兄と姉
「あ! そうだ! 明日、俺、誕生日なんだ」
「…………は?」
昼食後、蕾森の部屋の中で二人のんびりしていた頃に突然そんな事を言われたフィルは目を点にした。
「あ、そう…………。誕生日なんだ」
「うん」
「…………」
これはどういう事かと蕾森は考える。
明日が誕生日。なぜこのタイミングで教えたのだろう?
えっと……。それはつまり、誕生日プレゼントが欲しいと遠回しに要求してるのだろうか?
「へー……。そう……。それは……。えーと。蕾森ってさ。何歳になるんだっけ?」
「十歳だ」
「十歳…………」
それを聞いてゲッと思ってしまった。
そうか……。年上になるのかと。
フィルも同い年だが、誕生日はまだ先だ。
「へへ」
嬉しそうに蕾森が笑う。その様子を見てちょっとだけフィルは拗ねる。
「嬉しそうじゃん。そんなに僕よりも年上になるのが嬉しいの?」
「違うって! そんなんじゃねーよ!」
蕾森は必至で否定する。
「ふーん。じゃあ。どうして?」
「それは……さ。その……。ずっと言いにくかったんだけどさ」
蕾森がもじもじと体をくねらせる。恥ずかしそうに、でもどこか申し訳なさそうに。
「実は……。俺は十歳になると父上や母上と一緒に暮らせるようになるんだ」
「…………え?」
また新しい告白にフィルの目がさっきよりも小さい点になる。
「え? どういう事?」
聞いてない! 出会ってからもうすぐで半年くらいになるのに……。
そんな話しは一言も聞いてない!
「実はさ。俺の病気って。十歳で治る病気なんだって。だから十歳まではこうして一人で暮らして。十歳になったらさ。父上たちと一緒に暮らせるんだ」
「…………そう」
フィルは口を何度もパクパクと開け閉めをして――乾いた返事を返した。
嬉しそうに語る蕾森を見てると、言いたい事が言えなくなってしまったから。
「それは…………良かった、ね」
「うん」
「…………」
そりゃそうだ。誰だって、家族と一緒に暮らしたいと思うものだ。
特に最新は自分と出会うまで、ずっと一人で――独りで暮らしてきたのだから。彼の抱えた孤独は自分なんかじゃ到底理解できない。
だから彼が家族と暮らせるのは喜ばしい事なのだ。
なのだが!
「…………そうか」
フィルは畳の上で大の字に寝っ転がる。天井の木目を見つめて呟く。
「それじゃ…………。さよなら。何だな」
「…………うん」
蕾森が親元へ帰るのならば、もうここで暮らす理由が無くなる。ここから居なくなるって事は、つまり自分と会えなくなるという事だ。
「…………もっと早く言ってよ」
「…………ごめん」
蕾森もフィルの隣で横になる。
「本当はさ。もっと早くに言おうとしたんだ。でもさ……。なかなか言い出せなかった」
「…………」
「でもさ。完全にさよならじゃ無いよ。時々はまたここに来るし。秘密基地にだって行く!
その時にさ。また…………一緒に遊んでくれる?」
「うん……。もちろん!」
*****
馬の嘶きが辺りに轟いた。
「よし! よーし!」
手綱を握った一人の男が二頭の馬を宥める。その後ろ、馬車の中から一人の少女が顔を出した。どちらも肌は紅く、額には一本の角が生えている。
「お兄様! 私は先に参りますわね」
「あっ! おいっ! 璃々(りり)!」
少女は兄と、馬車の中の荷物を置き去りにして走った。玄関まで来ると、呼び鈴を鳴らす。
「…………あれ?」
返事が無い。それに人の気配も。
「出かけているのでしょうか?」
つい玄関を開けてみる。――鍵はかかっていなかった。
「開いてるという事は……中に居るのですよね?」
璃々は構わずに玄関を上がった。一回の居間や台所。どこを探しても姿は見当たらない。ならばと二階の方を探す。
「居ましたわ!」
二回の彼の部屋にやっぱり居た。畳の上で大の字で昼寝していた。
でも――!
「…………誰?」
その傍らにはもう一人、少年が居た。
部屋で寝ている二人の少年。一人は勿論知っている。自分の弟だ。もう一人は肌の色が紅く無く、角も生えていない。
「人間!?」
人間がどうしてここに!?
