アンシーの結婚
私は、昔から夢見がちな子どもで、お花畑の素敵さ、ドレスのまばゆさ、宝石の色気、そんなものにとりつかれていた。大人になって、それらがとても高価なもので一部の上流階級にしか手の届かないものだと知って、ますます夢を見るようになった。
特別。そう、私はそれがとても好きで憧れているのだ。一生に一度、ううん、もしかしたら何回もあるかもしれないけど、あまり経験できない――結婚。
儀式の特別さと宝石のような美しさがある素晴らしい、人生のイベント。
だから、結婚式を作る仕事についた。
受付にやってきた夢いっぱいの客人の話を聞き、彼らの持てる限りの財をつぎ込んで特別を作る。それが私の生きがい。人生。仕事。誇り。
「ミリーには、これが似合うと思うの」
「あら、リズだって」
本当に仲睦まじい二人は先ほどからカタログを見て熱心に討論を繰り広げている。私はちらりと時計を見た。かれこれ十五分。
一大イベントに目の前しか見えずに、時間の経過も忘れてしまうことはよくあることだ。
式を手伝うプランナーの仕事はなにも予算だけを考えるだけではない。お客様に的確に声をかけて、ほどよい時間で現実に戻ってもらうことだ。
まぁ、だいたい、男女なら男が妥協し、女が現実を突き付けてくる、というパターンなのだけど。
「だめ、これは、高すぎる」
「私のへそくり使っていいから」
問題は二人が両方とも、夢と現実をしっかり見ているということだ。
「どう思います?」
「素直に答えて」
四つの目が私を睨みつける。おお、こわい。けれど二人ともブルーサファイアみたいな美しい目をしている。
「一生の思い出ですし、妥協しないのがよろしいかと、思いますよ」
営業スマイル。
「もしドレスに力をいれるとしたら、式そのものは小さくていいとおっしゃっておりましたし、料理などでコストをさげれば」
「うーん」
「私、ドレスだけは妥協したくないわ。写真に撮るんだもの。それが粗末なものじゃいやよ」
「そのドレス一枚、レンタル数時間で数万ドルよ、ミリー」
「私、がんばって貯めたもん」
「私もよ」
二人が微笑みあう。大変、仲の良いことだ。
「じゃあ、料理の値段は最低限のやつ。で、ドレスはこの二つ。それでよくないかしら?」
「それでお願い」
「わかりました」
あーあ、ドレス二つで大変だった。と内心ため息をついた。
プランナーとしてはお客様に満足いく結婚式を提供したいが多少の妥協も必要だ。そのなかでも出来るだけ理想に沿いたい。
基本は事前にいくつかのコースを用意し、予算と来客数に合わせてコースを選択すれば、あとは小さなこまごましたものを選択するだけなのだけども。
なんにだってハプニングはつきものだ。裏舞台で私たちは頭をさげ、走り回り、ときには泣いたり、笑ったりする。それはきっと結婚式に彼女たちが使う金額よりもはるかにでかい出費だ。
ただ今回だけは用意したコースは全却下。
ひとつ、ひとつ、決めることになった。
なんといってもお客様が二人とも女性なのだから。
結婚を仕事にしている者なら、何事も勉強だ。ドレスの流行、廃れ、宝石にこめられる意味、宗教――これは一番のトラブルの元だから気をつけなくちゃ!――スポーツの勝敗、その他いろいろと本当にいっぱい……ありすぎる!
