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とある国の留学日記

作者: 浮遊肋骨

このお話を2000年の直前という時代設定にした理由は、この時代が最もそのとある国が生き生きしていた時代だからと思うからです。

その後、大きな経済発展があり、古い街並みは取り壊されてしまったと風の噂に聞いています。

同じ道を同じように自転車で走ってももうあの時と同じ景色は見れないのです。

あの時代、確かにそこにあった、今はもう体験できない風景をお楽しみ頂ければと思い、このお話を書いてみました。

何しろ古い記憶ですので細部でズレはあるかと思いますが、読んでみてココは違うよという部分が御座いましたら遠慮なくご指摘の程お願い致します。

 序文


  とある国、一応は西洋では無いアジア圏のどこかとだけ記しておきたい。

  名前を伏せたのは、現在は環境と政情の悪化によって渡航、滞在する事が困難な状態にある国だからだ。

  もしこのお話を見てこれから行きたいと思った方がいるならそれは止めておきたい。

  時代は2000年に入る直前辺り。

 この物語で語られる様々なエピソードは、この時代だからこそ体験する事が出来た、 奇跡的に幸運な話なのだという事を始めに記しておく。

  僕はこの時18歳。

  未だ社会を経験していない未熟者だったが、だからこそ全てを見たままで感じる事が出来る素直さもまだ持っていた年齢だった。



  高校在学中に散々進路に悩んだものの結局決まらず、というかいわゆる「何をしたいのか分からない状態」だった僕は、大学受験もせずに取り敢えずのバイトをしていた。

 運送屋の貨物の仕分けを手伝う仕事で、時給がかなり良かったが出勤時間が深夜から朝方にかけてだった。

 生活時間が元々乱れがちなこの年齢の自分にとっては出勤時間そのものは大した問題ではなかったが、その時間に倉庫のバイトに入っている同年代はほとんどいない。30~40代の大人の人間関係に割って入る事に慣れるまで少しの時間を要した。

  家を出て一人暮らしをするわけでもなく、実家からバイト先まで往復するだけ。

  3回の食事がついた何とも豪華な生活。

  後から考えても、あの頃は夢のような気楽な時間だったと思う。

  1ヶ月ぐらいたったある時、バイト先の、30代後半ぐらいの先輩がジックリ真剣に僕が何をしたいのかと話を聞いてくれた。

  仕事のやり方だけでは無く、ちょっとした手品や人付き合いの方法まで色々な事を僕に教えてくれた貴重な大人だった。

  現在就いている仕事だけでは貯金が出来ないので、仕事に出る前の早朝の時間だけそのバイトをしているのだと以前聞いた事があった。

  この時の僕は気付いていなかったけれど、あの人と同じぐらいの年齢になった現在、何故先輩が当時の僕に親身になってくれたのか、少しわかる気がする。

  それはそうだ。明日をも知れない若者がただ何となくでバイトをしているなら、何か一言言いたくもなるだろう。

「留学してみたい。」

  何をしたいか必死に考えてやっと出てきた答え。

  社会に出るまでもうしばらく時間稼ぎをしたい、という動機もあったかもしれないけれど、自分の中の何かを変えたいと思う僕が、漠然とでも真剣に思いついた言葉がそれだった。

「頑張れよ」

 とだけ言ってくれた先輩は、今考えてもやはりステキな人間だったと思う。


  そうと決まれば僕の行動は早かった。

 先ずは留学先を決めて、渡航費用と学費を算出。親に資金の相談をする。

 この時代、まだスマートフォンなどは無かったが、インターネットは有る。渡航先さえ分かっていればパソコンで調べるのは簡単だった。

 次に渡航に必要なパスポートやビザ、航空チケットなどを揃える。

 そして、最低限生活に必要な会話の力を身につける為に東京代々木の近くにあった語学スクールの短期集中講座を探して少しの間だけれど、通っておいた。

 バイトを辞める直前、先輩は仕事先のあちらの国出身の人に僕を合わせてくれて、向こうの習慣や外国人が気をつけるべき点などを知る機会を設けてくれた。



 一、初日


 話は飛んで、渡航の初日。 

 成田空港での話は飛ばして、場面は現地の空港に到着したところからスタートする。

 入国チェックを済ませ、スーツケースを受け取って出て来たそのロビーは、成田空港のような沢山の照明こそ無かったが、広くて無駄の無い作りをしていた。

 行きの便に乗っていたのはやはり日本人が多かったが、空港には東南アジア系やインド系の外国人の姿も多く見られた。

 ここからは自分こそが外国人なんだ、と僕は改めて認識した。

  言語は日本にいる間に語学スクールの短期講座を受けて来たので、ギリギリ何とかなるはず。

 渡航に際しての注意事項も色々聞いてある。

  問題はスリだ。

  某地球を歩くあの雑誌には、散々脅し文句が書かれていた。指輪をしてたら指ごと切られて持って行かれた、なんて怖い話まで聞いていたので、僕の恐怖感は尋常では無かった。

  オシャレさなんて構っていられない。

  釣り人が着るようなポケットのたくさん付いたジャケットを羽織り、財布やパスポートは全て内側に収納した上で、更に別のジャケットを上から着る、という徹底ぶり。

 9月の入学に合わせて行ったので時期は8月。汗だくになっても、財布をすられるよりはマシだ。

 余談だが、留学中ずっとこの様な警戒をしていたにも関わらず一度スリの被害には合っているので、この時の僕の用心は決して大袈裟なものでは無かった。

  空港のロビーに出て、まず第一の関門が両替。右側に行った端の壁の所に簡易両替所が設置してある。

  もし、財布を出すのに手間取ってスーツケースから注意がそれたら、あっという間に持って行かれてしまうかもしれない。

  どうしようか迷って周囲を見回していると、同じようにキョロキョロしている女性がいる。

  僕より3〜4歳歳上だろう。 どうやら日本人、それも同じ留学生に違いない。

  8月も末のこの時期に、ツアーに参加しないで一人でこの国にやって来る女性の観光客は、そんなにはいないはずだと思った。

  僕は意を決して、話しかけてみる事にした。

「あのー、日本の人ですか?」

  何とも変な質問だとは思う。

「両替一緒にお願いしたいんですが。」

  恥ずかしい、などと考えている余裕はない。

  留学初日にスーツケースを紛失するような事態になっては堪らないのだ。

  僕が話しかけた内容を聞いて理解してくれたのか、たまたま目的が一緒だったからなのか、快くその女性は了承してくれた。

  つまり、片方が両替をしている間、もう片方が荷物の監視役になる、という協力作戦をとる事にしたのだ。

  これで第一の関門は何とかクリア。

  さて、次の関門だ。

  タクシーに乗って目的の大学まで行く。入学手続きをする為に。

  ここで、僕は万が一の幸運を期待して、もう一度その女性に尋ねてみる事にした。

「僕はこれからタクシーに乗って学園通りまで行くつもりですが、どちらへ行く予定ですか?」

  あわよくば、同じ方面なら一緒に乗って行こうと考えたのだ。初めて訪れる国で、いきなり一人でタクシーに乗るのは流石に心細い。

  それは、向こうも同じだったのだろう。

  またもや幸運にも、女性の行き先は僕と同じ学園通りだった。ただ学区は同じでも別の大学ではあったけれど。大学に近い辺りまで一緒にタクシーで行く事で了解が取れた。

  この国には、黄色いタクシーと赤いタクシーがあって、赤いタクシーの方が若干値段は高いものの車の等級が高くて安全だという最低限の予備知識があったので、僕達は赤いタクシーに乗る事にした。


  ここで、簡単に留学先の街と僕の大学が所属する学区について記載しておきたい。

  留学した先はこの国の首都で、国全体の地図から見ると比較的北側に寄っている。

  街の区画割りは日本史の教科書で見た平安京の、碁盤の目のようなつくりに少し似ていて、中央にこの国の政府中枢機関を配置し、周りに機能ごとに区画を分けている。

  僕が留学する大学がある外国人向けの学区は、この都市の北側に配置されていた。語学大学、医学大学、理工科大学など学科別に様々な大学がこの地区に集中している。

  留学生の内わけでは日本人は比較的多い方だった。

  この時代、海外進出などが叫ばれ始めた直後でもあり、経済的に伸び始めたばかりのこの国が投資するに足るものかどうか、日本の企業も状況を見極める為に人材を何人も送り込んでいた時期だった。

 欧米からの留学生も多かったけれど、世界全体からすればまだそこまで人気留学先に選ばれる程の知名度は無かった。


  学園通りで女性と別れ、目的地の語学大学の敷地に降り立った。タクシーが停まったのはこの大学の北の外門前だった。

 向かって右側に小さなレストランやバーが壁に沿って所狭しと並んでいる。

 左には大きな壁が並ぶその前に、雑貨屋や食材屋の露店が並ぶ。

 学問の府である大学の周辺と言うよりは、東京で言う浅草寺の門周辺の雰囲気に似ていた。

 門の中にもタバコ屋や自転車修理屋、弁当屋などの露店が並び、雑貨屋や洋裁店なども見受けられる。

 外国人留学生が集まる場所と聞いている。やはりこの辺りで店を開く事は、商売をするのに良い立地条件なのだろう。

 北の外門を入り、しばらくまっすぐ行くと右側に内門があった。

 そこからは既に大学の敷地である。

 目的の場所はそこから更に10分程真っ直ぐ歩いた先の本科生用の棟にあった。

 先ずは最初の部屋の受付で、自分が日本から連絡を入れて留学を申し込んだ者である事を告げる。

 受け付けの若い女性は、この手順書に従って入学手続きをして行くように、と流暢な日本語で僕に伝えてくれた。

 煩雑な手続きを終えるのに、2時間は要しただろう。

 全ての入学手続きを済ませた僕は、滞在先の宿を探す事にした。大学の敷地内にも留学生向けの寮はあったが、あいにくそこは既に一杯だった。

  そこで大学の、先程受付を担当してくれた女性に頼み込んで取り敢えずの宿を紹介してもらう事にした。

 迂闊なところに滞在して、ボッタクリや犯罪に巻き込まれては堪らないと思ったからだ。

 日本語が出来る相談相手がいるという事もこの時はかなり心強かった。

 手馴れたもので、彼女はすぐに机の中から資料を取り出して渡してくれた。

 空室の確認は既に電話でしてあると言うから、同じ様に聞いてくる学生が多いのだろう。

  紹介された宿は大学から10分ほど歩いた先にあった。この国の言葉で「平和ホテル」のような意味になる名前の付いたその宿は、ホテルとは名ばかりの学生寮だった。

 日本の大学にある学生寮の方がまだ高級感があると思う。取り柄と言えば宿泊費用が安い事ぐらいだろう。

 古めかしいその建物と、門の左右に続く森林に囲まれた土の歩道は、暗くなってから見ればホラー映画に登場しそうな圧迫感があった。

  ただ、そのチープな雰囲気が好きか嫌いかで言えばどちらかというと好きだ。変に煌びやかな場所にいるより安心する。

 それは、この国の全般にも言える事だったが。


  案内された部屋は相部屋で、ベッドと机が二つずつの狭くて殺風景なところだった。

 小さなロッカーが2つとテレビが一台あり、それ以上はもう何も置けなそうだった。

 1人用の部屋も空いてはいたが、値段が倍ぐらい高い。

 別に1人でなければ寝られないほどナイーブでも無いし、正直共同生活者がいるならそれはそれで安心材料としては良いかもしれない。

 用心のし過ぎかも知れないが、万が一強盗などに入られた時でも2人いるならまだ何とかなりそうだとその時は思った。

 その条件で半額になるなら相部屋の方が良いと判断したのだ。

  今のところ相部屋の相手はまだ決まっておらず、新たに留学生がやって来るのを待つとのことだった。

  荷物を降ろして取り敢えず一息ついた僕は、機内食で出た軽食以外に今日は何も食べていない事に気付いた。

  外へ出てみよう。

  僕は移動の時を除けば初めて、この国の街中を歩く事にした。外は薄闇がさし始める時刻だったので、若干の不安はあったけれど準備を万端にして臨む事にした。

  ナップザックに真っ先に入れた物はトイレットペーパー。まだ空港以外ではこの国のトイレには行っていないので体験はしていないが、街中のトイレには紙が設置していないのだそうだ。

  次にミネラルウォーター。今現在は知らないが、この当時に日本ほど沢山の自販機を置いている国は無い。お店で出される飲料が安全とも限らない。いつでも補給出来る水分を持ち歩くのは常識だ、と例の地球を歩く雑誌に書いてあった。

 そして、まず使う事は無いとは思うが、一応何かあった時に武器になりそうな物、スーツケースの中にしまってあったスイスの国旗マークが付いた十得ナイフも入れておいた。

 空港で荷物を預ける際にちゃんと申告しておけば、この程度の刃物は生活必需品として持ち出す事は可能だった。

  ジャケットの内ポケットにこの国の通貨だけを入れた財布をしまえば完了だ。少々不安ではあるけれど、パスポートはスーツケースの中にしまって置いていく事にした。

  ホテルの部屋にはトイレが無かった為、出がけに共同トイレに行ってみた。そこで僕はこれまでの短かい人生では体験したことの無い衝撃に出会う事になる。

「扉が無い...」

 壊れているとか、改装中とかそういうものではない。初めから、扉を取り付けた跡すらないのだ。

  田舎の方へ行けば衝立だけの野晒しトイレがある、という事は事前に聞いてはいたが、まさか首都の、一応は外国人向けに作られたホテルでこの状態とは思っていなかった。

 ここで立ちすくんでいても仕方が無い。今なら人の気配もしないし、いづれは慣れなければ生活して行けないのだ。僕は自分に言い聞かせながら和式の便器に腰を降ろした。

 案外しゃがんでいれば前は隠せるので、立ちあがって拭く時だけ素早く動けば問題は無いように思えた。

  しかし、人の気配がしないと思った時に限って人は来るものなのかも知れない。いきなり足音が聞こえたかと思うと、現地人と見られる中年の男が入って来て、僕の前を往復した。

 男はこちらに一瞥をくれると、何事も無かったかのように隣の空いている便器に座った。

  僕は内心赤面しながらではあったがサッと用を済ますと、逃げるようにトイレを後にした。


  街、と言っても都心から離れた郊外なので、街灯も店もそれほど多くは無い。

 コンビニなどという便利なものも、この時代にはまだごく限られた一部の場所にしか無い。

 不慣れな人間が一人歩きするには少々危険な暗さだと思った。

 取り敢えず食べられれば何でもいいので、灯りのついた場所に入りたかった。

  幸いまだこの時間でも開いている料理屋を見つけることができた。ホテルからは土の歩道を歩いて北上して5分ほどの距離。この時間客は僕1人のようだ。

  メニュー表の写真の中から無難に食べられそうな汁無しの麺料理を選ぶと、カタコトの現地語で店員さんに指で指し示しながら伝えた。食前にお茶が出されたが、濃い茶色をしたその液体を飲んでみると、もの凄く強い香りのついたジャスミン茶だった。日本のコンビニや中華料理屋ではまず味わったことの無い濃さだったが、疲れていたからか非常に美味しく感じられた。

  運ばれてきた料理は、うどんとラーメンの中間ぐらいの太麺の上に、挽肉と細かく刻んだ野菜を炒めて作られた焦げ茶色のソースが乗っていた。

  この国風のミートソースパスタと言えなくもない。

  濃い味付けの油っこいソースを麺によく絡めて食べてみると、意外にも調和が取れてサッパリした味になって美味しかった。

  毎日だと流石に胃がもたれると思うが、たまに食べてみたくなるような味だった。

  現在の日本にあるもので例えるなら、油そばのイメージが近いかもしれない。

  夕食を食べ終わったこの時間なら、スーパーを探して当面の生活物資を買っておく方がいいとは思ったが、これ以上知らない場所を夜間にうろつきたくは無かったので、翌日動く事にしてホテルに戻った。



 二、2日目


  翌日。

  やる事は多いが、まず真っ先に確認しなければならないのは日本の銀行カードが使えるかどうかだ。これが使えなければ留学生活いきなり無一文である。

  昨日の夜と同じ、ナップザックを持った装備でホテルを出ると、大学の構内にある外国人向けのATMに向かった。

  この街で日本円を引き出すには、ここを使うか、直接銀行に行くしかない。

  持って来た三井住友のカードは拍子抜けするほどあっさりと、日本にいる時と何ら変わる事無く使用する事ができた。

  補給が確認出来れば、目下の不安はひとまず解消である。

  次にやるべき事は移動手段の確保だった。長く生活する事になるこの地で、ずっとタクシー&徒歩だけで動き続ける訳には行かない。

  取り敢えずは自転車が必要だと僕は考えた。

  留学生用の学区と言っても当然全ての敷地がそうでは無く、住宅街も混雑している。住宅街が近ければ、規模は一定ではないものの商店街があるものだ。

  そして、この学園通りの近くにも小規模な商店街があった。

  商店街と呼ぶには統一性の無いバラバラな建物が並んでおり、露店や屋台、掘っ建て小屋の様な店も同居している異様な光景。しかし、5番街と呼ばれるそこには何故か不思議とワクワクして来るような活気があった。

 この国の空気は汚い。空港に降り立ってからずっと青空を見る事が無く、曇ったどんよりとした空が続いていたが、そんな中でも生活している現地の人は元気だった。

  人が集まる商店街の中にならきっと自転車屋があるだろうと思ってこの5番街まで歩いて来た僕は、その活気にあてられて少しハイになっていた。

  まず入口付近で売られていた串焼きに惹かれ、羊肉と豚肉の串を一本ずつ買って立食い。

  米の籾殻に似た形状の、独特な香辛料をまぶしてあって少々クセはあったが、羊肉特有の臭みはあまり無く、むしろ豚肉より柔らかくて美味しく感じられた。

 この味は結構病みつきになり、串そのものに衛生的な問題はあったかも知れないが、留学中に何度か食していた。

  こうなると欲しくなるのはビール。しかし、この国は冷えた物は体に良くないという考え方が根付いている為に、冷蔵庫で飲料を冷やすという習慣が元々無い。

  つめたく冷えたビールなど余程の高級料理店でも無ければ出てくるものでは無かったが、そもそも生意気にも18歳という未成年の僕にそんな事が気になるはずも無い。ビールの味がわかって飲んでいるのでは無く、雰囲気に飲まれてほんのり酔っ払うのが好きなだけなのだ。

