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名前のない暗殺者 牙狼  作者: ミヅキ
6/7

宿敵と親友

 目覚まし時計がなる前に目が覚める。時刻は少し早いが、日は出ている。今日が最後の日だ。俺が学校に居られるタイムリミットの日だ。

 まったく実感はない。悲しくも嬉しくもない。ただ胸の内に、何か違和感を感じるだけだ。

「ええい! 集中しろっ!」

 顔を冷水で洗う。冷たくて顔が痛むが、気持ちも切り替えられた。今日が何もなければいいが、それはあり得ない。絶対に未亜を守らなければならない。

「あちらさんも仕掛けてくるだろうしな」

 まだ朝食の時間より早いが、部屋でじっとしているのもままならない。俺は廊下に出てから気の向くままに歩いて行き、屋敷の外にある庭に出る。

「暖かくなってきたな」

 春の陽気が出てきたのか、朝から暖かい陽の光を浴びる。気持ちがよくて、またここで寝てしまいそうだ。

 寝ないようにと、思い切り伸びをして体をほぐす。その後、目を閉じて数回深呼吸をする。

 俺は、暗殺者だ。今日は敵を排除するだけの存在。自分にそう言い聞かせ、自らの目的を再認識する。

「朝から何をやっているの?」

 声をかけられた方を向くと、寝起き姿の未亜が居た。勿論、制服ではなくパジャマ姿で、だ。

「何よ? 私の顔に何か付いてるの?」

 じっと見ていたからなのか、未亜は次第に自分の姿を確認している。そういうことじゃないんだけどな。

「いや、なんつーか、可愛らしいパジャマなんだなって」

 言った後、未亜は恥ずかしそうに身をよじらせ、その姿を隠すようにしていた。

「……何よ? 変って言いたいの?」

「いや、似合っているなって」

「そ、そうなんだ。あ、ありがとう……」

 別に思ったことを口にしただけなんだけどな。礼を言われるようなことをしたつもりではなかったのだけれども。

「じゃ、じゃあ早く食堂に行きましょう。そろそろバトラーの朝食が出来ている頃だから」

「ああ、そうしようか」

 庭から屋敷へと戻る。庭に来たのは、ただの確認だ。それは大したことではない。あの位の高さなら、俺はこの屋敷から逃げられたんだな、という今では必要のない情報だ。

「今日一日は張り切ってもらうからね」

「はいはい」

 分かっているさ。最後の一日だからな。やりきってやるさ。

「ところで牙狼、怪我の方は大丈夫なの?」

 食堂にて、既に執事が朝食の支度を終え、それらを食べている最中、未亜は突然聞いてきた。そんなに気にすることは無いと言ってるが、まだ気にしているみたいだ。

「動く分には問題ないな。だからといって無理に動かしたくはないがな」

「そう、あまり無理はしないでね」

「保証はできないがな」

 未亜を守るためには無理をしてでも、だ。そんな俺にお構いなしに未亜は膨れっ面になり、

「ちゃんと約束しなさいっ! 無理をしないで護衛するって!」

「そいつは無理な話だなぁ」

「どうしてっ!?」

「そりゃ、何事も不測な事態ってもんがあるだろ。それで無理しないでいたら今度は未亜が怪我をしちまうだろ?」

 無理なもんは無理だ。善処はするがな。

「じゃあ、無茶はしないで」

「変わってないじゃんか」

 苦笑しつつも、未亜は自分の意志を曲げる気はないようだ。本当に頑固で融通がきかないお嬢様だこと。

「ま、俺も無闇に怪我を増やしたくはないからな。それなりの動ける範囲で護衛するよ」

「それでよろしい」

 今度はちゃんと納得したようだ。執事も微笑みながら、傍らでいつものように姿勢よく立っている。

「お嬢様、牙狼くん。そろそろ着替えてきてはどうですか?」

 今日はお互い制服に着替える前に部屋を出てきていたから、部屋着のままだ。時間も時間だし、そろそろ準備しないと危ない頃合いだ。

「んじゃ、俺も着替えるわ」

「それじゃあ、牙狼、着替え終わったら玄関で待っていて」

 未亜と分かれて部屋に戻り、着替える。この服装も、学校に行くのも最後だ。気合を入れて、一日頑張るとすっか。

 すぐに屋敷の玄関に行くと、執事が待っていた。

「今日一日、お嬢様をよろしくお願いします」

「ああ、無事に屋敷まで帰してやるよ」

「それともう一つ」

 執事は顔の前で指を一本立てて、懇願するように言葉を続ける。

「君も無事にこの屋敷に帰ってきてください。よろしいですね?」

「出来れば、の話だけどな」

「いいえ。必ず、です」

 俺から目線を外し、執事はどこかへと視線を注いでいる。それは多分、未亜が居る部屋の方向だろう。

「お嬢様は、お嬢様自身と君が無事でいることを望んでいるのです。ですから、無茶はなさらないように」