だから、同性愛の結婚が認められたということもすぐに把握していた。するだけはしていた。
朝、トーストをこがして落ち込んでいると、テレビで見た内容に衝撃とともに唖然として、仕事の相手が広がったと思ったのは完全な職業病。
その三日後に、女性カップルのお客様が来たのには神様、やはり仕事相手が広がりましたと私は祈りそうになった。
マネージャーのサムソンはしったり顔で
「君にしか任せられない」
などとほざいた。
「だって、君ほどに経験のあるプランナーはいないもの」
褒めてもため息しか出せないわよ、と言い返してやった。
女性同士の結婚式。
どうする? プランなんて一つもない。前例もない。ないないづくし。教会に飛び込んで、ここで同性の結婚式をしてもいいですかと神父の首根っこを掴み、ケーキは女性的なものがほしいとシェフを拝み倒し、ドレスだけのカタログを取り出してカメラマンとこのドレスとこのドレスの組み合わせはいいか、センス自答問答。
そんな私の地獄の三日を通り過ぎて来店した客人は本当に楽しそうにしている。私は完璧な受け答えをして、神父の言葉もありますし、更にケーキはここがいいですよ、ドレスの組み合わせはこれがおすすめと口にする。
二時間、三時間でも、二人は楽しそうにしゃべる。私も。
「あなたにしてよかったわ」
「本当よ。私たち、結婚式をしたいけど、出来るのかわからなかったの。けど、あなたみたいな優しい人がいてよかったわ」
「いいえ、とんでもない」
「じゃあ、当日もお願いしますね」
ドレスのサイズ調整やらいろいろとあるけれども、だいたいのことは決まった。あとはそのゴールに向けてみんなで邁進するだけ。
ようやくスタート地点につけたため息。
けれど二人が嬉しそうに笑ってお礼を口にする。返事に仕事ですからと、口にしても頭から痺れる歓びがある。
結婚は素敵。
みんなハッピーになる。
もちろん、両親が不仲でいがみ合い。できちゃった結婚で、式の途中に破水しててんてこまい。神父が酒臭い馬鹿。料理が遅れる。新郎が逃げた。結婚式の途中で逃亡した。その他諸々の大変な惨劇というものはちょくちょくある。笑顔だけじゃない舞台裏。
けど、幸せそうな二人を見て、私は久々に、よかったと噛みしめた。
この三日の疲労が報われた。
「あなた、結婚してるの?」
ドレスの仮縫いのとき、ミリーが微笑んだ。ふわふわの蒲公英みたいな髪の毛に、クールな瞳の女性。
「してます」
「素敵だった?」
私は曖昧に微笑んだ。
「家族だけ呼んだ結婚式でしたから」
私の夫はどうしようもない飲んだくれ。絵を描いてる。昔は夢を追いかける姿が素敵だった。今は重荷になった彼の存在を私はときどき持て余しては蹴り飛ばしたくなる。冷めてるわけじゃない。ただ、ときどき私たちは寄り添うことを拒む。
夫婦というものが結婚して、更にはプランナーとして走り回ってもまだわからない。法律、伝統、式?
「ひっそりとやったんだ」
「ええ。あなたは、会社の方も呼ぶんですね」
「隠したくないの。オープンにすればなんだっていいってわけじゃないわ。けど、私は恥ずかしいことはしてない」
きっぱりと、宣言する。
「だから、隠さないの」
問いかける目で私を見てくる。
会社と家族を呼んでのなかなかに大きな式。私は、はじめ、家族だけですると思っていた。だから小さなプランだけを用意したいたので、なにもかも練り直し、走り回るハメになったのだ。
「リズは素敵な人よ。だから、傷つけたくないの。あなたが担当でよかったわ。アンシー、ありがとう」
「私の名前」
「ネームプレート、胸にさげているのに、わからないと思う?」
私は思わず自分のネームプレートに触れた。
ふふっとミリーは微笑んだ。
「アンシーって女性って意味ね」
「はい」
「素敵ね。あなたは、名前の通り、女性的だわ。家族は、きっと法が作るんじゃない。けど私たち人間は弱いから。法という縛りと決まりがいるの。それを利用して私たちはいろんなものを作っていくのよ、きっと」