  近くの商店の棚に積まれた現地ビールの缶を買うと、そのまま店先で立ち飲みした。行儀などというものを気にする必要も無いこの国は、この時の僕には天国のように感じられた。

  歩き回りながら自転車屋を探すのも億劫なので、思い切って今ビールを買った商店のおばちゃんにカタコトの現地語で聞いてみる事にした。

「この5番街をぐるっと回った反対側にあるよ。」

 と丁寧に教えてくれた。この地域には留学に来る外国人が多いせいか、地元の人も対応に慣れているようだった。

 僕は、この商店街の他の店も見て回りながら教えられた自転車屋の場所に向かった。

 道の左右には、布屋や本屋、小物屋など便利そうな店が並んでいる。目的の場所に行くついでに、鉛筆やノート、目覚まし時計など昨日の夜に買わなければと思って諦めていた物を幾つか購入した。

 この商店街の中にもトイレが一箇所あったが、入り口に服務員さんが居て僅かな代金を徴収する有料トイレだった。

 平和ホテルのものよりも更に先鋭的で、溝の上に一列に並んで跨いで座りながら用を足す形式だった。

 一応は一人ずつ仕切り板で区切られてはいたが、横から見れば中々強烈な図である。

 しかし、早くも僕の脳は少しずつこの状況に慣れて来ていた。

 郷に入り手は郷に従えとはいうが、周りがみんなそうやっていれば疑問に思う力が衰退していくのは案外早いものらしい。

 自転車屋は更に真っ直ぐ行った先の角にあった。見た限りでは、日本にある物とそれ程変わらない、しっかりした商品が並んでいるように見える。

  どれを買うかしばし迷った末に購入したのは、丁度いい大きさの青いマウンテンバイクだった。

 値段は日本円にして3000円ほどだったが、これは現地の人の感覚からすれば相当な高級品であったろう。念のため、盗まれないようにチェーンも追加で購入する事にした。

  これがあればこの街をもっと広い範囲で見て回ることができる。これより更に遠い場所へ行くにはバスや電車を使う事になるが、それはこの街の地図を手に入れて、更に同行してくれる仲間を集めてからの話だ。

  僕は買ったばかりの自転車に跨ると、意気揚々と思いっきり遠回りをしながら景色を見て回りつつホテルに戻った。


  昼過ぎ、平和ホテル入口を入ってすぐのところにある小さな食堂が開いていたので、部屋に戻る前に食事をとる事にした。昨日は到着した時間が割と遅めだったせいか、この食堂は開いていなかった。

  日本円にして50円ほどの、インスタントラーメンに玉子を乗っけただけの簡単な料理を注文した。朝方食べた串焼きがもたれたのか、食欲があまり湧かなかったのだ。

  美味しいものでは決してない。日本にいる時は例え10円でも注文しない品物だったが、今のように体調が万全では無い時には割と重宝した。

  部屋に戻って買って来た物を整理していると、ドアをノックする音がした。急いで出てみると、ホテルの服務員の女性が立っていて、隣に僕と同じぐらいの年齢の若い男と、その母親らしい中年の女性が並んでいた。

  「こちらの人が相部屋を希望しています。あなたと同じ日本人ですよ。」

 というような意味の言葉を服務員さんが現地語で教えてくれた。僕は案内してくれた事に礼を言うと、隣の男性に「宜しくお願いします。」と会釈して部屋に招いた。母親らしき女性にも同様に挨拶する。

  男性は和田と名乗った。年齢は22歳で、大学卒業の後何らかの技能を習得するつもりで、この国に留学する事にしたのだという。背格好は170センチ丁度ぐらいの僕よりやや高いぐらいだったが、かなり痩せていて、その上猫背なのでぱっと見の印象は寧ろ僕より小さく見えた。全体のイメージは大槻ケンジを相当細くした感じの印象だ。

  入学手続きがまだ済んでいないようで、和田君はひとまず荷物を置くと母親と一緒に出かけて行った。

  留学生という以上は当然勉強する事が本分である。 この国で他に何かを身につけるにしても、まずは最低限の語学が無ければ何も始まらない。大学で渡されたスケジュール表によれば、明後日にクラス分けのテストがあるらしい。僕はこの日の午後の時間を丸ごと語学の学習に充てる事にした。

 どんな語学でも先ずは単語を2000語以上覚える事が最低限の会話をする為に必要になってくると聞いたことがある。

 教科書の配布などはまだだったので、僕は日本から持って来た語学スクールの参考書を引っ張り出して予習を進めておいた。

 

  夕方近くになって和田君が戻って来た。知らない女性を1人連れている。先程の母親らしき人はいないようなので、どうやら入学手続きが終わってから別れたらしい。

  その女性は、

「こんにちわー、はじめましてー。」

 と軽く挨拶すると、部屋に入って来て机に備えられた椅子の一つに腰掛けた。身長はそれ程高くはなく、顔立ちも幼く見えるが、言動はキビキビしているので実年齢は推し量れない。

 何処となくすばしっこく動くリス系の小動物を連想させた。

「どなた?」

「ああ、河村さんといって、入学手続きの時に一緒に並んでた人だよ。分かりにくいからお互いに情報交換してたんだ。宿泊場所が同じ平和ホテルらしいから連れて来た。」

  なるほど。女性1人の留学だと何かと不安もあるだろうし、日本人同士の相部屋なら知り合いになっておこうと思ったのだろう。

「河村ですー。ヨロシクー。」

 微妙に関西弁っぽいイントネーションがあるが、方言に詳しくはないのでどこの言葉かまではわからなかった。

「手続きは終了?」

「終わった。でも通貨の手持ちが少ないから両替しに行きたい。」

 和田君の言葉に、河村さんも賛同する。

「大学の北側に両替屋があるらしいよ。後で行こう。」

  河村さんはひとまず部屋に戻って荷物の整理をして、1時間後にホテルのロビーに3人で集合して出掛ける事にした。

  実はこの国では街中に公然と、闇換金業者がご丁寧に看板まで掲げて店を構えているらしい。レートは銀行の1.5倍ぐらい割がいいとの事。どういう仕組みでそんな業務が成り立つのかはわからないが、そんなに割がいいなら利用しない手はない。


  2人はまだ自転車を買っていないので、僕も合わせて徒歩で行く事にした。

「こっちの方が近道だよ。」

 と和田君が案内してくれたのは、昼間5番街に行ったのとは逆のルートだった。昨日と今日の昼間は大学の外縁に沿って移動していたが、実は西側の外門の敷地内を直進するルートもあって、外門に関しては特に門が閉まる時間などは決められていないとの事だった。

 外門を入った中は現地人の生活区域になっているようで、中規模のアパートの他に床屋やクリーニング屋がある。

 何故か並んでいるバイク屋に置いてある商品にレッドバロンのマークが付いているのは謎だった。

 直進して抜けた先は、一番最初にタクシーで降りた北の外門だった。そこから左折して行った先のレストランの間に、目的の店があった。

 大通りに面したこんな場所に堂々と闇両替屋が店を構えているのは衝撃だった。

  両替屋での換金額が想像以上に大きかったので、僕達は気持ちが大きくなっていた。豪華な食事をしに行こう、という意見で一致していた。

  平和ホテルから南に10分ほど歩いた場所に焼肉屋があったので、今日の夕食は決まった。

  徒歩で再び同じ道を戻ったが、車通りの多い外縁の道に比べるとこちらは舗装されているところと土のところが点在していた。

  日本の、割と都心に近い辺りに住んでいた僕には、舗装されていない土の道は少し新鮮に感じられた。歩く時の衝撃がアスファルトよりも少ないからか、心なしか疲れにくい気がする。

  3人共この国に到着したばかりの初心者である。焼肉屋のメニューを見て、どれがどんな料理なのか、あるいは何の肉なのか全て判断するのは難しい。

  写真があるものは写真を指し示し、それ以外は読める部分から何となく判断しながら何品か注文してみた。

  燻製卵、きゅうりの漬物、卵とトマトの炒め物、豚肉と野菜の炒め物など次々と見慣れない前菜が運ばれてきて、少し遅れてメインの肉が来た。

  もの凄く大雑把に牛肉、豚肉、羊肉、と連続で出て来たが、どれがどの部位なのかまではわからない。

  メニュー表を読めるようになればわかる事なのだが、今は読めないのだから仕方がない。焼いて食べれば一緒だ、とばかりに気にしないで全部食べてみる事にした。

 羊肉について少し説明しておくと、日本ではジンギスカンなどを食べに行かなければあまり馴染みの無い食材だと思うが、この国では割とどこでも食べられるポピュラーな肉の一つだった。

 宗教的に牛や豚が食べられない国などにおいては羊の方が主流なところもあるそうだ。

 臭みが強いという意見を聞いた事があったが、ちゃんと香辛料で下味を付けていたのだろう。あまり気になった事は無かった。

 寧ろ非常に柔らかく、他の肉よりもお気に入りになっていた。

  肉の旨いまずいなどを気にする年齢でも無かったが、この時は全ての肉が美味しく感じられた。

  色々美味しい味を知った今の僕がこの時の料理を見れば何か文句を言いたくなるのだろうが、この時代の僕から見れば余計な知識が増えた今の僕こそが不幸だと思っただろう。

  信じられないような低価格でこれだけのボリュームを食べられるのだから、文句などあろうはずも無い。

  食べ盛り10代の僕にとって、紛れもなくそこは天国だった。



 三、学生生活開始


  クラス分けのテストが終わり、教科書が配られると授業開始の10日後まで少しの猶予が出来る。勉強道具を買い揃えたり予習をしたりと学習を始める準備をする為の期間だったが、参考書やその他勉強に必要な物は既に5番街の本屋や雑貨店で買ってあった。

 丸ごと予習に費やすには少々長すぎる日数だった。

  僕は和田君を誘ってインターネットの申し込みをしに、学園通りの西に位置する電気街に行く事にした。

  河村さんは新たなクラスメイトとの付き合いがあるようで、最近は昼間出掛けている事が多かったので今回は同行していない。

  僕も和田君も日本からノートPCを持って来てはいたが、ネットへの繋げ方が分からずに使用出来ないでいた。たまたま知り合った、同じホテルに住む先輩留学生の田辺さんという男性が、詳しいやり方とどこへ行けばいいのか教えてくれたので行ってみる事にしたのだ。

 左右に柳が植えられている通りを抜けて幾つかの大学の敷地を通り過ぎ、古いアパートなどが並ぶ住宅地を過ぎると急に景色が一変する。

 街全体の広大な面積が家電製品屋やPCショップ、それらの修理屋や部品屋、電気工事関連会社などで占められている特殊な地区だった。

 電気街は、日本の東京で言うところの秋葉原の様な場所と言えた。

  その中の一角にインターネットの接続を専門に扱っているショップがある。田辺さんが教えてくれたのはここの事だった。

  中は現在で言う携帯のショップよりもはるかに簡素な作りになっていて、とてもここでネットを繋ぐような複雑な業務をやっている様には見えなかった。

  手続きは意外と簡単だった。中に居た作業着を着た男性に代金を渡して、その場で接続の為のIDが書かれた紙を貰うだけ。

  なんと印字では無く手書きの紙だったというオチはあったが、取り敢えずはこれでホテルに戻ればネットが出来る。出発してから数日過ぎた日本のニュースを早く見たいと思った。

  他にも、大きな声では言えないが海賊版の違法コピーソフトを扱っている店があったので、立ち寄ったりしていたら昼をだいぶ大きく過ぎてしまった。

  近くにマクドナルドがあったので、遅い昼食を食べてから帰る事にした。日本でもおなじみのあの赤い看板に、この国の言葉で店名が書いてある。味も一緒なのか不安だったが、無難なチーズバーガーセットにしたからか、それ程大きな違いは感じなかった。コーラがかなり水で薄められた味だった以外は。

  この地区に自転車で来るには少々遠いと思ったので、この日は黄色いタクシーに乗って来ていた。例の2種類ある内の安い方のタクシーだった。別名パンタクシー。

  何でそんな名前が付いているのかは分からないが、噂に違わず、いや、噂以上の酷い乗り心地だった。常にガタガタと不安な振動が付きまとい、走行しているのが不思議なほどエンジンの出力が不安定だった。

  帰りもコレに乗るのかと思うと憂鬱な気分になる。

  黄色はやめて素直に赤いタクシーに乗る事にした。日本円に換算すれば僅か数十円の違いだけで、そこまで命を危険に晒したくは無い。

  余談だが、この「日本円に換算すれば」という考え方は留学生活が長くなって行くと次第に薄れて行く。数ヶ月もすれば現地の金銭感覚がすっかり身に付いてしまうので、帰国した時に凄いギャップを楽しめる。

  これから留学するという人は是非確認してみて欲しい。


  授業が始まると俄かに忙しくなった。

  5番街で購入した目覚まし時計がちゃんと鳴ってくれる事を毎晩確認して、夜更かし気味の生活の中でも遅刻せずに通学出来るように努めた。

  同じクラスには日本人、アメリカ人、ドイツ人、インドネシアやベトナム、ケニアや中東など様々な国の留学生がいた。年齢もバラバラである。

  留学生活の醍醐味の一つとして、覚えたての現地語でこれらの国の人達と最低限の意思疎通が出来るという事が挙げられる。

  海外のニュースを翻訳したサイトなどこの時代にはそこまで多くないのもあり、見ず知らずの国の実生活を生の声で聴けるというのはかなり新鮮だった。

 授業終わりには良く他の留学生と食事に行ったりしたが、特にインドネシア人の女の子はフレンドリーで、たまに数人の友人と一緒にショッピングに誘ってくれた。

  授業は簡単な現地語と英語を交えながら行われる。英語の成績がそれ程芳しく無かった僕には少々キツかったが、ホテルに帰ってからの復習を多めにする事で何とかついていく事が出来た。

  どうしても分からない所があれば、同じクラスの日本人に教わった。かなり歳上の人で、企業の海外研修として留学に来たとの事だった。英語が解る分、僕よりも深い部分まで授業を理解出来ていたのだ。

 後日和田君や河村さんにも紹介して知り合いになっており、僕と同じ様に時々アドバイスを貰ったりしていたようだ。

  昼時にかなり長い休み時間が設けられていたので、食事は大学内に2箇所ある食堂で食べるか、大学の北側内門付近で展開している弁当屋で購入する事が多かった。

  弁当屋はご飯を入れたパックに、並べられた幾つかのトレーから好きなおかずを選んで自分で詰めて行き、最後に会計するスタイルだった。

  暖かい日なら外の階段などに腰掛けて食べたが、寒い日や風が強い日にはホテルまで戻らなければゆっくり座れる場所は無かった。

 昼食の話が出たのでついでだが、他に当時の僕が良く利用した外食のお店を幾つか紹介しておきたい。

 5番街の中には、小麦粉の塊を削って鍋に放り込みながら作るホウトウの様な麺料理の屋台がある。

 日本円にして10円もしない値段で食べられたが、何しろこの国の屋台である。使用済みの割り箸を洗って卓上に置いてあり、うっかりそれを使ってしまってお腹を下した事もあった。

 自分の箸と歯ブラシをセットで持ち歩くのはこの国の留学生の鉄則だった。

 平和ホテルを大学方面では無く、対面の方向に進むとそこは現地人の居住区になっており、現地の人が行く料理屋が並んでいる。

 その内の一軒が水餃子屋で、皮が厚くて中はしっかり肉汁が染みていて、卓上の黒酢で食べると非常に美味しかった。

 馴染みのないハーブの薬味が上に乗っていて初めのうちは苦手だったが、慣れて来るとその味が無いと物足りなくなって来るから不思議だった。

 大学の北門を出てぐるっと周った所には外国資本のサンドイッチ屋があり、基本のパンに注文した具をトッピングして行くスタイルだった。

 メインの肉か魚を一種類と、他に野菜や果物を混ぜて行き、最後に味付けを決める。

 外資系なので少し値段は高かったが、現地の人が行くお店よりも比較的衛生的であり、たまにこうした軽食で済ませたい時には重宝した。

 大学の南門を出た先の所に韓国料理屋があり、ここもたまに利用した。

 ビビンバや鍋料理などの良く火を通した食べ物は、比較的安全なので美味しく食べる事が出来たが、留学生の間では一つだけ絶対に食べない方が良いとされている韓国料理がある。

 それは冷麺だった。食材そのものの問題と言うよりは、冷たい水に浸けられて出て来るので、その水が煮沸したものなのか、更にはそれを冷やす為に使われている氷が衛生的に作られた物なのかどうか、見た目からは判断出来なかった、というのがその理由だった。

 なので同様の理由で、和食屋の冷やし素麺なども外食で食べるのは控えるようにしていた。

 この国に限らず水に関しては、他国の物は基本的に消化出来ずにお腹を下すので、海外では煮沸してから飲むかミネラルウォーターを買うのが常識だった。

 余談だが、この国の露店でも良くミネラルウォーターは売られていたが、それは購入してはいけないもののリストに含まれていた。

 必ず大きめのスーパーや免税店などで買う事、とあの本にも記載されている。

 理由は、現地の商売人のモラルの問題で、空いたペットボトルの蓋を凍らせる事でプラスチックを損傷する事なく外し、中に水道水を詰めて販売しているケースが多いからだった。


