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30 下町で、看板娘はじめました。

 屋台を開いて二日目の朝がやってきた。

 初日の売り上げは及第点。最初に作った分は完売で、追加分も半分は売れた。

追加分の残り半分はあるけれど、クッキーも琥珀飴も糖蜜豆も生ものではない。冬のこの時期ならば余裕で一週間はもつ。建国祭が終わるまでの期間ならばいつ販売してもまったく問題ない。

(もちろん、これは今日中に全部売ってしまいますけど)


「昨日はひやひやしたけど、終わりよければすべてよしってな。……お嬢、今日はどうするんだ?」

「もちろん、昨日の形でいきます」

「ってーと、袋詰めを屋台でやらせるんだな」

「全部ではありませんけど」


 剥き出しで売った方がいいのはわかっているけれど、パッケージのかわいさはやっぱり捨てられなかった。

 だから、商品の一部を屋台で包装することにした。具体的には紙袋包装タイプのクッキーと糖蜜豆の一部だけ。

(他のものは袋詰めが結構面倒くさいんです)

 屋台のスペースは限られているから、ここで全部の包装をするのは無理なのだ。

 でも、一部といえどここで詰めていると中を見ることができるから安心している人がいるのもよくわかった。

 あと、紙袋タイプの大袋は一袋で五十ディーだけど、キャンディタイプの小分けのものは三つで五十ディーで売っている。量としては大袋のほうが多く入っているけど、キャンディタイプのものが意外によく売れるのだ。

(ちょっとずついろんな味を試してみたいんだよね。うん。それ、よくわかるから!)


「あ、袋詰めをこっちでするやつも、絶対にレラに祝福をいただいてから運んできてね」

「レラからもらう祝福がそんなに大事か?」


 面倒じゃねえか、との言葉が言外に滲む。

 ラグは聖堂付の孤児院で暮らしているのに、どうやら母女神を信じていないらしいことが何となくわかった。


「大事です。……前にも言いましたよね。これのレシピはいずれ聖堂に寄進するから、類似品は聖堂が取り締まってくれる。でも、今すぐじゃありません。違うレシピだって言い張って似たような品を売り出された時、祝福をいただいていることは差別化になるんです」

「差別化……」

「そう。味には自信があります。一度でも食べてもらえればお客様にもっと食べたいと思ってもらうことはできます……好みがあるから全員ではないけれど。……同じ材料を使って作っていれば、類似品であってもたぶん見た目ではそれほど差は出ないのです。でも、祝福をいただいていれば教会の印がもらえる。リボンか蝋紙にもらえればそれだけで証明されます」


 真似をしたレシピで一儲けを企むような者たちといえど、教会印の偽造まではできないだろう。


「お嬢、いろいろ考えているんだな」

「……孤児院に定期的な現金収入があれば、皆がもう少し楽に暮らせると思いました」

「え?」

「孤児院が貧しいこと。なのに、私を事情も詮索せずに置いてくれたこと、とても感謝しています。あなたもルファも貴族なんか嫌いなのに、私には決して当たろうとしなかった。むしろ、とても親切にしてくれたでしょう」


 そのお礼です、ありがとう。と告げた。


「……いや、あんたなんでそれを知って……いや、だって、お嬢は貴族だけど、俺の嫌いな貴族とは違うから……」


 ラグは一瞬ぽかんとした表情して、それから、照れ隠しのように早口になった。


「そう思ってくださってありがとう」


 私は笑みを浮かべる。

 ラグはどこか困惑したような表情でがりがりと頭をかいた。


「……あんたにゃ、かなわねーよ」

「何がですか?」

「そんなみすぼらしいかっこしてても、貴族のお姫さんだってわかる。なのに、俺らに本気で礼を言う。……本当はすぐに帰りたかったんだろう? なのに、俺らにつきあってこんなとこで菓子売りの屋台なんかやってる……ほんと、びっくりだ」

「結構、似合ってますでしょう?」


 目立つ髪はきっちりと編み込んで三角巾の下に隠した。そして、今日着ているのはきわめて簡素なエプロンドレスだ。

 貴族と違って、一般庶民には複雑なドレスコードはない。スカートの長さは大人であってもそれほど長くないし、髪をあげれば既婚者で垂らしていれば未婚と判断されるくらい。もちろん、それも絶対的なルールではない。