「そうですね」
ささいなことを忘れていたのだと思って私は楽しそうにドレスを見に着けるミリーを見た。
「花が届いてない、どうして! もう式は二時間前なのよ!」
ヒステリック。そんな声が自分から出るとは思わなかった。今すぐに怒鳴り付けたいのをぐっと我慢して電話の受話器をとる。ドレスは整った、神父は微笑んでる、料理もほかほか、客人はみな期待している。
驚くほど素敵な結婚式になった。
それを祝福する花がない。
「ハーイ? 花はどうしたの? ブーケは? 最後の花ぶつけのための花は?」
「ハーイ、アンシー。悪いけど、私は結婚するのが女同士とは聞いてなかったわ」不機嫌な花屋の声「悪いけど、花は無理」「どうして」「私の宗教では、同性の結婚は地獄に落ちる。私は地獄に落ちたくない」辛辣な言葉。息を飲む。ああ、もう。ばか。私の、バカ。「お願い、そんなこといわないで、花が必要なのよ」「無理よ。私は宗教上、協力出来ない。他をあたってちょうだい」がちゃん。電話の受話器を置いた。くそったれ。
けど、そのくそは私自身だ。なにもかも完璧だと思ってたのに。こんなところで躓くなんて。
「アンシー、どうしたの」
「ねぇ、なにかあったの?」
控室にいた二人の花嫁は、私から漂う不穏の気配に不安げに見つめる。今日、一番幸せで笑っているべき人なのに。私は息を飲んで、見つめる。
なんて言う? なんて言えばいい?
「ねぇ、話して。私たちのアンシー。あなたは私たちの魔法使いだわ。私たちの願いを叶えてくれた。だから、そんな悲しい顔しないで」
「そうよ」
二人が寄り添い、私の肩を撫でる。本当は私の仕事なのに。
「ごめ、ごめんなさい。花が届かないの、ブーケも、なにも」
「どうして」
「あなたたちを、祝福できないって、宗教上の理由で……」
とっさに、取り繕うことを忘れてしまった。こんなストレートな言葉、最低だ。
「ああ、そんなこと」
「いいわよ、花なんて」
二人は顔を見合わせて笑う。だめだ、そんな顔させては。
「私たちね、そういう諦めは慣れっこだから」
「あなたは知らないけど、会社の人も、何人かは理由があって来てないの。だからいいのよ」
なにが、いいのだろう?
なにも良くはない。
けれど宗教を理由に断られたら何も言えない。信じるものがあることは大切だ。それを捻じ曲げることも、論破するのも無意味だ。彼女たちにはそんなものは必要ない。ただ悲しく笑っている。なにもかも許す顔をしている。
私は馬鹿だ。無力だ。考えたらずだ。
ごめんなさいと口にしようとして下唇を噛みしめる。そんな言葉が必要なわけじゃないことはわかっている。
「少しだけ、お時間をください」
私は走り出す。
夢を諦めてもいいと口にしたのは十五歳のとき。自分よりも可愛い子がいっぱいで、能力もある人たちを目の当たりにしたから。自分はなんて平凡なんだろう。二十歳のときに諦めから少しでも寄り添おうとしてこの仕事を選んだ。それでも、いつも、いつも諦めていた。
生きることは諦めるしかない。
それを学んだ。
妥協し、そのなかで最善を選ぶ。
ばかみたいな人生。ばかみたいな最善。
だから
私はヒールのかかとが折れたのに、舌打ちして脱ぎ捨てる。冷たい地面。両手にヒールを握りしめて。
息があがって、涙を流してひどい姿でも気にせず、私は私の花嫁たちに近づいて、一握りの花を差し出した。
「花です」
彼女たちはじっとそれを見つめる。
「小さなブーケですいません。けれど、これしかなくて」
私の言葉を遮って花嫁たちは私に親愛のキスと抱擁をくれた。
「ありがとう。私たち、世界一幸せな花嫁よ、今」
きらきらと輝く、宝石みたいな笑顔とともに彼女たちは歩き出す。私はその背を見つめて、目を閉じる。
これでよかったのかわからない。なにもかわらない。誰が悪いわけでも、なにがいけないわけでもない。
ただこれが私の生きる世界。
たった一つのブーケ。それでも人を幸せに出来るのだ。