  このお話の全体で食事の話が多いとは思うが、実際にこの国にやってきてからというもの、僕は食べてばかりいた。

  最初の数日はお腹がさすがに耐え切れなかったようで酷い下痢に悩んだが、2週間もする頃には大抵の食べ物には耐性がついて来て食あたりはしなくなっていた。

  それよりも深刻なのは肥満だった。高カロリーのものを毎日好き放題食べていたのだから当然太る。

  健康面でいえば現在の僕ほどコレステロール値を気にする必要も無かったが、さすがにこの年齢で見た目的に太くなりたくは無かった。

  大学の敷地内を探すと、一回僅か10円ほどで利用できるジムがあったので、僕は雨の日以外は毎日そこを利用する事にした。

  当然ながら、様々な国の様々な年齢の人がそこを利用する。

 日本の小さな市営ジム程度の設備はあったので、同じように体を動かしたい人達に非常に人気がある。

 混んでいる時などは設備が空くまでしばらく外で待たされる事もあった。

  利用者の中に1人、これぞマッチョという程の恐るべき鍛え方をした西洋人の「老人」がいた。

 見た目はハルク=ホーガンに似ている。

  テレビや雑誌でしか見た事が無い程の凄まじい筋肉量を目の当たりにして、少年心が俄然刺激された。

  僕もあそこまで鍛えれば、少年ジャンプで当時まだ連載中だったドラゴンボールに出て来るあの必殺技が撃てるようになるかもしれない。

  男ならある時期必ず一度は通る、大人になれば忘れてしまう恥ずかしい思い込み。その力は偉大だった。

  後に河村さんが、

「あの時の君は尊敬できた。」

 と語った程、その時から僕は本気で筋力トレーニングにのめり込んで行った。

  留学して1年も経過する頃には、ちょっと無理をすれば200kgのバーベルを持ち上げられる程の筋力が身に付いており、それは後々就職した後にも使える財産になっていた。


  留学初日に割り当てられた部屋は何人かで集まるにはいかにも狭く、和田君の提案で空いているもっと広い部屋に移る事にした。

  幸いホテル1Fの最奥、炊事場の近くに広い角部屋が空いていた。

  最初ホテルのフロントからは倍額払えと言われたが、たまたま通りかかった田辺さん(インターネットの件を教えてくれた日本人男性)が堪能な現地語で一緒に交渉してくれた結果、今までと同じ金額のままで部屋を移れる事になった。

  広くなり、集まりやすくなった以上まずやる事は宴会である。引越し祝いと銘打って何人かで飲み会の準備をした。

  スパム缶にビールやスプライト。レトルトパックの味付け卵とビーフジャーキー。

 西側外門を入ってすぐのところにあったスーパーで色色買い揃える。袋のインスタントラーメンは勿論定番として外せないが、オレオ、スコーン、ポットチップスなども現地の名前で売っている。

  部屋飲みの定番メニューに加えて、近くの市場で買って来た野菜をこれでもか、と詰め込んだカレーも用意した。冬瓜やサツマイモ、ネギやブロッコリーなどのメジャーなものから、カリフラワーのお化けのようなもの、枯葉にしか見えない野菜など、初めて見るものも一緒に取り敢えず煮てみた。どうせ酔うのだから味は分からない。食中毒だって安静にしてればいつかは治る。

  準備が完了した部屋には、先程世話になった田辺さんはわかるが、何故か他に知らない人も何人か集まっていた。

  社交範囲の広い河村さんが飲み会と聞いてあちこちに声をかけまくったのだろう。

 ここで、 新しい顔ぶれを簡単にご紹介しておく。

  まず、先程話に出てきた田辺さんは24歳。大学卒業後にスキルアップの為に留学してきてだいぶ経つという。生活に関する色々な知識があるので、留学初心者の僕達には頼れる存在だった。

  身長は175センチ前後で、現在少年ジャンプで連載しているワンピースに出てくるエースという人物に少し似ている。ソバカスがある所も共通していた。

  住んでいる部屋はこのホテルの2Fにあるらしい。

  改めて河村さんをご紹介しておくと、現在23歳で一度日本で就職はしたものの思うように行かず、もっとキャリアを積む為に退職して思い切って留学して来たのだそうだ。

  その河村さんの入学してからの友達で、金田さんという女性が部屋に来ていた。

  藤原紀香をもっとエキゾチックにした様な顔立ちで、見た目も性格も兎に角明るくて派手だった。河村さんと同じ年齢らしいが、この国に来た来歴は語ってくれなかった。

  この時は知らなかったが実は金田さんの留学生活はかなり長く、田辺さんとは一応付き合っている関係だった。一応と書いたのはお互い自由な性格だからか、1年の中でも何回かくっ付いたり離れたりしているらしかったからだ。

  男女の仲を想像で推し量るには、この時の僕はまだ未熟過ぎだった。

  もう一組別の男女がいた。女性の方は日本人で前田さんといった。全体的に小粒な感じの可愛らしい見た目のひとだった。

  横に座っている男性はアジア系の外国人で、前田さんからはナム君と呼ばれていた。顔も体型も全ての印象が四角い。

  留学生に伝わる語学習得の為の裏技の一つに、現地の人と付き合ってしまえばいいというものがある。一生懸命意思疎通をしようとしている内に自然と上達していくのだそうだ。

  しかし前田さん達の場合はそういう付き合い、という訳では無さそうだった。

  共同洗濯機の前で仕上がりを待っていた前田さんを、河村さんがこの飲み会に誘ったのだという。やはり予想の通りだったようだ。

  飲み会での肴になる話題は、この国に来てからの体験談だった。時折こうやってお互いに情報を持ち寄るのは、外国でスムーズに生活していくのに非常に重要だった。

  美味しかった店や不味い店の情報、店員の態度。買い物は何処でするのが安かったとか、品質やデザインがどうだったかとか。

  それ以外にも、外国人が近寄らない方がいい危険な場所とか、事件や事故の体験談なども聞くことが出来た。

  印象的な話の一つに、この国ではとにかく信号機を守らない車が多く、轢かれそうになったり実際に轢かれたりした話が多くある、というものがあった。

  そんな時に救急車が何処の病院に運ばれたか、治療はどうだったか、という情報は非常に参考になった。

  飲み会は明け方まで続いたらしいが、途中で酔いが回って耳が遠くなって来た僕は、先に毛布を被って寝る事にした。重要な話は和田君と河村さんに覚えておいてもらおう。

  翌朝、毛布の上に何かが乗っかっている重さで目が醒めると、河村さんがマジックペンをこちらに向けて近づけて来る最中だった。

 僕は咄嗟に手首を掴んで犯行を止めた。共同生活の定番中の定番なイタズラ、顔に落書きである。

「そのマジックペン、油性って書いてあるんだけど。」

「残念。朝から随分握力が出るね。」

 シレッと何事も無かったように言い放つこの女のニヤけた顔を見て、絶対にいつか仕返ししてやる。と僕は心に誓った。

 ところが、そのまま急いで学校に行くとクラスメイトがクスクス笑っている。

  仲のいい女の子が言いにくそうに、早くトイレに行くように僕に言ってきた。

  まさか。

  慌ててトイレに駆け込んで鏡を見た僕は愕然としていた。残念ながら犯行は防げていなかったのだ。

  右の頬に思いっきりでっかく卑猥な絵が書いてあるではないか。

「やってくれたな、河村さん。」

  絶対にいつか仕返ししてやる。

  僕は石鹸を付けた頬を赤くなるほど擦りながら、再度心に強く誓ったのだった。



 四、自転車で出かけよう


  留学生活にも大分慣れて来ると、1人で少し大きめの冒険がしたくなって来た。

  自転車で中央広場まで行ってみよう。

 僕は近くのスーパーで手に入れたこの街の地図を片手に、この学園通りから南の方向に車で1時間ほど行った所にある中央広場まで行ってみる事にした。

  一応和田君達に行き先を告げておいた。どうしてもの時は自転車を置いてタクシーで戻って来る事もできたので、万が一を考えてのことだった。

「わかった、気をつけて。」

  和田君の素っ気ない返事を後に、朝方僕はホテルを出発した。

  平和ホテルの前の通りは、車用のガタガタの舗装道路の左右に街路樹が植えられた歩道があり、安全に通行する事ができる。

  この道は学園通りを過ぎる辺りまでは同じ様な景色で続いていた。左右に小さな料理屋が並んでいたが、朝食は平和ホテルの例のインスタントラーメンで済ませて来た。

  これから長距離を自転車で走らなければならない。何処にトイレが有るかは分からないのだから、朝から食べ過ぎは禁物だった。

  30分ほど走ると、周りの風景が一変した。格差が大きいこの国に住む大半の住民達の本当の姿。 貧民街だった。

  ただし、この層の住民の方が大半なのだからここは普通の住宅街と呼ぶべきだ。 裕福な国の風景に慣らされた目線で見るべきではない。

  外国人が多く集まる学園通りの周辺に住むのは、この街でも中流以上の、比較的裕福な層の住民達なのだという事実を、僕はこの時初めて感じる事が出来た。

  外国人が1人で入り込むには危険な気もしたが、どうしてもこの時は自分の目でその街並みを見ておきたかった。

  少し遠回りになるが、僕は貧民街の中を通りながら中央広場に向かう事にした。

  街の中は、小学生ぐらいの頃に放送されていた、この国産のアクション映画で見た風景そのものだった。

  異世界にトリップした様な強烈なワクワク感が込み上げて来る。

  大袈裟に言ってしまうなら、これを見たくて僕はわざわざこの国を選んで留学しに来たのだ。

  汚いボロボロのシャツを着た子供達が集まって元気に遊んでいる。

  作業着を着た老人が2人で道の端で台を囲みながら、紙に書いたマス目の上を積み木の様な円形の木片をお互いに動かして遊んでいる。この国風の将棋の様なゲームなのだろう。

  その横では同じ様に作業着を着た中年の男が露店で揚げパンの様な食材を売っている。

  どこからとも無く、鶏肉を煮込んだ強烈な臭いが漂って来る。

  レンガと木材を上手く組み上げて作られた2F立ての家屋には、複数の家族が一緒に暮らしているらしい。

  開けっ放しの扉の向こうを往復する人物を見ていると、かなり大勢いる様だ。

  近くの商店で春巻きの様な見た目の揚げ物を売っているおばちゃんは、特にやる気も興味も無さそうにこちらをボーッと見ていた。

 何か用事があるわけでも無く、ただそこに僕がいるから見ているだけなのだろう。

 意表を突いて2つほど買って、「美味しい」と言いながら立ち食いしてたら、もの凄く嬉しそうにしていた。

  名残惜しかったが、あまり長くここに居ては目的の中央広場までいつまで経ってもたどり着けない。おばちゃんにじゃあね、と言うと僕はその場を立ち去った。

  そこからしばらく行くと、また風景が少し変わった。建物が学園通りと同じ、少ししっかりした作りになっている。

  恐らく観光名所の一つなのだろう何かの寺院が大きく敷地面積を取っており、僕はその外縁に沿う様に自転車を走らせた。

 大小様々な太さの電線が頭上にこれでもかと張り巡らされた地区に差し掛かる。

 学校、会社、飲食店、本屋、CD屋。少しずつ並んでいる建物の種類が都会っぽくなって来た気がする。

 5番街よりもはるかに規模が大きく、比較的綺麗な商店街が続く。料理店などのそれぞれの建物がもの凄く派手な看板や電光掲示板を掲げて自己主張しており、それがカラフルな独特の景観を形作っていた。

 映画の中などで時折見るこの国のイメージそのもの。

 僕も含めて外国人が海外旅行に行ってワクワクする醍醐味の一つは、こうした景色を見る事が出来るという事だった。

 この辺りまで来ると、街中を時折連結式のトローリーバスが走っているのを目にする。

 公共の移動手段としては小型の乗り合いバスとこのトローリーバス、それに地下鉄とタクシーが主流だった。

 日本にもある様な普通のバス2台を列車の様に連結させた大型の乗り物が、狭い街中を人や車の間を抜けて走っている姿は異様だった。

 道路の上方にずっと連なっている電線が、家庭用の送電線だけでは無く、このバスのための物も多いのだとわかった。

 よく事故など起こさないものだと感心して見ていたが、後日その話をしたら実はしょっちゅう事故は起きているのだと言われてゾッとしたものだった。

  さすがにそろそろ一休みしようと思い、自転車を停めて近くの料理店に入ろうとすると、高齢の女性が近寄ってきた。作業服を着ていて、腰に革製の古めかしいポーチを着けている。頭には毛糸で編まれた帽子を被っていた。

  何やら聞き取りにくい言葉でこちらに話しかけて来る。物乞いか?と思い、無視しようとすると少し強い口調で何かを言っている。その声を聞きつけて別の中年男性が近寄って来た。

  まずいぞ、何かのトラブルか?

  僕は咄嗟に機転を利かせて架空の人物を演じる事にした。

  大きな会社の外国人の関係者で、仕事上の付き合いがあって来訪して来た人間。

  そんな役を頭に描きながら逆に道を尋ねてみた。

「この地図のこの場所に行きたいんだけどどう行けば良いだろう?知り合いと待ち合わせをしているんだ。」

  地図を見せながら適当な場所を指で示すと、近寄って来た男の態度が急に変わってにこやかな態度になった。「それはあそこですよ、お兄さん」と街並みの向こうに見える大きなタワーを指差した。

  どうやら、余程大きな会社の関係者だと思ったらしい。余りの手の平の返しっぷりに僕は内心苦笑した。

  近寄って来たおばちゃんはどうやら、この場所に停車した自転車を管理する服務員さんのようで、停車費用を回収しに来ただけらしかった。

  僕は安心したが、先ほど使った嘘の設定を通す為に

「これしか無いんだけどお釣り貰えるかい?」

 と、ワザと大きなお札を見せた。おばちゃんは少し困った様だったが、横の男が分かった、と言ってお釣りを立て替えてくれたようだ。

  挨拶をしてその場を去ろうとすると、男がニコニコした顔で「知り合いによろしくな。」と送ってくれた。


  中央広場に着いたのは昼過ぎだった。先ほどの勘違いトラブルの影響でゆっくり休めなかった僕は、どこかで少し休みたかった。

 臨時の際には戦闘機が発進する滑走路になる事を想定しているという、かなり広い通りに面した場所に出た僕は左右を見回した。

 広場中央の大きな門には、この国の今の政権を立ち上げた開祖の肖像画が掲げられている。

  建物の中には宝物が飾られた博物館があるようだが正直興味はない。あくまでここに来たのは自転車の目標地点としてであり、観光をするつもりは無かった。

 一つ気付いた事がある。

 この辺りには物乞いがかなり多い。

 学園通りにも貧民街にもそれ程見かけなかったのに、何故政府中央機関があるこんな場所に集まって来るのか僕には不思議だった。

 これは後で僕が考えた憶測だが、学園通りでも貧民街でも現地人は基本的に商売を通して金銭を得ようとする。それがどんなに零細商売であってもだ。

 だから、どんな理由があるにしてもタダで金銭を得ようとする物乞いは、現地の人から見れば追い払うべき蔑視の対象だったのでは無いだろうか?

 町中を追い回されて他に行ける場所が無くなり、最後に集まったのがこの辺なのだ、というのが僕の考察だった。

  今度こそ安全そうな場所に自転車を停めて誰も近づいて来ないのを確認すると、僕は近くのファーストフード店に立ち寄った。

 マクドナルドなどのメジャーなファーストフードではなく、どちらかと言うと高速道路のパーキングにあるようなフードコートのイメージに近い。麺類やチャーハン、お粥などのメインに、小皿に盛られたおかずを何点か注文してセットを作る感覚だった。

  普段ジム通いをしているとはいえ、さすがにこれだけの距離自転車を走らせた経験はあまり無い。学生の頃バイトでやった郵便配達ぐらいだろう。

  尻の周りがぐっしょり汗で濡れて気持ち悪かった。店の中にいた悪ガキそうな少年2人がクスクス笑いながらこちらを見ている。

  お漏らししているとでも思ったのだろうか?