「二人してそこまで俺が心配なのか?」

 半ば呆れ、半ば嬉しさがある。心配するにも少しし過ぎなくらいだ。

「俺はあんたより強くはないが弱くはない。戦闘においては俺は強いからな」

 ニヤリと挑戦的に笑う。うぬぼれではなく、それなりの経験もある。

「だから、そんな心配しなくても大丈夫だ。俺が未亜を守り、俺自身も戻ってくるさ」

「ごめんっ! 待たせたわっ!」

 未亜が部屋から出てきた。すぐに革靴を履き、玄関のドアに手を掛ける。

「それじゃあ、行ってきます」

「行ってらっしゃいませ。お嬢様、牙狼くん」

「ああ、行ってくる」

 この世に絶対という言葉はない。だから俺は執事の言葉にも、未亜の約束にも、曖昧な言葉でしか返事をしなかった。


「おはよー、牙狼、久遠寺さん」

「おはよう、狐塚くん」

「おはよう」

 学校に登校するといつもの二人……ではなく狐塚だけが机にぐったりしながら座っていた。未亜は挨拶が済んだらすぐに自席に戻っていった。

「小城はどうした?」

「俺も知らないなー。いつもならこの時間になら居るんだけどね」

「そうか」

「俺も特別に仲がいいってわけでもないからな。席が近いから会話とかはするけどさ」

「そうなのか? てっきり仲がいいと思っていたけど……」

 俺と一緒に学校案内したり、毎朝話をしている間ではそう思っていたけれど。

「なんていうか、遠慮している感じなんだよ。俺のことも、なんだかんだで話しているって感じに」

 少し落胆しているような素振りを見せつつも、それは真実かまではわからない。本当は冗談で言ってるだけかもしれないし、こいつの場合は。

「ま、俺はそんなこと気にしねーけどな」

 さっきとは違う、満面な笑みを浮かべる狐塚は、ただ単に話し相手が欲しいだけなのかもしれないな。

「そうかい。俺はわりかしそういう所は気にするけどな」

「そうか? 俺からすると牙狼はむしろ、近寄るなオーラを発してる気がするぜ?」

「それは否定できないな……」

 あまり意識していないがそんな感じの雰囲気は出しているらしいな。未亜にもよく言われていた。

「だろ? なんつーか牙狼は、逆に自分に深入りしてほしくないって感じだな」

「……遠からず当たり、ってところだな」

「やっぱりなー。俺って割りと見る目あるんだぜ?」

 その眼は細くて何考えてんのか分からないけどな、とは思いつつも口にはしないでおいた。そうこうしている内にホームルームを報せるチャイムが鳴る。それと同時に前のドアから担任である皆方先生が、後ろから小城が同時に入ってくる。

「おはよう、つってもギリギリだな、小城」

「おはようー、小城」

「お、おはようございます。狐塚くん、牙狼くん。今日はちょっと寝坊しちゃって……」

 お互いに挨拶しあってから、小城が席についた。すぐさまホームルームが開始される。その間小城は、ずっと未亜の方を向いていた。

「今日は今週最後の日だからな。だからといって気を抜かずに、ちゃんと授業を受けるんだぞ」

 大した連絡事項もなく、ホームルームはすぐに終わり、次の授業の準備をする。その間に、小城は未亜の方に向かっていった。教室中はうるさくても、ここからなら聞き耳をたてられる。

「く、久遠寺さん。おはようございます」

「お、おはよう……こ、小城さん……」

 傍から見てもかなり動揺しているな、未亜。目が泳ぎまくってんぞ。

「き、昨日のお話の続きがしたいんだけど……どうでしょうか?」

「ええっと……放課後、はどう?」

「わ、分かりました! それでは、放課後にまた!」

 戻ってくる小城は笑顔で、未亜は対極的に安堵の表情だ。なんつーか、そんな気を張ることもないだろうに。

「? どうした牙狼? 早くしないと先生来ちまうぞ?」

「ああ、そうだな」

 とはいえむしろ俺が緩みすぎているのかもしれないな。俺も気を引き締めて今日の授業に望むとしようか。


「終わったーっ!!」

「お疲れ、今日はよく当てられていたな」

「そうなんだよー。皆方先生、俺のことチェックし過ぎだってー」

「お、お疲れ様です。でも、狐塚くんもちゃんと出来ていましたね」

「おうよ! あれだけやらされたら覚えちまうって!」

 今日の授業も滞り無く終了した。最後の英語の授業がモロに狐塚ばかりが指名されていたが、ほとんどパーフェクトに正解していた。

「後はホームルームで今週も終わりだー。いやー長かったわ―」

「で、でも、また休日が明けたら、すぐに学校がありますよ?」

「そういうこと言うなよーっ!?」

 狐塚は一時歓喜していたが、すぐに絶望へと叩き落とされたような表情をした。そんな表情を眺めている小城はニコニコと笑っていた。……どちらにしても、こいつはドが付くほどのエスだな。

