あやめとこのは
私としては、久しぶりに判断を間違った。
姉が前面に出てくるということは、お金に絡んだことに他ならない。
その黒幕は、よく知っているが、あまり認めたくは無い。
みんなの憧れであり、この学校の天使でもある、あの方ということを認めたくは無かった。
誤った認識をしていた私達に対して、クラスのみんなは冷ややかな反応だった。
ことに、琴美が学園祭の次の日から登校しなくなってからは、特に酷い仕打ちが待っていた。
所謂、いじめというもの……。
元々、香澄も私も、軽く頭のネジが外れているようなところを持ってはいたが、クラスではなく、学年の中で優等生と言われるほど一目置かれていた。
そんな二人が、よりにもよって話題の中心人物をいじめ、更に不登校にまで追いやったという噂が学内のほとんど全ての生徒に知れ渡るのに時間は掛からなかった。
「そろそろ助けてあげましょうか?」との、このは姉様からメールが来た時、プライドを捨ててでも縋っていたら……と後悔しきりな状態にまでなっている。
靴は隠され、ノートは破られ、みんなから憧れられていた存在感は薄くなり、二人とも限界に来ていた。
そんな私達、二人の前に現れたのは、姉のこのはだった。
連れて行かれた先は、生徒会室の中の会長室。
私も香澄も生徒会室に入ることは今までも何度もあったけど、会長室に入ることは無かった。
というもの、今現在、会長の座は空席であり、実質は姉のこのはが、つまり副会長が会長代理となってこの学校を引っ張っている。
その当人である姉は、私達二人が生徒会室に入るや否や、部屋の鍵を閉め、逃げ出せないようにしている。
部屋の鍵といえば、普通は中からは簡単にあけられるものが普通だが、ここは違った。
内側からもカードキーでのみ開くようになっている。
委員会などが開催される普通の時なら、カードキーのロックは外されているが、今日ばかりは違うようだ。
いかにも自己主張をしているかのように普段は消えているドアノブの横のランプが赤い光を放っている。
この段階から、香澄の顔が段々と青ざめてきた。
私は、お姉ちゃんが一応いるから、これ以上は酷くなる心配はあまりないが、このはから押しつけられた恩をお金で返すことになるのだろう。
これで、半年は不自由な暮らしが待っている。
前に一度、お願い事をした時に法外な物を要求された恐怖がわき起こる。
絶版になった同人誌をネットオークションで落札した。しかも私の名前とアドレスで……。
後は言わずもがなでしょう。
あの時は、半年間ファミレスでアルバイトをしたけれど貧乏だったことを覚えている。
しかも中三なのに高一と嘘まで吐かねばならなかった。
そんな色々なことが走馬燈のように頭の中を駆けめぐる。
「お二人とも、これで分かったでしょう。ヒロト君は私の物だってこと。香澄さんには悪いことをしたと思いはするけれど、私にはやっぱり許せない。
ヒロト君の初めては全て、私がもらうのに、あなたって人は……」
優雅な和風のお嬢様というイメージが崩れているが、これがあやめ先輩の本性なのか?
☆
近頃は来ていなかった場所。
本当にいつ以来だろうか?
耳を澄ませば、さざ波の音が聞こえ、風が心地良いぐらい吹き抜けていく。
潮風の匂いまで懐かしい。
小さな港から見える丘を抜けて、目が回るような坂道を上ると、ぜいぜいと息が上がる。
昔、小さな頃は、ここを自転車で上っていたとは信じがたい。
やっとのことで、頂上にたどり着くと、そこには赤い六角形の屋根の洋風の建物が見えてきた。
その洋館の小さな入り口には、OPENの印となる金色のベルが下がっている。
『やった。営業中だ』
躍る心を抑えながら、入り口の取っ手を握り、ふと入り口とは反対方向に視線を向けた。
雲が空近くに見え、目の前には海原が広がっている。遠くに島影が見えるとは、今日は空気が澄んで綺麗ということだ。
最近はこんなに景色がいい所でも大気汚染の深刻な影響が顕著になって来ている。
ふと思い立って、スマホでこの景色を写してから、あらためてドアの正面に立った。
ログハウスと見まごうばかり、壁や床、天井まで、あらゆる所が木材が使われている。
これが、ここの一番気に入った所であり、店のポリシーだった。
木の匂いがと美味しいコーヒーの味が日頃の疲れを癒してくれるという人伝の評判が、この店の名を名店に位置づけた。
コーヒーの味は保証付なのだが、少ないレパートリーのスイーツも絶品ということを常連以外はあまり知らない。
とはいえ店というのは、名ばかりで、小さな喫茶店の外観は見るからに洋風の一軒家にしか見えず、このため隠れた名店と言われている。
しかも、お客さんが増えてからは一見さんは御断りとなっているから、お客になるなら誰かの紹介が必要となっている。つまり、ヒロトの行きつけだった店であっても、琴美の姿では一見とみなされる。
さて、どう説明したらいいだろうか?
まあ、出たとこ勝負しかないか。
重いドアを引くと、チリーンという鐘の音がする。その鐘の音と共に中に入ると、想定外な事に誰もお客さんがいない。
休み……じゃないよな。営業中だから鐘がぶら下がっていたんだし。
ドアの中に入ったまま、突っ立っていると、カウンターの奥から声がした。
「いらっしゃい」
「こんにちは」
女子になってからは、挨拶をなぜか反射的に答えてしまうから、不思議なものだ。
カウンターの中からは初老の婦人が値踏みをするように僕を見る。
懐かしい顔だが、いつもの朗らかな笑顔は無い。
「あなた、ここは初めてでしょう」
鋭い言葉は容赦無い。ここのマスターはかなりの曲者だから、嫌われると二度と来れない。
細心の注意を払って、受け答えしないとお目当てのコーヒーを飲めずに帰される羽目になってしまう。
「ある人からこのお店のことを聞いていました。今日は近くまで来ましたので、寄らせていただきました」
緊張でいつしか頭からつま先までピンっとなっている。まるで軍隊の整列みたいだ。
胸を張り、顔は真っ直ぐに婦人に向ける。
「誰から聞いたのさ?」
「ヒロトさんからです。ヒロトさんは、自分の名前を伝えると、大丈夫と言われてました」
ぴくりと反応してくれた。
それはそうだろう。
甥っ子の名前が出れば、僕のことをただの一見扱いはしないはずだ。
「あなたは、ヒロトの何なの?」
「ただのクラスメートです」
「そう、ならお座りなさい」
声がしたのは、奥の席からだったが、その声音からはどうも歓迎されてないことがありありだった。




