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8.報告書

 犯人は、台所のスープ番の料理人だったと告げられた。


(本当にそうかはわからない)

 

 刑事ドラマ風に言えば、『被疑者死亡により不起訴』だ。

 そう。彼は、死んでいた。

 エルルーシアが倒れた事で大騒ぎになっていた時にはちゃんといたそうだが、そのうちに姿が見えなくなって、見つかった時にはもう息をしていなかった。

 エルルーシアと同じ毒だったという。


(死人に口なし……)


 彼が犯人であった確たる証拠はなかったが、手元にある私に提出されたこの報告書によれば、エルゼヴェルトの司法官は、彼を自殺と断定している。そして、今後も捜査は続行するものの、彼が犯人であった疑いが濃いとかかれている。

 彼の無実を証明することはできず、そして、彼が犯人だと判断することは容易い。確たる証拠はなくとも、状況証拠だけで充分だ。

 司法官の言葉一つで、彼は既に犯人であるかのように仕立てられている。

 まるで、生贄の子羊。

 死者は弁明できない。


 後は、周囲が勝手に彼が怪しいとする事実を積み上げていく。

 周囲の人々の証言が幾つも書き添えられている。

 貧しかった事。

 賭け事が好きだった事。

 借金があって金を必要としていた事。

 常に金が欲しいと言っていた事。

 儲け話があると言っていた事……一つ一つはとるに足らぬ話だ。

 どこにでもある、特別に怪しむべきことではない話。

 でも、とるに足らぬそれらの一つ一つの話が積み重なると、彼が犯人であってもおかしくないという状況に見えるような気がする。

 ましてや、司法官がそれを公言しているそうだから、尚更だ。


(思い込みは強力だ)


 例え、それが真相でなかったとしても、思い込んでいる人にはそれが真の真相。

 そこには本物の真実の重みが勝手に付加される。

 司法官は本当に彼が犯人だと思っているのか、あるいは、そう思い込ませようとしているのか、判断材料は乏しい。


 もう一通の報告書は、私の護衛隊から提出されたもの。

 ここはエルゼヴェルト領内なのでこの報告書は公文書ではなく非公式なものでしかない。

 報告者の名はナジェック=ラジェ=ヴェラ=シュターゼン伯爵。

 彼は、私の護衛隊長にして、司法官の有資格者だ。

 司法官というのは、裁判官と警察官の権限をも与えられている専門資格者で、『ヴェラ』という称号で呼ばれるが、厳密には『司法官』イコール『ヴェラ』ではない。

 『ヴェラ』とは『学者』というような意味で、大学を卒業した者をさす。

 大学を卒業した人間は全員が司法官となれるので、いつの間にか司法官も『ヴェラ』と呼ばれるようになった。

 この大陸のどこの国に行っても、『ヴェラ』を取得していれば、高位の公職に就く事ができる。そう。例え、元奴隷であっても。

 北の大国ローランド帝国の宰相は、元奴隷の『ヴェラ』だと聞く。


 大学を卒業しただけでなぜ法律の専門家になれるのか不思議だったけど、こちらでいう大学の仕組みを知って納得した。この世界の大学は、極めて高度かつ専門的な学術機関で、入学するのは難しく、卒業するのは更に難しい。

 入学資格は、満三十歳未満の入学試験に受かった者というだけなのだが、入学試験の範囲は実に多岐にわたる。試験科目は必須三科目の法律・歴史・言語の三つなのだが、歴史の試験で統一帝国時代の亜鉛精製法について問われたり、言語の試験で二帝国時代の経済について問われたりするので、あらゆる分野に通じていることが求められる。

 年によっては合格者が一桁ということもあるらしい。


 法律は、当然、国によって違う。基本は『大陸法』と呼ばれる旧統一帝国法だ。大学の学生はダーディニアを含む五大国の法律のすべてを学ぶ。法律・歴史・言語の必須三科目において可を得なければ、専門課程には進めないし、卒業など夢のまた夢だ。

