同年代の友達
森の中にポツンとある不自然な穴。地面から垂直に広がるその穴を、フィルは胸を高鳴らせながら潜った。
「ここ…………」
穴の向こう側は――森の中だった。
「どこ…………ここ?」
大きな瞳をパチクリさせてその森を観察する。
地面から生える木々たちや雑草などは見覚えがあるものばかりだ。だが――。
「知らない」
森全体で見ると、全く知らない森なのだ。
物心付いた時から地元の森で遊んできたお陰で、どこに何があるのかを知り尽くしているフィル。そんな彼でもこの森は見覚えが無い。
「あ……」
ドキドキ。
無意識に手を当てた胸から心臓の鼓動が伝わってくる。
「どうしよう?」
後ろを振り返る。そこにはさっきの穴がぽっかりと宙に開いている。
この穴を通ればすぐにでも帰れるだろう。
「どうし…………ようかな?」
帰るべきか。それとも――。
「探検しよう!」
ちょっとだけ考えて、先へ進む事に決めた。
毎日が同じ事の繰り返しで飽き飽きしていた日々。そして好奇心の塊であるフィルには、目の前に広がる未知の世界への誘惑を断ち切る事など出来なかった。
「ちょっとだけ……」
穴から離れて歩き出す。
途中途中、目印にと木の枝を折ったり。または小石を矢印の様に並べたりして適当に進んで行く。
「どこに出るかな?」
ひょっとしたら何も無いかもしれない。でも何かあるかもしれないという期待感が勝り、進む足取りは力強い。
「…………ん?」
立ち止まって耳を澄ます。
…………カンッ。
「…………何の音だろう?」
枝葉の隙間を掻い潜って不自然な音が聞こえてくる。
…………カンッ! …………カッ!
聞き間違いでは無いと確信して、その音がする方へと歩き出す。
……カンッ! カンッ! カッ!
音は不規則に鳴っている。
「……鳥さんかな?」
嘴で木の幹を突く鳥が居る。それだろうか?
カンッカンッ! カカンッ!
音が大きくなってきた。
「もうすぐだ!」
この茂みを抜けた先から音が聞こえて来る。
期待と不安を胸に、フィルはその茂みから飛び出した。
「…………ええっ!?」
フィルの目が大きくなって動かなくなる。
「………………」
「………………」
フィルの目と、目が合った少年も同じようにこちらを凝視して固まっていた。
「………………」
「………………」
短くて長い沈黙。
向こうはこちらをポカンと口を開けて固まっているが、フィルはもうすでに目の前の少年から視線を外していた。
茂みを抜けた先に合ったのは庭付きの一軒家だ。
森の中にポツンと建っているには、豪華な家。窓の位置や数から二階もあるし、部屋の数だって沢山ありそうだ。それに何より、あばら家の自宅とは違って隙間風など入る余地が無いような立派な家――屋敷だ。
「えっと……こんにちは」
「あ、え、と…………こん、にちは」
フィルは目の前で固まったままの少年に挨拶した。
「僕はフィル。フィル・アーティスン。九歳。人間です」
「お、俺は…………東雲、蕾森。俺も、九歳だ」
蕾森と名乗った少年はそれだけしか答えない。
「ねぇ。ここってさ。鬼界、だよね?」
確認のために蕾森へ尋ねると、彼は首を傾げた。
「き、かい? え?」
質問の意図と意味を理解してないようだ。それとも混乱しているのだろうか?
「あ、えっと。急に来てゴメン。ちょっと音が聞こえたからさ」
「…………音?」
「うん。カンッカンッ! って音が。その音を追いかけたらここに来たんだ」
「カンカン。…………その音ってさ。これの事か?」
蕾森が手にしていた木の棒で、近くに立つ木の幹にロープで結んで下に垂らした薪を叩いた。
「そうそう。その音。それって何してるの?」
「え、あ…………。剣の、練習…………だ」
「へぇ! 凄いね! 剣を使えるんだ! 凄いね!」
「そ、そうかな?」
褒めると、元々紅い蕾森の顔がもっと赤くなる。
「あの…………さ。君は…………誰なの?」
「え? 僕はフィルだよ。さっき自己紹介したじゃん!」
「え、あ、そうだった。…………じゃなくて。君はどこから来たの? この辺に住んでるの?」
今度はこっちが質問される番だ。フィルはお礼にと素直に応える。
「えっとね。近くだけど…………。遠いかな?」
「…………どういう事?」
「穴を通って来たから」
「穴?」
「多分、次元の穴だと思う。僕は人界から来たから。ここってさ。鬼界だよね?」
「じんかい? きかい? …………それって何の事?」
「あれ? 知らないの?」
「…………うん」
蕾森はこくんと頷いた。惚けている訳ではないようだ。
「わかった。それじゃ教えるね。えっと…………座っていい?」
「うん」
