黄昏と宵闇
亜季達は、町の端にある宿屋へと案内された。
場所のせいか宿泊客が少ないようで、建物内の活気も薄い。
二階への階段を上がった所で、ロヅが二人に用件を話した。
「お前達にどうしても会いたいって奴がいてな。今は、部屋で待っている」
ロヅが視線で、角の部屋を示す。
「だけど、そいつに会ったとは他に漏らすな。それからお前達からは、そいつに何も聞くな。これが守れないなら」
ロヅが潜めた声で話し、亜季達を強く睨みつけた。
「すぐに帰れ」
「……どうして」亜季が尋ねる。
「そういう類を聞くのも禁止だ。……今の会話も他に話すようなら、ただじゃ置かない」
言い放ったロヅの表情は、これまで見せていたものと違い、冷淡だった。
「サキがいない日を選んだのは、警告の邪魔がされたくなかったからだ。わかったな?」
二人は奇妙な約束を守ることにした。
亜季達は角の部屋に入った。ロヅが扉をすばやく閉め、中から鍵をかける。部屋には寝台の他に、四角い机と椅子があった。
そして月明かりが差す窓辺に、深くベールを被った、小柄な人物が立っていた。
顔半分は隠れているが、ベールに隠れていない細い首元や、体の曲線から、若い娘であると窺えた。
その人物は鍵の音に反応し、すぐに亜季達を見た。
「………」
人物が無言で一歩、後ずさる。
亜季が前に出ると、彼女はもう一歩、後ろに下がった。
そして突然、亜季達の後ろに立つ、ロヅへと走り寄った。彼の背中へと、姿を隠した。
ロヅの腕にしがみついた指先だけが、亜季達から見えている。小さな指先は震えていた。
ロヅは後ろを見たが、彼女がさらに身を縮ませたので、また亜季達と向かい合った。
兄妹だろうかと亜季は考えたが、約束した手前、何も聞かなかった。
亜季はおどおどと、ロヅに向かって言った。
「あの、その、出直しましょうか。あたしが怖がらせちゃったし」
「何も聞くなと」
「今の言葉はロヅに対してだ。亜季は約束を守ってるよ?」みのりが口を挟んだ。
「……いや、もう少し物怖じしろよ」ロヅが、呆れ顔になった。
そんなやりとりをしていると。
隠れた彼女がロヅの背中から、こちらを覗いてきていた。少しベールをあげていたので、金色の瞳が、亜季達に見えた。
「二人とも、あと二、三歩、近づいてくれ」
ロヅに従うと、隠れた人物がゆっくりと、片手を伸ばしてきた。
そしてまず、亜季の手に触れた。手の甲、指、掌と。何かを確かめるように、彼女はそっと触れてきた。みのりにも、同じことをした。
触れ終えると、ロヅの袖を引いた。身を屈めた彼に背伸びをして、何かを耳打ちした。
「いいのか」ロヅが聞き返すと、娘はこくりと頷いた。
ロヅは、再び亜季達に頼みごとをした。
「また明日に来い。ただし明日は夕暮れ時に」と。
翌日の夕暮れ。空が橙色に覆われ、端から青紫色が近づいている時刻。
亜季達は再び、ロヅがいる宿屋へと訪れた。
ベールの人物は、昨日より柔らかい態度を見せた。部屋に入る亜季とみのりを、会釈して出迎えた。
「こんばんは」と挨拶をすると、彼女は話さないものの、口に笑みを浮かべた。
それから手の動作だけで、亜季達に椅子を勧める。椅子の前の机には、いくつかの装飾品が積まれていた。
装飾品にはどれも宝石がついている。宝石は無色・緑・赤・橙・黒と、様々な色が揃っていた。それぞれが夕日を反射させて、机上できらびやかに、色を重ねている。
ロヅが宝石を目で示して、言った。
「どれでもいい。宝石に見覚えがあったら、名前を言ってくれ。……それが出来たら、次に話を進める」
「見ただけでわかるかな」みのりが頬杖をついて、装飾品を眺めた。
亜季は一つの指輪を手に取って、それだけを見つめた。
亜季が手にした指輪には、真紅色の宝石がついていた。小さな宝石を夕日に透かして、その色を確かめた後で、亜季が宝石の名前を言った。
「ガーネット、かな」
周囲の人間が、亜季に視線を集中させた。亜季は視線に気がつかないまま、全ての宝石を見やる。そしてさらなる解答を口にした。
「もしかすると……全部、ガーネット」
「全部、違う色だけど」みのりが言った。
「だけど青色だけ無いじゃない」
「……ああ。本当だ」
「ガーネットは、どんな色でもある宝石なんだよ。ただ青色だけ『幻の色』なんて言われてて……青いガーネットは、マダガスカル島でしか見つかってないから、すごく珍しいの」