「それでも俺は、この週末で遊びまくってやるんだっ!」

「そ、それでしたら、明日か明後日に皆で遊びに行きませんか?」

 小城が楽しそうに提案する。そんな日常に俺も居たかったと思わせてくる。

「悪い、俺は休日に用事があるから無理だ」

「あー、小城さんには悪いんだけど、俺もだなー」

 狐塚もバツの悪そうな表情で答えた。小城も残念そうな表情をしていたたけど、すぐに笑みへと戻った。

「じゃ、じゃあ、また今度に! いつかは行きましょうね!」

 いつか、ね。その時には既に、俺は居ないんだけどな……

「おう! そんときはよろしく!」

「……ああ、いつか、な」

 そんな話をしていたら、担任の皆方先生が入ってくる。俺の最後のホームルームだ。もう二度と来ないだろう、最後の。

「今週も皆、お疲れ様っ!」

 元気よくハキハキと喋る皆方先生は、人としてお手本になっているのだろう。俺も見習わなければならないと感じてしまう程に。

「休日だからといってハメを外さないようにな。遊ぶときは遊び、勉強するときは勉強するよう、メリハリを付ける事が大事だからな。後、牙狼」

 急に呼ばれたから驚いた。すぐに返事を返すと、

「ホームルームが終わったら一度職員室に来てちょうだい」

「分かりました」

 良くはわからないが、とりあえず行けばいいのだろう。それ以外には何もなく、最後のホームルームも終了した。

 終わったと同時に生徒たちが動き出した。俺も鞄を置いたまま、教室を出ようとする。勿論、その前に未亜の方に行って、注意しておく。

「すぐ戻る。あまり動くなよ」

「分かっているわ」

 簡単に伝えておき、廊下へと出て行く。未亜も勝手に出て行かないだろうから大丈夫とは思っているが念のためだ。

 ただ何故だろうか。この胸騒ぎは一体なんだろうか。

 職員室に着くと、皆方先生に「ちょっと待ってて」と言われ、少し廊下で待っていた。数分もしないうちに帰ってきて、

「はいよ。今日で最後だし、返しておくよ」

 と言われ、手渡される。見なくても返ってきたものは分かっていた。

「返したけど、物騒なことに使うんじゃないよ。警察沙汰になったら困るのは私達なんだから」

 ため息を吐きつつも、冗談で言ってるのは分かっている。こんなペーバーナイフ程度じゃ、そこまでには至らないだろう。

「色々と世話になりました」

「私はほとんど何もしてないよ。それでどうだった?」

 何を聞かれてるのかは分かっている。それだけのことを、この数日で俺は学んだ。

「楽しかった、というのが本音です」

「それは何よりだ。まぁ、こっちの世界に溶け込んでいって欲しいのが、私の願いでもあるんだけどね」

「それは……っ」

「いいっていいって。それは決めるのは私じゃない。君が持つのは、ペンなのかナイフなのかを決めるのは、君自身だからね」

 それは昨日執事が言ったことに似ていた。だからだろう。聞いてみたくなってしまったんだ。

「俺が持つのはナイフじゃダメなんだろうか……?」

「ダメ、ということではないよ。でもそれが、正しいかどうかと言われたら、私も久遠寺も、そうとは言わないね」

「……どうしてですか?」

「そのナイフは誰かを傷つける。それは久遠寺も私も、喜ぶことだとは思えないからね」

「でも、俺にはそれが最適だと思っているんです」

「うん、そうだね。でも今は違うんでしょう?」

「……っ!」

 分かっていたことだ。この手で誰かを傷つけることは普通だってことじゃないことに。それでも俺は、自分の間違いを否定したくなかった。それでもっ!

「この数日間で学んだことで、君は違う道があることを知った。その道が正しいかどうかはわからない。でもね、前の道が正しかったと言われてもわからない。だからこそ、自分の意志に背くことなく、決心して道を選ぶんだよ」

「……ご忠告、ありがとうございました」

「どういたしまして。気が向いたら、いつでも来ていいからさ」

 頭を下げつつ、職員室を後にする。自分の意志に背くことなく、か。

 また考え事をしてしまったが、今はそれどころじゃない。頭を振るって意識を変え、教室へと戻る。

 しかし、未亜は居なかった。動くなと言ったはずなのに未亜は居なかった。同時に小城もその教室には居なかった。

 すぐに廊下に出て、昨日未亜と一緒にいた隣のクラスの小城の友達とやらを探す。昨日見ていた二人組の片方であるツインテールの子を見つけ、すぐに小城がどこに行ったか聞く。

