推測と休息
「あたしは、どうぞってしただけだよ。その動物が困っていたから」
それが亜季からの、第一声だった。
周囲が意味に悩んでいると「その子は可愛かった」と。無意味な補足が、寝転がる亜季から加えられた。
周囲が無言になる。サキが「わかんない」と、沈黙を破った。
次に沈黙を破ったのはみのりだった。
「ええと、その、良かったな。可愛くて」
「うん」目を閉じたままの亜季が、口元をほころばせる。
「懐いてくれた」
「そうか。亜季は、色々な動物が好きだもんな」
「よく知ってるね」
「だけど、それは置いておこう。もっと話の詳細を、ほら、な。……昨日、亜季が気にしていた国が、今かかっているんだから……起きろっ!」
「わ。え、あぁ、ごめんなさい!」
みのりが大声を出すと、亜季が慌てて飛び起きた。そしてすぐに、自分の頬を二回、叩いていた。
朝、亜季はルカナーディの跡地で倒れた後、全く目を覚まさなかった。
昼過ぎに、森からロヅが戻っても、亜季は起きなかった。
それからは皆が心配になって、無理にでも起こそうとした。だけど何かに取り憑かれたように、亜季は眠り続けた。
夕方になって焚き火を始めた頃、ようやく亜季は目覚めた。
そして彼女は普通の睡眠後のような態度を取った。完全に起きる前に、話を聞こうとしたのは、失敗だったようだ。
「ロヅ。亜季のこと、信じてくれなくちゃ嫌だよ? 亜季は何も知らないの」
サキが膝で立ち、傍らに座るロヅに、小声で尋ねる。
「亜季がルカナーディを消したりとか、そんなことは絶対」
苛立たしげに、ロヅがサキの尖った耳を摘まんだ。
「馬鹿言え」尖った耳元に、同じような小声で返す。
「一人の人間に矛先が行くような考えは、否定したいんだ。サキは知ってる筈だ」
「……ごめんね」
サキが安堵の笑みを浮かべた。
記憶の整理を終えた亜季が、自分が何をしたのか、細かく話し始めた。
サキに乗っている時は、必死でしがみついていただけだった。
着地の時、あまりに濃い霧へと降りていくので、驚いた。
その霧が深くて歩きにくかった。湿った空気のせいか、気が遠のいた。
そして夢を見た。
自分は薄暗い闇の中にいた。闇には二つ、穴が空いていた。
それは自分の世界と、今いる世界への、入り口だった。
わかったものの、自分の世界へは行けなかった。入り口が覗き穴くらいだったから。仕方なく、せめて風景を見ていると、足元に昨日の動物が来た。
動物が、自分の世界へと帰りたがっているようだったので、それを助けた。
そして、どちらからか、ざわめきが聞こえていた。
自分が近づくと聞こえなくなった。動物を助けてしばらくした後、また何か聞こえてきた。呼び声だった。
青緑の空の穴から『亜季』と。自分を呼ぶ声がしたので、返事をしていた。
そうしていたら目を覚ました。
焚き火から、薪がはぜる音がした。音と煙が闇に昇る。亜季はそれを背に、夜の森を見つめていた。
「本当に、あたしは寝ている間に……そんなことを?」
「生憎だが冗談を言う余裕なんて、こっちには無い」
ロヅが亜季の背中を一瞥して言った。
彼は今、森から採ってきた小枝を持っている。
「お前が戻したんだ。季節が二つ巡る前に消えた、ルカナーディの森を」
ロヅは小枝を亜季の足元に投げた。
小枝には若葉が付いているが――今は、もうすぐ豊穣の祭を迎える季節だ。
「自覚してくれ。……この場の人間が、お前を騙しているとでも思うのか?」
「………」
亜季は周囲の、火で照らされている顔を見ていった。
みのりには何の表情もなかった。そしてサキと、昨日出会ったばかりのロヅ。二人の顔は真剣そのもので、何かを求めるように、亜季を見ていた。
特にロヅからは、強い訴えを感じた。
亜季は足元に投げられた若枝を拾い、彼に返した。
「わかりました。あたしに何かできるなら、ぜひ、協力させてください」
「亜季っ」サキが嬉しそうに、亜季に飛びついた。
「が、頑張りますから」
サキによって体をよろかせながらも、亜季は言葉を続けた。
みのりが亜季達の様子を見て、笑みを浮かべた。
「今は同じ真似はできないんだよな」とロヅ。
亜季は目をつむり、空中で手を、上げ下げした。
「全然、駄目」
「……霧か」ロヅが呟くと「霧って、あの帰る時に通る、あれ?」サキが瞬きをした。
サキと亜季は以前、別世界から帰る時に、白銀色の霧を通っている。
「違うかも……。あたしが見たのは、輝いていない、白い霧だった」
「そっか。じゃああと気になるのは、亜季が見た精霊だね」
「精霊って?」
みのりが聞くと、サキが唸ってから、こう答えた。
「昨日、町でロヅが頼んだ術。あれはあの物にいた精霊を、呼び出したの。……ええと。精霊ってどういう者かわかる?」
サキと、そしてロヅが『全てのものに精霊が宿る』という概念を話した。
「外見という殻から出てきた精霊……実体が無い者達は、自分が生まれた場所へ還ろうとする力が強いんだ」
「そうそう。サキ達みたいな、生き物よりもね」
「だから迷った時は昨日みたいに、殻を。探している場所で作られた物を壊して、精霊を呼び出せば、道を探れる。……ルカナーディの物を壊しても、術は発動しなかったがな」
