灰に変えても
ルカナーディの残された者達による、会合の前日。
亜季とみのりは約束通りロヅ達に付き合い、再び国の跡地に来ていた。今日はサキもいる。
夕暮れに到着すると、すぐにファウラが魔術の準備にとりかかった。
両腕を広げたくらいの魔法陣を、日暮れ前に描き終える。そして手持ちの装飾品を一つ使い、町の魔術師と同じ『探知』の術を施した。
亜季が前回と同じように「霧が見える」と言い、人形のようになった。
そして片手だけを木の枝のように空に伸ばし、彼女は倒れた。
また白い光が周囲を包み、森の続きが少しだけ、姿を現した。
ロヅが夕方の月を見た。
「亜季が眠ったのは半日。今回もそうなら、夜明け前に間に合う」
ファウラも月を見た。まもなく夜のとばりがおりて、月と瞳は金色に輝く。
月の加護を受けたファウラにとって、夜は魔力が上がる時間。
昼間より、高度な魔術が扱える時間だった。
『別世界があり、そこの物質を還せば、国が戻ってくる』
この説を会合前に、あの両名に証明したい。
最も信頼が得られる方法を、ロヅとファウラは考えていた。
「だけれど、これは亜季の協力が欠かせませんね」
「……まあな。術の代償には、どれを使う?」
「それは……」ファウラは己の手にある、大きな杖を見つめた。杖の先端には、小さな宝石が散りばめられている。
ファウラが悩んでいると、背後からかすれた声が聞こえた。
「成功したの?」
亜季だった。
前回と違う点が現れた。国の一角を戻した後で、彼女が深く眠らずに、目を開けた。体は横たえたままで、声は細かった。熱に浮かされた子供のように。
みのりとサキが、心配そうに亜季を覗き込んでいる。
サキが亜季の手を、強く握った。
「うん、森の続き。すごいよ亜季」
「あの子は助けられそう?」
あの子、というのはファウラを示すのだろう。
ファウラの身の上は、亜季には『王族の生まれ』であることは伏せられたが、瞳のことと、ルカナーディの消滅への疑いがかかっていることは、話された。
「大丈夫だ」みのりが励ます。
「そう、良かった。後でもう一回、だね」
亜季が薄く笑って、すっと目を閉じた。
その様子を、ファウラとロヅは離れた場所から見ていた。
「亜季。待って」
亜季が瞼を閉じてすぐ、みのりが声をかけた。彼の声色が変わっている。
「まだ寝ちゃ駄目!」サキも不安気な声を出し、横たわる亜季を揺さぶった。
「そんな辛そうな顔して、眠っちゃ嫌だ」
「どうしたんだよ?」
「なんでも、ない」苦しげな声。
「そんな訳ない。サキに隠しごとなんて駄目」
「………」
亜季が目を半開きにして、首を回す。
みのりが、亜季が何かを探していることと、その探し物が何であるかに気づいた。
みのりは自分の体を、ロヅとファウラが隠れるように、移動させた。
「今は俺とさっちゃんしかいないから、話してみなよ」
「……内緒にしててくれる?」
「もちろん」
「……あたし、怖かったの」
声に、涙が混じる。
「天道虫みたいなのを夢で助けて……今は、その後が長かった」
ついに彼女が嗚咽をもらした。
両手で顔を押さえ、しゃくりをあげながら、側の二人に話を続ける。
「灰色の空間にあたし一人が、残されて。その内に周りが、灰色なのか白色なのか、わからなくなって。……星みたいなのが二つあるだけの、何も無い場所に、永い間一人でいたような気持ちになって……頭が、おかしくなりそうだったよ。夢なのに」
その場にいないとされた二人にも、話す内容と、挟まる泣き声は、聞こえていた。
「次もこんな夢を見るかと思うと、これやるの、……少し怖い」
「亜季の馬鹿っ」サキが怒りの声を上げた。
「泣くまで我慢しなくていいのに。今日はもうやめよう。森だけで充分だよ」
「やる」
亜季ははっきりと、サキの意見を拒否した。
「そんなんじゃ、失敗しちゃうかもしれないよ?」
「精霊を、向こうに送るまでが肝心なんだよね。そこまでは全然平気だから、やれる。後はあたしが怖いだけだから、関係ない」
