進化
【序幕】
激震。
それはまるで、砲弾が連続して大地に撃ち込まれていくような、激しい縦揺れ。
連打の激音は凄まじい揺れを生み出し、それとともに濃い土埃を巻き上げる。
やがて、激音と揺れが止んだ後、その場に立っていたのは1人の少女。
長い髪の毛を双の束に結い上げた彼女の陰を見た者は、その圧倒的な強さを前に彼女をこう呼んだ。
「お、おぉお、鬼……ッ!!」
「あら。こんな可憐な少女を捕まえて鬼だなんて――」
口を慎みなさいな。
その瞬間。
高らかな爆音と共に、日本最高峰の頭脳と戦力を誇る東京大学は、陥落した。
鉄壁と呼ばれる赤門をいとも容易く爆壊し。最も有名な安田講堂をも崩壊。
後に人類最強の鬼神と呼ばれ、国家転覆を為した少女。
鬼藤紗音。
この日、彼女の手によって、東京全域が戦場と化した。
【一 進化とは】
2010年。
日本政府は平和を捨てた。
世界の競争社会に負けぬよう、国家総動員法を再び採択し、帝国主義を再興させたのだ。
魔法を科学として成立させ、それを基盤にした戦力を保有し、核をも凌ぐ力を手に入れた日本が、世界的な軍事国家となるのは一瞬だった。
やがて政府は、日本中にある大学の中から8つを選び出し、その大学のある地域を支配させる。それら8つの大学は日本戦力の要となり、『八大竜王』と呼ばれるようになった。
8つの要塞を要とした、世界最強の軍事国家、日本。それを揺るがす事態は、突如としてやって来た。
『あら、これテレビ中継? ちょっと良いかしら』
ある日、とある娯楽番組の取材班は、原宿で1人の少女に街頭質問を行っていた。
美しい金髪を双の束に結い上げた彼女は、しなやかな身体に長い手足を持ち、赤い吊り目が特徴な美少女だった。
彼女は自分の胸に手を当てると、前屈みになって撮影機を覗き込んだ。
『良いこと、日本政府。八大竜王だか何だか知らないけれど、下らないわ。私に言わせれば、脆弱としか言えないわ。ほら、反政府発言よ?さっさと私を殺しに来ると良いわ』
その瞬間、取材班は戦慄した。反政府思想者は、警察の手によりすべからく極刑に処される。生放送の街頭質問でこんな――
『今の発言は貴様か?』
『あら、仕事が早いのね。さすがは国家的ストーカー部隊』
現れたのは、金属製の機械に身を包んだ巨躯だった。
凄まじい魔法力を手にした、即断極刑の執行者、特殊警察。
取材班は彼の姿を見た瞬間、一目散に逃げ出した。
”巻き込まれる……‼︎‼︎”
特殊警察は、一般人を巻き込むことを躊躇しないのだ。
『逃げろォッ!! 特殊警察だぁッ!!』
周囲の一般人たちにも危険を知らせながら、取材班は逃げ走る。
周囲は完全に混乱に陥るが、ふと、班員の1人、撮影者が気付いた。
“破壊音が、しない?”
通常、特殊警察は容赦も躊躇も持たないため、即座に最大威力を撃ってくる。しかし、いつまでたっても破壊音が聞こえて来ないとは、どういうことだ?
まさかと思い、撮影機を構えて振り返った先――
『だから。あなたのような雑魚には興味ないの』
特殊警察が、音もなく瞬殺されていた。彼女の足元に倒れた戦闘装甲が、何か強力な衝撃で圧壊している。しかし、少女は徒手空拳。まさか素手で――
―――!!!!