驚く璃々。彼女は暫く固まっていた。
「…………ん?」
そうしている内に弟――蕾森が目を覚ました。背伸びをして、目を擦ってこちらを見た。驚いて――それから。
「うわぁあぁあああぁ!?」
姉の顔を見るなり突然の悲鳴。璃々はビクッと体を震わせる。
「あー! あー!」
蕾森は大声を上げながら隣で目を覚ました人間の子供の前に出て姿が見えないように隠す。
「遅いわよ。蕾森。その子は……どうしたんですか?」
「ん……蕾森? 誰?」
「え、っと…………」
蕾森が人間の少年の方を向く。
「えっと…………。この人は俺の姉上だ。名前は東雲璃々」
「蕾森のお姉さん!?」
説明を受けた人間の少年はすっと立ち上がりこちらへやって来る。そして軽く頭を下げた。
「僕はフィルって言います。えっと……。蕾森の友達です」
「友達……。蕾森の……でも。人間のあなたがどうしてここに!?」
「えっと……。僕の暮らしてる村の近くで穴が開いたんです。少し前に。そこを通って来ました。蕾森とはその時に知り合って、仲良く遊んでいます」
「そう……。礼儀正しいのね」
「は、ぁ。ありがとうございます」
「…………」
「…………」
沈黙が支配する。
お互いに何を話せばいいのかわからない。
その気まずさから、ただ固まるしか出来なかった。
しかしそれも下から聞こえてきた足音で壊れた。
「他に誰か来たのですか?」
蕾森が部屋から頭を出して廊下を見る。
「ええ。炎覇兄さまもここに来てるわ」
「兄さまも!? ……あ。フィル。炎覇兄さまってのは俺の兄さまなんだ」
「うん。何となくわかった」
フィルは隅に置いていた荷物を手に取った。
「帰るのか?」
「うん。その方が良さそうだから。折角の家族の時間を邪魔しちゃ悪いし」
「あ…………。うん。それじゃ……また――」
慌てて部屋を飛び出そうとするフィルを、璃々が止めた。
「そんなに慌てなくてもいいですわ。あなたを兄さまにも紹介したいですし。それに、私たちが知らない蕾森の話しも教えてほしいですから」
「…………えっと。わかりました」
フィルは了承した。彼としても最後になるかもしれない別れは、もっとちゃんとしたかったから。
「おーい。璃々。荷物を運ぶのをお前も手伝え…………って! 誰だ! そいつ!」
荷物を背負って上がってきた男――炎覇がフィルを見て思わず刀に手を伸ばす。
「待って兄さま! こちらの方は蕾森のお友達です!」
「友達……蕾森の?」
炎覇は大きく目を見開いてフィルを見る。
「…………どういう事だ?」
「はい。えーと――」
フィルは自己紹介とこれまでの簡単な経緯を炎覇へと話した。
璃々は事情を聞いただけで警戒を解いてくれたが、炎覇は事情には納得してくれたようだが、警戒は解いてくれなかった。
「事情はわかった。蕾森が一人で寂しさに耐えて暮らしていた事や、君が居てくれて助けられた事。それには感謝する。だが――」
フィルを睨みつける。
「君はもう……ここへは来るな」
「なっ! 兄上!」
「兄さまっ! どうしてですか? 蕾森のお友達なのですよ!」
妹と弟に責められても炎覇は怯まない。
「それはわかった。だからと言って特別扱いはしない! さあ、早く帰るんだ!」
「…………わかりました」
「フィル……」
悲しそうな顔でフィルを見つめる蕾森。そんな彼にフィルは手を肩にポンと置いた。
「何か…………。最後くらい、ちゃんと遊べれば良かったなって思うけど……。しょうがないよね。でもさ。これで最後じゃないんだ。またいつか、会えたら一緒に遊ぼう!」
「うん。遊ぼうぜ! …………フィル。俺と友達になってくれて、ありがとう!」
「僕も。友達になってくれてありがとう。…………さようなら」
「うん。さようなら……」
廊下を歩き、階段を降りるフィル。その後を見送ろうとする蕾森の手を炎覇が掴んで止める。
「兄上!」
「もうすぐ父上と母上が来る。二人に彼が見つかると面倒な事になる」
「…………わかりました」
蕾森はフィルと再開できる日を信じる事にした。