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5.推定相続人

 この国では、夕食は煮込み料理がメインらしい。

 昨日はよくわからない魚の煮込みで、一昨日はたぶん豚肉の煮込み。

 そして、今日は鴨の煮込みだった。

 味付けは塩と胡椒をメインに、幾つかの香草を組み合わせている。

 私の好みからするとちょっと香草がダメ。香りが強すぎる。ついでに、塩効き過ぎで鴨肉硬すぎる。

 せっかく油がのっていて良い感じの鴨なのに!

(柑橘効かせた鴨のコンフィ、それから、鴨南蛮もいいな。いっそ、鴨とネギを炭火で焼いて塩ダレで食べるとか……)

 ああ、私に作らせて欲しい。せっかくの鴨が台無しだ。

 昼間のお菓子の職人さんに比べたら腕が段違いだ。

 いや、私がうるさいだけかもしれないけど……。

 でも、やっぱり、この香草の量はいただけない……その香りの強烈さにちょっと泣きそうになる。

(下拵えもっと丁寧にしようよ。そうすれば肉も柔らかくなるし……こんな香草でごまかさなくても鴨の臭みだって消えるのに……)

 鴨には独特の匂いがある。それがおいしくもあり、どうしようもないまずさにもなる。鴨が嫌いって人は、だいたい、この匂いがダメみたい。

(この世界の人の味覚もそう私と違いはないと思う)

 食べ慣れているものとか、文化の違いとか、はたまた、食べる場所や一緒に食べる人間や雰囲気や……味覚にはいろいろな要素が影響するけれど、それでも『おいしい』ものは『おいしい』はずだ。

 私の中の基本ルールは、『旬の食材を、最適な時に、素材の味を活かしたシンプルな形でいただく』ことだ。

 『美味』をつくるのは、高級な食材がすべてではなく、職人の腕がすべてでもない。

(空腹は最高の調味料!)

 呪文のようにその言葉をとなえて、私はパンを食べることにした。

 白い柔らかいパン。えーと、ハイジの白パンっぽいの。

 まだぬくぬくの焼きたての残り香がある感じでおいしそう。はむっと噛むだけでしっかりとした小麦っぽい味があってかなり気に入った。

本当はバターかジャムが欲しいけど、それは贅沢というものだ。目に付くところにはないから、パンだけで我慢した。

 パンとバターと塩で炒めたザーデを食べて、ハーブ水を飲んで食事を終わりにする。

(ごめん、これを全部食べるのは私には拷問だから……)

 幼いお姫様である現状、自分で調理をすることは許されないと思うのだけれど、でも、あえて言いたい。

(お願いだから、私に作らせて!!ううん、百歩譲って、指示させてくれるだけでもいいから)

 そうしたらきっともうちょっと食欲がわくと思う。



 食事が終わると夜の自由時間になる。

 私が手にしているのはリリアが持ってきてくれた本だ。王国の歴史書……どうやら、アルティリエは歴史が好きだったらしく、リリアが持ってくるのは歴史の本が多い。

 今の私には必要な知識だからありがたいと思う。

(……アルティリエってすごい女の子だと思う)

 我が事でありながら、まるで他人事のように感心してしまう。

 私にはアルティリエの記憶はない。でも、アルティリエの知識はある。

 無意識にそれを利用しているのは、まず、言葉。

 絶対に日本語じゃないし、それなりに使える英語でもフランス語でもないのに、わかる。

 理解ができるのだ。

 読み書きにまったく不自由がなく、リリアが持ってくる歴史書には古いもの……古語でかかれているものも混じっているのに、理解するのにほとんど問題がなかった。

 別に頭の中で日本語に翻訳しているわけではない。ちゃんとダーディニアで使われている大陸共通語で考えている自分がいる。

 しばらくたつまで、自分が日本語じゃないのにちゃんと言葉がわかっていることを不思議に思わなかったくらいなのだ。

 それから、少しづつ蘇ってきているいろいろな教養……例えば、ティカップを見た時に、そのカップを作るのに使われている技法だったり、窯の名前だったりが思い浮かぶことがある。

 更には、地名を聞いた時に、その土地の名所や特徴だったりが頭に浮かんでくる……これは間違いなくアルティリエの知識だ。

 比較対象がないから正確なところはよくわからないけれど、アルティリエは12歳の女の子としてはかなり博識なのではないだろうか?