  良いさ、笑いたければ笑うがいい。いちいち説明する程元気は残っていないしどうせこの先の人生の中でお前達に再び出会う事など無いのだ。

  豆のお粥と揚げパン、シュウマイの様な料理を一皿ずつ食べると、僕は帰り道を行く事にした。

  地図を見ながら、行きとは違うルートで北上しようと思い、再び自転車に跨った。

  途中までは順調に進んでいたが、しばらく行くと自動車専用道路にぶつかってしまった。自転車は大きく迂回しなければならないらしい。

  そういえばこの辺は民家も商店もまばらだった。ドライブスルーでもない限りは、人が立ち止まる様な所では元々無いのだろう。

  しばらく走っているとまた景色が変わった。左右どこを見回しても町工場の様な建物ばかりが並んでいる。恐らくは目的を持って作られた工業地区なのだろう。

 商売人が多い学園通りと違って、この辺を歩いている人の服装は工場の労働者が着るような作業服が多く見られた。女性の格好もあまり変わらない質素なものだった。

 外国人がここで働くことはあまり想定されていない為か、この辺りの人達は僕を珍しそうにジロジロ眺める。反応する元気も無いので知らないフリをした。

  そういう時に限って何故か自転車で近づいて来る少年がいる。非常に親しげに話しかけて来る。

 かろうじて聞き取れる単語から判断するには、どうやら「お兄さん観光客だよね?何処に行くの?僕の家は宿をやっているんだ。良かったら滞在していきなよ。」というような内容を話しかけているらしかった。

  無下に追い返すのは可哀想だが、今は相手にしている気力が無い。

  心が痛んだが、僕は耳が聞こえない人のフリをした。耳を指差して「あー、あー、」と言って見せた。

 それを見て少年は悲しそうな顔をすると去って行った。可哀想なことをしてしまった。

  そのまましばらく走っていたが、段々と空が暗くなって来た。おかしい。

  来た時と違うルートを走っているとはいえ、あまりにも景色が違い過ぎる。

 走行距離を考えたら、そろそろ建物の質が学園通りのものに近くなる筈なのだ。景色は一向に工場街のままだった。

  分からなければ人に聞いてみよう。

  僕は、近くの商店に入って地図を見せ、今自分が何処にいるのか聞いてみることにした。

  聞いた途端に商店の若いお姉さんに大爆笑された。

「あなたが今いる場所はこの地図には無いよ。だってここはもっと東のはずれだもの。」

  それを聞いて愕然とする僕の顔は余程おかしかったのだろう。お姉さんは申し訳無さそうに、だが堪えられないという様に笑いながら、コレを持って行きな、と店の棚からコーラをくれた。

  恥ずかしさと焦燥感でよく分からない表情になっていただろう僕の心に親切が滲みた。

「ありがとう。」と礼を言うと、僕はめげずに再度自転車に跨った。


  この足が動き続ける限り僕は前に進む

  そして必ず目的地にたどり着く

  進み続けることを止めなければ

 いつかは辿り着く

  道は全て繋がっているのだから


  スタンドバイミーのBGMと即席で浮かんだカッコいいフレーズが頭の中をグルグル回っていたが、第3者から見ればただの方向音痴だった。

  しばらくお姉さんに教わった方向に走って行くと道路の案内図があり、そこにやっと「右、学園通り」の文字を確認することができた。

 この時の僕にはその文字は黄金色に輝いて見えた。

  結局そこからは正しい道に戻れたようで、何とかその日のうちには平和ホテルに辿り着く事が出来た。

  時刻は22:00を回っていた。

  和田君と河村さん、それに前田さんが心配そうに「ビールを飲みながら」待っていてくれた。

  僕は得意気に今日あった事をみんなに話して聞かせた。

 貧民街の光景や自転車の停車場でのやり取り、街の風景や中央広場で見た景色。

 帰りの、少年とのやり取りや、雑貨屋のお姉さんの親切に触れた出来事。

 まるでオムニバス映画のエンディングのように次々と脳裏に現れる映像を説明していく。

 聞いていた前田さんが最後にポロッと「それって方向...」と言いかけるのを、河村さんが無言で、哀しげな表情をワザと作りながら首を振って制止した。

 ともあれ、僕の心はやり遂げた満足感で一杯だった。



 五、娯楽は大事


「胃がもたれてる。消化の良いものが食べたい。」

  その日は和田君が体調不良との事で、それならばと和食屋を探す事になった。

  情報通の田辺さんに聞いて見ると幾つかこの近くにあるという。少し遠くまで行けば海外出店しているすき家なんかもあるそうだが、こんな時に遠出したくは無い。

  大学の敷地外縁を回って少し行ったところにある和食屋が、近い中では比較的和食の味に近いらしい。

  何しろ外国である。経営しているのは十中八九現地人であり、日本国内で食べる和食の味など求めるべくも無い。

  重要なのは再現性そのものでは無く、単純に味が美味しいかどうかだった。

「意外とまともな味だね。」

 日本語で「月屋」と書かれた看板を掲げたその店に入り、座敷に座りながら出て来た料理を食ベ始めると和田君が言った。

 僕はカツ丼と味噌汁。和田君は鶏そぼろ丼定食だったが、想像したよりははるかに和食の味に近かった。

 後で聞いたら、日本人留学生をアルバイトとして雇っているのだという。

 原則的に留学ビザではアルバイトは禁止されていて、就労ビザを別に取得し直す必要があったが、その辺のルールは留学生も現地の人も暗黙の了解的に余り厳密には守っていなかった。

  味噌汁がインスタントだったが、これは味噌が手に入りにくい海外では仕方がないと思った。

「今日はあまり遠出出来ないね。河村さん戻って来るの待ってトランプでもする?」

「ここんところそればっかりで飽きたよ。いっその事ゲーム機買わない?」

 留学生の楽しみは少ない。殊に日本の都市で育ったのであれば尚更である。

 暇な時に立ち読みに行けるコンビニも近くには無いのだ。

 日本の漫画や雑誌を手に入れる裏技として、月に一回大学の図書館の中に雑誌や古本の移動販売店がやって来て売ってくれていたが、かなり割高な上そのペースでは読みつくしてしまうのはあっという間だった。

  そうしよう、という事で和田君には少し無理をしてもらい、5番街にあるアーケード街の中まで歩いて行った。

  この時代、日本ではプレイステーションとセガサターンがシノギを削っていたが、この国での最新ゲーム機はメガドライブだった。

「スーパーファミコンでは無く何でメガドラ?」

「任天堂は海外ではライセンス厳しくて輸入しにくいって聞いたことあるよ。アメリカみたいに現地生産してるところじゃ無いと入手し辛いみたい。」

 成る程。それならば仕方ない、とメガドライブ本体と幾つかのソフトを購入してホテルに戻った。

「ストリートファイター2ってメガドラで出てたっけ?」

  適当に買ったソフトの題名を順番に眺めていてふと気になる題名が目についた。

「そういえば無かったと思う。」

 だとしたら中身は何だろう?

 早速やってみようとゲーム機をテレビに繋ぎ、カセットと電源をON。

  パソコンで自作した様な「ストリートファイター2」のロゴが出てきたが、画面も音楽も酷く安っぽい。

  戸惑いながらもスタートボタンを押してみて笑い転げた。

  リュウもケンも全部手書きの荒いドット絵。何とか似せようと努力した跡はあるものの、どうしても隠せないコレジャナイ感。

  オマケにマリオやルイージ、キングオブファイターズのキャラまでいる。

  こうなれば怖いもの見たさでゲーム自体もやってみたい。僕はマリオ、和田君はリュウを選んでゲームスタート。

  一応スト2と同じような対戦画面にはなったが、メガドライブのコントローラーにキャラが上手く反応してくれない。

  初めから使えるマリオのファイヤーボールになす術も無くやられるリュウ。

 これではゲームにならない。

  笑いを貰えたから元は取れたと思い、僕はそのゲームをゴミ箱に放り投げた。

  まさか後の時代になってスマッシュブラザーズという似た様な発想のゲームが登場するとはこの時の僕達には知る由もなかった。

  しばらくして帰って来た河村さんだったが、どうもテレビゲーム自体があまり好きではなかった様だ。

  興味無さげにベッドの端っこに座って日本の雑誌を読んでいる。恐らくあの移動式本屋で購入したものだろう。放置しておくのもアレなので、僕は和田君の体調の件を彼女に話してみる事にした。

  そこで、夕飯に和田君の胃腸の為に鍋を作る事になり、僕と2人で近くの市場に材料の買い出しに出た。

「後でUNOやろう。」

  河村さんが言い出した。やはりゲーム機が気に入らなかったらしい。

  ただ、この手の卓上ゲームはやり過ぎて飽きて来ているのは河村さんも同じだった。同様に日本から持ってきた将棋やオセロなどもやりつくしている。オセロに至っては何故か彼女が異様に強くなっているので、もう娯楽として楽しめるレベルにない。

  そうなると刺激を追加する為に過激な罰ゲームを設ける事になる。

  鍋をつつきながら色々と案を出し合った結果大体の形が完成した。

  まず女装する。河村さんは男装する。その格好でホテルのフロントを回り、他の階を一周して戻る。

  絶対に負ける訳には行かない。

  こういう時に限って金田さんまで参加している。この人の面白そうな事を嗅ぎ取る嗅覚は凄い。

  そして、こういう時何故か僕は勝負に弱い。案の定そのしょうもない罰ゲームをやるハメになったのは僕だった。

  こういう時の女性陣の力の入り方は凄い。なす術もなくメイキングされていく僕を、引いた様な視線で和田君が遠目に見ている。

「君、よく見ると基本女顔なんだねー。お化粧似合うよ。」

 嬉しくも何ともない、反応に困る感想を河村さんが述べる。

「あ、カメラ持ってくるね。」と金田さんが自分の部屋に戻る。記録残すんかい。

  完成した姿を鏡で見る。

  気持ち悪い。

 どう見てもオカマじゃないか。

 たまにこういうのがキッカケで女装が趣味になる人がいるというが信じられない。

  そのまま全員でフロントまで行くのかと思いきや、他のメンバーは物陰に隠れるから1人で行ってこいと言う。遠い異国の地で、言葉のあまり通じない現地人の前で異様な格好を披露する。

 そんな時人はどんな顔をすれば良いのだろう?

「キレイキレイ。」

 フロントにいた服務員の若い女の子2人が爆笑しながら感想を述べる。

 きっと僕は複雑な表情をしていたのだろう。

「罰ゲーム、罰ゲーム。」と日本語で言う僕の言葉が彼女達に通じるはずも無かった。

  そのまま2Fの田辺さんの部屋まで行ってお披露目。

「あー、こういうおばちゃんいるよね。結構似合ってるじゃん。」

  そうですよね。反応に困りますよね。適当な感想がこういう時はかえって有難かった。

  絶対にいつか仕返ししてやる。いつぞやの思いが再び込み上げてきた。



 六、カラオケに行こう


  その日は朝からあいにくの雨だった。

  今日は大学も休みだし、学習も一通り終えると僕は暇を持て余した。和田君も河村さんも朝から外出していて、いつ戻るのかわからない。

  ゲームにも飽きている。

  いっその事いつも絡まない人の所に遊びに行ってみよう。僕は、思いつきで金田さんの部屋に遊びに行く事にした。

「おや、珍しい。どうしたの?」

「いや、暇すぎて遊びに来てみたんだけど。」

  彼女は、どうぞと部屋に招き入れてくれた。

  普通なら女性の一人暮らしの部屋に男が1人でやって来れば警戒されて締め出されるのだろう。10代の僕は警戒の対象ですら無かったらしい。

  金田さんはテレビにVCD(DVDの前身のビデオ機器の一つ)を繋げて、日本のヴィジュアル系バンドの映像を見ている所だった。

  今でこそ有名だが、この時はまだこのバンドも、ヴォーカルのGACKTという人も僕は知らなかった。

  学生時代によく聞いていたのはXとかB'z、ハイロウズやウルフルズ、忌野清志郎などだったが、そういえば最近はまったく音楽というものを耳にしていなかった。

「みんなでカラオケ行きたいね。」

「日本に帰ってからという事?」

「いえいえ。ちゃんとこの国にもあるよ。そうだ、河村さん達が戻って来たら一緒に行こう。」

  歌のレパートリーなどほとんど無かったが、面白そうなので僕は賛成した。

  昼時、雨だけど外出して食べに行く事にした。傘を差しながら、どうせなら普段あまり行かない所に行こう、とタクシーで出かけた。

  学園通りの端にある地下鉄の駅まで行くと、その近くにあるという彼女が知っている料理屋に入る事にした。

  雨で道路がぬかるんでいる。アスファルトと土の混在する道は、気をつけて歩かないとどこに溝があるか分からない。

 案の定僕は溝に右足を取られてずぶ濡れになってしまった。

  金田さんが爆笑している。

  ここまで濡れていれば傘をさしていても一緒である。僕は濡れたまま彼女と一緒に料理屋に入った。

  金田さん的には、リアルの人間関係の中に何か刺激が欲しかったらしい。

  出て来た中華料理をつつきながら、しきりに僕に誰か好きな女の子が居ないのか聞いてくる。

  聞かれて思いつく限り知ってる女の子を挙げてみた。

  河村さんは恋愛対象という感じでもないし、よくよく考えてみればこの国で出会った人の中では誰も思いつかない事に僕は気付いた。

  この留学中には誰か良い人が見つかるだろうか?

「ま、焦らなくても君ならそのうち誰か現れるよ。」

 金田さんのこの言葉は、その後の留学中ずっと頭のどこかに引っかかる事になった。

  平和ホテルに戻って着替えていると、和田君と河村さんが帰って来た。

  河村さんは着替え中でも平気で入って来る。僕の着替えシーンなど全く気にする価値も無いという態度である。実際その通りなのだろう。

「金田さんからさっきカラオケ行こうって誘われたよ。」

 と先ほどの件を彼女達に伝えた。

「行く。ちょうどソロソロ行きたいと思ってたんだ。」

 2人ともこの提案には大賛成だった。

  その日の夜、みんなで出掛ける事で決まった。

  少しすると、金田さんが部屋にやって来て全員揃っているのを確認した。僕はカラオケの件は全員了解済みである旨を彼女に伝えた。

  出掛けるまでまだ少し時間があったが、先程の僕の「右足水溜り突入事件」が話の肴になっていたので(僕以外は)退屈はしなかった。

「あれってデートって言う?デートだよね?」

「凄いじゃん、金田さんとデートなんてやるね。」

  そんな色気も何にもないデートなんてあってたまるか。

  僕は内心でツッコミを入れた。


  金田さんが知っているカラオケ店は東門街近くにある歓楽街の中にあった。

  この辺には初めて来た。

 この前の自転車の時に通ったのは西門街の商業地区に近い辺りだったし、僕の年齢的にも歓楽街に1人で来る用事などそうそうあるものでは無い。

  学園通りとは違い、バー等が多い。

 外を歩く外国人の中に白人や黒人が多く目に付くようになって来た。

 学園通りではあまり見掛けないと思っていたら、彼等はこんな所に遊びに来ていたのか、と妙に納得してしまった。

  金田さんから、この辺で麻薬をやって捕まる阿呆な留学生が多いから気を付けるように警告があったが、頼まれてもやらないのでそこは安心して大丈夫と返した。

 この国では麻薬に対する取り締まりは特に厳しく、捕まれば死刑も有り得るとの事だった。

  外側からはほとんど目立たない3F建てのビルの中に彼女は入って行く。

  よく見ると外付け看板に辛うじてこの国の言葉で「カラオケ&飲み会 朝まで」という文言を見て取る事が出来た。

  縁取りだけ赤い電光だったが、肝心の文字を光らせていなかったのですぐには気付かなかったのだ。

  日本にあるのとそれほど変わらない、普通のカラオケ店が中にあった。

 部屋の分割の仕方が上手いのか、外からの見た目より遥かに広く感じる。何部屋かが埋まっているようだったが、時折日本語の歌も聴こえる所を見ると、同じ様に来店している他のグループもいるのだろう。

  4人で使用するには広過ぎる程の部屋に通されると、生ビールとスナックが運ばれて来る。

  廊下には飲み放題のサーバーもあり、ジュースが必要ならセルフサービスで持ってきてもいいルールだった。

  一応はトイレの場所と混み具合を事前に確認しておいた。

 こういう場所でのトイレの用途は嘔吐も含まれる。酔いが回る深夜になる程占領する客が増えるので混み安くなるのだ。

  いざ歌が始まると 、3人共歳上だからか選曲に関しては知っている歌が多かった。

 ただしノリ方が今まで僕が知っていたものとは違った。

  アンジェラアキに完全に成りきり、エアピアノと完璧な頭の振り方の再現を見せる河村さんは度なしのメガネまで用意する周到さ。

  中森明菜の歌の筈なのに何故かもの凄く卑猥な歌に聴こえる金田さん。

  精霊流しを裏声で歌い切る和田君。

  どうしよう、コレに対抗する持ち歌なんて無いよ。

  声マネで長渕とかサザンを歌ってみたが、イマイチ笑いに繋がらない。井上陽水はシラけるだろうし。

  僕は記憶の底から、ありったけの歌の情報をかき集めた。

 ダイナマンの主題歌に爆発!Fire!とか爆発!Bonber!とか掛け声を入れてみようか。

 うーん、それも今ひとつだ。

  必死に思い返しながら探していると、ふと一曲だけ思い浮かんだ。あった。

  この歌なら、歌唱力なんて関係無い。きっと笑いを取れるはず。


 金太の大冒険


  僕は、あえて思いっきり棒読みな歌い方で熱唱して見た。

 ウケタ。よかった。

 若干引いてる気もするけどよかった。

  そこから更に盛り上がり、Xジャンプを斜めに飛んで壁に激突してみたり天城越えを顔も含めたモノマネでどれだけ似せられるか競ってみたり、知っているアニソンを現地語に完全に置き換えながら歌ってみたりと、カラオケの定番の楽しみ方を心置きなく満喫する事が出来た。

 そろそろ歌える歌が尽きたので帰ろうか、と外に出た時には空が明るくなっていた。 徹夜でカラオケなんて高校生の時以来だった。

「楽しかったー。また来ようね。」

 と河村さん。

 確かに楽しかった。それと同時に、次来る時にはもっと笑えるネタを仕込んでおかなければ、と僕は決意を新たにしていた。



 七、自分のやれる事


  語学留学生の授業にはレポートも期末テストも無い。

  その代わり授業の取得程度を知るには、自主的に学校が定期的に開催している語学テストを受ける必要がある。

  国際的にもある程度の知名度を持ったテストなので、ここで取った成績は英検と同じ様に就職の際に履歴書に記載する事ができるらしい。

  今回語学テストの初級を受けてみる事に決めた僕は、当日まで徹底的に勉強に集中していた。

  隣で和田君はゲームに集中している。そういえば留学中彼が勉強に集中している所を僕は見た事が無い。 彼が外国語を使用している所も。

  人に努力している所を見せるのが嫌いなタイプなのか、努力するのが嫌いなのか。

「勉強していい時間があるっていう事がどれだけ恵まれているのか、その年齢ではまだ分からないだろうね。」

  これは和田君に対してでは無く、別の時にある人から僕が言われた言葉だ。

  今の僕が聞けば確かにその通りだと心の底から実感出来る言葉。

  僕も勉強はそこまで得意な方では無かったが、最低限この国にこれをやりに来たんだ、という証しを少しでも形として欲しいと思っていた。

  この時の初級語学テストは割とアッサリと合格する事が出来たが、この「やった事の証」というフレーズがしばらく僕の心に引っ掛かっていた。

 ここでこの話を挟むのは適切では無いかも知れないが、「やった事の証」というフレーズで思い出した事が一つある。

 それは高校を卒業した直後に亡くなった友人の事だった。

 絵の上手い奴だったが、彼がやった事の証、言った事の証って何だったろう?と訳も無く思い出したのだ。

 別の友人が自宅にかけてきた電話でその事を知った僕は信じられない気持ちで葬儀場に出掛けた。死因は心臓発作とだけ聞いていたが、本当のところは未だによく分からない。

 その時漠然と思ったのは、僕が主体的に関わって何か適切な行動をしていれば彼の未来を変えられたのだろうか?と言う事だった。

 実家に泊まりに来る程度には親しい友人だったのだから何かはできたかも知れない。

 ただ、その考えは後から電話でその事を知った傍観者の僕には持つ事が許されないものだった。主体的に関わっていたのは電話を掛けてきたあいつだったのだ。

 主体的に関わった者でなければ「何かを残した」のかを知る事も出来ないのであれば、僕は傍観者の立場ではいたくない。

 何かをすればいいのかは分からないけれど、何かを始めれば、何もしなかったという後悔はしない筈だ。

 今回の話には何の関係もない事だったが、この時僕が思ったのはそういう事だった。

  何だか色々やってみたくなって来た。

  思ったが吉日とばかりに、僕は5番街のスーパーで色々な道具を購入して来た。

  無駄に購入して来た。

  周りから見たらどう見てもおかしくなったと映っただろうが構う事は無かった。

  自分の中の色々な才能を、それが存在するのかどうか検証実験して見たいと思ったのだ。

  先ずは書道。

  実は僕は書道に関しては有段者だった。祖母が書道の先生をしていたので、幼少時より厳しく躾けられていたのだ。

  正確に言えば厳しすぎて嫌になって投げ出したのだった。

  久々に手に取った筆は、思ったよりもスラスラ動いた。

  横で見ていた和田君は、僕が本当に有段者だったのかと驚いていたが、実の所僕は自分に失望していた。

  上手く書けなかった事にでは無く、上手く書けていたとしても何もときめかない自分にだ。

  書道という線は無いな。

  僕はそれ以降、今現在まで一度も筆を取ってはいない。完全にその道はスッパリ切ったのだ。

  次は絵画だ。

  絵も実は習っていた事があるので、構図の取り方やデッサンの仕方なんかはなんと無くわかっていた。

  おもむろに油絵の用意を始める僕を見て、昨日僕が書道をやっていたのも合わせて考えて、やっと和田君にも僕の意図が伝わったらしい。

  和田君はその日は作詞をしてみる事にしたようだ。

  僕の方はと言うと、絵画もやっぱり書道と同じだった。

  なんとなく上手くは描けるけれど、何のインスピレーションも湧いてこない。

  絵を描く行為自体は嫌いでは無かったので、それ以上嫌いになる前にやめる事にした。

  ここで河村さんも帰ってきたが、色々やってる僕達2人を見て

「若いって良いねー。」

 と言っていたが、特にそれで何かを始めるという事は無かったようだ。

  別の大学にあったラグビーチームに体験入部してみたり、自分の大学敷地内でやっている格闘技クラブに参加したりもしてみたが、元々本格的にやっていたスポーツといえば小学校時代にやっていた水泳か、中学校時代の剣道しかない。