「……普通の夢だって言うんだな。そこからは」
みのりは明るい調子で、亜季に話しかけた。
「うん。さっちゃんと、みのりの声で、目が覚めた」
「次はもっと早く起こそうか」
「起きれるかな」
「あと、永い間一人でいるなんて夢は――悪趣味だよ」
「………」
亜季が顔から手を放し、赤く腫れた目で、みのりとサキを見た。
片方は穏やかで、もう片方は必死の形相だが、どちらも亜季から目を離そうとしない。
「深層心理とかの問題かも。次にやる時は、さっちゃんのことでも、しっかりと思い出してやってみたら?」
「サキは亜季が起きるまで離れないよ。一緒にいる」
「………」
「それで見なくなったら儲けものってことで。投げやりな案で悪いけど」
「……いいかも。試してみよう。悪夢は人に話せばいいって、本当だね」
泣きやんだ亜季が、鼻をすすった。
「みのり、さっちゃん、ありがとうね」と、穏やかな笑顔で瞼を閉じた。
「不安が残るな。どうする?」ロヅが言った。
「何度も任せられないってことでしょう。決めました。代償には全部、使います」
亜季達を見ていたファウラが、決意を改めた。
◇◇◇
明けの明星が出た時刻。
亜季が再び目覚めた。眠る前に泣いたことが嘘のように、彼女は元気だった。
亜季の様子を確認したロヅは、魔術師のメジストと神官のヤハブが待つ場所へと、一行を案内した。
ルカナーディの跡地の荒野の、ある一角にて。
「うー」
サキはヤハブと対面した途端、吠えた。
ヤハブは両手を軽く挙げ、サキに降参の姿勢をとった。
「何もしない。攻撃しない。サキ、この会話はこれで七回目だ」
「今日は亜季がいるから、念入り」サキが唸りつつ、亜季を目で示した。
「あれは……あの時お前と森にいた、生意気な子供か」
ヤハブは離れた所にいる亜季を見て、いっそう苦い顔をした。
亜季はヤハブの視線を感じたが、何と言われたかは聞こえなかった。ヤハブを遠目で見て、引っかかりを覚えた。
「こらサキ。言いつけを忘れてないでしょうね」
メジストが横からサキの頭を撫でる――サキは亜季達から離れている間、己の主人であるメジストと共にいた。
サキは軽やかに前へ跳ねて、メジストの手から離れた。
「うん。サキは、ちゃんとファウラとも一緒にいるよ」
大人両名に挟まれると、サキは一段と背丈が低く見えた。
ロヅが何かの手伝いを命じに、ヤハブを呼んだ。
そしてファウラが大きな杖を構えたまま、説明を始めた。
『別世界があり、そこの物質を還せば、国が戻ってくる』という仮説を。
「この仮説の手掛かりの一つは、私が隠れていた家。……お婆様が使っていた術です」
ファウラが、魔法陣の中に置かれた装飾品の宝石を、杖で示した。
「メジスト様なら、この石は御存知かと」
「テムサだけが時々、魔術に使っていた宝石ね」
「ええ。発掘場所も、お婆様と私しか知らない筈です。お婆様はこの石を埋め込んで魔法陣を作り、家を隠す幻を作っていました。先日、そこにいる御方が森を戻したのですが」
ファウラがやや離れた所にいる亜季を、視線だけで示す。
「その時に起きた現象が、私の家が現れた時と一緒だったと――ロヅから報告を受けました。それで別世界の物とこちらが関係した時に、見えなくなる空間があるのでは、と。皆で仮説を立てました」
「……その石も、別世界から来た物だと?」
メジストが魔法陣にある宝石達を見下ろす。
「サキもこの石だけ何か違うなぁって、前から思ってたの」
メジストの傍らのサキが言った。
「そしたら、亜季がこの石の名前を呼んだって、聞いたの」
「知らない名前を呼んだだけではなく、彼女は石の特徴も言いました。……お婆様や私が知らなかった特徴まで。お婆様は、白銀色の彗星が落ちた場所に行って、この石の発掘場所を見つけたそうです。……ロヅはルカナーディが戻る時、刃面で彗星のような光を、見たそうです」
亜季は、真紅色の石を特に差して『ガーネット』と呼んでいた。