 何よりも私が感心したのは、アルティリエが自分の護衛の騎士と侍女の名前を全員フルネームで知っていたことだ。

 フルネームでわかるってことは家系とか地位とかがちゃんとわかるということで、これ、結構大事なことだ。

 それは、彼女が一人一人について把握していたということだから。

 なかなかできることじゃないと思う。

(王太子妃、か……)

 幼くても、アルティリエは王太子の妃としての自覚があったのだろう。

 目が覚めてすぐにはわからなかったいろいろなことが、こうやって落ち着いてくるとだんだんわかってくる。

(そしていつか……)

 私はアルティリエの記憶を取り戻すのかもしれない。

 のんきにしているけれど、本当はわからないことばかりで戸惑いの連続だ。何も見えない手探り状態の中に放り込まれた感じがする。

 でも、時間を過ごしていくうちに、麻耶に、アルティリエが重なっていく。

 どこか白昼夢のように現実感が薄かった部分が、日々過ごす時間や浮かび上がる知識に裏付けされて明確に自分の中に刻まれていくかのように感じる。

 知識もまた記憶の一部であるには違いないから、いつか私は自分がアルティリエであることをまったく疑わなくなるのかもしれない。

「食後のお茶には、ロブ茶をご用意しました」

 ロブ茶は飲むとさっぱりするお茶。

 ほうじ茶+烏龍茶みたいな味で、油っぽいものを食べた後には必ず出てくる。油分を洗い流してくれるんだそう。クセのないプーアール茶みたいなものだ。

(ありがとう)

 お茶をだすとリリアは何か用があったのか、いつものように傍らに控えないで下がっていった。

 一人で食事を食べるのは慣れているから別に気にならなかった。

 ベトつく手を洗いに行こうと席を立つ。

 本当はこういう時は侍女を呼ばなければいけないんだけど、私の夕食の後片付けもあるし、彼女たちも交代で夕食をとる時間だから、遠慮した。

 ドアに手をかける。

「……妃殿下が、公爵夫人との対面を断ったって?」

「らしいな。でも、当然だろ」

「そりゃあ、そうだ。いかに公爵閣下とはいえ、妃殿下に強制はできないもんな」

 男の声が聞こえて、思わず手を止めた。

 たぶん護衛の騎士の誰か。顔みればすぐに名前もわかるんだけど、声だけではまだよくわからない。

(あれ?こっちって、もしかして、洗面室じゃなくて廊下?)

 ドアを開かないように注意して、そーっと逆側に戻った。

 洗面室で手を洗ってから席に戻るとすぐにエルルーシアとジュリアが戻ってきた。

 私は食後のお茶も終わっていたから、首もとのナプキンを畳んでテーブルに置く。

 それがお茶も終わり、の合図。二人が片付けはじめたので、私はちょっとだけさっきの言葉について考える。

 護衛の騎士たちは、私が公爵夫人との対面を断ったことを知っていた。

 そして、それを当然だと思っていた。

 彼らの声には、いい気味だと言いたげな感じが漂っていたように思える。

(まあ、彼らは近衛だものね……当然といえば当然か)

 近衛というのは、王家の私兵に近い。王国法上は違うんだけど、実質的には私兵だと思っていい。

 それだけ王家に近く、部隊の性格上、王家に対して忠誠心が篤くなるのは当然だ。

 だから、エフィニア王女が亡くなったことを哀しみ、その原因であるルシエラ夫人に良い感情を持っていない人間が多いのだ。

(あまりにも、だもんね……)


 私の母である王女が亡くなって半年後、喪が明けるとすぐに公爵はルシエラを後妻に迎えた。

 本来であれば、正式な喪は三年に及ぶ。六ヶ月というのは仮喪にすぎない。

 慶事がある場合は仮喪を認め、喪明けを早めることが許されているが、この場合はあんまりにもあんまりすぎるとさすがに非難を浴びた。

 確かに王国を支える四公爵の婚姻は慶事だが、それは王女の逝去がなければありえない慶事だった。まるで王女が死ぬのを待ちかねていたかのようだと噂された。

(早すぎる死だったから、暗殺ではないかという声もきかれたらしいし……)

