宝物
人間と親しくなりたかった竜と、一人の人間の、昔話の続き。
栗色の髪の少女は、朱い竜が本当の姿を見せても、少しも怯えなかった。少女は竜の姿に、ただ感動するばかりだった。
竜は、幼い少女に頼ることにした。
竜は、誰にも秘密で、静かに休ませてくれと、少女に願った。
少女は竜を『しょうがっこうのはいこうしゃ』へと案内した。
「一階の窓に、鍵が掛かっていない所があるんだよ」
そう得意気に案内された建物は、白くて大きくて、そして確かにひと気がなかった。
竜は、白くて大きな建物の一室に、身を潜めた。部屋は人の身では広かったが、竜の身では狭い。竜は眠る時以外は、人に化けておくことにした。
人間の少女『亜季』が用意してくれた毛布にくるまり、仲間を独自の感覚で捜し続けた。
仲間は見つからず、帰り道もわからなかった。
そうして夜が明けた。竜が眠った時間は、少しだけだ。
朝早くに、竜のもとへ亜季が来た。
亜季はまた、花みたいな服を着ている。竜より赤い鞄を背負って、布鞄を持っている。
「おはよう。これ御飯だよ」
亜季は竜に、半透明の容器を渡した。何か白い物が、中に入っている。
「あたし学校に行ってくる。……また放課後に来るから!」
「うん」
ぱたぱたと小さな体を動かして、亜季は竜のもとを去った。
竜は渡された容器の蓋を開けてみた。中に入っていたのは、予想通りの物。
人間の食べ物だった。
「竜さん来たよっ」
夕焼けの時。じっと過ごしていた竜のもとへ、亜季が息を切らして来た。
「食べなかったの?」
亜季は部屋に入ると、床に置かれた容器を拾い上げた。中の食べ物をじっと見つめ、うなだれた。
「おにぎり嫌いだったんだ」
亜季の様子を見た竜は、悲しくなって、訳を話した。
「違う」
「ん」
「わたしは人間の食べ物が食べられない。絶対に食べられない訳じゃないけれど、合わない」
「そうなんだ?」
「亜季は別の生き物の食べ物が、食べられるか」
「ええと。犬さん、猫さん……熊さん、ワニさん……」
竜の前で亜季は、うんうんと悩み出した。
竜の言葉を理解すると、ますますうなだれた。
「間違ってた。ごめん! 竜さんの今の格好を見て、つい作っちゃって」
亜季が容器を、布鞄に入れようとした。
竜が亜季の手を強く掴み、その動作を邪魔した。
「どうしたんだよ。竜さん」亜季は、手を掴まれたままだ。
「やっぱり食べる。亜季が作った食べ物だと、今はっきり知ったから」
「でも」
「食べられない訳じゃない」
「まずいってことだよね? しかも、すーごく」
「食べられない訳じゃない。亜季が作った物なら食べたい」
竜は意見が通るまで、亜季の手を離さない気でいた。
「お腹壊さないかなぁ……。じゃ、あたしと半分こしよう」
「半分こ」
誰も来ない一室で、栗色の髪の人間と赤い髪の竜は、食べ物を分け合った。
物陰で食べた。彼女達の前では夕方の光が、窓から強く差し込んでいた。その光で、宙に漂う埃が白く輝き、床に降りていた。
竜はこの頃、人間の振る舞いをするのに慣れていなかった。人に変わる術を身に付けたばかりだったので、表情や話し方に、抑揚がつけられなかった。
感情は強く抑揚していたが、それをどう表現すればいいのか。人間らしく見えるのか。竜はよくわからないでいた。
竜はまずいと感じる物を食べながら、目の前の亜季を観察した。美味しそうに食べ物を頬張っている。
(表情や話し方は、この子供を真似ればいいだろうか)
「竜さんの食べ物って、何」
亜季は竜の食事を見守りながら、首を横に傾げた。
「ここにはいない獣。動かなければ食事も少なくて済む。亜季は心配しないでいい」
竜は無表情で答える。
「ここの壁に小さな獣がいるのを見つけた。あれを食べてもいい」
「それって鼠さんかな?」
亜季は背後の壁を、こつこつと叩いた。
「……ね、人間は食べるの?」
「食べたくないけど食べられない訳じゃない。多分おにぎりより、美味しい」
「おにぎり、本当にまずいんだね」
竜の代わりに亜季が、まずい物を食べている顔になった。
「鼠さんで足りなかったら、あたしを食べても……ごめん嫌だ! そんなことできないっ」
「亜季は絶対に食べない。そんなことできない」
竜と亜季は、互いに何度もかぶりを振った。
食べ終えると、亜季が竜に茶を勧めた。竜は茶を一口だけ飲み、あとは亜季に渡した。竜にとって初めて飲んだ茶は、まずかった。
「竜さん。やっぱり竜さんの仲間は、見つからない?」
「見つからない」
「そっか。じゃあさ、まずはあたしが仲間になったら、駄目かなぁ」
「……?」
亜季は昨日、竜に出会った時のように、顔を輝かせていた。
「あたし竜さんの仲間に……友達に、なりたいんだ」
「……友達……」
無表情だった竜が、亜季と同じように顔を輝かせていく。その動作は、自然に出来た。
「なる……っ。わたし、亜季の友達になる!」
「やった! あたし竜さんの友達だっ!」亜季が竜の手を取り、その場を跳ねて喜んだ。
竜は嬉しかった。人間と親しくなりたいという、願いが叶った。
別の願いも叶うだろうか。
「亜季を抱きしめたい」
「いいけど。なんで」
「竜の体ではできないことがしたい」
「うー。竜さんは竜さんのまま、あたしを抱っこするということは……」
また亜季が、うんうんと悩み出した。
そして言葉を呑み込んだ後で「そっか!」と。亜季から竜を抱きしめた。
竜は亜季と同じように顔をほころばせて、抱きしめ返した。懐の少女は小さくて、昨日渡された毛布より暖かかった。
「亜季、大好き」
「わ。あたしも大好きだよ。……そうだ竜さん、そろそろ名前を教えてよ」
「名前は無い」
「ええ?」
亜季はまた、竜の為に頭を抱えた。
「じゃあ『さき』。竜さんはこれから、さきちゃん! ……あたしがなりたかった名前なんだけど、どうかな? 字が一個、違うだけなんだけどさ」
そう名付けられた時を、いつまでも覚えていた。
『亜季』とよく似た名前は竜にとって、一生の宝物になった。
第六章(終)