「よく知ってるな」
「たまたまだよ。ガーネットは一月や水瓶座の……あたしの誕生石だから。今言ったことも本で知っただけ。だから全部ってのは、あてずっぽうだけれど」
亜季はもう一度、手にした指輪の宝石を見た。
「でもこの紅いのは、ガーネットで合ってると思う」
「――お詳しいんですね」と。
亜季の前にいた人物がベールを脱いだ。
無言を通していたのは、利発そうな少女だった。
亜季達より年下か、又は、同じ年齢ぐらいに見える。あらわになった髪は金褐色。それは腰まで長く、結わずに下に垂らされている。
瞳は丁度、亜季が手にしている宝石と同じ、深い真紅色だ。
「ええ、全て同じ宝石です。……青い色は見たことがありません。貴女の世界にはあるのですね」
少女が声を弾ませ、亜季達に微笑みかける。
「口を利くのを許して下さいますか? 救世主と、その御友人」
容姿より大人びた少女の口調と、変わった呼ばれ方をされたことに、亜季は戸惑った。
「救世主って」
「貴女様はルカナーディを戻したのでしょう」
「えっと、ごめん。それは嫌だ。救世主はよして」
「そうですか」
「亜季でいい。呼び捨てにしてっ」
亜季が恥ずかしそうに言って、指輪を少女に返した。少女は指輪を大事そうに手で包み、机の上に戻した。
それから亜季とみのりに向かい、また柔らかく微笑んだ。
「亜季、みのり。では私のことも、ファウラと呼んで下さい」
ファウラと名乗った少女が、窓へと視線を変えた。
四角い窓の外では、空が赤紫色へと変化していた。
上空にいた太陽は、赤く姿を変えて、世界の端へ隠れようとしている。
「そろそろ日没だ」ロヅが言った。
ファウラは黙って、しばらく夕日を眺めた。
室内に静寂が続いた後、ファウラが亜季達に視線を戻した。
「ここから先は、どうぞ私の顔をよく見ながら、聞いて下さい。夕暮れ時にお呼びしたのには訳があります」
亜季達はファウラの顔を見つめた。
「これから何かわかったら、先ほどのように申し出て」
ファウラの真紅色の瞳が、黄昏の光によって、濃い橙色に見えていた。
「まずは昨日の御無礼をお許し下さい。ルカナーディの話は、当日の晩に戻ってきたサキから聞きました。そしてロヅからも話を聞き、私から貴方達に会うと決めたのですが……。ロヅとサキ以外にまともに誰かに会うのが、本当に、久しぶりだったもので」
さらに太陽が姿を赤くする。ファウラの瞳は強い光に照らされ、ますます明るく、山吹色とも言える色に輝く。
「怯えてしまって……そのっ……」と。
ファウラが言葉を詰まらせて下を向き、顔を隠した。昨日と同じように、小刻みに身を震わせている。
亜季は彼女が心配になり、椅子から立ち上がろうとした。ロヅがそれを片手で制止した。
「放っておけ」
「だけど!」
「こいつが決めたことだ!」彼が叫んだ。
外の太陽は完全に隠れて、宵闇の時間が訪れた。
俯いた少女は震えたまま、自分を巡るやりとりの後も、顔を上げなかった。いつの間にか両手で、顔を押さえていた。
全員が無言の時間が、しばらく続いた。ファウラは机に汗を落とした後、顔から両手を離した。
そしてようやく顔を上げた。
憔悴している少女の顔には、はっきりとした変化があった。夕日に照らされた瞳の色は、元に戻っていなかった。
赤い太陽が隠れた、宵闇の時間。
ファウラの瞳が真紅色から――金色へと、変化していた。
鈍く光る両の瞳は、夜行性の獣を連想させた。
「……昨日と、同じ色になったね」みのりが呟く。
ファウラがかすかに微笑みを戻した。
「昨日と、ですか。もう、気づいていたんですね……?」
日没後に金色になり、日出後に元に戻る瞳。
この目があるから、あまり表に出られないのだと。
この目を忌み嫌わないのも「別世界から来た人間」と信じる一手なのだと、ファウラが話した。
そしてファウラとロヅによって、ルカナーディの消滅について、仮説が話され。
三度目の依頼が、亜季とみのりに言い渡された。
「次のルカナーディの会合の前日に付き合ってくれ」という依頼だった。
◇◇◇
話は遡る。
保護者である賢者の死後、隠れ育っていたファウラは、ロヅに連れられて家を出た。