 市井の小劇場や芝居小屋では、世間で話題になった出来事をすぐに芝居に仕立てて見せるが、公爵と公爵夫人を風刺した演目が人気で、その演目では、王女は公爵と公爵夫人に毒殺されたことになっているくらいだ。

 もちろん、名前は置き換えられているし、伯爵と伯爵夫人になっているらしいけど、誰だってモデルが誰かがわかっている。

実際には出産のせいであったけれど、そう思われてもおかしくないということだ。

  

 四公爵の正式な結婚には王の許可がいる。

 ルシエラと公爵が結婚するにあたり、国王陛下が許可を与える条件としたのが、王太子殿下と私の結婚であり、私に関する一切の権利を公爵家が放棄することだった。

(ここで重要なのは、放棄するのは公爵家側のみであって、私の公爵家に関するすべての権利はそのままだということだ)

 公爵はこれを無条件で呑んだ。

 公爵家は、王女の産んだ娘に対するさまざまな権利を失うが、それ以上に、彼はルシエラと正式に結婚しなければいけない理由があった。

 それに、政治的に考えて、娘が王太子妃になるということは貴族にとっては願ってもないことだった。たとえそれが、何の権利のない娘だったとしても娘は娘だという頭が公爵にはあったのかもしれない。

 私と王太子殿下の結婚は、彼に大きく利のあることだったのだ。

 まさか、後々、この結婚が彼の計算を大きく狂わせる最大の失策になるとは思っていなかっただろう、この時は。

(頭のいい人って時々、大チョンボやると思う)


 一方の国王陛下は、実際のところ、怒りの余り政治的な判断などはまったく頭になかったらしいと言われている。元々、陛下は政治とは無縁に生きている方である。

 異母妹を不遇のうちに死なせてしまった兄の行き場のない怒りは、既に他家に嫁いだ妹を王家の霊廟に眠らせ、彼女が産んだ娘を父親の手から完璧にとりあげるという行為につながった。

 そして、陛下はまるで公爵にあてつけるかのように、生後七ヶ月の私と王太子ナディル殿下の結婚を執り行ったのだという。

 普通、こういった場合は婚約しておいて、ある程度年齢がいってから結婚の運びとなる。だが、陛下はエフィニア王女の例をひき、このような間違いが二度とおこってはならぬとおっしゃり、年齢を理由に反対する者の口を封じた。

 正式な挙式こそ私が成長してから再度行うと定められたが、それ以外のすべてがきちんと正規に執り行われたのだった。

 つまり、私の婚姻は国と教会が認める正式なものなのだ。

(一番迷惑しているのは当事者である王太子殿下だと思うよ。15歳で相手は生後7ヶ月なんて……)

 国王陛下は愛する妹の身におこった出来事を赦せなかった。だから、彼女が残した私を自分の保護下において、以降、エルゼヴェルトにほとんど関わらせようとはしなかった。

 陛下の私に対する行き過ぎた厚遇は、公爵に対する八つ当たりと表裏一体を為している。

 普通、王太子妃に専用の宮はないのにわざわざ新たに王太子妃宮を建設させたし、更には、結婚祝として、20年以上前に領主家が嫡子なしとして家名断絶していて、長らく王家が預かっていたアル・バイゼルという都市を王太子妃領と定めた。

 宮の新築費用は慣例として妃の生家が婚姻のお祝いとして負担するものだし、実はアル・バイゼルは大きな港町を持たないエルゼヴェルト公爵家が自領とすることを悲願としていた都市で、それをわざわざ私に与えるのだから陛下の嫌がらせは強烈だった。

 しかも、生家といえど生まれてすぐに離れたこの城を、今回、私ははじめて訪れたというのだから徹底している。

(思うに……)

 公爵はせめて、あと三年待てば良かった。

 政略結婚の妻より愛人を愛してしまうこと自体については、私個人の感情はどうあれ、たぶんこの国の人たちはあまり咎めない。特に貴族階級の人たちは。

 けれど、公爵の王女に対する仕打ちはあんまりだった。

 国内有数の大貴族たるエルゼヴェルト公爵を面と向かって非難する人間はそれほど多くはなかったけれど、国民に人気のあった末王女の悲劇は、芝居だけではなく、吟遊詩人の歌にもなって他国にすら広まっている。

 でもこの時、公爵にはどうしても待てない理由があったのだ。

(ルシエラの妊娠……)