(……私は既婚者だから編み上げていていいんですよ)


「おう。……なあ、お嬢」


 ラグの瞳が、何かいたずらでもしかけるような面白げな色を浮かべる。


「なんですか?」

「……知ってるか、うちの屋台にゃ、看板娘がいるって噂がたってるんだぜ」

「看板娘ですか?」


 私は小さく首を傾げた。


「そっ。他人事の顔をしてるけど、あんたのことだからな、お嬢」

「はぁぁぁぁ?」


 そんな私のちょっと間抜けな顔に、ラグだけじゃなくて近くにいた子たちもみんな笑った。



**********



「いらっしゃいませ」


 近くを歩いている人がいたら、すかさず声をかける。

 それだけで、人の意識はこちらに向く。

 目が合ったらにっこりと笑顔を向けて、話しかける。


「これから聖堂におでかけですか?」

「あ、ああ、うん」 


 一言でも返答したら、もうこっちのものだ。


「よければ、ご試食どうぞ。母女神の祝福をいただいている品なんです」


 私の隣で待ち受けていたジャーロが、すかさずクッキーを差し出す。


「ありがとう」


 ここでのポイントは、母女神の祝福をいただいている品ということをちゃんと耳に入れておくこと。

 ここで買ってくれてもいいのだけれど、私たちが想定している落としどころはここではないので、そそくさと試食だけ口にいれて去っていこうという相手を無理に追うことはない。


「どうぞ、お帰りにもお立ち寄りくださいね」


(勝負は帰りなんです)

 これ、行きにできるだけ多くの人に食べてもらうのは、罠なのだ。

(食べてもらえればそのおいしさはわかってもらえる)

 行きに試食しておいしいと思った人は、買わないまでも、帰りももう一度試食して帰ろうと思うはずだ。

(それはもう半分買っていこうって思ってるようなものなんです)

 聖堂からの帰り道、最初に出会う試食係はクッキーをもっていない。


「いらっしゃいませ。おひとつどうぞ」


 差し出すのは糖蜜豆をトングでひとつまみ。だいたいフィグ三粒くらい。


「えっと、そのクッキーは……」

「ホロホロクッキーは奥で販売しております。ありがとうございます」


 子供にそんな風に言われたら、だいたいの大人は大袋の一つか小分けの三個セットくらい買ってくれる。小分けの三個セットなら、自分の分も確保しつつ、お土産にもできる。

 こんな風に宣伝されても試食しかしないのなら、それはお客様ではないので追いかける必要はない。

 私たちは押し売りをしたいわけではないし、他にもお客様はたくさんいるのだ。


「ありがとうございます。ホロホロクッキー二個で百ディーです」


 商品をお渡ししてお金を受け取るのは少し年長の子供たちの仕事だ。そして、品物を渡した後、クッキーの籠をもった試食係がお見送りをする。


「良ければ、最後におひとつどうぞ」


 買った人には試食はいらないって意見もあったけど、昨日は買った後で試食をした人のうち、何人かが午後に他の人を連れてきたり、もう一度買いに来たりしていたので、ケチらずにあげようということになった。

 試食は最初は手渡しだったのだけど、手渡しに眉を顰めるお客様が何人かいたから、ルファに何かないか聞いたら竹のトングを教えてくれた。使い勝手が悪くないことを試してから、試食係全員がトングでお渡しをするようになった。