 ジムに通っているとはいえ、有酸素運動が決定的に不足している僕にはかなりハードルが高かった。

  そうこうしながら和田君と同じ作詞や、カメラなど色々やって行ったが、最終的に残ったのは筋トレとマッサージだった。

  この二つに関して、何かやったという証を残す。

  留学における、あるいは人生のこの時期における当面の目標はとりあえずだけれど決める事ができた。


 筋トレは前にも記載したのでここでは省く。

  もう一つのやりたい事として本格的に始めようと決めた「マッサージ」に関して記しておく。

  中学から高校に掛けて様々な漫画を読んで来たが、好きだった作品の一つに「北斗の拳」という作品がある。

  内容はバトルアクション物だったが、特にこの作品が異色だったのは整体でよくやるツボ押しをバトルに取り入れたところだった。

  整体を生業にしている人から見れば、その技を殺人術に使うなど以ての外だったろうし、きっと相当ロクでも無い漫画に見えた事だろう。

  学生時代の僕から見れば濃いストーリーと絵柄が非常に印象的で夢中になって読んでいた。

  この作品の中で頻繁に出て来る言葉に「経路」というものがあるが、これは創作では無く実際に存在する概念だった。戦いに使えるものでは無いと予め注意しておくが。

  経とは縦の繋がり。絡とは横の繋がり。

 人体を縦横に走る血液や神経などの様々な繋がりを総称した言葉がこの経絡だった。

  この国にもそこを発祥として伝わるマッサージの技術がある。僕は上記の経絡などの概念は独学で、それ以外の人体の仕組みや整体の技術などは通学で学んでみる事にした。

  同じ学園通りの学区の中に医学大学もあった。

 外部生向けの短期講座も開催していたのでそこの講座を受けてみる事にした。

 語学と並行なので毎日は無理だったが、週に3回位は出席して知識を深めていった。

 帰国後直ちにこの技術で就職するという事までは考えていなかったが、身に付けておいて損になる事は無いと考えたのだ。

  僕が整体の勉強を始めたのを見て、河村さんが実験台として立候補してくれた。

  単に都合よくマッサージしてくれる相手を確保出来たと喜んでいたのだろうけれど、実際学んだ事を直ぐに実践出来る環境は貴重だった。

  留学を終えて帰国する頃にはそれなりに形になる知識が身についていたと自負するが、拙い外国語のレベルで受けた授業である。

  実際に現場で使えるようにする為には、帰国後に専門の学校に入り直してもっと知識を深める必要を感じていたが、それはまた別の話だった。



 八、フランス料理を食べに行こう


  季節が段々と移り変わり、肌寒く感じるようになって来た。そろそろ衣替えの季節だ。

  日本から持って来た衣類だけでは当然足りず、現地で買い足す必要があった。

  地図の上でも日本より緯度が北になるこの国の冬は、関東地方出身の僕からすればかなり寒い。

  その辺の水溜りだけでは無く観光地の池も凍りつき、その上でスケートが出来る程だった。

  東北出身の和田君にしてみても寒さの感じ方は一緒だっただろう。

  僕と和田君、河村さんの3人で冬用の衣類を買い足しに西門街に行く事になった。

  西門街はこの都市の商業区域になっている地区で、街の雰囲気は自転車で中央広場に行った時に見た、トローリーバスが通るあの風景に似ていた。

 他の地区では見られない程の大規模な商店街が広がっている。

  目的を持って行かなければ、1日かけても周りきれない程だった。

  5番街で売っている物よりも当然こちらの方が品質もデザインもいい。

  靴や衣類を買い足すという今回の目的にはうってつけだった。

「ここって有名な屋台があるんだよね。行ってみようよ。」

  少しずつ買い物袋で手持ちの荷物が多くなって来たあたりで、河村さんが提案した。

  彼女が言う有名な屋台とは、味が美味しいから有名な訳ではない。

  とにかく日本ではまず食べられないゲテモノ料理が出て来る屋台が集まった場所があるのだ。

  いや、ゲテモノと言っては失礼だった。

  現地人にしてみればこれも立派なタンパク源であり、食べるのが普通の文化なのだ。

  イカやタコを食さない国の人間から見れば日本の文化の方が異様に見えるかも知れないのだ。

  とはいえ、さすがにバッタの串揚げは食べられなかった。せめて衣を付けたり、足や羽を取って調理しているのならまだ食べられたかも知れないが、そのまま姿焼きにしただけである。油で強調されて緑色に光っている。

「スナックみたいで意外と美味しいよ。」

 と和田君が言うが、これはパスだった。

  代わりに食用ガエルの足を食べてみた。こちらはちゃんと調理されていて、原型をあまり意識させなかったのでまだ何とか食べられた。

  実は現地ではカエルはかなりの高級食材なのだと後で知ったが、意外なほど美味しかった。

  鶏肉と白身の魚の中間のような食感であり、淡白な味にアッサリした調味料をまぶしてあって上品な感じですらあった。

 サソリも結構美味しかった。見た目的に共通した所があるからかも知れないが、エビによく似た食感だった。

 例えば砂漠に住む民族などにとっては実際そのような地位の食材なのかも知れない。

 コウモリも食してみた。

 不味くは無いと思ったが、こちらは他の二つほど印象には残らなかった。

 何より小さい骨が多く、頻繁に吐き出していたので味わうどころでは無かったのだ。

 この屋台だけで昼食を済ませるにはさすがに無理があったので、足りない分はマクドナルドで買った。

 引き続き歩いていると、アイスクリーム屋とドーナッツ屋が同じ店舗で営業している場所に出た。

 ミスタードーナッツやサーティーワンでは無く、それと競合する欧米の会社が出資している店だった。

 そういえばこの国に来てからまともなスイーツを食べていない。

 近くの市場で買ったライチやマンゴー、メロンによく似た味の瓜科の果物などをデザートとして食後に食べてはいたが、加工食品としてのお菓子などはオレオぐらいしか食べていなかった。

 正確に言えば食べる気になる程の美味しいお菓子に出会っていなかった。

 海外に行った事がある人であれば大抵共通した感想を持つと思うが、ベルギーやハワイなどの一部の地域を除いたほとんどの国のお菓子は日本人にとって甘すぎる。

 チョコレートや生クリームの微妙な甘さ加減などは、食べ慣れているからという事もあるだろうがやはり日本のものが美味しく感じる。

 このお店のドーナッツやアイスがどうかは食べてみなければ分からないが、少なくとも欧米資本ならこの国生産のものよりはマシな気がした。

「うん、ミスドほどでは無いけど美味しいね。」

「そうだね。久々にまともな甘い物を食べた気がする。」

 僕と河村さんの会話に、和田君がふと気付く。

「甘い物で思い出したけどケーキどうしようか?」

「?」

 一瞬何の事か分からず僕も河村さんもポカーンとしていると、

「自分の誕生日忘れないでよ、河村さん。」

 と呆れたように言う。

 そういえば、この前の飲み会の時お互いの誕生日を話していたなと、言われて初めて気付いた。

 僕だったら飲み会での会話など翌日には7割方忘れているのによく覚えていられる、と内心感心していた。

「凄い、よく覚えてたね。」

「ホントはサプライズでお祝いするべきなんだろうけど、5番街で売ってるケーキでお祝いとか嫌でしょ?聞いといたほうが無難かなと思って。」

「和田君やるねー。誕生日覚えとくとか男なら基本だよね。君聞いてる?」

 アー、アー、聞こえなーい。

「正直ケーキは別にって思うけど美味しいもの食べに行きたいね。おごってくれんの?」

 こう言われたら奢らざるを得ないという展開に持って行かれた。まあどちらにしてもそれが無難だったと思うけれど。

 美味しいもの、と僕は思いつく限り知っている料理店を頭の中で列挙してみたが、狭い行動範囲から得られた少ない知識の中では女の子を誕生日に連れて行けそうな店は思い浮かばなかった。


 困った時の田辺さんである。

 正直なところ周辺の人物を見回した限りでは、僕も含めてそういった知識に詳しそうなのは彼しかいなかった。

 例えは悪いが前田さんの所の四角いナム君では話にもならないだろう。

 その日はたまたま(?)金田さんも同じ部屋に居たので、相談するには丁度良かった。

「それならフランス料理なんてどうかな?」

「この国でフランス料理ですか?」

「空港近くのシェラトンホテルの中にあるよ。シェフはこの国の人だけど本場で修行してきた人だから結構本格的だよ。」

 ホントに何でも知ってるな。この人は。

 普通に留学生活を送っているだけで身に付けられる見識じゃないと思うけれど、今に至るまでどこでどうやって暮らして来たのだろうか?

「でもお高いんでしょう?」

「高いと言っても普通に日本で外食するのとそんなに変わらないよ。何せ物価そのものが違うからね。」

 なるほど。それなら何人かで行けば河村さんの分を足しても何とかなりそうだ。

「田辺さん達も来ませんか?」

 聞いてみたが、金田さんはOKだったが、田辺さんの方はあいにく当日は大学の同級生達と集まりがあって来れないとの事だった。

 その内容で和田君に伝えてスケジュールを調整して貰った。


 シェラトンホテルは言うまでも無くあのシェラトンホテルである。

 アメリカのスターウッド・ホテル&リゾートが運営する世界中に5500ものホテルを展開している一流ブランド。

 日本にも展開しているのでこうして説明するのもおこがましいが、この国にも当然のようにそのホテルがある。

 寧ろアジアでの展開は日本よりも歴史が古かった。

 ここに行くというのだから、格好には当然気を使う必要がある。

 そこに気付いて僕は内心かなり焦っていた。

 留学生活中の手持ちの衣類だけではフォーマルな格好をしようにも限界がある。

 そもそもこの時代の僕はまだ社会経験も無いのだから、ネクタイの一つもまともに締めた事は無かった。

 何を以ってフォーマルというのかすらろくにわかっていないのだ。

 まずいな、何もいい案が思い浮かばない。

 この為だけに衣装を揃えたのでは想定外に高い出費になってしまう。

 人の誕生日を祝うどころでは無くなってしまったら本末転倒である。

 田辺さんや和田君に衣装を借りようにも、トレーニングジムに真面目に通っていたこの時の僕にはそれなりの胸囲と腕周りの太さがあった。

 細身の彼らの服ではきっとパツンパツンになってしまうだろう。

 一応恐る恐る、和田君にどんな格好で行くのか聞いてみると、彼の場合はこんな事も想定して日本からオシャレ着を何着か持って来ているとの事だった。

 初めて彼が自分より年上で日本の大学まで出ているのだという事を認識した瞬間だった。

 万が一だとしても、フォーマルな格好が必要になる事態など僕には想像もつかない。

「格好をどうするか悩んでるんでしょ?そうなると思って金田さんに相談してあるよ。」

 何という洞察力。

 年齢を重ねるという事がどういう事なのか、僕はこの時初めて分かった気がした。

 金田さんは、西洋人の男性留学生から上着を借りて来てくれた。下は色と材質をうまく選べば手持ちの衣類でも何とかなりそうだ。

 革靴は材質さえ気にしなければ西門街で売られていた安物でも問題は無さそうだ。上着を上手く着こなせばぱっと見はちゃんとした格好に見える。

「無精髭と髪型もちゃんとして。」

 と、河村さんと前田さんも交えた3人がかりでメイキングされて行き、完成した姿を鏡で見ると場末の売れないホストの様になっていた。

 オールバックに加えて、ご丁寧にどこから持って来たのかサングラスまで付いている。

 出掛けるのは夜だしこれは要らないと、丁寧に返却しておいた。


 夕方になってそのままみんなでタクシーに乗って出掛けた。

 みんな格好に気合いが入っている。

 金田さんは格好に気合いが入りすぎて水商売の人にしか見えない。

 シェラトンホテルの場所は空港の近くとの事だった。

 入国する時にはそこまでじっくりとは見ていなかったが、改めて窓の外を流れる景色を眺めていると建物の立派さが学園通りとは凄い違いである事に気付く。

 東京の風景に慣れた目線だと何も感じなかった事が、留学生活に慣れて来た目線で見れば新鮮に見えた。

 外国から観光目的でこの国に来た人はまずこの風景を見ながらシェラトンなどの大きなホテルに行く事が多い。

 夜に遊びに出かける場所がハードロックカフェなどの大きな酒場で、買い物する場所も国際ホテルの地下街だったりすると、国の本当の姿を見逃す人もいるのでは無いだろうか。

 それは経済成長中のこの国が、上辺だけでも何とか立派に見せようと取り繕った見せ掛けの姿だったのかもしれない。

 ともあれ18の少年が高級料理を食べに行くのには見せ掛けも何も無かった。恐らくはこれが美味しいものだと言われて出されたものなら全て美味しく感じていたであろう年齢である。

 遠目から見る外観から車が停まった入口まで全てが輝いて見えるそのホテルに着いた時、僕はただただ圧倒された。

 シャンデリアが瞬く豪華なエントランスを入り、左右に宝石店が並ぶ廊下を抜けて、大理石の壁に挟まれたエレベーターで上の階に上がる。

 時折すれ違う西洋人のご子息様なども何故か気品を持った立居振る舞いに見えてしまうから不思議だった。きっと家庭に帰ればやんちゃし放題の悪ガキに違いないのに。

 目的のフランス料理店に着いた。

 大理石の柱。足をつまづくのが不安な豪華な調度品。

 ルーブル美術館さながらに、舞い踊る天使の姿が描かれた宗教画の数々が壁一面に飾られている。

 遠くの夜景が美しく輝いて見える大きな窓。

 天井には、オペラ座の怪人に出てきそうな豪華なシャンデリアが光り輝く。

 行儀よく待ちながら、会話を楽しみつつ1皿ずつ運ばれて来る料理をゆっくりと食す。

 赤ワインを傾けながら。

 食前のポタージュスープ、子牛のソテー、自家製のパン、焼いた川魚にフルーツで作られたソースをかける。食後はオシャレにマンゴーのジュレ。

 痒い。何処かがむず痒い。

 何皿かまとめて注文してガッツリ掻き込みたい衝動を僕は必死に抑える。

 我慢しながらそうして1時間もする頃には、アルコールが回ってきたのもあり、頭がクラクラして来た。

「楽しかったー、誕生日プレゼントに有難うね。またみんなで行けたらいいね。」

 平和ホテルのあの安心する建物に帰った時、河村さんは大満足といった感じで上機嫌だった。

 僕はそんな彼女を余所にすぐにいつもの普段着に戻ると、いつものインストラーメンを食べに入り口の食堂に向かった。

 今食べて来たばかりだというのに、緊張が解けた途端に、何だか無性にお腹が空いてきたのだった。



 九、市内観光


「ねえ、こんなパンフレットあったんだけどみんなで行かない?」

 河村さんが持ってきたチラシには、「人体展」とおどろおどろしい言葉が見出しに乗っていた。

 よく大学の留学生棟の掲示板にこのような様々なポスターが張られているのだ。美術館や博物館のパンフレットに始まり、映画やコンサートの講演案内、留学生主催のライブ、ツアーの募集など、ここから留学生が得るべき情報は多い。

 これもそこから持ってきたポスターなのだろう。

 実の所、大分前に僕の住んでいる関東の街に同じ様な展示会がやってきた事が有るので、それを見た事がある僕にはそれ程珍しいものという印象は無かったが、初めて見るならインパクトは大きいだろう。