歩き疲れたので、その場に座り込む。手入れされた短い草が敷き詰められた地面の上はふかふかで気持ちがいい。ここならお尻に泥が付かないし、お母さんに怒られないだろう。
フィルが座ると、蕾森も目の前に座った。
「じゃあ、教えるね」
こうしてフィルは本で読んだ知識や、村のお爺さんお婆さんから聞かされた話しを、思い出し思い出し語りだす。
この世界には二つの世界がある。
人界と鬼界。人界は人間が住み、鬼界には鬼人が住む。二つの世界は近くて遠い場所、位相がずれた別世界に存在している事を。
その二つの世界は別世界にありながらも、穴を通じて行き来が出来る事。大きな街では当たり前のように交流がある事なども。
その話を、蕾森は不思議そうな目で、だけど真剣に聞いていた。
「えっと…………わかったかな? 僕の説明、下手だった?」
「うーんと…………。何となく、わかったような。わからないような」
蕾森は頭を抱えて上を向いたり下を向いたりしている。
「えっと…………俺は、鬼人。角鬼人…………なんだよな? 人間とどう違うんだ?」
「見た目から違うじゃん。肌の色とか。頭とか」
フィルは自分のおでこを蕾森に見せる。
「僕のおでこには角は無いよ。でも君のおでこには角があるじゃん。それが君が角鬼人だって証拠なんだよ」
「角…………」
彼も自分の額を触って角を見せてくる。幼い故か、角と言うよりもたんこぶに見える。
「後、肌の色も。君の色は紅いよ」
蕾森の肌の色はフィルよりも紅が強い。
「本当だ。俺と違う…………」
蕾森は茫然と呟く。
フィルは彼から、後ろの家に視線を向ける。
「大きくて立派なお家だね。君のお家なの?」
「え? あ、うん。そうだよ」
「いいなぁ。僕のお家。小さいんだ」
「…………入ってみる?」
「いいの? お家の人に怒られない?」
「うん。どうせ誰もいないし」
「お父さんとお母さん。お仕事に出かけてるの?」
「ううん」
蕾森は視線を落として首を横に振る。
「俺だけで暮らしてるんだ」
「一人でっ!? どうしてっ!?」
「…………俺が病気だから。他の人に移るからだって」
「そんな…………。でも元気そうに見えるよ。さっきも剣の練習をしてたじゃん」
「俺も。大丈夫だと思うんだけど…………。駄目なんだって」
「…………変なの」
「それよりも。君も俺から離れた方がいいよ。じゃないと病気が移るかもしれないから」
「うーん…………」
唸りながら考える。病気と言う話しが本当ならば、確かに離れた方がいい。でも見た目、元気っぽいし。それに…………。
「大丈夫かも。その病気ってさ。鬼人だけに移るんじゃないのかな? 多分だけど。なら人間の僕には大丈夫だと思うよ」
何の根拠も無い理屈を適当に述べる。
「そう、かな?」
「大丈夫だよ。きっと」
「うーん……。わかった。具合が悪くなったら教えてよ」
「うん。わかった」
「じゃあ。こっちに来て」
「うん」
蕾森に案内されて屋敷の入り口へ着く。すると彼は足に履いていた靴を脱いだ。
「…………どうしたの?」
「え? 玄関じゃ靴を脱ぐんだよ」
「へぇ。そうなんだ。僕の家じゃ靴を履いたままなんだよ」
「へぇ。変わってるね」
お互いの文化の違いを説明しながら、屋敷の中を見せてもらう。
「畳に、襖。障子。瓦の屋根か…………。初めて見る物ばかりだよ!」
新しい発見にすっかり舞い踊る。
そんなフィルを蕾森は面白そうに見ていた。
「そんなに…………凄いかな?」
「うん。僕は知らない事とかを知るのが好きなんだ。だからすっごく楽しい」
「…………良かった。楽しんでもらえて」
「うん。面白かったよ! あ、そろそろ帰らないと……」
「もう帰っちゃうの?」
「うん。お父さんやお母さんが心配しちゃうから」
「そう、なんだ…………」
蕾森の視線が落ちる。フィルはそれに気が付いて。
「あのさ。また来てもいい?」
「え? うん。いいよ」
顔を上げる。その表情は明るい。
「あのさ…………。お願いがあるんだけどさ」
フィルがもじもじと体をくねらせる。それまで饒舌に、遠慮なく喋っていたのに。途端に言葉が詰まり始める。
「えっと…………。僕と……と、と、とも、ともだ……友達になってくれないかな?」
「え? 友達……」
「うん。僕の住んでる村ってさ。子供は僕だけなんだ。だから…………その。同い年の友達とか欲しくて…………。駄目、かな?」
「い、い、ううん。俺も! 友達が欲しかった。だから。いいよ! 友達になってよ!」
「うん。友達になろう! …………その。蕾森って呼んでもいい?」
「うん。俺もフィルって呼ぶね」
こうして二人は出会い、友達になった。