「みのりは今回で一回目。サキは三回。亜季は六回、異なる世界を行き来しているそうです。ならば、世界を渡った回数の多さが、亜季に特別な力を授けたのかもしれません。別世界の住人である亜季とみのりを還せば、一番かもしれませんが、今はその段階では無さそうです」
ファウラが空を見上げる。夜明けが近づいていた。金の瞳も、赤みを帯びてきている。
「これからこの宝石を代償に、探知の術を試します。ただし、この宝石はお婆様が若い頃から使っていた物。……国の消滅とは、直接の関わりはありません。誤解なきよう」
「了解した」ヤハブが快く返事した。
「それから私の他に、亜季とみのりを疑わないと、誓って下さい。出来れば術が成功した暁には、帰還まで彼女達が望むように」
「ええ、成功すればね」メジストが笑った。
ファウラが両者の顔を見た。そして話を続けた。
死別した、愛しい身内を頭に浮かべながら。
「お婆様は、こんな私を立派に育ててくれました。育てながら『自分がしていることも正しくはない』とも、おっしゃっていました。冷静に物事を見るように励めと、いつも言っていた。……私は確かに、王家に遺恨を持っています」
ファウラがヤハブに、謝罪の意味を込めて、深々と頭を下げる。
「だけれどお婆様が守った国を、私だって守れる。国というものも、理解しようとしている。貴方達にとって立派な王なら、私情で反逆者になどならない。……ですからこの術が成功したら、私が生きることを、どうかお許し下さい」
言い切り、ファウラが魔術へと取りかかった。
魔術の代償は、宝石のついた装飾品全て。
ファウラにとっては、唯一の身内との思い出の品々。旅立つ時に鞄に詰めた形見達。
呪文の最後に、彼女は自身が持っていた大きな杖も、魔法陣に投げ込んだ。
「賢者テムサ・デクタブルの使用した未知の石達よ。元の国へと還りなさい」
魔法陣の中の装飾品と、投げ込まれた杖。……全てが灰に、姿を変えた。
◇◇◇
仄暗く、光源を感じない単調な空間。たとえて言えば灰色の闇。
そこで亜季は半透明の、様々な色の娘達と出会っていた。
娘達は亜季の掌ほどの大きさしかなく、背中から昆虫の羽根を生やしている。童話などの挿絵で見る妖精の姿、そのものだった。
娘達はそれぞれ、全身が同じ色。緑・赤・橙・黒……硝子のような無色の娘もいた。
青い娘は、いなかった。
彼女達は全員、背中の羽根を閉じたまま、地面に立っていた。
上には、また二つ穴が空いていた。少しだけ穴が広がっていた。
青い空の穴からは、今日は電線の他に、青信号が見えていた。
穴を覗く亜季を、娘達は羨ましそうに見上げていた。
(そうだ。この娘達を元の世界へ送らないと)
亜季が目的を思い出す。
先ほどは蜻蛉のような虫を助けた。虫は宙を飛んでいたが、穴の場所がわからないようだった。
今回の娘達は目的の場所がわかっているようだが、なぜか羽根を拡げて飛ぼうとしない。
(もしかして、羽根が拡げられない?)
しゃがみこみ、亜季が「大人しくしててね」と紅い娘に声をかける。
真紅色の小さな娘の羽根を、亜季は傷つけないよう、そっと拡げた。真紅色の彼女は羽根が開いたことに驚き、喜んで飛び上がった。
小さな娘が一人、元の場所へと還っていった。
亜季のもとへ我も我もと、娘が集まる。亜季は彼女達の羽根を、優しく拡げていった。
何人かの娘達は亜季の手を借りずに、互いに羽根を拡げあった。
(そっか。自分達の中にいない色だから、青い世界が好きなのかも)
そんなことを、亜季は想像した。
全ての娘達を見送った、その後で。
亜季は青い空の穴の大きさを確認した。顔ぐらいの穴に拡がっていた。
まだまだ、亜季が通って帰るには小さい。
(じゃあ今日は、もう諦めようっと)
亜季はそう思った。何だか晴れやかな気分だった。
ざわめきも呼び声も聞こえなかったが、帰る方向はわかっている。
そしてそこに、自分が大切に想う者達が待っていると。
亜季は確信していた。