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掌にかかる虹  作者: 繭美
第一章 嘘の話と雲の扉
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未知の国

 誰かが、亜季の背中を強く踏んだ。

「痛いっ」気絶していた亜季が目を覚ます。

 亜季を踏んだのは小さな少年だった。

「踏んじゃったか?」

 少年は、まだ舌足らずな口調。亜季と並べば、彼女の腰に頭が届くであろう背丈の、幼い子供だ。手には木の棒を持っている。

「こんな所で寝るなよ。気づかないだろ」

「あのね! まずはごめんなさいでしょっ……。え?」

 上半身を起こした亜季は、言葉を止めて辺りを見回した。


 周囲は森だった。背の高い草むらに寝ていたようで、髪から草がぱらりと落ちた。

 遠くには城が見える。石造りの城が、木々の葉の隙間から見えている。

 冬の気温ではない、穏やかな暖かさを、肌で感じる。

 頭上を見ると、空の色が変わっていた。いつもの空色より緑がかった、見慣れない空だった。

「変な格好だな、お前」そう言った少年は、髪と目は黒いが、亜季の近所にいる子供とは違う衣服を着ている。

 装飾模様の刺繍が入った服を着た少年は、学生服の亜季を珍しそうに見ていた。

 彼に踏まれた背中の痛みが、まだ残っている。夢とは思えなかった。


「ここはどこ。日本なの」亜季は少年に尋ねた。

「ルカナーディ。決まってるだろ」少年は答えた。

「漢字でどう書くの」

「かんじって何だ?」

「ねえ僕、お名前は」

「エルヴァ。エルヴァ・レグラン」

「漢字でどう書くの」

「だからかんじって何だよ」

 映画の撮影現場かと疑ったが、それらしきものは辺りに無かった。

「……ここはどこ?」

「だから!」

 少年が呆然と座る亜季の頭を、平手で叩いた。


 不意に車輪のきしむ音と、沢山の砂利を踏む蹄の音が、二人に近づいてきた。それは馬車の音だった。しかし現れたのは馬の代わりに――ラクダに小さな角を生やしたような動物が、手綱によって操られ、二輪の車を引く姿だった。

 その乗り物は動物のいななきを最後に、亜季と少年の側で止まった。

「迎えに来たぞ。エルヴァ」手綱を引いていた長身の男が、降りてくる。

「父さん」少年、エルヴァが持っていた棒を大きく放り投げ、男に駆け寄った。

「さあ、そろそろ帰らないと」

「はーい」

「この娘さんは?」

 男が、地面に座り込んだままの亜季に目を止めた。

「こいつはここに落ちてたんだ。俺、踏んだ」

 エルヴァが父親の男に言った。

「お前、なんてことを。すぐに謝ったか?」

「うん」平然と嘘をついた。

 男は、亜季に向かって頭を下げた。

「うちの息子がとんだ失礼をしたようで」

 亜季もつられて頭を下げた。それから慌てて聞いた。

「あ、あの! ここはどこですか?」

「ルカナーディの外れの森です」

「ルカナーディって、初めて聞くんですけれど。……地名ですか?」

「……小国ではありますが、我が国の名です」

「ご、ごめんなさい」

 男は怪訝そうな顔をした。

「一体どうしたら、名前すら知らない国に迷い込めるのですか? 貴女は、どうやってここに来たのですか」

 男の言葉に、亜季は息を呑んだ。ここに来る前のことを、ようやく思い出した。

「竜さんでした」

「何と」

「竜さん……あ、いえ」亜季は口元を押さえた。「竜に捕まえられて、空を飛んで、ここに来たみたいです」

「まさか、竜にさらわれたのですか」

「……そうかも、しれません」

「父さん」エルヴァが男の腕を引っ張り、耳元で何か話した。

 男は顎に手をあて、やや間を置いてから、亜季と向かい合った。

「よろしければ我が家に来ませんか」

「え?」

「落ち着くまで休まれるといい。悪さをする竜が近くにいるのなら、貴女に色々と聞きたいし……息子も、貴女と遊びたいようなので」

 エルヴァは父親の背中に隠れて、亜季を見ていた。

「でも見ず知らずの方にお世話になるなんて、悪いです」亜季は断ろうとした。

「あのなあ」エルヴァが口を挟んだ。

「この辺は夜に獣が来るから、お前みたいな迷子は襲われるぞ。俺だって昼間しか、遊ばせてもらえないんだからな」

「ええ、本当のことです」男が続けた。

「………」

 亜季に選択権はなかった。


 馬車のような物に乗ってから、少し時間が過ぎた。

 知らない動物が引く乗り物は、屋根が無かったので、亜季は上向くだけで空が見られた。頭上はなおも、淡い青と緑の中間色が続いている。亜季はなぜか、この空が懐かしく思えてきた。