鈍い激音。金属を殴打した、身体の奥底を掻き毟る嫌音。少女が高踵靴を踏み鳴らしたのだと、撮影者が気付いたと同時。
特殊警察は、完全に絶命した。
『もういい加減、待ち飽きたわ。あぁ、カメラマンさん、これ生中継よね? 宣戦布告させて頂戴』
『明日の朝9時に、東大を潰すわ。迎え撃つ気があるのなら、戦う準備をしなさいな』
撮影者はそれを放送すると、撮影機の電源を落とし、反射的に聞いていた。
『……撮らせてくれないか?』
『あら、仲間になってくれるの? 良いわよ。私だって、1人じゃ寂しいもの』
彼は思う。何かが起こる、と。記者の1人としての勘が、強く叫んでいた。
この少女を撮らなければならない。
『私は鬼藤紗音。あなたは?』
『鬼島。鬼島礼太』
たった1人の最強と、たった1人の普通。
相反する2人の邂逅は、最強に進化をもたらす。
○●○
「なぁ」
翌日、朝8時50分。
2人は、堅く閉ざされた赤門の前にいた。機械装甲を纏った特殊警察や日本軍が堅牢な防備を見せる前で、2人は堂々と会話を重ねていた。
「何かしら」
「君はまだ高校生だろう?」
「年齢的には、ね」
「あんな力を持っているなら、もっと別なことに使うべきじゃないのか? 国家転覆なんて狙わずに」
「ま、普通そうよね」
やけにあっさりと、紗音は礼太の言葉を認めた。彼女は結った髪をいじりながら、酷くつまらなそうに口を開く。
「私、俗にいう天才なのよ。年齢は高校生だけれど、博士過程を修了してるし、運動だってインカレに出場した8つの競技全てで優勝したわ」
何の自慢にもならないけれどね。
そう続ける彼女の言葉に、偽りはなかった。ましてや、そこに驕りや自慢は全く感じられなかった。ただ素直な感想として、紗音は言葉を連ねる。
「つまらないのよ、人生が。このまま生きていたってお金は捨てるほど稼げるし、男も権力も思うがままだわ。
全てが見え透いているの。
生まれた瞬間から、自分で自分のレールを敷ききってしまったのよ。
それはありとあらゆる方向に向いていて、ありとあらゆる時間、ありとあらゆるタイミングで方向転換可能な、まさに万能のレール」
「それは幸せなんじゃないのか?」
礼太は素直に口にした。普段、放送局の撮影者として過ごす自分は、激務に反する少ない収入で、何とか家族を養っている。そんな自分から見れば、それは誰もが羨む話だ。
誰もが、そんな道に乗りたがる。そんな道を、敷きたがる。しかし、彼女はそうじゃないというのか?
「刺激という刺激は、9歳までに受け飽きたわ。戦争も平和も酢いも甘いも経験してきた。
10年前、日本が帝国主義を取り戻した時、人生で初めて興奮したの。未知と未経験が溢れると思ったわ。言うなれば、明治文学者の気分よね」
「――……」
「あらゆる思想、あらゆる運動に巻き込まれ、それでも己を貫いた彼らのようになりたいと思ったわ。
けれど、2ヶ月で世界は変わらないと知った。
そんな中で唯一残された刺激は、人を殺すことと自分が死ぬこと。国家転覆なんてただのおまけね。
苛めて嬲って虐げて、徹底的に殺し尽くす。どんな気分なのかしらね」
楽しみだわ。
圧倒的な才能。究極的な天才。世の中の全てを経験しきった彼女に残されたのは、禁忌を犯すことだけ。
礼太は気付く。
「君は、どうしてそんなに刺激を求めるんだ?」
すると、紗音は楽しげに笑みを浮かべた。
強く強く、心底嬉しそうに。
「進化するためよ」
「進、化……?」
「そう。人間だったら誰でも求めているわ。未知への恐怖と好奇心。既知への飽きと怠慢。人間は一定を嫌うわ。それは誰でも一緒。人間としての本能よ。
新しいこと。経験したことのないこと。あくなき探求。止まる事なき――……進化。
あなたも、同じことの繰り返しやパターン、マンネリは嫌いでしょう? 本能なのよ。求めざるを得ないの。それを実現する力が、私は人より強いだけ」
「殺しは禁忌だぞ」
「もうそれしか、これ以上の進化に至る道は残ってないのよ。あなたには解らないでしょうけどね。目的に対して、ありとあらゆる手段を失った人間の気持ちなんて」
「それをしないという選択はないのか」
「無いわね」
「どうして」
「停滞は進化を生まない。才能を持ち腐れにするだけ。進化なくして、私という存在は成立し得ない」
