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掌にかかる虹  作者: 繭美
第四章 掌からの道しるべ
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推測と休息

「あたしは、どうぞってしただけだよ。その動物が困っていたから」


 それが亜季からの、第一声だった。

 周囲が意味に悩んでいると「その子は可愛かった」と。無意味な補足が、寝転がる亜季から加えられた。

 周囲が無言になる。サキが「わかんない」と、沈黙を破った。

 次に沈黙を破ったのはみのりだった。

「ええと、その、良かったな。可愛くて」

「うん」目を閉じたままの亜季が、口元をほころばせる。

「懐いてくれた」

「そうか。亜季は、色々な動物が好きだもんな」

「よく知ってるね」

「だけど、それは置いておこう。もっと話の詳細を、ほら、な。……昨日、亜季が気にしていた国が、今かかっているんだから……起きろっ!」

「わ。え、あぁ、ごめんなさい!」

 みのりが大声を出すと、亜季が慌てて飛び起きた。そしてすぐに、自分の頬を二回、叩いていた。


 朝、亜季はルカナーディの跡地で倒れた後、全く目を覚まさなかった。

 昼過ぎに、森からロヅが戻っても、亜季は起きなかった。 

 それからは皆が心配になって、無理にでも起こそうとした。だけど何かに取り憑かれたように、亜季は眠り続けた。

 夕方になって焚き火を始めた頃、ようやく亜季は目覚めた。

 そして彼女は普通の睡眠後のような態度を取った。完全に起きる前に、話を聞こうとしたのは、失敗だったようだ。

「ロヅ。亜季のこと、信じてくれなくちゃ嫌だよ? 亜季は何も知らないの」

 サキが膝で立ち、傍らに座るロヅに、小声で尋ねる。

「亜季がルカナーディを消したりとか、そんなことは絶対」

 苛立たしげに、ロヅがサキの尖った耳を摘まんだ。

「馬鹿言え」尖った耳元に、同じような小声で返す。

「一人の人間に矛先が行くような考えは、否定したいんだ。サキは知ってる筈だ」

「……ごめんね」

 サキが安堵の笑みを浮かべた。

 記憶の整理を終えた亜季が、自分が何をしたのか、細かく話し始めた。


 サキに乗っている時は、必死でしがみついていただけだった。

 着地の時、あまりに濃い霧へと降りていくので、驚いた。

 その霧が深くて歩きにくかった。湿った空気のせいか、気が遠のいた。

 そして夢を見た。

 自分は薄暗い闇の中にいた。闇には二つ、穴が空いていた。

 それは自分の世界と、今いる世界への、入り口だった。

 わかったものの、自分の世界へは行けなかった。入り口が覗き穴くらいだったから。仕方なく、せめて風景を見ていると、足元に昨日の動物が来た。

 動物が、自分の世界へと帰りたがっているようだったので、それを助けた。

 そして、どちらからか、ざわめきが聞こえていた。

 自分が近づくと聞こえなくなった。動物を助けてしばらくした後、また何か聞こえてきた。呼び声だった。

 青緑の空の穴から『亜季』と。自分を呼ぶ声がしたので、返事をしていた。

 そうしていたら目を覚ました。


 焚き火から、薪がはぜる音がした。音と煙が闇に昇る。亜季はそれを背に、夜の森を見つめていた。

「本当に、あたしは寝ている間に……そんなことを?」

「生憎だが冗談を言う余裕なんて、こっちには無い」

 ロヅが亜季の背中を一瞥して言った。

 彼は今、森から採ってきた小枝を持っている。

「お前が戻したんだ。季節が二つ巡る前に消えた、ルカナーディの森を」

 ロヅは小枝を亜季の足元に投げた。

 小枝には若葉が付いているが――今は、もうすぐ豊穣の祭を迎える季節だ。

「自覚してくれ。……この場の人間が、お前を騙しているとでも思うのか?」

「………」

 亜季は周囲の、火で照らされている顔を見ていった。

 みのりには何の表情もなかった。そしてサキと、昨日出会ったばかりのロヅ。二人の顔は真剣そのもので、何かを求めるように、亜季を見ていた。

 特にロヅからは、強い訴えを感じた。

 亜季は足元に投げられた若枝を拾い、彼に返した。

「わかりました。あたしに何かできるなら、ぜひ、協力させてください」

「亜季っ」サキが嬉しそうに、亜季に飛びついた。

「が、頑張りますから」

 サキによって体をよろかせながらも、亜季は言葉を続けた。

 みのりが亜季達の様子を見て、笑みを浮かべた。


「今は同じ真似はできないんだよな」とロヅ。

 亜季は目をつむり、空中で手を、上げ下げした。

「全然、駄目」

「……霧か」ロヅが呟くと「霧って、あの帰る時に通る、あれ?」サキが瞬きをした。

 サキと亜季は以前、別世界から帰る時に、白銀色の霧を通っている。

「違うかも……。あたしが見たのは、輝いていない、白い霧だった」

「そっか。じゃああと気になるのは、亜季が見た精霊だね」

「精霊って?」

 みのりが聞くと、サキが唸ってから、こう答えた。

「昨日、町でロヅが頼んだ術。あれはあの物にいた精霊を、呼び出したの。……ええと。精霊ってどういう者かわかる?」

 サキと、そしてロヅが『全てのものに精霊が宿る』という概念を話した。

「外見という殻から出てきた精霊……実体が無い者達は、自分が生まれた場所へ還ろうとする力が強いんだ」

「そうそう。サキ達みたいな、生き物よりもね」

「だから迷った時は昨日みたいに、殻を。探している場所で作られた物を壊して、精霊を呼び出せば、道を探れる。……ルカナーディの物を壊しても、術は発動しなかったがな」

