まっ、いっか!
目の前には教室の扉びらがある。
一限目が始まって二十分は経っただろうか?
黒板の反対側の扉をそっと開けて、そろりそろりと自席に向かう。隣には香澄がいるが別に気にしない。そっと椅子をひいて座り、鞄から必要な道具を取り出した。
当然のこととはいえ、皆の注目を集めている。
それはそうだろう。
さっきの応対にはクラスメイトも混ざっていたのだから、既に僕の発言と行いは皆様の知るところだろう。
「あーっ、坂上君は今来たのか?」
「はい、そうです」
若い英語の先生、英検準一級を持っているから準一とあだ名がつけられている。
その準一からは前からは好意的に見られている。
まあ、昔といっても女子になってからだけど。
「何か理由があったのだろう?今度からは遅れるなよ」
そう言って僕の顔をジッと見つめる。
前から思っていたのだが、キショいし、キモい。
この際、はっきりと言ってやろう。
「別に理由はありません。ただサボっていただけです」
真顔で答えて、あとは俯いてシカトする。
呆然とする準一の顔は怒るというよりもオロオロしているようだ。
以前なら、僕がこんな態度すると、すぐに香澄から肘を突かれるか、折り畳んだメモが飛んできて、たしなめられたはずだ。しかし、それがないのは香澄と僕の関係が昔とは違ってきことを意味する。
まっ、いっか!
良い方に考えれば、かなり楽になった訳だし。
少し寂しさがあるのは正直な気持ちだけれど、一人でいることに簡単に慣れるだろうし、気を使わないのは楽ちんだ。
都合のいい時だけ友達面するのは一番嫌い。だから、やはりこれが正解かな?
そっと顔を上げると、まだ準一は呆然としていた。
つまり授業を妨害していることになる。
ここは仕方ないか、僕のせいで皆んなの勉強を邪魔する訳にはいかない。
「あのっ、先生? 私の冗談をもしかして本気にされたんですか? それならごめんなさい。本当は頭が痛くて遅れたんです。まさか先生がこんなに驚くとは思いませんでした。本当にごめんなさい」
深々と頭を下げて、今にも泣きそうな顔をつくると、準一は我に返って、こう言った。
「そう、ですよね。まさか、坂上君がそんなことをするわけがない。僕こそごめん。冗談が通じないなんて教師失格だ。さて、じゃあ続けよう。次のページを訳すから、皆んなは聞いといて」
僕の言葉を聞いた途端に、ご機嫌になった準一を見上げると同時に思ってしまう。やはり男はチョロい!
この先生はチョロ過ぎる!
しかし、可愛い女子のフリをして、男を惑わすなんてかなりの自己嫌悪におちいってしまう。
一限目はすぐに終わった感がある。
授業の途中から参加しているのだから当たり前なのだが、今はそれを考える余裕はない。これから嫌な十分間が始まるのだ。つまり、休み時間が始まる。
意識して周りを見ずに、スマホで音楽を小さな音で聴きながら次の授業の用意をするが、誰一人として僕に近づく者はいない。助かったような、そうでないような、複雑な気持ちだけが残った。
チラホラと視線は感じたし、僕の名前が女子達の会話の中で聞こえて来たが、何もなかった。
そして二限目から四限が終わっても誰とも話していないし、顔を合わすこともなかった。
完璧に昔のヒロトの時の感じに戻ったみたいだ。
しかし、お昼休みは緊張のピークが来た。
この時だけは教室に居たくなかった。だから、気付いた時にはお弁当を掴んで体が勝手に逃げ出していた。
逃げ込んだ先は屋上だ。屋上の給水塔の裏の物置は誰も来ない。それに見つかることもない。
……どうしよう。
どうして、こんなことになったのだろうか?
ヒロトなら、堂々と教室の中で一人でお弁当を食べたことだろう。あの頃と何が違うんだろう?
確かにヒロトは男の子で、今の僕は女の子だ。だけど中身は同じだし、何が違うんだろう?どうしたらあの頃の自分に戻れるんだろうか?
一生懸命考えるけど、全く答えが見つからない。
気付くと、足が震えている。
誰かに相談したい。
そんな衝動に駆られ、ふと気付くとある名前の番号をタップしていた。