 上級教育機関として王立学院があるが、どこの国でも王立学院は半ば貴族の占有物と化している。名高い私塾もあるが、それはあくまでも自国内でしか通用しない。

 地位や身分や権力に揺らぐ事のない、絶対の権威を持つ象牙の塔。それが、こちらの大学だ。

 あくまでも実力主義で、どんなに身分が高くとも、どれほど金を積もうとも、自力で入学試験に合格しなければ、足を踏み入れる事すら許されない。


 ちなみに、ナディル王太子殿下はこの『ヴェラ』をもつ。

 現在、大陸全土で『ヴェラ』を持つ王子は他にいない。即位すれば、史上初めて『ヴェラ』を得た王となると言われている。






 話を報告書に戻そう。

 当然のことながら、シュターゼン伯の報告書は当然だけど、エルゼヴェルトの司法官とは視点が違う。

 だから、同じ事実を書いていてもまったく印象が違う。

 貧しいのは農村の農民階級なら誰も一緒だし、村のバーで小銭をかけてダーツをしたり、サイコロ賭博やポーカーをするのは村の男達の当たり前の趣味で、ポーカーの負けがこんでいたといっても三連敗した程度で、次の月給には返せる。

 お金が欲しいが口癖な人間は別に珍しくないはずで、儲け話という単語はちょっと気になるけど、例えば、新しく作付けした新種の芋を村の市場ではなく町で直接売れば倍で売れる……それだって、農民階級の彼らにしてみれば、大きな儲け話だ。


(物事には裏と表がある……)


 裏表と言うほどに正反対とまではいかなくとも、光の当て方で見える景色が変わるように、視点が違えば浮かび上がる事実も違う。


(真実は一つなのに、見えるものは人によって違う)

 

 言い訳する彼はもういない。

 彼の為に反論してくれる人もいない。

 今はまだ証拠はなく、状況証拠による疑惑にすぎないけれど、そのうち、彼の荷物の中から、彼には不釣合いな大金や、あるいは、彼の使ったとされている毒薬が発見されたりするのかもしれない。

そんなの、後から放りこんだってわからないのに。

 

(……あるいは、本当に関わっていたのかもしれない)


 私が疑いすぎなのかもしれない。素直に状況証拠を信じればいいのかもしれない。

 疑わしいとされる証拠をたくさんつきつけられても何か釈然としないのは、彼がスープ番だからだ。

 あのあさりのスープは絶賛するにはちょっと足りなかった。でも、技術的にはしっかりしていたと思う。

 あさり自体はおいしく処理できていた。肉厚で大きめのあさりは煮過ぎずふっくらとしていた。歯ざわりも固すぎず、生っぽさも感じなかった……火加減が適切だったのだ。

 ガスがあるわけじゃない。レンジやタイマーがあるわけでもない。おそらくは直火でスープを作っていただろう彼が、スープを作る以外のことをできたとは思えない。

 あのスープの出来からして、何か余計なことをしている暇はなかったはずだ。

 

(スープはオーブンの隣だし、炒め物のストーヴはパン窯の向こうなんだよね……)


 報告書には台所の調味料の棚の位置まで記されている。どちらの報告書に添付されているものもかなり詳細だが、エルゼヴェルトから提出されているものは棚の中のどこに何があるかまで書かれていてすごく細かい。書いた人間の性格がにじみでてる。


 台所にいた人間なら毒を投入するチャンスはいくらでもあると思うかもしれないが、スープを作っていた一角と、炒め物を作っていた一角が離れすぎている。しかも、間にはパン窯とかがあって、当然、そこにも担当の人間がいる。

 彼が、炒め物を作っていたオーヴン廻りに近づいたと言う証言はない。

 盛り付けた後に入れるのもほとんど不可能だ。できあがってすぐに運んだとなっているし、そこに彼が近づいたという証言はない。


 当時、厨房には十人以上の人間がいた。すべての作業を監督していた料理長は、おかしなことをしていた人間はいないと証言している。

 腕はいまいちかもしれないが、彼を犯人と見なしている司法官を前に、消極的ながらも部下を庇うその姿勢は評価に価する。

 

(なんか、こんがらがりそう……)


 考えることがいっぱいあった。

 何も考えずに生きて来たつもりはないけれど、こっちにきてからものすごく頭使ってる気がする。

 司法官が半ば彼を犯人であるとしていることで、エルゼヴェルト公爵の立場はあまりよくない。……むしろ、密かに真犯人確実視されている。


(彼の家は、先祖代々、公爵家の小作農か……)


