表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
掌にかかる虹  作者: 繭美
第六章 朱い竜と人間の少女
17/47

天秤棒

 それはいつも、二つを見ていた。

『一緒にいたい』と想うようになった。想いは強くなっていった。

 やがて見ていた一つに、ひびが入った。


 そしてそれは、姿を持った。


   ◇◇◇

 朱い竜は誰よりも高く空を飛んでいた。

 ある日、いつものように空を飛んでいると、白銀色に輝く雲に出会った。

 雪のように輝く雲は、筋雲。一筋だけを糸のように垂らし、地上へと続かせている。

 ――これは一体何だろうと、朱い竜は興味を持った。

 竜は雲の糸の続きを探ろうと、翼の向きを変えて下降した。そしてすぐに後悔した。

 人間が見えたからだ。

 細い雲の先の、うっそうとした森に。杖を携えた人間がいるのが、竜には見えた。

 人間は竜を怖がると、その竜は熟知していたから。

 また身を翻した。

 そして朱い竜の体は、白銀色の雲に消えた。


 朱い竜は知らない場所に出た。

 そこは、少し不快な匂いがする場所だった。

 目の前にある濁った川も、土手の石も、遠くの草木も、やけに整えられている。見慣れない造形のものが、川に挟まれた道と道とを繋いでいた。どうやら橋のようだ。

 土手の向こうには見渡す限り、人間の建物が並んでいる。

 朱い竜は驚きながら、辺りを見回した。すると突然、背中に小さな痛みが走った。振り向けば、足元に金属の球が転がっていた。

 そして人間の男がいた。風変わりな服を着ている男は、ぶるぶると震えている。彼が持つ見慣れない物から、煙が出ている――。

 激しい音がして、また小さな痛み。金属の球が鱗に弾かれ、地面に転がる。

 急所に当たらなければ、朱い竜には大したことがない。だけど自分を倒そうとする人間の男の感情は、身に染みて辛かった。

 男は竜にまた球を放った。竜が威嚇の声を上げると男は逃げた。……竜と男を遠巻きに見ていた何人かの人間も、怯えて逃げていった。

 竜はその場から少し離れた。人目が無い場所で、己を炎に包んで、人間に姿を変えた。

 人の子に化けた竜の、体のあちこちに、かすり傷がついていた。


(辛い)

 どうしてこんなことになったのだろう、と朱い竜は思った。

 人間と親しくなろうと身につけた術を、逃げる為に使わなければいけないなんて。同種族の仲間には、人間を倒そうとする者もいるだろうが……それはしたくない。

 人間と話せるようになっても、自分はまだ、主人の女としか話していない。竜が恐れられている事実は変えられない。人間を仲間にできない。

 朱い竜は、自分に虚しさを覚え始めていた。

(……仲間?)

(そうだ。仲間の気配が、ここにはしないんだ)

 気がついた。この変わった場所からは、仲間の竜の匂いがしない。

 遥か遠くまで匂いを感じられるが、竜の匂いはどこからもしない。ただ人間の土地が広がっている。森林も少ない。不快な匂いが鼻につく。

 朱い竜は途方に暮れた。

 ……人間と親しくなろうとしたのは、自分だけ。他の竜はそう考えなかった。

 だけれど今は、そんな仲間でもいないことが。

 異国に迷い込んだ竜にとって、恐ろしいまでに心細かった。

(仲間! ……メジスト!)