「亜季、ほらあれ」

 エルヴァが亜季の腕を引っ張り、前方を指した。

 少年の示した下り坂の向こうには、城と、大きな町が見えていた。

「わぁ……城下町だね」


 亜季達は、ルカナーディという国の城下町へと到着した。

 アスファルトの道路ではなく、平らにしただけの土の道を、蹄と車輪が進む。亜季は顔に風を受けながら、流れる町の景色を眺めていた。やはり今は夢を見ているのでは、と、何度も疑いながら。

 石と木で築かれた建物が続く。建物の間に、紐で干された洗濯物がはためいている。

 町には様々な者が住んでいた。長いベールを引きずり、杖を付く男。動物を荷物運びに連れて歩く親子や、籠いっぱいの花を頭に乗せて、それを売る娘達。

 人々の顔立ちは、東洋系と西洋系の両方が揃っていた。若干、西洋系の顔立ちの方が多いようだが、亜季の顔も違和感なく風景に溶け込む。


 進む道が土の上から石畳へと変わった。動物が引く乗り物は中心部にそびえる、塀で囲まれた城に向かっていた。

「家ってお城なの?」

 亜季が尋ねると、エルヴァがうん、と頷いた。

「じゃ、エルヴァ君は王子様?」

「まさか」手綱を引いている、ベーナ・レグランという男が笑った。

「私達の家は、城内にある建物の一角です」

「父さんは神官なんだよ。城の神殿の管理をしてる」

「そ、そうなんですか。立派ですね」

 エルヴァはまた、うん、と頷いた。

「とんでもない」神官の男は、笑顔で首を横に振った。


 それから神官の男は、季節にまつわる神話を話題にした。

 いくつか神や精霊の名が出てきたが、どれも亜季は聞いたことがない。占いに登場する神々や精霊の名なら知っていたけれど。……今語られた神々は、申し訳ないくらいにわからない。

 無知と戸惑いは隠せず、相手に伝わった。

「……もしや竜にさらわれて、記憶が混乱しているのでは?」

 神官の男の言葉に、亜季は俯いた。

 今はっきりわかるのは、自分がよそ者だということだ。

「『万物に精霊が宿る』というのは、少しわかるんですけれど……」

 亜季は小声で言った。八百万の神がいる――一粒の米にも神を見出す日本神道に、通じるものを感じた。

「とにかく貴女がくつろげるよう、侍女に準備させます」男が言った。

「ご迷惑おかけします。ごめんなさい」

「謝らなくていいですよ」

 男は穏やかに微笑んだ。

 動物が引く乗り物は、見張りがいる城門をくぐり、右に曲がった。それから城の右後方にそびえる建物の前で、止まった。

「さあ着きましたよ」

 まずエルヴァが飛び降り、亜季の手を引いて、彼女が降りるのを手伝った。

 亜季は石畳に降りると、目の前にある大きな建物を見た。城は象牙色の石で出来ているが、こちらの建物は白い石造りだ。


「あ」

 亜季は不思議な生き物を見つけた。

 屋根にいる、胴体が緑の鱗で覆われた生物。大蛇のような胴体からは、透き通った六枚羽根と、針金のように細い二本足が生えている。顔も蛇に近いが、眼球は突き出るほどに大きい。

 その生物は屋根に立ち、亜季達を見下ろしていた。

「エルヴァ君、あの生き物は何」

「え? 鳥じゃないか」

「……鳥? あれが」

 亜季はエルヴァが『鳥』と言った生物を、もう一度見た。

 彼女にとって初めて見る鳥だった。

「そんなの見てないで、早く遊びに行こう」

 幼い少年にとっては日常らしく、学生服を引っ張って急かしている。

「亜季には着替えを貸すから。少し待ちなさい」

 彼の父親が側に来て、急かす手をはがしていた。

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