに過ぎた頃。
メジストが探知の術の魔法陣を、地面に描き始めた。ヤハブは少し離れた場所に、魔除けの魔法陣を描いている。
手持ち無沙汰のサキは、珍しく無口だった。亜季のことを考えていた。
「どうしたの。しょんぼりして」
みのりがサキに声をかけた。みのりも暇だったので、ヤハブが乗ってきた四足の動物の背を撫でていた。
「あんまり亜季と、一緒にいられなかったなぁって」
サキがうらめしそうに、メジストを見た。
「ゆっくりする理由が無いでしょ」メジストが答える。
「全くだな」ヤハブが同意した。
サキが二人に向かって、頬を膨らませた。
「亜季と遊びたいから、ゆっくりするの!」
「さっちゃん。……それ、駄目な理由だよ」
「うー」
サキは唸りながら、みのりの方を向いた。
みのりは動物を撫でるのをやめて、サキの頭を撫でた。
「元気出しなよ。俺で良ければ、今、一緒に遊ぶから」
「何して遊ぶの」
「肩車でも、しようか?」
「するっ」サキが、ころりと笑顔になった。
身をかがめた少年の肩に、サキが足を乗せる。視界が高くなると、サキは足を振ってはしゃいだ。
ヤハブはそれを、疑問の想いで見つめた。
「図体がでかくて空を飛べる奴に、肩車って、意味があるのか?」
「あの子はああいう行為が好きなのよ。緊張感の無い風景で良いわねぇ」
肩車で遊ぶ二人を見て、メジストが微笑んだ。
日差しの下、サキは己で飛べる空を、人の肩から見上げた。
サキがみのりに肩車をしてもらうのは、これで二回目だった。人に抱きつく理由を亜季から聞いたみのりが、サキに提案した遊びだった。
「みのり。みのりは優しいから、サキは大好きだよ。二番目か、三番目に好きっ」
サキがみのりの頭髪を撫ぜ、顔を寄せる。日差しに照らされた匂いが、心地良かった。
「ありがとう」みのりが笑った。
「俺もさっちゃんが大好きだよ」
それから彼は声を落として、こう続けた。
「でもさっちゃん。一番目の人や俺よりも、長く一緒にいる人を大事にしなよ」
「……一番目は、一番大事なんだもん」
みのりの頭に顎を置いて、サキがふてくされた。
◇◇◇
夕暮れ前に、メジストが魔法陣の準備を終えた。
側には神官のヤハブが鏡を構え、不可視の物を映す準備をしている。
宝石の原石を一つ使い、前回と同じように探知の術を行う。術を施すと、半透明の羽虫が現れ、光となって空に消えた。
鏡面には何の変化もなかった。だがサキとみのりは、変化を見せた。
両者とも、ややぼんやりとした表情になった――亜季のように。
「何か見える?」
メジストはまず、世界を三回行き来した、竜に声をかけた。
「霧が見えるよ。白い霧」サキが棒立ちで答える。
「そう。他には」
「遠くには星みたいなのが、二つ見えるけれど。……精霊はどこにいるかわからない」
サキがわずかに表情を歪めた。
続いてメジストは、今回初めて世界を渡ってきた少年と向かい合った。彼も、何かが見えている様子だ。
「みのりはどうなの」
彼はしばらく、ただ無言で座っていた。
「……霧は見えない。星もよく見えない」
「他には」
「羽虫と、さっちゃんは見える」
「精霊と……サキが見えるの?」
「はい」
みのりは座ったまま、宙を見ていた。隣に立つサキは、視界に映っていない筈だ。
「そこから、左」
呟き、みのりは目を伏せて後ろに倒れた。
サキはまだ、視線が定まらない表情でいる。
「左って。見えないよ」
言いながら、サキは左手を空に掲げた。宙に身を浮かした。
辺りが一瞬、白くぼやけた。
その白みが消えた時には、わずかな草原が、地面に戻っていた。
若草の香りを含んだ草原が、平坦に広がっている。
そして少年と、少女の姿の竜は、草の上で眠っていた。
「地面だけとは、盲点だった」
鏡を下に向けて、ヤハブが言った。
「二人でも亜季には及ばないか。それとも原石一つじゃ、代償としては少ないのかしらね?」
「まあ、まずはこいつらを運ぶとするか」
「そうね」
ヤハブは連れてきた四足の動物を、傍らに呼び寄せた。みのりの体を持ち上げ、動物の背に乗せる。動物が小さく鳴いた。
メジストはその間、全く動かないでいた。
「どうした」
「ヤハブ一人で、こっちも運べそうだなと思って」と、足でサキを示す。
「……お前が非協力的なのは、なぜだ」
「力仕事は嫌」彼女は外方を向いた。
「手綱ぐらいは、引いてくれ」
ヤハブは動物に繋いだ手綱を、協力的でない女に握らせた。そして渋い顔でサキを肩にかつぎ、歩き始めた。
メジストは気だるげに手綱を引いて、彼の後を歩いた。
「けち」
「甘えるな」
「頼んでも駄目?」メジストが、ヤハブの二の腕に指を這わせた。
