儀式
「行ってきまーす!」
「気を付けてね! くれぐれもモンスターに遭ったらすぐに逃げなさいよ!」
「はーい!」
いつも通り。いつもの母からの注意を背中で聞いて家を飛び出した。
「間に合うかな……?」
今日はちょっとだけ寝坊して、いつもよりちょっとだけ遅めに家を出た。昨夜、蕾森へ渡す誕生日プレゼントをどうするか悩んでいたので、何時もよりも夜更かししてしまったのからだ。
「蕾森……」
掌の中のそれを眺める。
ぎゅっと握っているのは小さな宝石だ。宝石と言っても高価な物ではない。蕾森と作った秘密基地を片付けていたら見つけた赤い半透明な綺麗な石だ。
一目見て気に入ったので、宝物にしたその石を蕾森への誕生日プレゼントにする事にしたのだ。
「喜んでくれるかな?」
この石を見つけた時、蕾森も欲しそうにしてた気がする。「いる?」と聞いたけど、その時は興味なさそうに振舞っていたが、何となく強がってそう言っていたようにも思えた。
「はぁっ! はぁっ!」
いつも通う道を全速力で走り抜ける。
「はぁはぁ……」
穴の前に来て一旦、呼吸を整える。それからいつも通りに穴を潜り抜けて鬼人界へ。
「…………あれ?」
穴を抜けてすぐ…………何かが変な気がした。
「いつもよりも……暗い?」
そんな気がした。
ここも森の中だが、そんなに深くない。太陽の光はちゃんと差し込むし、日は昇っている。
それなのに…………なぜか暗い気がするのだ。
「ま、いいや! それよりも早く行かなきゃ!」
もたもたしてる暇は無い!
急いで蕾森の家へと駆ける!
ここからは歩いてニ十分弱だが、蕾森と一緒に見つけた秘密の抜け道を使えば五分足らずで着く。その道は坂道を滑り降りる。
穴のすぐ側の斜面を滑り降りればあっという間。行きだけの片道だけしか使えないのが難点だが、今はこれで充分だ!
落ち葉に乗って下へと向かう。途中、地面から飛び出した木の幹や倒木を上手く潜り抜けて――無事に辿り着いた。
「蕾森…………」
近くの木の陰に隠れて蕾森を探す。
「…………あれ? 居ない?」
もしかしてもう出発したのか?
間に合わなかったのか?
違うかもしれないと、他の木陰に隠れながら移動して屋敷の周りをぐるりとまわる。しかし蕾森だけでなく、他の誰の気配も感じない。
「そんな…………」
茂みから飛び出して屋敷の玄関を叩いた。
けれども――何の反応も無い。
「そんな……」
愕然として――その場に座り込んだ。
間に合わなかった。まさかこんなにも早く出発するなんて思ってもいなかった。
「蕾森…………」
ふと目に涙が零れ落ちる。
頭に過るのは蕾森と出会った半年間の記憶。異種族だが、初めて出来た同い年の友達。その楽しい記憶たちがめくるめく駆け巡り、涙と一緒に溢れ出す。
もう…………蕾森とは会えないのだろうか?
人界と鬼界。文字通り住む世界が違うのだ。
また会えるとは限らない。
だからこそ、誕生日プレゼントを贈りたかった。二人の変わらない友情の証にと。
「蕾森……」
しばらくその場で泣き崩れ――ゆっくりと立ち上がった。
「また…………会えるよ」
そうだ。会いに行こう。大きくなって冒険者になって旅に出て。それで蕾森を探しに行こう!
少年の胸に目標が定まり火が燈る。
「蕾森……またね」
もう誰も居ない屋敷へ向かってそう別れを告げる。
フィルは立ち上がり――自分の世界へと帰ろうとする――が。
「なっ!? えっ!?」
目の前に二人の男が現れた。
この世界に来て初めて見る大人の鬼人族。鎧を身に着けた兵士のような男たちは、何も言わずに小さいフィルの体を抱きかかえるとどこかへ走りだした。
*****
「ここは?」
兵士たちはフィルを森の中にある開けた場所へと連れて行った。
抱えられた当初は暴れていたフィルも、男たちが「蕾森が呼んでる」とそう言ったのを信じて暴れるのを止めて大人しく着いて行ったのだが。
途中で、折角色んな覚悟を決めたのにと、それまでの決意を思い出して顔を真っ赤にして恥ずかしがってしまった。
だがまぁ。これでもう一度、蕾森と会えるのならばそれに越した事はない。
と気持ちを切り替えてこの場に立った。
「…………!?」
変な場所だ。
普通の状況じゃない!