 竜は心の中で、助けを求めた。


「転んだの?」すぐに竜の下から声がした。

 小さな人間の少女が、竜を覗き込んでいた。

 人の子供に化けた竜より、さらにその少女は小さい。

 栗色の髪の少女だった。少女は淡い色の服を着ていて、そして頭にも、淡い色の布を飾っていた。

 花みたいな格好の子供だと、竜は思った。

「痛いよね。ちょっと待ってて。よいしょ」

 少女は指ほどの小さな布を、竜の顔の傷に貼り付けた。

 三枚、四枚と、竜の体に布を貼っていく。少女に傷の手当てをされているらしいとは、竜にもすぐにわかった。

「あたし、よく怪我するから。絆創膏は箱で持ち歩いてるんだ」

 少女が紙の箱を見せて笑った。笑顔には竜と揃いの布が二枚、貼られていた。

「お姉ちゃん。竜さん見なかった? さっきいたらしいんだ。ほんとかな?」

 辺りを、きょろきょろと見回し出す。飾られた長い髪が、一緒に揺れる。

「こないだ映画で飛んでる竜さんを観たばっかりだから、もうわくわくしちゃって」

 少女は目の前にいる竜などお構いなしに、はしゃぎ、こう言った。

「あたしね、竜さんに乗りたいの!」


 人間と親しくなりたかった竜と、一人の人間の、出会いの瞬間だった。


   ◇◇◇

 ルカナーディの町が戻ってから、数日が経った。

 亜季はみのりと一緒に、宿屋の住み込みを続けていた。ルカナーディを戻した褒美として、金銭は受け取ったものの、ただ世話になるのは性に合わないからだ。その相手が国も財産も消えた者達ともなれば、わずかな金銭も心苦しい。

 働く内に、ロヅが町の魔術師に渡した金額が、結構なものだと気づいた。返金に向かったが、ロヅは受け取ろうとしない。『国へ帰る手掛かりを掴めたのは、お互い様だから』と言うと、彼は半分だけ受け取った。

 そして昨日からサキが、亜季達の側からも、ロヅ達の側からも離れていた。

 サキは主である魔術師メジストと共に、例の宝石の発掘場所へとおもむいていた。

 亜季は、サキの帰りを待ちながら、真面目に宿屋で働いていた。


 井戸水を汲んだ後で、亜季は悩んでいた。

(これ、どうやって運ぼう)

 亜季の足元には水が汲まれた重い木桶が四つと、それを運ぶ為の天秤棒が置かれている。水桶を一つずつ運ぶことは、亜季にも出来そうだった。だけどそれでは、作業に時間がかかってしまう。