 この時、ルシエラは五度目の妊娠をしていた。

 ダーディニア王国の国法は、正式な婚姻から生まれた子供にしか相続を認めない。

 ゆえに、結婚していない時にルシエラの産んだ五人の息子達は、公爵がどれほど認知しようとも庶子にしかなれず、爵位も財産も土地も相続することができない。

 遡って嫡出子認定することはまったくの不可能ではないが、その場合、庶子であった者が生まれた時点において、庶子を産んだ女と正式に婚姻していたとしなければならない。

(公爵にはそれは絶対にできなかった……)

 なぜなら、公爵は王女が生まれた時から王女の正式な婚約者だったからだ。

 よって、この時、どれだけの人間が気付いていたのかはわからないが、エルゼヴェルト公爵家の相続権があるのは、アルティリエしかいなかったのだ。

(有り難迷惑だけど……)

 国法は嫡出子にしか相続を認めない。これは絶対で、国王陛下にも覆せない。

 例えば、国王陛下に子供がいても、その母がただの愛妾なら、その子供は王位を継げないのだ。

 だから、公爵はルシエラの腹にいた子供を庶子にするわけにはいかなかった。どれだけの悪評をかおうとも、どうしても結婚を急ぐ必要があった……生まれてくる子を嫡出子とする為に。

(そして……)

 ルシエラは私が一歳になる直前に男の子を産んだ。

 ……ただし、それは死産だった。

 それからルシエラは、何度か懐妊を繰り返し……でも、その度に子供は流れてしまった。

 一度流産すると流産しやすくなるのはよく知られていることだ。

 その後、ルシエラが子供を産む事はなかった。

 そして、今現在、誰の目にも明らかな事実。


『アルティリエ王太子妃は、エルゼヴェルトの唯一の嫡子である』


 ルシエラとの結婚にあたり、公爵はアルティリエに関するすべての権利を放棄したから、アルティリエはエルゼヴェルトの娘というよりは王家の娘に等しい。

 けれど、アルティリエがエルゼヴェルト公爵の唯一の嫡出子であることは変えようのない事実で、それがとても重要な意味を持つことになったのだ。

(ルシエラは今、四十一歳だっていう。絶対に子供が産めないという年齢ではないけど、たぶん、無理だと思うんだよね)

 友達に産科の看護士だった子がいるから聞いたことがある。流産はクセになるのだ。ましてや、四十一は高齢出産になる。ここの医療水準から考えても、おそらく、不可能。

 だから公爵は、ルシエラを離婚して新たに妃なり夫人なりを迎えない限り、もうアルティリエ以外の嫡出子を得る事はできないのだ。

(国王陛下の意趣返しは、思いもかけない切り札を産んだというわけ)

 このまま公爵が嫡出子を得られないと、エルゼヴェルトのすべてはアルティリエの……ひいては王家のものとなる。

 公爵は庶子である子供達に分家し、財産を分与することができる。けれど、それは国法により細かい規定があって、簡単に言うと、嫡子……次代公爵の同意が得られなければできない。

 アルティリエは、王太子妃とエルゼヴェルト公爵を兼ねる事はできないから、正式な公爵家の後継ぎとはなりえない。

 けれど、推定相続人であり、現在のところ、いつかアルティリエが産むだろう正式な相続人の代理人である。

 アルティリエの産む二番目の子供は、無条件で、生まれた瞬間から次のエルゼヴェルト公爵となるのだ。

 まあ、肝心の私が十二歳では、まだまだそんなのは夢みたいな話だけど。


「姫さま、そろそろ、湯浴みをお願いいたします。お湯がご用意できましたので」


 リリアの声にはっとした。ちょっと考え込みすぎた。余計な方向に。

 私は、わかったというようにうなづいて立ち上がる。

 あちらと違ってお風呂も結構大変だ。用意してくれる人も大変だし、入るのも大変。

 恥ずかしいけれど、一人では入らせてもらえないし。

 女の子同士で入るのと一緒、と思って我慢してる。

(……あれ?そういえば、王宮への連絡とかってどうなってるんだろう?)

 ちょっとだけ疑問に思ったけれど、お風呂に入ったらきれいさっぱり忘れてしまった。


 ……それを、後で、ものすごく後悔した。




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