 小作農と領主の関係は、自主的に従う奴隷と主人に似ている。奴隷という身分でこそないものの小作農は領主の命に逆らうことなどできない。

 彼が公爵の命により、それを実行したと見なすことは極めて自然だ。

公爵は、何度も釈明に来ようとしていたらしいが、私の護衛隊長に言い訳は無用と言われ、リリアには取次ぎすら断られたらしい。


(まあ、普通、疑われる……ある意味、当然)


 でも、逆に私は今回は彼の関与は疑っていない。

 こんなわかりやすい手を使うとは思えない。

 エルゼヴェルトの城の中で、エルゼヴェルトの料理人が作った料理に毒を盛る……そこから導き出される犯人は……あまりにもわかりやすい図式だ。


(あの手の人は、こんな簡単な手は使わないと思う)


 エルゼヴェルト公爵ならば、絶対に自分でないことを証明できる状況と、絶対に自分が疑われないだろう手段を考え出すだろう。 

 あの公爵は、神経質で完璧主義っぽかった。あのタイプは、細かい事にものすごくこだわるはずだ。

 例外も勿論いるだろうけど、あの公爵は絶対に細かい。だって、調味料棚のリストは公爵の直筆だった。


 両方の報告書でわかった事実……エルルーシアが倒れてすぐに、私の護衛の騎士達はこの城の台所を押さえて、私の朝食に出された残りと残っていた材料をすべて調べたという。

材料そのものにはまったく異常はなかったらしい。調味料も。

毒を検出したのは、 私の部屋に運んだ『青菜としめじの炒め物』の皿だけ。

 フライパンは洗ってしまった後だったので、調理中に混入したのか、あるいは、調理後、私の部屋に運ばれる間に混入したのかは不明。

 台所から私の部屋まで『青菜としめじの炒め物』を運んだのはエルルーシア。どうやら侍女達は、自分が運んだものを自分で毒見しているらしい。


(毒物ってどんな形状だったんだろう?……粉末か……液体か……)


 廊下ですれ違いざまに混入とか可能なんだろうか?

 毒物についてはまだ調査中だが、おそらくリギス毒ではないかと書いてある。

 リギスは、花は鎮痛・葉は沈静の効果のある薬草だ。広く利用されていて、どこの家庭でも庭にリギスは植えられているし、女の子は嫁入り道具の一つとしてリギスの鉢植えを持参するというほど一般的なもの。

 ところが、トリギアスという二世紀くらい前の有名な錬金術師の残した書物によれば、この根を特殊な精製法で精製すると恐ろしい毒物ができるという。液体ならほんの一滴、粉末ならほんの小指の先ほどの量で大人十人がだまって殺せるという。

 この毒物の恐ろしいところは、即効性ではないところだ。内服してしばらくは何ともなくて、気付いた時にはもう遅い。吐き出しようがなくなっている。

 内臓を溶かし、やがて死ぬ。遺体の肌は爛れ、時間が経つと紫の斑点が出ると言う。


(まあ、特定できない毒薬はすべてリギス毒って言われるんだけどさ)


 実のところ、このリギス毒というのは幻の毒薬なのだ。『特殊な精製法』とやらはどこにも記録に残っておらず、毒薬の効能とトリギアスが死刑囚で実験したその観察結果だけが残っているにすぎない。

 リギスの根は茹でると食用になる。ちょうど、百合根みたいな感じで、何日か前の食事で食べた。ちなみに、すりつぶすと打ち身の薬にもなるらしい。

 あれがどうやったら毒になるのか謎だ。まあ、薬と毒は表裏一体なのでおかしいことではないけれど。

 

(……エルルーシアが狙いってことは、あるんだろうか?)


 エルルーシアに狙われる理由があっただろうか?と考える。

 明るく可愛らしい少女だった。剣の腕もなかなかだったという。いざという時に私の盾となるよう言いつけられていた。

 でも、何をどう考えても、結局、エルルーシアが私の侍女であったことと無関係とは思えなかった。


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