 桶を早く運ぶには、天秤棒を使って、担がないといけなかった。亜季は天秤棒という道具を知っていたが、使ったことが無い。

 みのりが早々と使っていたので、自分も挑戦してみることにした。

 見慣れない天秤棒の両端に、水を汲んだ桶を下げる。それから棒を肩にかけ、力を込めて持ち上げる。

 ……何とか持ち上がりはしたが、首にかかる重さは想像以上だ。桶の水の表面はすでに揺れていて、水を零さずに歩くなんて、出来そうにない。

 亜季は二つの桶を担げたものの、身動きが取れず、体を震わせていた。


「無茶しないで、さっさと降ろせば」

 亜季の様子を見ていたみのりが、笑って言った。

 亜季はゆっくりと、桶を地面に降ろした。どうにか汲んだ水は零さなかった。

 みのりが代わって、二つの桶が下がった天秤棒を担いだ。

「一つの桶なら、持てるんだけどな」亜季は地面にへばり、悔やんでいた。

「ここは俺がやるから。亜季は皿を下げてきて」

「そうする」

「片付けが終わったら……女将さんが、好きな所で休憩してきていいってさ」

「……そっか。じゃあみのりも、後で来てね」

 亜季は笑顔で、井戸の側を離れた。


 前掛けで手を拭いた後、茶の準備をトレーに乗せて階段を上る。二階に上ると、廊下の一番奥の部屋をノックする。

 昨日から泊まっているその部屋の客は、亜季にとって馴染みがある二人だった。

 亜季はその部屋に入ると、空になった朝食の皿を間にして、手料理の感想を求めた。

「どうだった?」

「食えた」

「……あともう一言。文句でもいいから」

「無い」

「………」

 亜季は無言でロヅに詰め寄った。

 そんなやりとりをしていると、横でファウラが微笑んだ。

「どれもとても美味しかったです。異国の方なのに、すごいです」

「本当?」

「はい。亜季、美味しい食事をありがとうございました」

「どういたしまして」

「……ロヅ、こういう時は『文句が無い』って言わないと、気持ちは伝わりませんよ」

「よっしゃ」

 ファウラの言葉に満足した亜季は、食後の茶を準備した。みのりも部屋に来たので、彼の分も煎れる。芳醇な香りが室内に広がった。

 皆に茶を配り終えると、亜季は自分の茶を持って、出窓に座った。朝の光を頬に受けた。

「さっちゃん、今頃どうしてるだろう」

 亜季は空を見上げ、この場にいないサキの心配をした。

「さっちゃん達が帰ってきたら……次はみのりも、出かけるんだよね」

 亜季は少し心細くなった。みのりの方を向くと、彼と視線が合った。

「ん。お土産でも買って来ようか?」

「いらない。そんな催促はしてないっ」

 場違いな笑顔を、亜季が突っぱねた。


 亜季が、消えた王国ルカナーディの、森と町を戻した。

 皆はその力を、世界と世界を行き来した回数の多さから授かったと、仮説を立てた。

 六歳の頃に三回。十四歳の頃に二回。そして十六歳の今回に、一回。

 亜季は計六回、世界を行き来していた。

 行き来したのは、自分の世界と別世界の間だけではなかった。六歳の頃にはその時の未来の世界――十四歳の自分の世界へと訪れている。


 ルカナーディの町を戻したことで、二つの世界に関わりがあった時、見えなくなる空間があると証明された。

 そしてもう一つ証明されたことがあった。

 空間だけでなく、時間も関わっているであろうこと。

 戻ってきたルカナーディの人々は『普通に生活をしていた』と、口を揃えて言っていた。消えてから彼らの時間は、経過していないようだった。

 亜季が元の世界に帰った時と、同じ現象が起きていた。

 最初に戻った森もそうだった。今は落葉の季節だが、還ってきた森には、若葉があった。


 亜季の他にルカナーディを戻す力がある者はいないか。

 時間はどう関わっているのか。

 その辺りをもう少し調べてから、ルカナーディを戻す術を行おうと、一同は決めた。

 物から精霊を呼び出して帰路を探らせる『探知』の術は、代償にする物が、帰る場所の特徴があるほど効果が出る。亜季の腕時計を代償にすれば、相当な結果が得られそうだった――だけど腕時計がなくなれば、もう後がないからだ。

 まずはファウラが使用した宝石の、原石の発掘。

 それから亜季の能力が他にないかを、調べる運びとなった。サキとメジストが原石を採ってから、みのりとサキが、ルカナーディの跡地へおもむくことになっている。

 その間、亜季は留守番をするように言い渡されていた。


「あたし、こうしてていいのかなぁ」

 茶をすすり、亜季は小さな溜息をついた。

 亜季は、魔法の使い方や魔力を引き出す方法などを、皆に教わった。だけど相変わらず、上手にできるのは料理だけだ。

 ルカナーディの帰還と、自分達の世界への帰還……期待されている割には、自分はのんびりしすぎだと、亜季は淡い焦燥感を抱えていた。

「いいから飯でも作ってろ」ロヅが言った。

「亜季が不安定だと、術に影響が出そうだ。それに見てて気分が悪い。どうしても悩むのなら、空いた時間に魔法の基礎を教われ」

「……わかった。今日から頑張る」

 ファウラが茶器から口を離して「私がお教えしますね」と、言った。

「俺は今日は、休みたいんだが、お前達の部屋を借りてもいいか」

「構わないけどそれって……わざわざ、ファウラと別で休むってこと?」

「ああ。魔法を教わるなら丁度いい。代わりに様子を見ててくれ」

 亜季は少し迷いながらも、部屋の鍵を衣服から取り出して、ロヅに渡した。

 ロヅは鍵を受け取ると、剣を持って、扉に向かった。

「危なっかしいから勝手に外を出歩くな」そうファウラに言うと、ロヅは部屋を後にした。


 部屋に残されたファウラは、渋そうに茶を飲んだ。

「最後のは多分『出かける際は護衛する』って意味でしょうけど。……どうして、ああいう物言いなの」

 ファウラはむくれていた。

「ロヅ、また私を子供扱いしてる」

 みのりが様子を見かねて、彼女をなだめた。

「まあまあ。出かけてもいいって、意味だろうし。せっかくだから買い物でもしてきなよ。……昼の短い間なら、目を心配しなくていいだろ」

「買い物、ですか」

 ファウラは亜季が座っている窓辺へと、視線を向けた。

 晴れた空を、憧れの眼差しで見ていた。

 亜季も様子に見かねて、ファウラに話しかけた。

「何か欲しい物とか、無いの」

「必要な物は揃っていますが。読書の時に髪留めが欲しいな、とは」

「その長さだと必要だよね。……ね、今度、あたしに髪を結わせてよ」

 亜季の願い出に、ファウラが笑顔になった。

 子供をなだめる気分で言ったことだけれど、近い内にファウラの髪を結いたいと、亜季は思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