「それが例え、国家に反逆することになっても、か?」
すると、紗音はため息をつき、静かに言葉を引用した。
「『新しいことは謀叛である』」
「―……徳冨蘆花、か?」
「そう。彼は『謀叛論』で言ったわ」
謀叛を恐れてはならぬ。
謀叛人を恐れてはならぬ。
自ら謀叛人になることを恐れてはならぬ。
我々は生きねばならぬ。
生きる為に常に謀叛しなければならぬ。
自己に對して、また周囲に對して。
「謀叛というのは比喩よね。森鴎外が『学問は因襲を破って進んでいく』と言ったように、社会への反逆は時として、新たな進化を生むための手段となる。
私の謀叛は、進化すること。いえ、進化すること自体が謀叛になってしまうのよね。
停滞は、怠惰と退化を産む。過剰な反復は、飽和と限界を産む。
進むしかないのよ。進んで、掴むしかない」
「―……何を?」
「未来をよ。新たな未来を掴むには、常に進化し続けるしかない。謀叛し続けるしかない。私はその手段がたまたま、殺人と自らの死だという、ただそれだけ」
飽くなき欲求。進化への本能。彼女はそれを抑止することをしない。むしろ、自らによる抑止を最も恐れていた。
溢れる才能を、余りある才覚を、使い切る。それを紗音は、自分にとっての進化と呼んだ。
「進化の果てに、お前はどんな未来を望むんだ?」
いずれにせよ、彼女がその身に宿す才能を使い切るのは、人のままでは難しい。或いはこの世界が狭すぎる。文字通り、生まれた世界を間違っている。
生れつきその才能を活かしきれない彼女は果して、その行く末に何を見る?
しかし紗音は、苦笑しながら首を振った。
「それが解っているなら、進化なんてものは求めないわ。停滞は退化を呼ぶ。けれど代わりに、安定を得られるわ。
それは今の私の生活よりも遥かに楽だし、本来ならそれを求めるべきだと、解ってもいる。だけど、私はそれを望まない。
才能を使い続けること。それが、私の望む進化への手段よ」
そして彼女は、赤門に向かって身構える。それに応じるようにして、特殊警察たちも武器を構えた。
「死ぬぞ」
「どうして?」
「日本は世界最強の軍事国家だ。特に東京大学は、首都圏防衛を司る日本の要なんだぞ」
「だから?」
彼女は何でもないように、さらりと言ってのけた。
退く理由には、ならないのだ。
そして彼女は高らかに高らかに、赤門へ向けて言葉を放った。
「さぁ、そろそろ始めましょうか!最強の軍事要塞?八大竜王の総本山?知ったことじゃないわ!!」
ズン…ッ!! と。
紗音が静かな一歩を踏み出す度に、油性舗装の道路は歪み、地鳴りの音と揺れを鳴らす。それでも彼女は歩みを止めず、圧倒的威圧を纏い叫んだ。
「さぁ掛かってきなさい東京大学!! この私に進化を、そして未来を与えてみせなさい!!」
軽く振り上げた足を、紗音は地面にたたき付ける。たったそれだけの動きで、地面は轟音と共に波打ち、鉄壁の赤門は基礎から爆砕した。
一撃で周囲の地域ごと破壊せしめたその姿は、まさに悪鬼。
紗音は、ふと、礼太に振り向く。
「あなたにとっての、『進化』とは何?」
「―……未知の追求だ」
記者としての腕を上げていくこと。誰も撮ったことのない映像を伝えていくこと。
「全てを経験するなんてお前のような荒業はできない。が、未知を既知にし、伝えることが、俺の進化だ」
「そう……良いじゃない。これであなたも、謀叛人よ」
「関係ないね。俺も、人間だ。求めるものには、従うさ」
赤門の奥から迫る軍人たちに視線を戻し、紗音は礼太の言葉に満足そうに頷いた。
「常に進化を求めなさい。
停滞なんてしている余裕があるのなら、常に進み続けなさい。
あなたの進化が正しいのかどうか、それを確かめる術はない。
けれど、求め続けることは、進化をやめないという証。
未来を諦めない、力よ」
人間であることを、進化の終着点としない。鬼は進化とその真価を求め、己の未来のために、驕らなかった。
「紗音」
「あら、名前? 何?」
「お前の進化を見せてくれ。世の中の知らないことを伝えることが、俺の進化だから」
「死んでも知らないわよ?精々、巻き込まれないようにしなさいな」
静かに、とびきりの可愛らしい微笑みを浮かべて―――
「始めよう」
「えぇ、そうね」
―――!!!!