子供ながらにそう感じ取った。
森の中にある開けた場所。
丸い石畳の周りに六本の石柱が立ち。その中央に蕾森が一人の黒い鎧を着た男と一緒に立っている。
そしてその石柱の外で蕾森たちを取り囲み、見守るように立つ鬼人族の人々。どれも一般人と言った風貌ではなさそうで、兵士や貴族のような偉そうな男たちが揃っている。
「ここは?」
「ここは儀式の祭壇だ」
男が近づいて来た。自分を連れて来た兵士たちよりも二倍近く体が大きなその男が来ると、兵士たちは一礼してその場から離れて行った。
「おじさんは?」
「ワシは東雲剛毅。あの子の叔父にあたる」
「蕾森の叔父さん?」
「そうだ。そしてあそこに居るのがあの子の両親と兄弟たちだ」
剛毅が目線で教えてくれた先を見ると、蕾森の視線の先に居た。怖そうな父親に姉の璃々と抱き合って泣いている女の人。多分、彼女が母親だろう。そしてその傍らに全身力んで立つ兄の姿が見えた。
「何を…………してるの?」
これは普通の状況じゃない。子供ながらにこの異常を感じ取っていた。
「ねぇ! 一体、何をしているの!?」
「…………むぅ」
蕾森の叔父だという男は、苦しそうに表情を歪ませ――そして口を開いた。
「今、世界は――鬼界と人界。これらの世界からマナが失われつつある。全ての命の源であるマナが失われればいずれ死が世界を覆いつくすだろう」
剛毅が重たそうに言葉を続ける。
「だがそれを回避する方法が一つだけある。それは……魔神を召喚する事だ」
「魔神?」
「そうだ。君は知っているか? 魔神とは全てのマナを生み出す唯一の存在であり絶対神だと」
「……知ってます」
それは当然だ。魔法を使う人間なら絶対に知っておかなければならない重要な存在であると。魔法の力の源はマナだ。そのマナを生み出す存在だからと。
だから魔法の教科書の一番最初に書かれている。
「でも……。魔神を召喚する方法なんて無いんじゃ?」
フィルの記憶では魔神を意図的に召喚する方法は無いと書かれていた。研究が進んだ現代でも魔神を召喚する方法は不明で、過去出現した時も確か偶然だったと本に書いてあった気がする。
「少年よ。その通りだ。だが我ら角鬼人族は長年の研究により、その魔神を呼び出す方法を編み出した。それがこれから行われる」
「それが…………どうして蕾森と関係があるんだ?」
「それは…………」
剛毅は僅かに俯く。
「魔神を呼び出すには生贄が必要だからだ」
「――え!?」
一瞬、思考が停止した。
剛毅が言った言葉の意味を考えて――そして理解した。
つまり蕾森が生贄であると。
「どうして…………蕾森を生贄にするんだ!」
「察しがいいな。…………これは決まっていた事なのだ。あの子が産まれる前から。いや……あの子は生贄になるために産まれてきたのだ」
「そ…………んな」
愕然としてその場にへたり込む。そして――!
「ぐっ!」
「よせっ!」
蕾森の元へと駆け寄ろうとするフィルの左腕を剛毅が掴んで止めた。
「話せっ!」
「ダメだ! お前が行ってもどうにもならない!」
「くっ!」
力任せに振りほどこうとするが、自分の胴体位の太さがあるこの剛毅の腕を振りほどける事は叶わない。
「本来ならば、あの子はこの儀式まで一人で暮らす筈だったのだ」
「ひょっとして! 蕾森が病気だと言ったのは!?」
「そうだ。嘘だ。あの子は病気ではない。どうせ命を落とすのだと、あの子を隔離するための方便だ」
「なっ!?」
「だがそこへ貴様が現れた。本来ならばあの子と会わせる訳にはいかなかったが…………。だがさすがに友の一人も作れぬまま死ぬのは可哀そうだと思い、許したのだ」
「なにっを!」
ふざけるなともがく。
「…………ついて来い! 最後に別れの挨拶くらいはさせてやる!」
剛毅はフィルの左腕を掴んだまま歩き出す。半ば引きずられるように蕾森の近くへと連れてこられたフィルは、蕾森との再会を果たした。
「フィル!?」
「蕾森!」
蕾森の目は真っ赤に充血していた。元々、瞳が紅い角鬼人族の目だが、それでもハッキリそうだと解るほど真っ赤になっていたのだ。きっと一晩中泣いていたに違いない。
「逃げろっ! 蕾森!」
「…………ダメだ。フィル。俺は…………逃げない」
「どうし――!?」
ここでようやく解った。自分が何故ここに連れてこられたのかを。
自分は人質なのだ。蕾森が逃げ出さないための。
「フィル……。俺……。フィルと会えてよかった。楽しかった。ずっと一人で暮らしてきて……。寂しかったけど。フィルが居てくれてすっごく楽しかった。出来ればずっとこのままフィルと一緒に…………」
言葉の後半は涙と嗚咽で聞き取れなかった。
「くそっ!」
フィルは魔法で剛毅へと攻撃する!