「なんだ、らしくもない。……女として扱われるのを、好まない癖に」
「……わかったような口を利かれるのは、更に好まないわよ」
二の腕を指ではじく。そして手綱を、両手で引いた。
「気まぐれよ。愛妻家を、からかってみたかったの」
「お前なぁ……。俺は出来れば、サキに触りたくないんだぞ」
ヤハブが、肩に負っているサキを叩いた。サキは何も反応しなかった。
「ああ、あんたも昔、サキのせいで徹夜したんだっけ?」
メジストは、サキの寝顔を見つめた。
「そうだ。しかも未だに吠えられる。サキと、まだ幼い亜季が森にいたあの日……メジストがいてくれれば、良かったのに」
「亜季が解決してくれたんだから、良かったじゃない」
メジストは明るく言った。目は、眠るサキから離さなかった。
「……サキが警戒を続けた原因も、亜季のようだけど」
眠る者達を連れ、両名は、ヤハブが施した魔法陣に入った。
眠るみのりとサキを、横たわらせると、自身も腰を降ろした。
「こいつらも半日眠るんだろうか」
ヤハブは眠る二名を見やった。みのりは静かに寝息を立てている。サキは何かを呟きながら、あどけなく寝返りを打った。
「起きるまで待つわよ。町まで運ぶのは、ごめんだわ」
「無防備な奴を二人も、運んで歩く自信は無いな。夜道になるだろうし」
だから魔除けを施した、と、ヤハブが地面を叩いた。
メジストは地面の魔法陣を見つめた。魔法陣を形成する文字は、砂と、石を砕いて作った顔料が用いられている。模様は精細に描かれていた。
「大した結界ね」
この術は専門外であるメジストが、感嘆の声を上げた。
「破られないようにしないと意味が無いからな。外からも、内からも」
「この中なら……魔術の効き目も悪くなりそう」
「一部、無効化する」
メジストが表情を消し、側の男を見た。
彼は水筒の蓋を開けていた。視線を気にしている様子はない。
「……呪いの類は消えて、強い攻撃の魔法は緩和される。それだけだ。サキの変身も解けていないだろう」
ヤハブが水を飲み、話した。
「人だけじゃなく、獣が扱う魔法も緩和される。サキが一緒にいる限り、獣の類はそう襲ってこないだろうが」
「それだけでも魔術が効かない場所は、私は不愉快なんだけれど」
「あくまで休息用だ。嫌なら魔法陣の外で休め」
ヤハブは魔法陣の効果を話した後、また水筒に口をつけた。
メジストは無言で魔法陣の中に居続けた。彼女は夕日が落ちようという時に動き出し、まず鞄から、手燭を取り出した。
蝋燭に魔法で火を付け、それを自分とヤハブの間に置く。
「……ここで休むわ」
メジストが溜息交じりに言う。眠るサキを横目で見ながら、ヤハブへと話しかけた。
「ヤハブ、早くルカナーディに戻ってほしい?」
「まあな」
「愛妻家だものね」
メジストが可笑しそうに言った。
「……他にも気になることがあるしな」
ヤハブは夕闇の中、ルカナーディの荒地を見つめていた。
「他国に、現状況をどう見られているやら――。そう、のんびり構えられんよ」
無情に続く平坦な荒地。遠くには、戻ってきた町の影が佇む。
メジストはヤハブを見やり、口の端をあげた。
「……酒でも飲みたい気分ね」
そう言って立ち上がると、メジストはヤハブの鞄を、勝手に探り始めた。ヤハブが止めるのも聞かず、鞄から緑色の酒瓶を取り出す。
「持ってきてるじゃない。飲ませなさいな」
ヤハブは渋い顔で、己の酒瓶と、気を許した様子の女とを見比べた。
「……好きにしろ」
「ありがとう」
メジストが酒瓶ごと持って、座っていた場所に戻る。その振る舞いから、ヤハブは酒瓶ごと返ってこないのだと察した。
顔をしかめたヤハブに、赤紫色の酒瓶が差し出された。
メジストが好んで飲んでいる果実酒だった。瓶には、まだ存分に酒が残っている。
「お礼よ」
メジストが笑って、手持ちの酒をヤハブに渡した。
月が昇っても、サキとみのりは目を覚まさなかった。メジストとヤハブは見張りを立て合い、一晩を過ごすと決めた。
まずヤハブが見張りとなり、メジストが休息を取った。メジストが休んだ時間は、そう長くなかった。メジストは仮眠から目覚めてすぐに、ヤハブに見張りの交代を申し出た。
見張りを交代したメジストは、ヤハブが眠るのを、静かに待った。
自分以外の者が全員、眠った時。
彼女はまず、ヤハブに渡した果実酒を手に取った。瓶の中身を確認した……口を付けたようだが、空にはなっていない。
メジストは衣服の裏側から、隠れて果実酒に混ぜた品を、取り出した。
数種類の乾燥葉をすりつぶした物を、手燭の火に振りかける。火の横に一本の香木を添える。独特の煙が、手燭から上りだす。
メジストは煙が立つ手燭を、ヤハブの風上に置いた。