「すまない。小城がどこへ言ったか知らないか?」

「汐梨? 確か屋上に行ったはずだよ?」

「悪い! ありがとうっ!」

 すぐに教室から出て行く。後ろから、「ちょっとっ!?」と声が聞こえてきたが時間がないため無視する。

 階段を駆け上がり、屋上へと辿り着く。最近動いてないせいか、思っていたよりも呼吸が乱れる。そして、屋上の扉開け放つ。そこには――

「き、来てくれたんだっ!? よかっ……た?」

 居たのは小城、一人だけだった。他には誰も居ない。未亜もそこには居なかった。

「ど、どうして……? 牙狼くんがここに?」

「お前、未亜をどうした?」

 最後の確認だ。ポケットに隠しているペーパーナイフをそっと持つ。

「そ、それは私が聞きたいよ。さっき放課後になったら、屋上で待ってるから、って伝えたのに、まだ来てなくて……」

「……本当か?」

 ゆっくりと近寄る。もし仕掛けてくるなら、手加減なしに首を切るつもりだった。

「ほ、本当よ。私は先に屋上に来て、友達に伝えてもらったんだけど……」

「どうして直接言わなかったんだ?」

「く、久遠寺さん、今朝話した時、嫌そうだったから……」

 もしかしたら、俺はマズいことをしてしまったかもしれない。

「小城、話は変わるがお前、地毛は何色だ?」

「え、え? 私は生まれてから染めたことはないよ。ほらっ」

 小城は不審そうにしていたが、髪の毛を摘んでピンっと張る。その色はまごうことなき、

「……黒だ」

「そ、それがどうしたの?」

 俺は答えずに屋上の扉から階段を駆け下りる。後ろから小城の声が聞こえるが止まっていられない。畜生っ! 未亜の言うとおりじゃあねぇかっ!?

 小城はストーカーと言われた人じゃない。あいつの髪の色は確かに根本から先まで真っ黒だった。となると今や未亜は、

「ほんっと、最悪だなっ!!」


「っっ!!」

 身体を蹴られ、そのまま壁に叩きつけられる。昨日一緒に居た小城さんの友達である、ショートカットの子に呼ばれたどおり、教会に来てみたけど、中に居たのは小城さんじゃなかった。まんまと騙された私を待っていたのは前回同様に設置された大量のトラップと、

「いやー、こんな小細工で引っかかってくれて助かるわー。いやホントマジで」

「……狐塚っ!」

 目を細くしていて、何を考えているかわからない、狐塚がニヤニヤと気色悪い笑みを浮かべて立っていた。

「二人揃って違う方を警戒してくれちゃってねぇ。本命がこっちだって気づかないかなぁ?」

「……っ」

 狐塚はナイフを片手でクルクルと回しながら、楽しそうに喋りはじめた。

「今日も簡単にあの女から伝えてやったら、ノコノコと教会に来てくれるしね。俺超楽だったわー」

「あの子を騙していたのねっ!」

「ご名答ー! もう一人の友達とやらが本当の小城が居る屋上を知らせたみたいだけど、後から俺が根回ししたのさー!」

 一度、小城さんの友達が、屋上に来て、と言われたがすぐにもう一人の友達が、やっぱり教会に、って言われたから私は疑わずに教会に来てしまった。なんてうかつなんだ私はっ!?

「俺はあんたの執事らと近い暗殺者グループでね。そこら辺じゃちょっとは有名なんだよ」

「あんたっ、暗殺者なのっ!?」

「いやいや違うね。あいつらと一緒にしちゃ困るよ」

 嫌そうに狐塚は首を振る。それでいて笑みは絶やさない。

「俺はその中でも情報に特化している集団さ。俗にいうスパイってやつさ。今回は、あんたの『アズール』の情報を欲しがっている奴らに雇われてな」

「そんなことのために学校に居たのっ!?」

「ああ、そうさ。つっても他に利用価値がアレば、それはそれで構わないしな。しっかしまぁ、退屈だったわ」

 本当に面倒臭そうに話している。そんなことのために学校に通っていたなんて。

「久遠寺家っていういい獲物が居るんだ。だったら同じ場所に潜入していれば、いい情報も来るだろうって魂胆さ」

 話し終わったからなのか、首を鳴らし、私の方へ近寄ってくる。

「さて、長々と話しているとあんたのとこの犬っころが来ちまうしな」

 音を鳴らしながらゆっくりと近づいてくる。逃げようとしたいけど、足が言うことを聞いてくれないっ!

「さっさと『アズール』についての情報を教えな。素直に言えばなにもしないぜ」

「……お断りよっ!」

「そう、かいっ!」

 身体がおもいっきり横に吹き飛ばされる。狐塚に蹴られた箇所が痛む。息ができなくなって、苦しいっ。

「言わないんだったら、殺しても構わないんだぜ?」

「……誰が、お前なんかにっ!」

「……そうかよっ」

 再度蹴られる。壁にぶつかった衝撃で頭がふらふらする。

「お前の犬はもう来ねぇよ。今頃屋上で急いでいるだろうけど、間に合わないだろうなぁ」

「……っ」

「それにだ。ここに来られたとしても教会の前にはトラップを設置してあるからなぁ。そいつは全部、あんたが来た後にちゃんと起動するようにしたからな。あいつが来るときにはちゃんと起動するから安心しろよ」

 もう、無理、かな……?