近くに待機していた兵士たちが構えるが――剛毅がそれを制止した。魔法を受けた剛毅の体は全くの無傷だった。
しかし唇から血が流れている。自分で自分の口を噛んで切ったのだ。
苦悶に満ちたその表情に、この剛毅も自分がやっている事が正しくないと解っている。そして苦しんでいるのだと、子供ながらに理解できた。
理解できたからと言って、だからどうした!?
蕾森が死ぬんだぞ!?
大人の勝手な理屈で! 勝手に覚悟を決めて! だから何だと言うんだ!
許せない!
蕾森を絶対に助ける!
その決意を胸に考える。
どうすればいい?
まずは自由の身になる事が先決だ!
その為にはこの男の拘束から逃げ出さなければならない。しかしこの男に攻撃しても効かないし、覚悟を決めている。例え殺されてもきっと手を緩めないだろう。
なら…………!
ここでふと閃いた。ある奇策を。これを使えばきっと…………ううん。絶対に奴らの隙を作れる。絶対の自信がある奇策を。
それを実行する為にまずは――。
「ねぇ。蕾森とは家族なんでしょ? それなのにどうしてこんな事が出来るの?」
まずは会話で気を逸らす。こちらの狙いを気づかれないようにと。
「この儀式はもう百年近くも続いているのだ。それまで何十人と言う同胞たちが生贄としてその魂を捧げられてきた」
「そんなに沢山の!? 蕾森だけじゃなかったの?」
驚きつつ、右腕に装備した魔力を増幅するリングを使う。
「そうだ。ワシの妻も前回の儀式で生贄になった。だが…………これで最後なのだ。これで…………ようやく終わるのだ」
「…………」
男の握る手が僅かに緩まる。でも逃げるつもりはない。策はあるし、そもそも逃げられないのだから。
「そんなに沢山の生贄を捧げなければならないの?」
「そうだ。そうしなければ魔神を召喚する事は出来ない」
「…………」
魔力の増幅は終わった。後はぶっぱなすだけ。
魔力を込めた右腕を僅かに上げると、掴む腕に力が入る。
やっぱり気づいている!
でも狙いまでは気づいていないだろう。恐らく向こうは魔法で攻撃してくると踏んでいるに違いない。その予想を裏切ってやる!
フィルは覚悟を決める。これをぶっ放せばもう先に進むしかないと。
躊躇わない。怯まない。
ゆっくりと腕を上げる。――剛毅の顔が険しくなる。その視線が右腕に突き刺さり警戒する。
右腕が剛毅の体の正面に来た所で、緊張が伝わってきた。だがフィルの右腕はそれを通り過ぎる。
「!?」
剛毅の驚きが伝わってきた。攻撃するのでは無かったのかと。
フィルの右手はフィルの左腕の肩と肘の中間を掴み――。
「はあっっ!?」
魔力を暴発させる!
「なっ!?」
剛毅だけでなく、周囲で動向を見守っていた他の角鬼人族たちも驚き――そして狙い通りに固まった。
「くっ!?」
フィルは走り出す! ちぎった自分の左腕を捨てて。
まさか左腕を捨てるとは誰も予想してなかっただろう。だからこそ、不意を突けたのだ。
唖然とする角鬼人たちの前でフィルは無事に蕾森の元へと駆け寄り――。
「掴め!」
同じように唖然としている蕾森へと右腕を伸ばした。
「あ――」
蕾森は茫然としながらも、フィルの右腕を掴み――。
バシュッ!
その瞬間、地面から黒い何かが噴き出してフィルの右腕を切り落とし――黒い何かが霧のように変化して蕾森と彼の傍に居た男を飲み込んだ。