 そういえばその後、日本に来ていた方の展示会は倫理的な問題があるとして、開催ができなくなったと噂では聞いていたがその後どうなっただろう。

「いいね。たまにはみんなで観光に行こうか。」

 しょっちゅう出掛けているのでたまには、という印象も無かったが、そう言えば観光地を目指して行く事はあまりなかったかも知れない。

 ついでなので幾つか行きたい場所の案を出し合い、市内観光に出掛ける事にした。

 その日は晴れていて、最近にしては寒くは無かったが、相変わらず空の色は白くどんよりしていた。

 日本の青空が懐かしくなって来ている。

 赤い色のタクシーは僕達を乗せて街の中心部に近い博物館に向かっていたが、交通渋滞がひどくなって来たのを見ると突然車を止めた。

 僕達は何か事故でも起きたのか?と訝しんだが、どうやらここ先の混んでいる場所に行きたく無いのでそこからは人力車で行けと言う。

 余談だが、この国では街中に普通に人力車が走っている。

 それは、観光用に特別とかそういうものではなく、普通に街中を走っている。

 逆に、存在が当たり前過ぎて観光用の文化の一つとして定着しているぐらいであった。

 それはさておき、現地まで行くようにお願いしてそれを仕事として引き受けたのだ。

 車が大破したとかいうならともかく、道路状況が悪くなったからという理由で降りろと言われるのは納得が行かなかった。

 文句を言いたいが、外国語で不満点を相手に伝えるというのは実はもの凄く語学能力の要る行動だった。

 この3人の内の誰もまだそこまでの語学能力に到達していない。

 僕はしばし迷ったが、こうして立っていてもしょうがない。伝えるべきは伝えようと思い、思い切って「日本語で」身振り手振りを交えて捲し立てた。

「仕事として引き受けたんだろう?現地まで行かねーなら金払わねーぞ。行かねーなら別のタクシーに乗るからお前に金は払わない。それでいいんだな?」

 日本語が通じたとは思えないが、タクシーの運転手には僕の意思がちゃんと伝わったようだ。

「分かったよ。乗れ。」

 と最後には折れてくれた。

 河村さんと和田君は若干引いた風で、「切れてる時は逆らわない方がいいねコイツ。」と顔を見合わせていた。

 この一件で何となくこの国のタクシー運転手のレベルが分かった僕は、いつかもっと大きなトラブルに巻き込まれるのでは無いかと内心考えていた。

 心配したところで防げるものでも無いが。

 目的地の博物館に着くと、僕達はその古びた作りの建物を端から端まで見て回った。

 ホルマリン漬けの臓器や、胎児の遺体、防腐処理された切断遺体などが展示されていたが、正直なところ、初見のインパクトは凄いと思うが、見た事がある人にとっては全く何の面白みも無い場所だった。

 唯一興味を惹いたのは、両性具有者の性器と書かれた展示物のみだった。こればっかりは見るのは初めてだったからだ。

 建物を出てから冗談で、「さあ焼肉を食べに行こう」と言うと2人から「ムリ」と返された。

 仕方なく食事は後回しにして、別の場所に移動する事にした。

 まずは、先日自転車でその前までは行ったものの、結局は中に入ることが無かった中央博物館の中を見る事になった。

 不安はあったが、再びタクシーで移動する事にした。

 一度来ていたので外側の風景には慣れていたが、内側は初めてだった。ここは元々旧王族が住居としていた所であり、飾られているものは歴代王室のお宝なのだそうだが、残念ながら本当に貴重なものは粗方盗まれ、売り払われた後らしく、壺や古い農工具など見れば珍しくはあるけれど左程歴史的重みを感じるものでは無かった。

 次に僕達が向かったのは民芸品工場街だった。

 またもやタクシーで移動する。

 最初のトラブルのような事態は今のところ起きてはいない。

 此処はこの街の伝統工芸品を販売する店が軒を連ねている街で、かなり広い区画が販売店とそれを作る町工場だけで構成されている特殊な地区だった。

 建物の外観もも100年ほど前のこの国の建物を再現しており、日本で言う鎌倉の雰囲気に少し近い感じがした。

 正直僕はこういう場所が好きだ。

 小さな瓶に絵を描いた小物や、伝統的な絵の具で書かれた絵画、陶器など、興味を惹かれるものが多かった。

 先程の博物館とは打って変わり、僕が先頭に立って目を輝かせて歩き回った。

 その生産過程までじっくり見て回り、他の2人が疲れてもう帰ろうと言い出した時には、辺りがすっかり暗くなっていた。

「せっかくだから何か食べて帰ろうか?」

 さすがにあの博物館の影響は抜けていたようで、肉類を食べに行こうという提案に関して文句は言わなかった。

 夕食に立ち寄ったのは、そこから大通りに歩いて出たところにあった中東料理屋だった。

 中東料理は、日本ではほとんど見る事は無かったが、イスラム圏と問題無く国交があるこの国においては何処でも見かける事が出来るポピュラーな料理だった。

 羊中心の鍋料理がメインで、ケバブやビーンズスープなど、独特な味付けの料理が美味しかった。

「さっきの博物館みたいなところって幽霊でないのかな?」

 唐突に和田君が話題をきり出す。

「どうだろう。そもそもこの国って幽霊でるの?」

「この国製のゾンビみたいな怪物映画はあるんだから、死者を怖がる発想はある筈だよね?」

 そこでふと疑問に思ったことがあった。

「もし万が一僕たちがこの国で幽霊に会ったとして、それはどんな格好をしているんだろう?」

「それはこの国の人の格好をしているんじゃないの?」

「いつの時代の?日本みたいな江戸時代の幽霊画のイメージで出るのかな?」

 僕たちが知っているこの国の時代劇の格好をイメージしてみる。

「今思ったんだけどさ。」

 僕はふと思った事を口にする。

「原始人の幽霊見たって話し聞かないよね?」

「そういえばそうだね。」

「という事は幽霊は僕たちが想像出来る範囲の姿でしか現れないという事だよね?」

「なるほど。そう考えてみるとやっぱり幽霊っていないのかもね。」

 本当のところがどうかは分からないが、本当にどうでもいい結論が出たところで僕達は店を出る事にした。

 平和ホテルに帰りついたのはかなり遅い時間になってからだったが、さすがにその日は歩き疲れて、それ以上の飲み会を提案する声は上がらなかった。



 十、生活の変化は大事


 留学生活を長く送る内に、次第に祖国の物資や食べ物が恋しくなって来る。

 それは、海外経験が長い人なら日本人に限らず、誰でも一度は感じたことがある感覚だと思う。

 そしてそんな時、時折親や友達から送られて来る支援物資は非常に有難い。

 それも経験した事がある人にとってはみんな共通する感覚だろうと思う。

 和田君にしても僕にしてもそれは一緒である。

 特に寒さが厳しくなってくるこの時期、衣替え用の衣類と共に送られて来るホッカイロや手袋、毛糸のマフラーなどの物資は貴重だった。

 5番街の近くにある郵便局に国際郵便が届くと、平和ホテルのフロントにその旨の通知が来る。

 手紙などは直接配達してくれるが、大型の荷物に関しては自分で取りに行く必要があった。

 先日、送られてきた荷物を僕はホテルの服務員に台車を借りて取りに行って来た。

 輸送の間に中身を抜き取られるケースも多いらしく、その事を家族に伝えて厳重に包装して貰った外装を、少し手間取りながら慎重に開けてみる。

 中に入っていた物で特に興味を引いたのは切り餅と醤油だった。

 この国のスーパーで手に入る醤油は、微妙に日本の物とは濃さや風味が違う。

 慣れれば自炊する分には何の問題も無かったが、たまにこうして日本の食材が手に入った時には調味料もやはり合わせたかった。

 そこに現地で買った砂糖を混ぜて、焼いた切り餅を付けながら食べると昼飯代がかなり浮くので重宝していた。

 因みにオーブンも無いのにどうやって餅を焼いたかというと、ここに一つの電気ストーブがある。

 寒くなって来たので5番街の家電屋で買って来たものだが、火力が異常だった。

 周りを鉄製のカバーで覆われているが、熱くなりすぎてその上で餅が焼ける程だった。

 この似非トースターを使ったのである。

 別のホテルでは火事を起こした事がある欠陥商品らしく、ホテルの服務員からは絶対に使用するなと止められていた。

 僕達は近くにバケツに水を張って置いておきながら、コッソリ使っていたが、今考えると怖いもの知らずだったとは言えかなり恐ろしい事をしていたと思う。

 家電の爆発事故など当たり前の様にしょっちゅう出てくる国なのだ。事故が起きなかったのは偶々の幸運でしか無かった。

 別の日、和田君の方ではカクテル用のシェイカーなどを送って貰っており、時折腕前を披露してくれた。

 和田君が決めた留学中にやる事の一つがこのカクテル作りだったらしい。

 前に飲み会の材料を買いに国際ホテルの地下にある高級食材店に行った時に、酒類の棚を眺めながらそんな事を言っていた。

 その日は僕も和田君も学校があって不在だったが、河村さんの所にも実家からの郵便が届いたらしい。

 昼間、前田さんと彼氏のナム君に手伝って貰って荷物を郵便局から平和ホテルまで運んだそうだ。

 荷物の中にあったキットカットなどの菓子類をおつまみにして、いつもの様にダラっと飲み会を始めた。

 今日は前田さん達も荷物運びのついでに部屋に来ていた。

「さっき郵便局でメッチャカッコイイ人見かけてさー。」

 と、徐ろに河村さんが話し始める。

 因みに「イケメン」という言葉はまだこの時代には使われていない。「萌え」という言葉はギリギリあった様な気もするが、その頃はまだそこまで浸透していなかった気がする。

「ミスチルの桜井さんにちょっと似てる感じ。」

 彼女の好きなバンドは2つあって、ミスチルとイエモンだと以前言っていた。

 いずれもヴォーカルの顔が好きなのだそうだが、ジャニーズの滝沢君も好きだと豪語しているくらいだから何でもまずは顔が好きかどうかで選んでいるのだろう。

 因みにそんな面喰いの河村さんから見た僕は「やや男前だけどカッコいいとは言わないよね。」という反応に困る微妙な評価を頂戴していた。

「追いかけたり話しかけたりしなかったの?」

 和田君の問いに

「そんな事できるわけ無いでしょー、荷物持ってたんだから。」

 と河村さん。

 荷物を持っていなければ躊躇無く追いかけていたのだろう。

 一緒に見ていた筈の前田さんに印象を聞いてみたが、

「うーん、私はあんまりピンと来なかったかな。」

 との答え。

 人によって好みは全く違うようだ。

 特に異性の好みならば一致する方が珍しいくらい千差万別だろう。

 だからという訳では無いが僕や和田君にしてみれば女性陣の男性の好みの話など、酒の肴としてこれ程どうでもいい話題も無かった。

 河村さんからは

「女性の好みや扱い方を知ろうともしないからキミ達はダメなんだよ、もっと勉強しときなさい。」

 という、手厳しいが一面から見ればもっともな意見を頂いていた。

「それでその郵便局の君さんがどの方向に行ったのかは確認してないんだね?」

「郵便局の中から見てただけだからね。入り口を出て曲がって行ったのはこのホテルの方だけど。」

「それじゃ、見かけたらまた教えてよ。」

 河村さんは協力して貰えるものと喜んでいたが、実のところ上手く行っても行かなくても話題が大きく動くのは大歓迎というのが本音だった。

 何しろ留学生活には娯楽が少ないのだ。


 娯楽が少ないと言えば、先日買ったメガドライブがもう限界に来ていた。

 物理的な限界では無い。

 精神的な限界だった。

 5番街のゲーム屋で販売されているソフトは殆ど遊び尽くしてしまった。

 そもそも海賊版が多くてまともに動作するソフト自体が少ないのだから、飽きがくるのも早かった。

「やっぱりプレイステーション買おうか。CDの方がコピーし易いから売ってるソフト多いらしいよ。VCDも見れるし。」

「そうだね、さすがにメガドラはもういいかな。」

 僕達は、半額ずつ出し合ってプレイステーションを購入する事にした。

 どこで買うかが問題だった。

 高いお金を出して偽物や動作しない不良品を掴まされたのではたまったものでは無い。

「そごうデパートで売っている物なら取り敢えず大丈夫じゃないかな?」

 この時代、日本のそごうデパートはこの国にも出店していた。現在は採算が合わずに撤退したという噂を聞いたが、その後どうなったかは情報を追っていないのでわからない。

 タクシーでそごうまで行く事になった。

 ゲームを新規に買うという話を聞いて、前田さんの所のナム君も今回は同行していた。

 実はかなりのゲーム好きらしかった。代金を3人で分けられればかなり出費が少なくなって助かる。

 そごうデパートの建物は、一見すると立派に見える新興の住宅街の中にあった。

 一見すると、と書いたのは立派なのは表通りだけで、一歩裏道に入ると学園通りと同じレベルの建物ばかりだったからだ。

 言っても日本にある1デパートが進出しただけなので、シェラトンホテルなんかには比べるべくもなく普通のデパートの外観だったが、その左右にはかなり綺麗に作られた白いマンション群が並び、向かいの敷地に伸びた自動車道路の外観も含めて日本の横浜そごう周辺の景色に見えなくも無い。

 しかしその隙間の路地を曲がった先は5番街と同じ料理屋や闇両替屋が並ぶゴチャゴチャした商店街が続いている。

 横浜そごう近くの、高島町の当時の雰囲気まで再現するつもりで作った街並みならそれはそれで凄い事かもしれないが、いかにも見栄を大事にするこの国らしい。

 そごうの中も一緒で、店の雰囲気などは日本を参考に見て上手く作られているようだったが、売られている化粧品やアクセサリーなどを良く見るとこの国のブランドの物が多かった。

 5番街のスーパーよりは良い品物なのだろうけれど、値段が日本並に高いのでわざわざ買おうとは思えなかった。

 上の階までエレベーターで上って行くと玩具売場があり、同じ階に本屋や雑貨売場が設置されている。

 どのデパートも突き詰めていくと似るのかも知れないが、この辺の配置などの雰囲気は横浜そごうに似ている気がする。

 玩具売場にプレイステーションが置いてある事を確認出来て良かった。もしここで見つからなければ現地デパートで怪しい品物を買うハメになる。

 一時帰国時に日本で買って持って来るという手もあったが、ゲーム機の海外持ち出しは意外と税関のチェックが厳しい。

 特にプレイステーションに組み込まれたCPUはこの当時としてはかなり高性能とされており、途上国に持ち込まれて兵器開発に転用される事を警戒しているようだった。

 今考えれば馬鹿みたいに思える話だが、実際これの後継機は今でも輸出貿易管理令のチェック対象になっているので、全くありえない話でも無いのだろう。

 話が逸れたが、無事に目的の物を購入出来た僕達は、そごうの地下にあるフードコートで食事を済ませると学園通りに戻った。

 戻ってからやっておくべき事があるとの事で、5番街の入り口でタクシーを降りる。

 聞けば、プレイステーションの本体を改造しに来たという。

 ナム君が言うには、この国で売っているゲームソフトは殆どがコピー商品なので、普通にやろうとすると機体本体のセキュリティに引っ掛かって停止してしまうらしい。

 大きな声では言えないが、改造とはこのセキュリティを外す事で、5番街のショップに預ければ半日程でやってくれるようだ。

 僕達は、行ったついでに店頭で分厚いファイルにむき出しのCDのままで挟まれて展示してあるソフトを幾つか購入した。

 改造が終わるまで時間があるので、一旦平和ホテルに戻る事にした。

 部屋に戻ってくつろいでいると、徐ろに河村さんが戻って来て興奮しながら話し始めた。

「さっきね、平和ホテルの入り口で(郵便局の君)がいたの!フロントで郵便受け取ってたからこのホテルに滞在してる人だったみたい。」

 コッソリ後をつけて部屋まで特定して来たと言うから恐ろしい。

 この時代にストーカーという言葉が使われていたかどうかは記憶が曖昧だが、間違いなくその気質があると思う。

「わかった、それじゃあ行こうか。」

「え?」

 僕の言葉に河村さんの目が点になる。

「だからさ、部屋まで特定したんだから行こうよ。」

「え、ちょっと待って、心の準備が。」

 さすがに慌てているようだが、そういう反応を見たくて言っているのだよ。

 これ程のチャンスは二度と来ないかもしれない。僕は容赦しなかった。

「最終的な結論として、河村さんとしては付き合う方向に持って行きたいんだよね?だからさ、そう思うなら早く動かないと。そんなにカッコいい人なら今この瞬間に別の女が部屋を訪れてるかもって思わないの?」

 横で聞いていた和田君も、僕の意図が分かって来たようで相槌を打つ。

「だって、今部屋に戻ったばっかりだし。まだ話しかけた事も無いのに。」

「ちょうどいいタイミングなんて待ってたらいつまでも来ないよ。不意打ちできる今がチャンスなんだよ。行こう。」

 部屋の入り口に立って催促する僕に、仕方なく了承して付いてくる河村さん。

 そのままの勢いで2Fまで上がり、河村さんの言う該当する部屋の前まで歩いて行った。

「行くよ、いいね?」

 僕の確認に、渋々うなづくのを待つ事なく、僕は部屋のドアを2回ノックした。

「すみませーん、ちょっと宜しいですか?」

 中から返事が聞こえて、ドアが開かれる。

 20代半ばぐらいの男性だった。

 確かに整った顔立ちだとは思うが、同性が見ても普通の人にしか見えないので気後れする事は全く無かった。

「何でしょう?」

 と訝しげに聞く彼に対して、僕の後ろに立っていた河村さんを前に突き出すと、

「この人が付き合いたいそうですので話を聞いてみて下さい。」

 恨めしげにこちらを振り返ろうとする河村さんを待たずに、「それでは。」と言い残して僕はその場を後にした。

 いつぞやの落書きのお礼はタップリさせて貰ったよ、河村さん。



 十一、生活の変化は大事?


 改造が終了したプレイステーションを引き取り、ついでに同じ5番街の中にあるビデオ屋でVCDを幾つか購入すると、再び平和ホテルに戻ってゲーム機の接続に取り掛かった。

 ゲームだけでは無く、音楽や映像のCDも再生出来るのがプレイステーションの強みだった。

 後継機種になれば、DVDやブルーレイが見れるようになって行くが、この時代にはまだそんなものは影も形もなかった。

 この頃日本のツタヤではまだビデオテープの貸し出しが主流で、1枚の容積が少ないVCDはこの後も結局流行る事無く廃れて行った。ところがこの国ではDVDが登場する迄の少しの期間、映像媒体の主役の座に就いていた時期があった。

 邪推だが、きっとコピーがしやすいというのも大きな理由の一つだったのでは無いだろうか?