「さぁ、早く言わねぇと次は」

 狐塚は私の胸にナイフを突き立てた。チクリとした痛みと、熱さを感じさせられる。

「心臓を貫くぜ?」

「……お……り」

「あ? なんだよ、ちゃんと喋ろって」

「……お断りよっっ!!」

「……そうかよ。命は大事にするもんだってこと、身体に教えてやる、よっっ!!」

 狐塚がナイフを頭上に振りかざす。私は目を閉じ、その時が来るのを待った。

 振り下ろされる――そう思っていた。

「っっ!!??」

 その直前。あと数センチというところで、盛大に音を鳴らしながら教会に入ってくる人が見えた。

 それは教会の入口からじゃなく、そのもっと奥。ステンドグラスを粉々に割りながら入ってきた。同時に狐塚が私から飛び退いた。

 ガラスの破片が舞い、太陽光を反射させてキラキラと光る。その中心部に彼は立っていた。

「未亜っっ!!」

 私を守ってくれる、私の番犬が来てくれた。


「未亜っっ!! 大丈夫かっ!?」

 すぐに未亜のもとへ駆け寄る。あまり血は流れていないが、痣や頭部が少し切れているようで、血が滲んでいる箇所がある。

「大丈夫よ……意識はあるわ。それよりも……っ」

「いやー、まったく。俺が用意したトラップ無駄になるねー」

 ガラス片を踏み鳴らしながら、近寄る男。茶色の髪に細い目でニヤニヤ笑みを浮かべている男。

「なるほどな。お前だったのか、狐塚」

「ご名答ーっ! とはいってもすこーし遅かったなぁ」

「小城だと疑っていた俺らが間違いだったんだな」

「その通り! まんまとあの小娘を警戒してくれてねぇ。そりゃ楽だったよっ!」

 調子よく喋りながらも、狐塚はナイフを投げてきた。それらを持っていたペーパーナイフで弾く。投擲に関しては速度もコントロールも良さそうだな。

「……お前の地毛は、黒か」

 もう聞く必要もないが、ついでだ。驚いた表情を一瞬見せるが、すぐにまた笑みへと戻る。

「よく知ってるねー、元は黒だぜ。んでももう犯人探しは終わりだろ?」

「……どうやってあの時、ナイフを回収したんだ?」

 俺が負傷した日、その夜に大量のナイフを狐塚が回収したはずだ。しかしその場には誰も居なかったはずだ。

「そりゃ堂々と入り口から出て行くわけ無いでしょー? ちゃーんと前もって作った裏口から出て行ったに決まってんじゃねぇか? それに、あの大量のナイフは回収というよりも隠しただけだしなー」

 狐塚はナイフを二本手に持ち、構えながら俺の質問に答えた。なるほど、どうせまたトラップを仕掛けることだからどこかに隠していたということか。

「お前が考えてる通り、この教会にもいくらかトラップがあるぜ? そこんとこ、気をつけろよなー?」

 狐塚はニヤニヤしながらも、俺との間合いを測っているようだ。

こっちの武器は一本しかない。しかも切れ味の鈍いペーパーナイフだ。といっても無いよりはマシだ。

「まぁつってもな、別にトラップなんて要らなかったな。どうせこれからお前らは、死ぬんだからなっっ!!」

 一気に俺との距離を詰めてきた。その走り方は、暗殺者が使うような走り方だった。

「っ! お前、暗殺者かっ!?」

「ご名答っ!」

 二本のナイフを振るわれるが、どうにかしていなす。片方を受け、もう片方を避けたり腕を押さえたりすることでなんとかしのいだ。

「結構やるなぁ。でも、まだ甘いなぁ!」

 それでも、弾かれて無防備になった右腕に目掛けて蹴りを入れられる。ちょうど怪我をした位置に入り、鈍い痛みが増す。

「ぐっっ!?」

「もういっちょー!」

 そのまま土手っ腹に蹴りを食らう。床を転がり、叩きつけられる。

「怪我人じゃあ俺には敵わないぜー?」

 こいつ、俺が怪我をしたことも、どこを怪我したかも分かってやがる。

「ほらほら、どうした狂犬? 犬なら犬らしく、もうちょい尻尾振ったらどうだ?」

「……うるっさいやつだな。お前のほうがきゃんきゃん喚いてんじゃねぇか」

「ああっ!?」

 追撃するかのごとく、狐塚は蹴ろうとするが、転がって避ける。

「しつっこいな。さっさとくたばれっつーのっ!」

 立ち上がった俺に休む暇もなく、接近してきた狐塚のナイフが俺を襲う。

「お前は俺の友達になってくれると思っていたんだけどな……」

「ああっ!? んな訳ねーだろがっ! お前とゲーセンに行ったのは力量を測るために決まってんだろうがっ!?」

 少しは。少しだけは期待していたんだ。俺と友達になってくれるやつが、こっちの世界には居るんだって。でも、そんな期待はあっさりと砕かれた。

「元々お前が学校に来た時から怪しんでたんだよっ! 久遠寺家の護衛みたいな奴が来たから擦り寄っただけの話さっ!」

「……弱いやつほどよく吠えるもんだ」

「んだと、ゴラッッ!!」

 さっき狐塚が投げたであろうナイフを拾い、二本のナイフで狐塚に競り合う。何度も金属同士が発する音がし、ナイフが掠って切り傷ができる。

「ほんっとうに、鬱陶しいなぁっっ!!」

 狐塚が一旦下がり、ナイフをあらぬ方向に投げる。それと同時に、いくつかトラップが起動した。俺をめがけて大量のナイフが襲いかかってくる。

「これでさっさとくたばれやっ!!」

「甘いんだよっ!」

 両手のナイフで弾く。全てとはいえないが、ほとんどを叩き落とし、残りは掠った程度で済ませる。

「ちっ! 面倒くせぇなぁっっ!!」

 トラップでは通用しないとわかったのか、狐塚は再度接近してくる。ナイフをかざし、片方は突きを、もう片方は逆手で殴るつもりか。

 逆手の方のナイフは俺のナイフで受け流す。もう片方はさっきとは違って避けはしない。そのまま俺の胸を目掛けて突いてくる。

「頭に血が上ってんぞ?」

 俺の胸に突き刺さる前に、もう片方の手で払いのける。これでヤツの身体はがら空きだ。

「なっっ!?」

「数日間だったが、楽しかったぜ。だけど」

 持っていたナイフを捨て、強く拳を握る。この一発で、仕留めるっ!