 気づいたらすぐに細かく改善していくのが子供たちの良いところだ。


「……あー、お嬢、そういや今日の夕方になったらしいぜ」

「え? 夕方?」

「聖堂に大司教猊下が来る時間だよ」

「……夕方ってどのくらいの時間かしら?」


 夜もやっている屋台もあるけれど、孤児院のこの屋台は陽が落ちてきたら終わりだ。


「あー、大司教猊下がくるときは、絶対にこの道を通るからわかるから」

「それから、お嬢にいい知らせだよ」


 追加発注分をもってきたルファが教えてくれる。


「聖堂の司教様から、お土産用として売っているお菓子を二十ずつ用意しろって」

「何時までに?」

「四時に聖堂にチビたちに届けさせろってさ」

「え? なんで小さい子たちに?」

「チビたちの健気な姿とやらをみせて、大司教様から孤児院の資金を引き出そうってハラだろ」


 あのおっさんの考えそうなことだよ、とラグが肩を竦める。


「……もしかして、搾取されていたりするのですか?」


 おそるおそる聞いてみた。


「あー、搾取されるほどのものもないんだよ、ウチの孤児院」

「この屋台の売り上げの四割を聖堂におさめるのは昔からの決まり事で、搾取でも何でもないですからね」

「あのおっさんはなかなかのヤリ手ってだけ。……じゃなきゃ、王都に四つしかない孤児院付きの聖堂に赴任してこないって」

「そうなの?」

「そうだよ。俺らにも別にフツーだし」

「普通……」


 彼らの言う普通の意味が私にはよくわからない。


「子供だからって甘やかしちゃくんねーけど、勉強したいって言えばちゃんと学校も通わせてくれる……いい人って手放しで言う気にはならねーけど、まあ、マシな大人だな」

「……そうですか」


 あんまり安心できる説明ではないけれど、本人たちが納得しているのだからたぶん大丈夫なのだろう。


「お嬢のことは内緒にしといたんだ。おっさんにバレたら、こっそりお屋敷に戻るとかぜってー無理だからな」

「貴族のお嬢様を拾ったなんてわかったら、司教様が大騒ぎするってわかっていたんですよ。あの時はまだお嬢の事情とか知らなかったんで、何かワケアリなのかと思いまして」

「お気遣いありがとう」


 心の底からそう思う。

 謝礼を払うことは造作のないことだった。殿下はそういうことでケチる方ではないから。

 でも私はここにはいないことになっているから、騒ぎ立てられるのは困るのだ。

(下手に騒ぎ立てたら、騒いだ人の身が心配です)

 だから、二人の気づかいはとっても有難い。


「お茶菓子のご用命はありましたか?」

「今のところはありませんね。お茶菓子は予定通りの品を使うんじゃないんですか?」

(……お土産を食べてからでは遅いんですよね)

「届けに行く小さな子たちを私が引率してもよいですか?」

「いいぜ」


(気付いてもらえればいいんですけど……)

 街で話題になっているお菓子だったら、シオン猊下は絶対に食べたがる。ううん、たぶん、ありとあらゆる手……自分の世話係や秘書を使って絶対に手に入れるに違いない。

 そして、シオン猊下にとって私の作るお菓子は特別らしい。

 本人にはっきりと確認したことがないのだけれど、リリアの言動の端々から考えると、たぶん、クッキー一籠あげたら大概のお願いを聞いてくれるレベルだ。

 だから、お茶菓子としてホロホロクッキーや糖蜜豆や琥珀糖を食べてもらえれば、シオン猊下ならすぐに気づいてくれるって思ったのだ。そうしたらきっと会いに来てくれるのだろうと。

 けれど、食べないとなると私に気づくかどうかわからない。

(まあ、元々、行きあたりばったりの大雑把すぎる作戦なんだけどね)

 でも、考えた時はそれしか道がないような気がしていたし、ものすごくいいアイデアのように思えていた。

 自分の作ったお菓子をたべてもらって、シオン猊下に気づいてもらってコンタクトをとる……言葉にするとすごく簡単そうだけど、こうしてその局面に立たされてみると偶然の要素が強すぎてダメダメである。

(……もしかして、私、ものすごいバカな子じゃなかろうか……)

 作戦、とか言っていたのだけれど、これを作戦と言ったら、ナディル殿下には縊り殺されそうな気がする。

(……フィルがいつも殺されそうになっている理由がわかった気がする)

 とりあえず、フィルと違って巻き込むのは自分だけの私は自業自得になるだけなので大丈夫。


「……お嬢? 大丈夫か?」

「ええ。大丈夫です」


 終わりよければすべてよし、というありがたーいお言葉もある。

 最終的に私が戻れればそれでめでたしめでたしだろう。

(めでたしめでたしで終わらせてみせます!)

 私はきゅっと拳を握り締めて言った。


「……とりあえず、売りましょう」

「え?」

「来るの夕方なんですよ。それまでにこれ、ぜーんぶ売り切りましょう」

「え? なんで?」

「俺ら関係なくない?」

「不測の事態に備えておきたいんです」

「不測の事態って?」

「わかりませんけど、わからないから不測の事態なんですよ」

「まあ、いいけど……」

「売りきることには異存はねえ」


 二人の言葉に、私は当然ですという顔でうなづいた。

 



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