拳を地面に叩き付けた。
更なる進化を求めるために。
新たな未来を、掴むために。
【二 終極】
「やっぱり、この程度なのね……」
この世にある物、全てに絶望し切ったかのように、紗音は静かに独白した。
彼女が目の前にするのは、完全にその身を崩壊させた安田講堂。
赤門から講堂まで、その距離数百米。その僅かな距離に敷かれた防衛線は、『首都防衛階級』において、最上階級の『首都内交戦中』。紗音はそれを、僅か三十分の内に撃滅して見せた。
しかし、戦力自体が失われた訳ではない。当然、敷地内には核兵器を含む、多種多様な大量破壊兵器が配備されている。
だが、今、紗音が高踵靴の右足で顔面を踏み付ける老人。その男、黒暗夜深 (くろくら・よるふか) 。
東京大学総長にして、日本国軍元帥を踏み付けたことで、戦闘は一時的に停止しているのである。
「貴方がこの大学で一番強いの?」
紗音の言葉に含まれる音圧が、夜深の周囲にある舗装を崩してゆく。
彼は紗音の問いに、掠れる声で答えた。
「その通り。私が、この国で最も強い魔力を持つ者……だった」
「あら、元帥のくせにあっさり負けを認めるのね」
「生まれてこの方、防御を突破された経験はなかった……。最大防御を破られた瞬間、敗北を確信した……」
「普通、指揮官が前線に出て来る? 愚の骨頂じゃない」
嘲きった声音で、紗音は言葉を吐き捨てる。夜深はしかし、苦笑で答えるのみだ。
「引きずり出したのは、貴様だろうが……」
と、その瞬間。夜深は紗音の右足から逃れ、老体とは思えぬ爆発的な加速で紗音の背後を取った。
「ぬ…ッ!!」
それに反応して、紗音を取り囲む戦闘員も再び武器を構えた。
「抜かったな小娘ェェエッ!! 貴様如きに我々東京大学が――」
「煩いわよ、おじさん」
それはまるで、五月蝿い小蝿を払うかのような気軽さだった。
「っ!?」
背後に回った夜深に対し、半身を振り返りながら、右手をすらりと振り抜く。
巻き起こったのは、暴風だった。
『ぅぉぉおッッ!!??』
停滞する空気の中へ投じられた莫大なエネルギーは、周囲に一瞬の真空状態を作り出す。その穴場へ周囲の空間が流れ込み、空間そのものが動いたのだ。
紗音を中心とした半径五十米は、その一撃で根こそぎ吹き飛ばされてしまった。鋼鉄の塊である戦車や戦闘装甲すら、その一撃は簡単に引き千切った。
夜深の姿も、崩壊した時計塔の中へ叩き込まれてしまった。
そして紗音は――……絶望する。
「期待外れも、甚だしいわね……」
それは怒りにも似た感情だった。
唯一と信じた手段は、自分の望む結果を与えてくれなかった。日本最強の、ひいては世界最強の要塞は、自分を殺しきれなかった。否、自分だけではない。
「礼太さん、貴方も生きているものね」
「―……やっぱり半端じゃないな、お前は」
とある放送局の撮影者、鬼島礼太もまた、生きている。
望んだのは、大量虐殺と自らの死。しかし、東京大学ですら、両方を叶えてはくれなかった。
一般人である礼太すら殺せなかった組織に期待した自分が、愚かだったのか?
これ以上の進化への手段は、存在するのか?