「未亜を傷つけたんだ。お前に慈悲なんてものは要らねぇよな?」

 そのまま狐塚の顔をおもいっきりぶん殴る。

「……ざーんねんでしたっ!」

 殴った、つもりだった。だけどその手は空振り、見事狐塚の頭の後ろにある。

「俺がそんな拳を避けられないと思ったのかよっ!?」

 完全にがら空きとなった俺の身体に、狐塚は隠し持っていたナイフを突き立てようとする。

「そうだな。確かにお前なら、避けられると思ったさ」

 こいつは俺と同じ暗殺者だ。だからこそ、こいつの動きは分かっていた。アレだけ追い詰めてもなお、形勢逆転されることくらいはなっ!

「秘拳――空蝉っっ!!」

「……がっ、ぐあぁっっ!?」

 俺を刺そうとしたナイフは、直前で止まり、目の前に居た狐塚は膝を地面につけて倒れる。

 ――空蝉。押し出した拳をその勢いのまま逆に引いて殴る技。つまりは後頭部を狙う裏拳だ。あの人が俺を叱る時によく使った技だ。身体で覚えてしまうくらいにな。

「お前には言ってなかったな」

「なにを……だっ!?」

 立ち上がり、俺との距離を開けた狐塚に向かって告げる。これが正真正銘の、最後の一撃だ。

「俺はな、素手のほうが強いんだぜ?」

 一歩。たったそれだけでこの間合いを全て無しにする。これが本当の暗殺者だ。

「お、前っっ!?」

 トラップか、懐からナイフを出すか。どちらかは分からないがそれをさせる前に、両腕をはたき落とし、そのままみぞおちに拳を叩き込む。

「っっがぁ……!?」

「もう、お前の負けだ」

 膝が折れた狐塚を支え、そのまま脳天を揺さぶる一撃を与える。その一撃で、狐塚の意識を刈り取ったことが分かる。

「これで……終わりか……」

 長い長い、数日間。その対象であるストーカー、及び敵である、狐塚拓磨の確保が完了した。


 終わった。彼が全て、終わらせてくれた。

「大丈夫か?」

 狐塚を近くの長椅子に置いてから、彼は私に近づき、心配そうにそう言った。私よりもだんぜん怪我は多いくせに。

「わたしは平気よ。数回蹴られた程度だもの。それくらいは慣れっこよ」

「そうか、無事で何よりだ」

 その時彼は、安堵したようにホッと息をついた。それなりに心配してくれてたんだ……

「それじゃあ、こいつはどうする? 警察にでも引き渡すか?」

「まさか。そんなのじゃあ話にならないでしょう。一度屋敷に連れて行って頂戴。残りはバトラーに任せるから」

 電話で連絡でもすれば、後は任せてもいいでしょうし。

「了解。んじゃ、一回連れて行くよ」

 そのまま彼は狐塚を肩に背負い、入り口から出ていこうとする。その手前で、

「トラップも解除しておくから。後は……」

 一度教会の全貌を見ている。これだけ派手に壊してしまったのだ。少しは気まずいのかな?