ファウラが保護者の死後より、明るくなった頃……ロヅは、今回の上司である魔術師のもとに戻る必要があると、彼女に告げた。
賢者のもとへ向かうよう、ロヅに命じた魔術師の女。
ルカナーディの裏で暗躍している魔術師で、別大陸の生まれである。彼女は普段は国にいない為、ルカナーディの消滅から逃れていた。
「報告は避けられない」と。
ロヅは魔術師の女に、ファウラを紹介した。
紹介は早朝、森で行われた。その場にはなぜか、ロヅとファウラと魔術師の女以外に、もう一人、男がいた。
ファウラにとって会う人間が増えることは、避けたい恐怖だった。
「信用ならん」
ファウラが在席を聞いてなかった男の、第一声だった。
大柄でやや肥満体型の、中年の男。名はヤハブといった。
神官業を務める男だが、今は職服である法衣を着ていない。品の無い口調も手伝って、傍目からは彼の職業はわからない。茶色の髪は白いものが混じり、赤茶色の瞳には濁りがある。
「不吉の兆しじゃないか。その瞳は」彼が険しい声で言った。
ロヅは黙っていた。
「こいつが国を滅ぼした可能性を、ロヅはなぜ考えない?」
「そのようなことは」ファウラがかぶりを振る。
「死産と国に伝えられた第二王女よ。王家が憎くないと、言えるのか」
「……国の消滅と、私は、関係ありません!」
ファウラが強く返す。そして鋭い視線で、ヤハブを睨み上げた。
「真実はどうあれ、こいつは王族を憎んでいる。……今、顔に出た」
「反逆者に、なりかねないと?」
二人を見ていたロヅが、口を開いた。
「そうだ。信頼してほしくば証拠を持ってこい」
ファウラは話の間、ヤハブを冷淡に睨み続けていた。
「日没と明け方に変化する瞳ね」
煙管を咥えていた、若い魔術師の女が言った。
魔術師の女は、顔と爪には隙のない化粧をしているが、他は飾り気が少ない。装飾品は髪留めのみで、暗い色の衣服と膝上まで隠れる外衣を着用している。
そして女は亜種族で、この大陸の人間より寿命が長く、扱う魔術も異なった。外見は耳だけが違った。彼女の先端が尖った耳は、白に近い金髪から出ている。
「月の加護を受けた証で、言い伝えによれば不吉の兆し。……恐れと羨望から広まった、迷信の可能性もあるけれど」
魔術師の女が、気丈に構えるファウラに近づく。女にしては長身な彼女に対しても、小柄なファウラは、見上げる姿勢になる。
女の深緑の瞳が、ファウラの真紅色の瞳を捕らえた。
「両目をえぐれば、ずっと表で暮らせるんじゃない?」
女の言葉に、ファウラが一瞬で畏縮した。
「メジスト」女の名前を呼び、ロヅが両者の間に入った。
「その方法では、この御方の無事を守るとは言いがたい」
「……冗談よ。魔力が強いのに不当な扱い。そんな娘に、ひどいことしないわ」
魔術師の女が可笑しそうに笑った。
そして火が付いた煙管を持ったまま、ファウラの足元にひざまずいた。
「では姫君。これから私も貴女の無事を守るようにいたします。今はルカナーディについて一同、全力を尽くしている所です。貴女の今後とも関わりますので、お待ち下さいませ」
丁寧な言葉も、姫君という呼ばれ方も、ファウラは好ましく思わなかった。
女はその場を去ろうと煙管の火を消した。去り際、ロヅに「サキをよこすわ」と言った。
それでファウラの紹介の場は解散した。
「大丈夫でしたか?」
ファウラの手をうやうやしく取り、ロヅが声をかけた。彼の背中ごしに、女に続いて大柄の男が去る姿が見える。
「メジストは、ああして人をからかう癖があるので」
「ロヅ! 私は国の消滅とは……」
「存じております」
そのまま手を引き、ロヅは二人が去った方向と逆方向に、歩き出した。やや早足で、足元の枝を踏む音は荒々しい。
「どうして二人に、私のことを話す必要が?」
「……やってくれたな。おい」
人目が付かなくなった場所で、ロヅが乱暴に、ファウラから手を離した。
「信頼を得なきゃいけないのは当然だ。なのにあんな顔までしやがって」
「だけど」
「言い訳なら聞かない」より厳しい声色に変わる。
叱られていると把握したファウラは、手を後ろで組み、口を結んだ。
「ファウラにはより多くの協力者が必要なんだ。大人しく、俺と国が消えた原因を探れ」
「……はい」
「あとな」ロヅが小さく溜息をついた。
「メジストはごまかせないから。ヤハブは信用しているから話したんだ。わかったな?」