紗音はふと、講堂へ向けて軽く一歩を跳んだ。その一歩は一瞬で講堂との距離を詰める。理由は、倒れ伏す夜深と再び対峙するために。
「ねぇ、あなたにとって、進化とは何?」
「――……?」
最後の抵抗すら一撃で返された夜深は、絶望しながら紗音の言葉に疑問した。満身創痍の彼には、彼女の問いの意味が、すぐには理解できなかったのだ。
それを見越してか、紗音も言葉を続ける。
「新たな自分を作り上げることだと、私は思っている」
「そのために、我々を蹂躙したというのか……。貴様一体、何者だ……」
「私が何者かなんてどうでもいいわよ。話を戻すわ。あなたは、進化とは何だと――――」
「力だ!! 力だよ小娘!!!!」
瓦礫の中に仰向けで倒れながら、老体は叫ぶ。
「圧倒的な力だ! どんな兵器でもどんな国家でもありとあらゆる脅威を蹂躙出来る力を持つこと! それこそが進化だ!!」
「その理論でいくと……」
ふと、撮影機を手にした礼太が、横から口を挟んだ。
「紗音は間違いなく、進化を終えている」
「そんなはずないわ」
紗音は即断した。
「私の進化は終わっていない。この程度……誰にだって出来るわよ」
それとも、自分の手段が間違っていたのだろうか?
これ以上の手段……それは、自らの死のみ。しかし、世界最強の組織すら紗音の進化を果たせなかった。ならば――――
「貴様」
ふと、夜深が静かに口を開いた。
「死んで、どうする?」
「――……は?」
それは紗音にとって、予想だにしない言葉だった。死んだ、その後……?
「意識が完全に途絶えるんだぞ? 思考が失われた貴様が、一体どうやってその進化とやらを自覚する?」
「―……ッッッ!!」
死とは、自覚の消失。例え死んだとして、一体どうやって進化したかどうかを自覚すればいい?
「あ、あ……」
ぐしゃり、と。紗音は瓦礫の上に膝をついた。
絶望。
それは、圧倒的存在である彼女が、進化し続けた先に待ち受けた、言わば運命だった。
あらゆる学問を修め、あらゆる運動競技を極め、果てに禁忌を犯して。それでも、彼女は自分の望む進化を手に入れることが出来なかったのだ。
こんな感覚は、初めてだった。手段は、完全に失われた。結果も、進化も、ついて来るはずがない。
終わっ、た……?
「私の進化は、ここで止まるの……ッ!?」
思った瞬間、紗音は涙を流した。これまでの生涯、弱さの象徴として自らに禁じてきた涙を、彼女は滝のように溢れさせた。
ああ……頭の中から、消えていく。
私の存在が、消えていく……!!
「ハハハハハハハッ!!!!」
その瞬間、咆哮したのは夜深だった。
「飽くなき欲求! 自ら進化したいという果てしない向上心が故、貴様は進化を繰り返してきた! 考えれば解る。その異常なまでの身体性能は、銃弾の貫通すら、攻撃魔法の被弾すら自らに許さなかったな!? 確かにそれを実現して見せたその才能、実力! もっと真っ当な戦闘訓練を受けていたらと思うと背筋が凍るよ! しかしここまでだ! 行き詰まったのが目に見える! 貴様はこれ以上の進化を――――」
「止まるかよ」
夜深の言葉を、ただの一般人が遮った。
礼太だ。彼は撮影機を回しながら、夜深にたった一言、こう言った。
「何故、オレが死んでいない?」
『ッ!!!!??』
その言葉に、夜深は戦慄し、紗音はハッと顔を上げた。
そう、世界最強の要塞が、最上階級の防衛を構えておきながら、どうして、ただの一般人が生きている?
「当然、紗音が守ってくれたからだ。だが紗音、お前、オレを意識して守ろうとしたか?」
紗音は静かに、首を振った。
「手を抜いている余裕は、ないと思ったから……。正直、貴方のことなんて微塵も頭になかったわ」
「だけどオレは生きている。何故だか解るか? 紗音は、無意識にオレを守りながら戦っていたんだ」
「な、んだと……!? どこに、そんな余裕が……ッ!!」
「だから無意識と言ったろ。証拠に、オレは傷一つ負ってない」
それは、礼太の目に見える形ではっきりと見せた、進化だった。
他人を傷つけるのではなく。自らのことだけを考えるのではなく。
人を、守って見せた。
「これを進化と呼ばずに何と呼ぶ? それにな――……」
と、礼太は携帯電話を取り出し、その画面を紗音に見せた。
「――……?」
見ると、映っているのは報道番組。緊急特番が伝えているのは、日本中で起こっている日本軍への反乱だった。
「な、何よこれ……?」
驚きの表情と共に礼太を見上げる紗音に、彼は強く笑みを浮かべた。
「お前が、きっかけだ」
「私、が……?」
「オレがあの時生放送していた番組は、全国で同時に流されていた。お前の宣戦布告を見た日本軍への反逆者たちが、次々に声をあげたらしい。聞いて驚け、八大竜王の内で次席と名高い京都大学が、日本軍を裏切ったらしいぞ?」
わかるか、紗音?