「やっぱりメガドラとは違うよねえ。」

 和田君とナム君で早速買ってきたゲームの一つをやりながらゲーム談義を始めていた。

 共通の話題が多いこの2人は割と話が合うようで、最近はよくつるんでいる事が多い。

「でも何か、読み込みはメガドラの方が早く無かった?プレステってloading長いね。」

「それは多分映像を綺麗に見せる方にベクトル向けてるんじゃ無い?」

 と、新しいゲーム機の画像を見ながら、ああでも無いこうでも無いと論評している所に河村さんが戻って来た。

「あんた、やりよったなー!あの後大変だったんだからね。」

「ああ、そんなおも…じゃなかった、重要な進展があったんだね。それならお店へ行ってみんなでじっくり聞こう。」

 僕は、ゲームをしたいから出たく無いと言わんばかりの他2人と、ナム君を迎えに来た前田さんも誘って、近くの鳥料理の店へ行く事にした。


 そこのメインとなる料理は、鴨のような水鳥を香ばしく照り焼きにし、切り分けた肉を薄皮に挟んで独特の甘いタレに付けて食べるこの地方特有の料理だった。

 海外でも名前だけは有名で日本にもそれが出てくる店はあるが、正直高い値段を出して食べなければならない程美味しいものでも無い。

 ただし、それは値段が安ければ別の話である。

 ケンタッキーに行くのと同じぐらい気軽に行けるそこの店は、留学中よく利用した場所の一つだった。

 脂っこいのでさすがにお腹の調子がキツイ時に行くのは避けたかったが、それはこの国ならどこの料理店でも一緒である。

「で?話は長くなりそうだから先に結論から聞くけど、上手く行ったの?」

 僕は料理に先駆けて出てきた安くて薄い味の地ビールと、御通しの燻製卵と味付け筍の和え物を頂きながら尋ねてみた。

「上手く行ったけどね。一応皆さんにご報告だけど、本日私は郵便局の君こと加瀬君と付き合う事になりましたー。」

 普段ならメシマズな話ではある筈だけれど、留学生活で繰り返す淡々とした日常にいささか退屈していた僕にとっては、別の意味で有り難い話だった。

 以下少し会話が続く。

「おー、やったねー。それは僕の行動力に感謝だねえ。」

「そこだ。おいお前ちょっとそこ座れ。」

「座ってるけど。」

「何でさっきは背中押すん?しかもとっとと1人で帰るし。」

「何でって、面白いからだけど。」

「人の恋愛で面白がらないでくれる?あの後不審者じゃ無いことを説明するのに私が話す間の、加瀬君の冷たい視線がどれだけ痛かったか君に分かる?」

「ワカリマセーン。上手く行ったんだからいいでしょ?」

「よく無いわ。そこから日常会話に戻して恋愛の方に発展させるの大変だったんだから。」

「いや、そっから恋愛の方に進められるのがスゴイわ。よく付き合うとこまで数時間で行ったね。」

「でしょう?頑張ったんよ。」

「あー、頑張ったね、それは偉い。ここのビール代だけ奢ってあげるよ。」

「要らんわ。なにその誕生日の時との物凄い差は?ちょっと、前田さんも何か言ったって?」

 突然振られて、会話の流れにポカーンとしていた前田さんがハッと我に帰る。

「いや、キミらも結構相性いいんじゃ?」

「「無い無い」」

 即座に2人同時に反応した。


 プレイステーションでビデオ映像が観られるという事実は、今迄見逃して来て改めて見直す時間も無かった様々な映像作品を観るという貴重な機会を与えてくれた。

 僕も含めたみんなそれぞれが、観たかったドラマや映画などを買ってくるので、普段なら視聴しないような作品に触れる事もできた。

 この時期までに放送されたガンダムシリーズは全部通しで観れたし、キムタク主演のドラマなども一通り観た。

 志村けんのバカ殿様特集なんていう物まであった。今は2度と映像に出す事が出来ないであろうチョビ髭のあの男も普通に出ている貴重な?映像だった。

 スターウオーズも過去の3部作から、最近出た新作まで全て通しで観た。

 一応語学のために役立てた方法として、字幕の無い現地のドラマを適当に買って来て、観終わって理解出来た内容を後でお互いに交換しあうという真面目な事もしていたので、一応併せて記しておきたい。



 十二、観光ツアー


 留学期間中、連休などがあれば国内旅行に行く学生も多かった。

 やはりそれなりに歴史が有る国でもあるし、史跡などを回ってみたいのは僕も一緒だった。

 時折大学自体でもバスツアーを組んだりしていたのでそれに参加する事もあったが、どうしても団体行動だと日程や行動に自由が利かない。

 少人数で好きな所を見て回れるような旅行の方が僕は好きだった。

「城壁の回廊」ツアーを日帰りで募集しているというチラシを大学の構内で見かけたので、僕はそこに参加してみる事にした。

 参加した理由は、大学そのものでは無くて、学生が主体になって少人数募集しているツアーだったからだ。

 勿論構内で募集している以上、大学に届け出ての事では有るだろうが。

 日帰りという気軽さも良かった。

 そんな短時間で行って帰って来れる距離だったのかと少し驚いた。

 この遺跡は、国のイメージビデオや切手にも出てくる程有名な場所で、留学中に必ず行っておかなければと思っていた場所だった。

 泊りがけで行く場所なのかと思い、少し躊躇していたのだ。

 久々に誰も誘わず、いつものメンバーから離れて1人で行動してみた。

 1人と言ってもツアーのメンバーはいるが、たまには別のコミュニティの中で動きたかったのだ。

 その日は、朝7:00集合で大学北門の前に集合だった。西洋人の男性2人に黒人男性1人、東南アジア系の女性2人に日本人の男女が僕以外に3人いた。

 小型のバスを運転手付きでチャーターして、それにみんなで乗って行くという計画だった。

 早朝に出発したバスは、街の北に向けて走って行く。

 街を抜けると景色が一変した。車道の左右に広大な敷地を持つ畑が広がる。

 面積の割に農作業している人の数が少ない気がしたが、たまたま人が少ない日だったのか、または工作機械が導入されて効率化し、人が少なくても済むようになったのか。

 それは分からなかったが、何も取り繕わないこの国の本当の姿はとてものどかで平和だった。

 時折道の端を、馬が荷車を引いて歩いている。

 トローリーバスと荷馬車が、場所は違うが同じ国の道路を走っているというのも良く考えたら不思議な気がした。

 途中トイレの為の休憩があった。

 郊外なので不安だったが、衝立で仕切られたドブの上に跨いで座って用を足すタイプのトイレだったので、最悪を想像した野晒しよりはかなりマシだった。

 尤もこの頃は幾分度胸も付いたのか、或いは慣れてきたのか入り口のドアが無いぐらいでは動じなくなって来ていたが。

 再びバスに乗り、しばらく走ると風景がまた変わって来た。

 NHKの発展途上国特集でよく出てくるような石を積み上げて作った古い建物が並ぶ。

 時折、自転車の修理工や靴磨き、果物売りの露店などが道の端で店を開いている。

 少し妄想癖のある僕は、留学中、頭の中でもしこの国に生まれたらというシュミレーションを何度もやった事がある。

 例えばこの自転車修理工の男に生まれたら。

 修理の技術は親に教わるのだろうか?学校などは行く習慣があるのだろうか?今までどんな物を食べて来たんだろう?これからの未来で生活にどんな変化があるのだろう?

 一つの物語として書き上げられそうなほどの長い妄想をしている内に、バスは目的地に着いた。

 降りてから、ツアーのリーダーさんの簡単な説明があった。

 トイレの数が少なく、先に食事をしてからだと後で行きたくなった時に困るので、ここではそのまま遺跡の中を回り、帰り際に食堂に寄るとの事だった。

 そのまま並んで出発。

 城壁の回廊は、元々は異民族の襲来を防ぐ目的で作られた櫓付きの要塞だったが、国境の長い距離を、常に最大限の人員を配置して守備するのは至難だったようだ。

 手薄な所を何度も突破されたりしており、その機能を十分に発揮したという記録は残念ながら残っていない。

 しかし、規則的に石を積み上げて作られたその城壁は史跡としての価値は十分にあり、ユネスコの世界遺産にも登録されている。

 この国では文化の維持管理がそこまで徹底されていない為に、崩壊している場所も多く見られ、現在は修理中や立ち入り禁止になっている場所が多いと聞いた。それはこの遺跡に限った話ではなく、多くの貴重な遺跡が盗掘と無責任な放置に晒されてボロボロになっているのだという。なんとも残念な話だ。

 とはいえこの時代の観光地として開放されている部分は、まだしっかりとした形が残っており、歴史の面影を感じる事は出来た。

 割と標高が高いところにあるこの遺跡は、吹きっさらしの風が当たるところでかなり寒かったが、時折石の壁に囲まれた櫓の部分があるので、そこを風よけに小休止した。

 石畳の通路の外側、小高い丘になっているところがあり、ラクダが繋がれている。砂漠の生き物というイメージがあるが、寒さは大丈夫なのだろうか?

 一定の区域を往復した後、先程バスを降りた場所に戻って食事になった。

 小さな食堂や土産物屋が並んでいる雰囲気は箱根大涌谷あたりの休憩所に似ているかもしれない。

 この城壁の回廊をかたどったキーホルダーが売られていたり、遺跡の名前が彫られた銘菓が売られていたり、全く関係無さそうな水晶の原石が売られていたりするところまで良く似ている。

 近くの食堂に入り、同行していた日本人学生の3人と共に席に着いた。

 そのうちの1人は、実は最初の教室で同じクラスだった人で、僕が授業でわからない所を良く聞いていたあの人だった。名前を佐々木さんといった。

 もう1人の男性も実は顔見知りで、留学当初、大学北の外門の並びにある料理屋で昼食を食べている時にたまたま話し掛けられた人だった。

 この国に到着した時期が若干他の留学生よりも遅く、その日にこの街に来たばかりだったらしい。色々手続きに行くべき場所がわからず、日本人と見て訪ねて来たのだという。

 名前を森さんといったが、年齢的にどう見ても企業の派遣で来ている人であり、生活場所が異なる為かその時以来あまり接点がなかった。

 大人であれば遊ぶ場所は東門街近くの歓楽街がメインになるのでは無いだろうか?

 女性の方は初めて会う人だった。誰かの知り合いというわけでもなく、ただ空き時間を利用してこのツアーに参加したとの事だった。

 鍼治療を学ぶ為にこの国に留学に来たとの事だった。

 東洋医学という点では僕が学びたい整体と共通する知識もあるので、分かる範囲に関してのみだが会話の話題にすることが出来た。

 当然専門で学びに来たのだから、知識は向こうのほうが圧倒的に上だったが。

 食事をしながら、留学生活に関する内容を幾つか話した。

 歳がかなり離れたその人達に僕が出せる話題はあまり無く、どうしてもこの前出かけたフランス料理屋やカラオケ屋の話ばかりになってしまう。

 遊んでばかりいるような印象になってしまったのだろう。

 この時に佐々木さんに言われたのが、以前書いた「その年齢では勉強できるという事が、」というあの言葉だった。

 反論したい気持ちが無いではなかったが、間違ったものでは無いし含蓄を含んだ良い言葉なので、この時は素直に聞いて僕の心にしっかりと留め置く事にした。

 日帰りの短いツアーだったが、色々と見る事ができ、色々な話も聞けたので僕は満足して平和ホテルに戻った。



 十三、事件発生


 授業も一学期が終わる頃には、正月休みも兼ねた長い冬休みが貰える。

 この国の人にとっては、本格的に祝う習慣があるのは実は旧正月の方で、1日の正月はそれほど大きな事はやらないのだそうだが、大半の留学生にとってはやはり重要な時期である。

 特に、留学して来た最初の年などは一時帰国して正月を祝う学生が殆どだった。

 和田君や河村さんにとってもそれは一緒で、今回の冬休みは帰省する事にしていた。

 河村さんが付き合う事にした加瀬さんは、留学生活には慣れている人のようで、今回は帰らない予定らしい。

 僕達は久々にこの3人のメンバーで、この国の大使館まで帰国の為のビザを取りに行く事にした。

 話の種に、とこの時乗り合いバスに乗ってみたが、実の所留学中に乗ったのはその時だけで、以降2度と乗る事は無かった。

 現地人でギュウギュウに押し込まれた小型バスに長時間乗り、目的地の手前で大声で降りる宣言をしなければ降りられない。

 目的地の大使館街に着いた時にはゲッソリ疲れていた。

 この辺りには世界中の大使館が密集して建てられており、街路樹も建物も立派なものが多かった。

 古くてデザインもシッカリした建物が並ぶその景色は、なんと無く横浜の日本大通り辺りの風景に似ている気もする。

 そごうデパートの近くの、なんちゃって近代都市とはえらい違いである。

 こんな雰囲気を作り出せるのなら、全体的にこれを目指せば立派な文化都市になるのに、と思ったがそれは日本人の目から見た感想でしか無いのだろう。

 目的の大使館の中は、同じ目的の外国人で一杯だった。この混みようでは迷子になりかねないので、僕達はそれぞれ個別に用事を済ませて、終わってから近くの喫茶店で落ち合う事にした。

 手続きはそれ程難しいものでは無い。

 所定の紙に必要事項を記載して、パスポートと一緒に受付に提出し、判子を貰う。

 これだけである。

 余程犯罪行為に手を染めたりしていない限りは大抵すんなり済む。

 しかし、たったそれだけの判子を貰う為に物凄い行列に並ばなければならず、結局昼飯でも食べようと落ち合った筈が夕食の時間に近くなっていた。

 この時間に食べてしまうと大抵は夜中にもう一度食べる事になるのだが、3人共乗り合いバスと行列に疲れていたので後の事は考えず食べておく事にした。

 大使館近くにあるからか、凄く綺麗な作りの喫茶店だった。天井にはファンが回っており、入り口近くにはジュークボックスが置いてあって、コインを入れると実際に音楽を鳴らす事も出来るらしい。

 注文したハンバーガーセットは、欧米人向けだったのだろうか?これでもかという程特大だった。

 写真からこの大きさは想像できず、皿から山盛りに積み上げられたハンバーガーのタワーに、僕達は度肝を抜かれていた。

 レタスと肉が交互に挟まれ、皿の端にはソテーされたニンジンやジャガイモ、ブロッコリーなどが乗っている。

「いや、いくら何でもこれやり過ぎでしょ。」

 見ただけで胃もたれを起こしそうな量。それでも、バケットの間に見える肉から滴り落ちる肉汁は魅力的だった。

 若くて大食らいだった僕は何とか完食したが、他の2人は食べられるだけ、という感じだった。

「後でしっかりジムで消費しないと。」

「君ホント体調管理はマメだよね。部屋もそれくらいキレイに管理すればいいのに。」

 僕も和田君も部屋の整理は割と適当だった。

 洗う洗濯物と乾いた洗濯物を別のカゴに分けて突っ込んであるだけで、重要なコート以外はハンガーに掛けたりなどもしていない。

 そもそも部屋に大きく渡した、洗濯物干し用のロープも見た目的にはあまりよろしく無い。

 掃除はホテルの服務員さん任せだったし、スペースの無さもあって様々な生活物資が散乱していた。

 この片付けが苦手な性分は今に至るまであまり変わっていないかもしれない。

 僕は話題を変える事にした。

「加瀬さんとは上手くいってんの?」

「うーん。それがねえ。」

 別の話題にと何気無く出した質問に、河村さんが言葉を濁す。

 全てが上手くいく付き合いなどそんなにあるものでは無いのかも知れないが、そういえば最近は付き合い始めた当初程ノロケ話をしに来なくなった気がする。

 満腹になって眠気が差しているこの状態で真面目な話題をするのもアレなので、僕達はホテルに戻る事にした。

 勿論乗り合いバスでは無くタクシーで。


 国際ホテルで買って来たウィスキーを水割りにし、スモークサーモンと日本からの支援物資に入っていたあたりめをツマミに宴会の準備を始める。

 河村さんの愚痴話を聞くための態勢はバッチリ整った。

 久々に金田さんも参加している。

「なんかね、加瀬君と付き合い始めたキッカケって見た目からだったでしょ?」

 促されて、河村さんが話し始める。

「そうだね。キャーキャー言ってたからね。」

「それを言ったら、気に入らないらしいんだよね。」

 成る程。自分の中身を見てくれて無いじゃないか、という加瀬さんの気持ちも少し分かる気がする。

 例えば、突然顔に火傷を負うような事故に会ったらその要素は失われる訳で、その時はどうするのか?

 ただ、それならばそれで、そうなっても大丈夫なように関係性を築いて置けば良いだけのような気もするが。

「それって、付き合いながら中身を知って行くものじゃないの?」

「それがねえ。」

 いざ付き合ってみると、加瀬さんの狭量さが目に余るようになって来たのだ、と彼女は言う。

「独占欲が強いのは愛情が強いんだと思えば良いのかも知れないけどね。私の行動を制限しないで欲しいの。今日だって一旦自分の部屋に戻ってからこの部屋に来る前に一悶着あったんだから。」

「どんな?」

「こっちのコミュニティに参加するな、自分と一緒にいろって。」

 それって、監禁に近いというか人権侵害なのでは?

 付き合っている彼女とはいえ、そこまで行動を制限する権限は無いはずだ。

「良く分からない感覚だね。そんなにいつでも一緒にいたいならこっちの部屋までついて来れば良いのに。」

 そういえば加瀬さんはこちらの飲み会に参加した事はあまり無い。

 元々面識も無いし、単に入り込むのが億劫なだけだと思っていたが違うのだろうか?