「いいわよ、これくらい。私とあなたの命と比べたら安いものよ」

「……助かる」

 そのまま彼は教会から去っていった。私も次いで教会から出ようとするけど、

「……っ!!」

 まともに立てず、ふらついて尻餅をついてしまう。血は止まったけど、まだ痛みは止みそうになかった。

 諦めて、休んでから行こうと考え、壁にもたれかかる。すると、急激に眠気が襲ってきた。それから私は、少しだけ寝てしまった――

「――さんっ」

 誰かの声が聞こえる。

「――んじさんっ!」

 うるさいなぁ。痛いし疲れてんだよ、私は。

「久遠寺さんっっ!!」

「んぅぅ……?」

 ゆっくりと瞼を開けると、そこには三人の学生が居た。

「く、久遠寺さんっ!? 目が覚めて良かったっ! すぐに保健室に連れて行くからねっ!?」

「良かったー! 中々目が覚めなくて冷汗かいたよっ!」

「本当! 無事で良かったよっ!」

 小城さんと、その友達のツインテールの子と、ショートカットの子だった。

「……どうして、ここに?」

「が、牙狼くんが教えてくれたの。久遠寺さんは教会に居るって。なんか、狐塚くんが背負われてたけど、大丈夫だったのかな?」

 確かに傍から見たら、あの光景は異様だろう。彼なりに誤魔化してくれたことを祈るしか無いわ。

「なんか狐塚、白目向いてたもんな。あれはやばそうだったわ」

「わざわざ運んであげるなんて、牙狼くんって優しいよね」

「そ、そんなこと話している場合じゃなくてっ! ほら、久遠寺さん、捕まってっ!」

「あ、ありがとう……」

 腕を回してもらって、私に肩を貸そうとする小城さんは、本当に優しい人だな。

「でも、大丈夫だよ。ちゃんと一人で歩けるから」

「だ、ダメっ! 頭から血が出てたみたいだし、一人じゃ危ないですっ!」

「私も汐梨と同意見。危なっかしいからね」

「私もーっ!」

 三人共同じ意見で、引き下がってくれそうになかった。だから結局、

「……じゃあ、お願いするわ」

 そのご好意に甘えることにした。

 なんとかして保健室に着いたけれど、やはり先生は居なかった。前もだったけれど、ここの保険医は仕事をしているのだろうか? そんなことを考えてしまうくらい見かけないわね。