「じゃあまた、あたし達の持ち物を壊せば、同じことが出来るかな?」

 亜季が、自分の腕時計を外そうとした。

「昨日の術が使える奴は、今いない」ロヅがその動作を止めた。

「……亜季が向こうに携帯電話の精霊を帰したことが、重要なんじゃないかな。俺達の世界の入り口が見えたってのも、気になるし」みのりが言う。

「……仮説を立てて、確かめてみるか」

 ロヅが、森へと視線を移した。

 日はもう落ちている。彼らと突如に戻った森は、焚き火の炎に照らされていた。

 帰ってきた森では、ロヅは人の姿を見つけられなかった。


「今日はもう休む」と。

 森を眺めていたロヅが突然、言った。

「え」亜季が驚いて彼を見た。

「これから町に戻っても、着くのは夜更け。どうせ寝るだけだからな」

「外ですよ」

「俺は夜明け前に町を出た。町からここまで、歩いてほぼ半日。それから森が戻って、中を全部、走って見てきて。……お前が起きるまでは、と待って」

 ぶつぶつ言いながら、体を横に倒していく。疲れた声で、彼はこう続けた。

「それでこれからまた半日なんて、歩きたくない。眠い」

「体を壊しますよ」亜季が慌てる。

「壊さない。野宿なんて慣れてる」

「何か悪いし、俺達も野宿しようか」みのりが言うと、亜季が喜んで賛成した。

 呑気な様子に、ロヅが声を張り上げた。

「邪魔だ。二人ともまた、サキに乗って帰れっ」

 叫ばれても亜季達は動じず、呑気なままだった。

「だけども、さっちゃんの移動って案外怖くて。なぁ亜季」

「どうして子供の頃はあんなに平気だったんだろう。速いし。高いし。落ちても拾ってくれるとは信じてるけど……」亜季はサキを見た。

 話題の中心の竜は、誰より呑気だった。

 話が終わったと判断するなり、森で草花の姿を楽しんでいる。よほど気を緩めているのか、自分について話されているとは、わかっていない。

「……乗ったことないけど、サキだしな」はしゃぐサキを横目に、ロヅが言った。

「だからあたし達も、明日一緒に歩いて帰ります」

 亜季はいそいそと、サキに乗る時に使用した毛布を一枚、ロヅに差し出した。いらないと言われた。


 そうして三人で野宿をした。

 ロヅは終始そっけなかったが、亜季とみのりは親しげに話しかけていた。

 最も彼の関心を引いたのは、亜季の昔話――六歳と十四歳の頃にも、ルカナーディに来たという話だった。

 サキは、充分に周囲を威嚇し、三人の無事を手助けした後に、町へと飛んで戻っていた。


   ◇◇◇

 再び町へと歩いて戻った日の、翌日。

 サキがしばらく出かけてくる、と言って、亜季とみのりの側を離れた。

 その翌々日。

 亜季とみのりが宿屋に住み込んで、計六日目のこと。

 二人は昼の仕事を終えてから、町で買い物をした。

 稼いだ金銭で安い古着など、最低限の物を購入する。宿屋の女将が厚意で貸してくれた衣服を返し、購入した古着に着替えた。学生服は布鞄に入れた。

 そして日が沈もうとする頃、二人は厨房で、早めの夕食を開始した。


「あたし、本当にそんなことしたのかな」

 自分の掌を見つめ、亜季が言う。

「また。本当だって。なんで俺の方が状況を把握してるんだよ」

 汁物を音を立てずにすすった後、みのりが答える。

「だって、あたしにとっては眠って起きただけ。それが役立ったのなら、嬉しいけれど。……事態が掴めない分、怖くもあるんだよ」

「うん。まあ、頑張れ亜季」

「みのりが投げやりだ」

「食べてるから」

 みのりは湯気が出ている汁物を、匙でたっぷりとすくった。

 二人の夕食は、肉と野菜の出汁が利いた汁物と、根菜のあぶり焼きだ。

 みのりが先に、それらを食べ終えた。食後の水を飲み干すと「ご馳走様でした」と、頭を下げた。

 亜季も一旦、食事の手を止めた。そわそわしながら、みのりに尋ねる。

「どうだった」

「満足したよ」

「お世辞抜きで。出来れば、細かく」

「んー。焼き物が一個だけ、少し苦かった」

「ああ……あく抜き、完璧じゃなかったんだ。ごめん」

「充分に美味しかったよ。細かくってお願いされたから、言っただけ」

「他には?」

「汁物。昨日女将さんが作ってくれたのと、同じ味がしたんだけど」

「手順を見て、そのまま作ったからね」

「これがもう抜群に美味しかった。ご馳走様」みのりが改めて、亜季に向かって一礼した。

「本当に。よっしゃ」

 料理を作った亜季が、顔をほころばせた。


「すごいじゃないか。なんでここまで、できるようになってるんだよ」

「だって、あたし厨房で料理してたもん」

「こっちの食材は見たことないのばかり。それしか無いなんて、言ってたのに」

「たまに想像が付かない食材があるけれど、大体は近い物があるし」

 応用問題、と、亜季がやや得意げに言った。

「やっぱり料理をしていると、落ち着くよ」

「趣味だから?」

「うん。……あとは今までの経験で、人の役に立てるから、かな」

 いずれは調理師か栄養士になりたいと、夢を語り、亜季が食事に戻った。


 夕食後、二人は出かける支度をした。

 昨日の昼に、ロヅが亜季達のもとに来て、頼みごとをしたからだ。

「明日の夜に泊まっている宿屋まで来てくれ。用件は着いてから話す」

 宿屋までは案内すると言われたので、二人は彼の迎えを待った。

第四章(終)

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