「これは、お前が起こしたんだよ。お前の謀叛が、お前の進化が、みんなを立ち上がらせたんだ」
1人の進化は、他の誰かを進化させてゆく。人間は、精神的影響を受けやすい生物であるが故、きっかけを作りさえすれば、同じ思いを持つ者が立ち上がる。
「日本はまた生まれ変わる。これは、お前自身の進化じゃないのか?」
進化は、連鎖する。そう、今まで急激かつ莫大な進化を行ってきた紗音が、これから周囲に与える影響は、計り知れないものとなるのだ。
紗音はこれから、他人を進化させることが出来る。それは、紗音自身の進化と呼ぶに値するのではないか?
「進化させ続けろよ、紗音。周囲がお前のレベルに達することは、まずないだろうな。だが、周囲の進化に影響され、更なる自分自身の進化を生み出すことが出来るんじゃないか?」
「――……!!」
紗音は、静かに立ち上がる。
自らの更なる進化の可能性を示され、まだ自分に余地があると知って。
彼女は再び、立ち上がることが出来た。
しかし。
彼女が立ち上がったことに対して、礼太が思っていたことと、紗音が思っていたことは、違っていた。
「ありがとう、礼太さん。貴方は私に進化をもたらしてくれた。今、解ったわ」
「だろ? これからも――……」
その瞬間、彼女は渾身の力を込めて夜深を殴りつけ、彼を完全に絶命させた。
同時に起こった衝撃波と爆風、地震によって、東京大学の敷地全体は壊滅。
直後。
彼女は、躊躇いなく自らの首を切り付けた。
「なァ……ッ!!?」
唯一、紗音の攻撃から難を逃れることの出来る礼太は、頸動脈から鮮血の噴水を上げる紗音に叫ぶ。
「な、何してる!!? お前は――――」
「私ね」
すでに致死量の血が噴き出しているにも関わらず、彼女は平然と口を開いた。
「私の進化は、今まさに完成したのよ。気がついたの。私の進化の、目的に」
紗音は腕を広げ、礼太を深く抱きしめる、鮮血が礼太の体を汚すが、お互いに構わなかった。
「私の進化は、周囲を進化させること。世界を進化させること。私自身の進化が完結した時、私は私の世界を自己完結する。そう決めていたのよ」
やがて、頸動脈からの噴血が止まった。彼女の強すぎる心臓の鼓動は、最後の一滴までを、体外に絞り出していた。
それでも、紗音は、笑みと共に言葉を作って見せた。
「私の進化は、私の思っているよりも、遥かに価値があったわ。何故って、私は今まで、他人の役に立ったことなんて、なかったんだもの。
礼太さん、貴方は、これから進化し続けなさい。
私の起こした進化の波を、謀叛の果てを、世界に発信し続けて。
そうすることで、私は進化し続けることができる。
私という存在は、なくならない」
あぁ、と。
紗音は清々しい気持ちで、ため息をついた。
「まだまだ、私は進化し続けることができる……!! 何て、嬉しいのかしら」
1人の進化が、世界を変える。未来を諦めない者にだけ、進化は、訪れる。
「さよならなんて、言わないわ。これから起こる全ての進化は、私が起こしたものなのだから」
「貴方は、私を、忘れないでね」
氷のような、唇。紗音に唇を重ねられた礼太は、目を伏せ、誓う。
この少女のように、進化し続けようと。彼女の生き様のように、強く生きようと。
世界は、変わる。確信がある。それを伝えることが、オレの進化だ。
「オレは未来を諦めない。お前のように、進化し続けて見せる」
「そう……」
ありがとう。
その一言と共に。
鬼神の命は、潰えた。
永遠に続く、進化を遺して。