「まーた居ないよ。本当にどうなっているのかな、この学校の保健室は」

 ショートカットの子が呆れた風に呟いた。私も苦笑いをするくらいしか言葉が出なかった。

「と、とりあえず、怪我した場所を拭いて、消毒しておこう」

「そうだねー。包帯はいらないかな?」

「血は止まってるし大丈夫だろ?」

 三人は手分けして医療品を探し始めていた。私は用意されてあるベッドに座り、その光景を見ていた。

 既に日は沈み始め、夕焼け空になっている。牙狼も既に、屋敷についた頃だろう。これで彼との関係も終わりなのかな。

「はいっ! 久遠寺さん、こっち向いてっ!」

 驚いて声のした方を向くと、それと同時にひんやりとしたものが頭部に当たる。さらに、

「そのまま……消毒っ!」

「はいっ!」

「待って待ってっ!? 痛いってっ!? それ冗談抜きで痛いからっ!?」

 怪我をした部位を濡れタオルで洗い流し、そのまま消毒を掛けられた。ただ、容赦ないほどに掛けられた消毒のせいで、痛みが倍増した。

「そんな消毒要らないでしょっ!?」

「あっはははっ!!」

「あはははっ!!」

「……ふっ、ふふっ!」

 三人共笑いながら私を見ていた。その笑顔は、こんな怒りも吹き飛ばすような笑顔だった。

「いやー、久遠寺さん、そんな顔もするんだね。初めて見たよ」

「うんうん! なんかいつも、お嬢様ーって感じだから、こんな一面も初めてっ!」

「……く、久遠寺さん」

 小城さんは、笑みを絶やさずに告げた。

「わ、私達は、こんな風に些細な事で笑い合えて、些細な事で喧嘩をします。久遠寺さんともそんな感じの友達になりたいんです。……ダメでしょうか?」

 そっと私に手を差し出す小城さん。私はどう返事をすればいいのか分からず、目線を泳がせてしまう。

「……わ、たしは、その……友達とかよく分からなくて……」

「はい?」

 間の抜けた様な声が聞こえた。それと同時にまた、三人共笑い始めた。だけどそんなになんでそんなに笑っているのかが分からなかった。

「そ、そんな笑うこと無いじゃないっ!?」

「い、いやだって……ふふっ。友達っていうのはなってから分かるものだもの。そんな理解するものじゃないよ?」

「そ、それは分かってるわよっ! ただ、どうやって接すればいいのか、分からなくて……」

「あーん、もうっ! 久遠寺さん、可愛いーっ!」

 ツインテールの子がいきなり私に抱きついてきた。ビックリして押しのけようとしても離れてくれない。

「ちょっ!? なんで抱きついてくるのよっ!?」

「つまりは、そういうことだよ」

「そ、そうそう。久遠寺さんはちょっと考え過ぎなんじゃない?」

 小城さんも、隣に立っているショートカットの子もにやにや笑いながら、私を見ている。彼女を止めようとする気は全く無いようだ。

「久遠寺さんはさ、もうちょっと柔らかくなればいいんだよ。誰かと一緒に遊んだり、買い物に行ったりとかね」

「……柔らかく、ね」

「そうそう! だからさ」

「わ、私達と」

 三人が一斉に私に向かって手を差し出した。そして、

「「「友達になりませんか?」」」

 ……この子たちは、本当に純粋だ。私とは違って、汚れていない。だからこそ、私には眩しく見えていた。

 でもその逆もあったんだ。私が彼女たちが眩しかったと同様に、彼女たちは私が眩しく見えていたのだろうな。

「ふふっ。こちらこそ、よろしくねっ!!」

 だから、今度こそはその手をちゃんと掴んだ。三人の手を取り、返事をする。それと同時に、三人が私に抱きついてきた。

「や、やったーっ! これからもよろしくねっ!」

「久遠寺さん、見た目がとーっても可愛いのに、中々取っ付きにくいんだもんっ!」

「あはははっ!」

「だから抱きついてくるなーっ!?」

 三人にもみくちゃにされてたけど、もう痛みも関係なかった。だってこんなにも、楽しくて笑いあえる友達ができたんだから――


 既に日は沈み、外は真っ暗だ。今日一日という日も、そろそろ終わりに近づき始めている。

「それで、後はそっちに任せていいのか?」

 既に手足を紐で拘束し、ソファに仰向けで寝転がっている狐塚を一度見た後、執事に問いを投げる。

「はい。こちらで全ての情報を得た後、残りは警察にでも引き渡すことにしておりますので」

「警察にか? いいのか?」

「彼が全て答えてくれれば、の話ですが」

 そりゃまぁそうか。ここまで執拗に久遠寺家の情報、『アズール』を欲しがるのなら、それ相応の情報も欲しい。依頼主くらいが知れれば良いほうだろう。

 そうこうしている内に、大広間の扉が開く。未亜が帰ってきたようだ。

「おかえりなさいませ。お嬢様。お怪我の方は大丈夫でございますでしょうか?」

「ええ、ただいま、バトラー。友達に手当てをしてもらったから大丈夫よ」

 乱暴だったけどね、と悪態吐く未亜だが、執事も俺も顔を見合わせ、吹き出してしまった。

「な、何よっ!? おかしくないでしょうにっ!?」

「いや、未亜がついに友だちができたなんてな」

「よかったです。お嬢様はずっと一人でいらしたとお聞きしておりましたから」

「何よそれっ!? 私は、ただ、単に友達を作ってなかっただけで……っ!」

 延々と続きそうな、未亜のバレバレな言い訳は聞かずにいると、急に真面目な表情に変わり、

「それで、彼の処遇は?」

「先程牙狼くんには話しました。こちらで任せることになりました」

「そう。後はよろしく、バトラー」

「かしこまりました」

 執事は狐塚を肩に抱え、そのままどこかへ行ってしまった。数日間だが、友達と思っていたやつにまた騙されたな……

「そういや、なんで『アズール』なんてものを作ったんだ? 画期的ではあるとはいえ、久遠寺家の分野からは少し離れていないか?」

 久遠寺という名前は確か医療機器専門の大手企業だったはずだ。それなのにまったくもって関係のない、未来予測システムなんて作っていたのか?

「ああ、あれ全部嘘よ」

「……はぁ?」

 呆れた声を出すと、未亜は当たり前じゃない、といった表情で、

「そんなものは作成してないわよ。あれはそれらしく見せた演算システムよ。未来予測なんて出来るわけないじゃない」

「じゃ、じゃあなんでそんな嘘をついてたんだよ?」

「……ある人に会いたかったからよ」

 未亜は悲しそうな表情をしながら、そう言った。誰に会いたかったのか、それを聞こうと思ったが、その前に未亜が話を切り出してきた。

「さて、牙狼。あなたへの依頼はこれで終了よ」

「あ、ああ。そうだな」

 窓から外を見上げている未亜は、やっぱり悲しそうな表情だ。でも、俺はここにはもう居られないんだ。俺の任された依頼は、これで終わったのだから。

「……ねぇ牙狼。一つ聞いていいかしら?」

「なんだ?」

 俺も一緒になって窓の方を見る。すると、少しずつ雨粒が窓に張り付いてきた。

「……あなたは、この世界には居られないの?」

「俺は――」

 未亜の方を向く。未亜も俺へと身体を向かせて、対面する形になる。

「あの学校っていうのも中々面白かった。それに、誰かと接しあう事ができたしな」

「だったらっ!」

「でもな」

 未亜が言いたいことは大体分かっている。それでも、

「結局、誰かに裏切られるんだよ、俺は。現に狐塚は最初から俺を友達として見てくれていなかった」

 最初から知っていたら、あんな風に誰かと接するつもりはなかった。だけど、接している内に、それが楽しいって感じてしまった。

「俺はそんな弱い自分じゃ居られない。俺は、やっぱりお前たちとは違うんだよ」

 悲しいけれど、俺はここに居てはいけないんだ。ここに居ては、俺は傷つき、弱くなるだけだ。

「それに、未亜たちにも迷惑がかかる。そういう訳にはいかないからな」

 それじゃあ、と告げて玄関の方へと向かう。これが俺にとっても、未亜にとっても最善な選択なんだ。

 外にでると、雨が強くなっていた。荷物が無いとはいえ、この寒さで雨の中帰るのは、ちょっとマズったな。

「ちょっと待ちなさいっ!」

 声のした方へと振り向くと、急に衝撃を感じた。それは目の前の未亜が、俺に抱きついてきたからだ。

「……これ、忘れ物」

「……俺、何も持ってきてないけど?」

 抱きついたことや、未亜の言葉に戸惑う。ゆっくりと離れた未亜は、あるものを差し出した。

「いいから、これ」

「えっ? これって――」

 差し出された手には、小さな折りたたみ傘。小さいけれど、子供ならちゃんと入りきれそうな、実用性のある傘。なによりそれは、俺が数年前、ある事件に巻き込まれた少女にあげたはずの物だったから。

「まさか、未亜――」

「忘れてないわよ、バカ」

 未亜はクルッとそこで踵を返し、玄関へと戻っていった。その時に見えた顔は、真っ赤になっていた。

「……気が向いたら、来なさい。このバカ」

 扉を閉める際、そう告げられる。その言葉は、少し涙ぐんでいた気がしたのは、気のせいじゃなかった。

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