「じゃあまた、あたし達の持ち物を壊せば、同じことが出来るかな?」
亜季が、自分の腕時計を外そうとした。
「昨日の術が使える奴は、今いない」ロヅがその動作を止めた。
「……亜季が向こうに携帯電話の精霊を帰したことが、重要なんじゃないかな。俺達の世界の入り口が見えたってのも、気になるし」みのりが言う。
「……仮説を立てて、確かめてみるか」
ロヅが、森へと視線を移した。
日はもう落ちている。彼らと突如に戻った森は、焚き火の炎に照らされていた。
帰ってきた森では、ロヅは人の姿を見つけられなかった。
「今日はもう休む」と。
森を眺めていたロヅが突然、言った。
「え」亜季が驚いて彼を見た。
「これから町に戻っても、着くのは夜更け。どうせ寝るだけだからな」
「外ですよ」
「俺は夜明け前に町を出た。町からここまで、歩いてほぼ半日。それから森が戻って、中を全部、走って見てきて。……お前が起きるまでは、と待って」
ぶつぶつ言いながら、体を横に倒していく。疲れた声で、彼はこう続けた。
「それでこれからまた半日なんて、歩きたくない。眠い」
「体を壊しますよ」亜季が慌てる。
「壊さない。野宿なんて慣れてる」
「何か悪いし、俺達も野宿しようか」みのりが言うと、亜季が喜んで賛成した。
呑気な様子に、ロヅが声を張り上げた。
「邪魔だ。二人ともまた、サキに乗って帰れっ」
叫ばれても亜季達は動じず、呑気なままだった。
「だけども、さっちゃんの移動って案外怖くて。なぁ亜季」
「どうして子供の頃はあんなに平気だったんだろう。速いし。高いし。落ちても拾ってくれるとは信じてるけど……」亜季はサキを見た。
話題の中心の竜は、誰より呑気だった。
話が終わったと判断するなり、森で草花の姿を楽しんでいる。よほど気を緩めているのか、自分について話されているとは、わかっていない。
「……乗ったことないけど、サキだしな」はしゃぐサキを横目に、ロヅが言った。
「だからあたし達も、明日一緒に歩いて帰ります」
亜季はいそいそと、サキに乗る時に使用した毛布を一枚、ロヅに差し出した。いらないと言われた。
そうして三人で野宿をした。
ロヅは終始そっけなかったが、亜季とみのりは親しげに話しかけていた。
最も彼の関心を引いたのは、亜季の昔話――六歳と十四歳の頃にも、ルカナーディに来たという話だった。
サキは、充分に周囲を威嚇し、三人の無事を手助けした後に、町へと飛んで戻っていた。
◇◇◇
再び町へと歩いて戻った日の、翌日。
サキがしばらく出かけてくる、と言って、亜季とみのりの側を離れた。
その翌々日。
亜季とみのりが宿屋に住み込んで、計六日目のこと。
二人は昼の仕事を終えてから、町で買い物をした。
稼いだ金銭で安い古着など、最低限の物を購入する。宿屋の女将が厚意で貸してくれた衣服を返し、購入した古着に着替えた。学生服は布鞄に入れた。
そして日が沈もうとする頃、二人は厨房で、早めの夕食を開始した。
「あたし、本当にそんなことしたのかな」
自分の掌を見つめ、亜季が言う。
「また。本当だって。なんで俺の方が状況を把握してるんだよ」
汁物を音を立てずにすすった後、みのりが答える。
「だって、あたしにとっては眠って起きただけ。それが役立ったのなら、嬉しいけれど。……事態が掴めない分、怖くもあるんだよ」
「うん。まあ、頑張れ亜季」
「みのりが投げやりだ」
「食べてるから」
みのりは湯気が出ている汁物を、匙でたっぷりとすくった。
二人の夕食は、肉と野菜の出汁が利いた汁物と、根菜のあぶり焼きだ。
みのりが先に、それらを食べ終えた。食後の水を飲み干すと「ご馳走様でした」と、頭を下げた。
亜季も一旦、食事の手を止めた。そわそわしながら、みのりに尋ねる。
「どうだった」
「満足したよ」
「お世辞抜きで。出来れば、細かく」
「んー。焼き物が一個だけ、少し苦かった」
「ああ……あく抜き、完璧じゃなかったんだ。ごめん」
「充分に美味しかったよ。細かくってお願いされたから、言っただけ」
「他には?」
「汁物。昨日女将さんが作ってくれたのと、同じ味がしたんだけど」
「手順を見て、そのまま作ったからね」
「これがもう抜群に美味しかった。ご馳走様」みのりが改めて、亜季に向かって一礼した。
「本当に。よっしゃ」
料理を作った亜季が、顔をほころばせた。
「すごいじゃないか。なんでここまで、できるようになってるんだよ」
「だって、あたし厨房で料理してたもん」
「こっちの食材は見たことないのばかり。それしか無いなんて、言ってたのに」
「たまに想像が付かない食材があるけれど、大体は近い物があるし」
応用問題、と、亜季がやや得意げに言った。
「やっぱり料理をしていると、落ち着くよ」
「趣味だから?」
「うん。……あとは今までの経験で、人の役に立てるから、かな」
いずれは調理師か栄養士になりたいと、夢を語り、亜季が食事に戻った。
夕食後、二人は出かける支度をした。
昨日の昼に、ロヅが亜季達のもとに来て、頼みごとをしたからだ。
「明日の夜に泊まっている宿屋まで来てくれ。用件は着いてから話す」
宿屋までは案内すると言われたので、二人は彼の迎えを待った。
第四章(終)