「加瀬君、実は君にコンプレックス感じてるらしいんだよね。あ、これ本人に言わないでね。」

「?」

 唐突に予想の斜め上を行く言葉が出てきて良く理解出来ず、僕はポカーンとした表情をしていた事だろう。

 今まで一度もそのような評価を貰った事など無く、まるで理解出来ない言葉だった。

「どういう事?初日に部屋まで行った以外はほとんどしゃべった事も無い筈だけど。」

「例えばだけど、何でみんなこの部屋に集まるんだと思う?こんなに人が集まるコミュニティって実はそんなに多く無いんだよ。」

「ああ、言ってること分かった。そうだよね。」

 金田さんが相槌を打つが、僕はますます分からない。

「例えばの例で出してゴメンね。和田君だったら、こんなに人集まらないんだよね。宴会やるのに一時集まったとしてもすぐ解散しちゃうんだよ。」

「あー、それは自分もその通りだと思う。」

 和田君もその言葉に賛同している。分からないのは僕だけか。

「みんな実は君がいるから集まってるんだよ。」

「??」

「まだ理解出来ない感覚かもね。もう少し大人になったら分かると思うよ。」

 ウィスキーの水割りを片手に背伸びをしたつもりになっていた僕は、大人になったら、という学生時代以来久しぶりに聞いたその言葉に酷くはぐらかされた気持ちになっていた。

 どういう事かもう少し詳しく聞きたいと思って口を開きかけたその時、ドンドンと入り口のドアを叩く音が響いた。

「はい?」

 急いでスリッパを履いてドアを開けてみると、外に東南アジア人と見られる女性が立っていて、すぐに一緒に来てくれと言う。

 僕達の中では一番語学が達者な金田さんが、間に入ってもう少し詳しく聞いてくれた。

「外で日本人が倒れていて、救急車を呼んだから病院まで付き添って欲しいんだって。フロントに聞いたら、日本人が集まってる部屋がここだって聞いたみたい。」

 それを聞くと、僕は上着だけ着るとスリッパのままホテルの入り口に向かった。

 和田君も後ろに付いてきている。

 トラブルになりそうな話なので、取り敢えず女性陣には部屋に残って貰う事にしたのだ。

 救急車には既に怪我人が運ばれているようだった。僕達以外にもう1人和田君と同い年くらいの日本人男性が居て、その人も同乗してくれた。

 小野さんという人で、たまたま通り掛かったら救急隊員に呼び止められて付き添う事になってしまったのだそうだ。

 救急車の中には、吐き気がするほどの血の臭いが充満していた。

 正確には、大量の血の臭いになど慣れていない男性の僕としてはそれが血の臭いだと後で知ったのだけれど。

 僕達を部屋に呼びに来てくれた女性もたまたま通りがかっただけらしかったが、親切に人を呼びに来てくれたのだった。

 外で、救急車の出発を見送ってくれた。

 ここまで来て気が付いたが、咄嗟に出て来たままの格好なのでもの凄く寒い。

 搬送先の病院に暖房がかかっている事を僕は期待した。


 期待は外れた。

 そもそも時間外搬送の為、緊急で病院を開けたのだそうだ。

 ただでさえ誰もいない病院の建物は冷えるのに、ストーブも今つけたばかりで暖まるのにもう少し時間がかかる。

 現地語で「労災外科病院」というような意味の看板が掲げられた古い建物の病院だったが、診察室以外電気が付いていなかった。

 何故か診察室の中に僕達も一緒に招かれ、今叩き起こされてやって来ましたといった感じの医師から、処置を手伝うように言われた。

 緊急なので看護師も居ないのだそうだ。

 手をアルコールで消毒する事もなくいきなり処置を始める。

 その様子を見ながらこれは駄目だと思ったらしく、小野さんが渋々手伝いつつも僕と和田君に廊下に出て出来るだけたくさん応援を呼ぶように言って携帯電話を渡した。

 この国製の、折りたたみ式登場以前の棒状携帯電話だった。この時代まだそこまで海外旅行用のサービスが充実していない為、現地のものを購入して使用した方が、日本から持ち込むよりも安くついた。

 応急処置はこのまま続けるにしても、止血した後は病院を移す必要がある。

 ここには入院施設も無いだろうし、このようなレベルの医者に任せていたのでは命に関わると判断しての事だった。

 誰かに連絡するにしてももう少し怪我人に関する情報が欲しい。

 血の気が失せて気絶している顔を見ても、余程親しい知り合いでもなければ元の顔は想像つかない。

 僕と和田君で怪我人の手荷物を手分けして調べ、本人のパスポートを探し出した。

「この人、僕の顔見知りだ。」

 パスポートの写真と名前を見てようやく僕は気が付いた。

 先日、城壁の回廊に旅行した時に同行していた森さんだった。

「取り敢えずは平和ホテルに電話しよう。」

 僕は、フロントに自分達の部屋に繋いで貰うと、部屋で待機していた河村さんにその件を伝えた。

 こんな時一番頼りになるのは田辺さんである。一緒にいた金田さんに、呼びに行って貰う。

 併せて、治療に協力してくれている小野さんの名前を告げる。

 どうも加瀬さんも一緒に待機していたようで、その名前に反応したらしい。

 後で聞いたら元同級生で、以前は同じ部屋で生活していた事もある知り合いらしかった。

 森さんの方も実は河村さんと面識があったらしく、結局みんな同行して来る事になった。

 僕は、こんな時に空気を読まない提案だとは思ったが、靴下と手袋を持って来て貰う事にした。このままでは凍えて2次災害になってしまいそうだ。



 十四、傍観者はもうやめた


 ドヤドヤと大勢駆けつけて来た。

 この時になってようやく警官が何人か到着した。誰が通報したのかは分からなかったが、正直この国の警察がこの状況で役に立つとは僕には思えなかった。

 もしかしたら医療費の算定に事件の証明でも要るのだろうか?

 何故か前田さんもナム君と一緒に駆けつけて来てくれていた。

 たまたま僕達の部屋に遊びに来たのかな?

 と思ったがそうでは無く、実は最初に部屋に呼びに来た東南アジア人の女性は前田さんの知り合いだったらしい。偶然通りがかって救急車を見送る彼女を見つけ、事件のあらましを聞いたのだそうだ。

 その件を前田さんが警察に説明してくれた。

 それを横で聞いて、ようやく僕も何が起こっていたのか理解することができた。

 簡単に説明するとこうだ。

 平和ホテルの近くまでタクシーでやって来た森さんは、降りてから運転手としばらく口論していたらしい。

 かなり激しい口調だったらしく、偶然その時通りかかった東南アジア人の彼女は、危険な雰囲気を感じて遠目に眺めていたのだそうだ。

 しばらくすると運転手は車内から角材のような物を取り出して来て、森さんの頭部を数回殴り付けた。

 救急車の中や処置室に充満していた血の臭いからすれば相当強く殴ったのだろう。

 運転手はそのまま逃走したらしいが、女性は機転を利かせてしっかりナンバーを控えていたようだ。

 個人タクシーが多いので会社名などは無いが、色とナンバーさえあれば、個別の車体を特定出来るのだそうだ。

 前田さんがその件を書いたメモを警察に渡した。

 横で聞いていたナム君が、

「人間のやる事じゃ無いね。」

 と激昂していた。

 やがて、処置室から小野さんが出てくる。

 手術の手伝いをさせられた経験など無かっただろう。ゲッソリ青ざめている。

 僕は、彼に携帯電話を返すと、

「お疲れ様でした。機転を利かせてくれて助かりました。」

 と礼を言った。

 素早く僕達に指示をしながら、自分は処置室に残ったあの姿はかなりカッコよく見えた。

 偶然通りがかった日本人同士というだけで咄嗟にここまで動く事など僕には出来そうに無い。

「あれ?加瀬君の知り合いだったのか。」

 と小野さんは加瀬さんの姿を確認すると、

「悪いんだけどまだ終わりじゃないんだ。ここの支払いをどうにかしないといけないのと、至急患者さんを移動させないといけない。」

 と状況を説明して、みんなの知恵を拝借したいと言った。

 田辺さんは、大使館街の近くに外国人向けの病院があって、そこに日本人の医師もいるからそこへ行こう、と提案してくれた。

 それを聞くまでも無く、金田さんがタクシーを呼びに行ってくれていた。

 病院を移る事に関して、前田さんが警察に説明してくれていたが、どうにも難航しているようだ。恐らくは書類手続きがどうのと言っているのだろう。

 支払いに関しては、河村さんが森さんの財布を預かって代わりに支払い手続きをやっていた。領収書を貰っておいて後で本人に説明すれば問題ないだろう。

 加瀬さんは日本大使館の夜間連絡先に電話を入れて、事件のあらましを説明していた。

 和田君はナム君と一緒に担架の準備をして、タクシーに森さんを運ぶ準備をしている。

 みんな何か自分にできる事をやっていた。

 僕は?

 僕には何ができる?

 また傍観者でいいのか?

 また自分が知らないところで話が動くのか。

 傍観者には、もうならないと決めたんじゃなかったのか?

 今だ。今が動く時だ。

 僕は一時逡巡した後、前田さんに加勢する事にした。

 タクシーに通じたあの方法なら。

 前田さんの前に割り込むと、僕は「日本語で」現地の警察官に捲し立てた。

「人の命が懸かってるんだよ、今移さないと死んじゃうの、分かる?外交問題に発展するぞ、あんたに責任負えんのかよ!」

 その剣幕を見て、という訳では無いのだろうが、警官は渋々だが折れてくれたようだ。

「分かった、行けよ。」

 と言ってくれた。

 前田さんが、「キミカッコエエワー」と言っていたが、この中で一番何もしてないのは僕だ。

 せめてこれくらいはカッコつけたかった。


 大使館近くの病院までタクシーで移動すると、全員で森さんを丁寧に担いで搬送した。

 咄嗟の事なのであまりじっくり景色を見ていなかったが、少なくとも病院そのものとその周辺の建物は、日本の物とそう変わらないぐらい綺麗で立派に作られていた。

 病院の名前もアルファベット3文字のカッコいいものになっている。

 現地の人はとても利用出来ない、外国人や上流階級向けの病院はこうやってキチンと作られているという事実と、一般の人はさっきみたいな病院でも利用しなければならないという現実。

 釈然としないものを感じながらも、今はこの病院が開いている事に感謝する時だった。

 田辺さんからの連絡を受けて待機してくれていた日本人医師が、

「いい判断だったね。処置跡を見る限りは酷い縫合の仕方だよ。もう少し遅ければ最悪の事態も有り得ただろうね。」

 と見解を述べて、処置に当たってくれた。

 ここまで見届けて、ようやく僕達の仕事は終わった。

 緊急の出来事にこう言っては不謹慎だとは思うが、僕の知っている人達全員がこうやって協力して動いたのは、やはりどこかで少し楽しく感じていた。

 とは言えもう僕の身体の冷えは限界だった。頭がクラクラしている。

 僕も明日寝こまなければいけないのは必至だった。

 今日僕は主体的に動けただろうか?

 傍観者をやめられただろうか?



 十五、一時帰国、そして新学期


 日本に一時帰国するチケットは、現地の旅行会社に電話を入れて取ることが出来た。

 拙い現地語を駆使して、何とか往復の格安チケットを取得する事が出来た。

 この時期の往復チケットはすぐに売り切れてしまうらしく、残っていた格安の物は関空(関西国際空港)を利用したものしか無かった。成田空港のチケットは安い物は売り切れらしい。

 高いが成田空港が使える会社のチケットと差額を計算して見ると、新幹線代を入れてもやはり関空を使った方が得らしかった。

 正確には、行きは成田で降りて、帰りは関空というスケジュールになる。

 同じように一時帰国する関西出身の河村さんと、帰ってくる日の日程が同じだったので、当日空港で待ち合わせする事にした。

 日本へのお土産を中央広場近くのデパートで購入し、郵送する手続きをしたりしていたら、帰国日が来るのはあっという間だった。

 前日は何時ものメンバーで一学期お疲れ様パーティーをやった。

 この国に来て数ヶ月の間、何回こうしたパーティーを開いたか数え切れない。

 周りから見れば確かに佐々木さんの言うように遊んでいるようにしか見えないかも知れないけれど、この時過ごしたその時間は10年以上経った今でも鮮明に思い出すことができる。

 この時の記憶があるから、その後の大変な時期も乗り越えてくることが出来た。

 大袈裟かも知れないが確かにあの時間は僕の中で糧になっていた。

 一言でいうなら楽しかった。


 日本に帰ってゆっくりとした正月を過ごした。

 特に貴重に感じたのは、温泉にゆっくり浸かれた事だった。

 あの国には湯に浸かる習慣は無く、平和ホテルでは常に共同シャワーだった。

 ドアに鍵がかからないので、常に誰か入ってくる人がいないか警戒する必要があった。

 シャンプーで目が見えない状態で侵入者に襲われたのではたまったものではない。

 しかも、トイレの真横に併設されていた為に隣で誰かが大をしていようものなら、こちらの排水溝から臭いが上がって来る。

 誰もいない時間を上手く見計らって、素早く入浴を済ませなければならなかったのだ。

 もう一つ帰国している内に堪能しておきたかったものが寿司だった。

 ナマモノなどをあの国で食べるのは自殺行為である。

 そもそも何を食べても安心できる食材であるという事実そのものがどれ程貴重な事であるか、あの国に行けば嫌という程知る事が出来るだろう。

 おせちに年越し蕎麦、初詣で。

 日本でしか体験できない事を十分に堪能した上で、あの国に戻る日、僕は関空に新幹線で向かった。

 再び行くのだから、戻るという表現は適切では無い気もするが、敢えて言うならあの平和ホテルに帰る日、チケットにある7:00という時間に間に合わせる為に僕は朝一の新幹線に乗っていた。

 この時間なら十分に間に合うだろうが、時間に関して心配症な僕は、万が一にもチケットに不備があったりして、飛行機に乗れなかったりしたら大変だと少し焦り気味だった。

 初めて降り立つ関西国際空港に到着すると、建物をゆっくり観察する事も無く真っ直ぐチケットの交換所に向かった。

 受付に僕の名前を伝えると、その場でチケットが受け取れるシステムである。

 僕は、引換券を提示して便名と出発時間を伝えた。

 受付のお姉さんが怪訝な顔になった。

「え?その時間にそんな便名…。」

 まさか、偽物を掴まされた?

 或いは連絡の不備だろうか?

 でも帰国する時は上手く出来たのに。

「あ、分かりました。」

 お姉さんは苦笑しながら、哀れな生き物を見るような目でこう言った。

「これ、午後出発の飛行機ですね。」

 あまりの事に膝から崩れ落ちそうになるのを何とか堪えた。

 12時間以上もの時間を潰さなければならない羽目になるなど俄かには信じられなかった。

 電話でやり取りしたのを聞き違えていて、尚且つ引換券の印字が薄かった為に勘違いしていたというのが本当の所だろう。

「御愁傷様です。ついでと言っては何ですが、大阪の街を見て回られては如何でしょう?」

 非常に尤もな提案だったが、今は何処かのソファーを独占してこの傷心を癒す為に不貞寝したい気分だった。

 僕はお姉さんに礼を言うと、フラフラとその場を後にした。

 これ以上無理というくらい不貞寝するのに3時間を費やし、これで残り9時間だ。

 僕は一般人が入る事が許されている場所全てをこれでもかという程歩いて回ってみた。

 この時代の、この時期の関西国際空港に関して僕ほど詳しい人間は恐らく従業員以外にいないだろう。

 入り口付近にあったゲームセンターにどんな種類のゲームが置いてあるかとか、喫茶店のデザートがティラミスだったとか、ランチセットのパスタにどんな種類があったかとか。

 本屋で週刊誌を何冊か買って全て読破してみたり、雑貨屋で携帯ゲームのテトリスを買って飽きるまでやったり、CD屋で視聴出来る曲を尽く視聴してみたり、さすがに申し訳無いのでイエモンのCDを購入してみたり。

 これで4時間は費やせた。

 残り5時間。

 このまま行けば大阪の市街地まで出なくても済みそうだ。

 今みたいにスマホでゲームをしながら待つ時代でも無い。時間を潰すにはそれなりに知恵が必要なのである。

 そもそも知恵があれば午前と午後を間違えてこんな事態になってはいないけれど。

 何とか頑張って残り1時間というところまで時間を費やしたところで、河村さんが空港に到着した。

「お待たせー。待った?」

「うん、12時間前の今来たところ。」

 あの時の河村さんの何とも言え無い、笑っていいのか呆れていいのか分からない表情を僕は忘れない。

「もうどっからツッ込んでいいのか分からんわ。そこまで体張ってギャグかまさんでも。」

 それはそう言うしかないよね。僕だってそう思うさ。

 河村さんと搭乗手続きを終えて、軽く夕飯を済ませると、待ちに待った飛行機にようやく乗る事ができた。

 自業自得ではあるけれど、この時をどんなに待った事か、というその言葉を今日ほど実感した事は無かった。

 飛行機はやがて、2週間ぶりのあの国の空港に降り立つ。

 最初に来た時ほど迷う事もスリを警戒する事もなく、僕達はタクシーに乗る。

 やがてひどく懐かしく感じる平和ホテルの入り口にたどり着いた。

 ただいま。

 明日からは、2学期。

 新しい留学生活が始まる。

ここに掲載したお話は全部実際にあった出来事です。

思い出しながらなのと、ストーリーの都合に合わせる為にエピソードの時期は多少前後したり、別の話をくっ付けたりしていますが、大体合ってるかと思います。

登場人物の名前は一部変えていますが、見た目の描写などはそのままです。

実際の関係者の方が見れば、あ、自分が出てると思うかも知れませんが、20年以上も前の出来事です。そんな事もあったな、とご了承頂ければ幸いです。

本文中にも書きましたが、国名を伏せた理由は、現在はあまり渡航を勧めたくない場所だからです。

ヒントが幾つか散りばめられているのでわかる人にはすぐわかってしまいますが、わかればその理由もすぐに分かると思います。

尚、登場する遺跡や土地の名前も少しだけ変えてあります。

もっと変えないとバレバレだよと思われるかも知れませんが、あまりネーミングセンスが良くありませんのでこれもご了承下さい。

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