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3 いつも通りの朝食

「おはようございます、ナディル様。お待たせしてしまいました?」

「おはよう、ルティア。いや、さほどでもない」


 侍女が、さっと殿下の目の前の書類函を下げる。

 少しでも時間ができれば仕事をするのがナディル殿下だ。

 わりと真面目で勤勉なところがある。


(……ちょっと社畜入ってるかも)


 まあ、ナディル殿下は雇われている立場ではなく雇っている立場なわけだけど……。


(でも、殿下はたぶん公僕としての意識が強いと思うのよね)


 王太子……そして、国王。

 奉仕される者ではなく、国、あるいは国家に奉仕する者であるという認識がいささか強いように思う。


(フィルたちの話を聞いてもそうだし、これまでのいろいろからすれば、あんまり手抜きをなさる方ではないのよね)


 殿下は、何でも平均点以上にできてしまう方だ。

 できることだから、それを拒否はしない。

 もちろん、自分で仕事を抱え込む方ではないのだけれど、相手の力量を見極める目もお持ちなので、無理な仕事をふらないから、最終的には殿下がしなければいけないことというのはそれなりの量になると思われる。


「……ルティア」


 殿下は立ち上がって椅子をひいてくれた。


「ありがとうございます、ナディルさま」


 できるだけ優雅に見えるようにそっと浅く腰掛ける。

 いつもはあらかじめいくつか置いてあるはずのクッションがない。


(……だーれーだー)


 王太子宮にあるのは大人用の椅子ばかりだ。それも装飾の関係でやや大きめに作られているものが多い。 

 私には大きくて、背もたれによりかかれるくらい深く座ると膝が座面にのってしまうので、浅めにしか座れない。その隙間を埋めるために私が使う椅子にはいつもクッションが用意されているのに、それがどこかに片付けられてしまっている。


(偶然か、故意か……これ、ちょっと気にしておくべきところだよね)


 こっそりと小さな溜め息を一つつく。


「ドナ・ヴィッセル、クッションを」


 目ざとい殿下が軽く眉根を寄せた。


(あ、これ、ちょっと不愉快に思ってる表情だ)


 誰が何をしたのかわからないけれど、故意にせよ、そうでなかったにせよ、それなりの注意を受けるだろう。

 私に対して殿下はとても過保護なのだ。


(もし故意なのだとしたら、陛下という後ろ盾がいなくなったから、と思ったのかもしれないけれど……)


 どうしてナディル殿下という夫兼保護者がいる私に対して、どうこうしようと思えるのか謎だ。


「……まあ。申し訳ございません、妃殿下。気がきかない子ばかりで……」

「いいえ。大丈夫よ、アーニャ」


 アーニャ……元王太子付き女官長補佐だったアンナマリア・エルレーヌ=ドナ=アリスティア=ヴィッセルは、即位式後に、後宮女官長に就任することが内定している。

 後宮女官長というのは、後宮に住むすべての女官、侍女の長だ。後宮女官長はいわば国王の女官長で、直接的には王妃の支配下にはない。

 で、ありながら、後宮の最高位にあるのは王妃で、さらには王妃には王妃の女官長がいるので、後宮女官長の人事というのはとても難しいものなのだと、フィル=リンは教えてくれた。

 そして、後宮女官長は、後宮とつく役職でありながら、正宮で働く女官(侍女含む)たちの長でもある。

 というのは、正宮で働いてはいても、すべての女官の所属は後宮だからだ。その証拠に、すべての女官、侍女たちの住居は後宮にある。

 王太子の女官長であるリーズフェルド伯爵夫人は、だいぶ前からお暇を願い出ていたけれど、後任人事が決まらなかったことと、国王陛下の崩御とが重なって今の今まで宮中に留まり続けていた。

 王太子付き女官長補佐は三人いたけれど、その中で最年少だったアーニャの抜擢は、私との仲の良さが理由だと殿下は言っていた。

 職務能力については三人とも優劣つけ難いから、それ以外の部分で決めたのだと。

 後宮は私の住居だから、私に対して最大限に配慮できないような女官長では意味がなかろう、といつもの口調でさらりとおっしゃった。

 そう言ってくれる殿下のお気持ちがとても嬉しい。

 そして、次期女官長という多忙な身でありながら、時間の許す限り、己自身で私の用を勤めようとしてくれるアーニャの心遣いが嬉しい。

 アーニャは、私の愛用のクッションをそっといつも通りに背に入れてくれる。


「いつもありがとう」

「とんでもございません。もったいないお言葉です」


 最近知ったことだけど、アーニャは、元々は母の……エフィニアの侍女だったことがあるのだという。リリアが当時を知る人から聞いてきたのだけれど、たいそう、仲の良い主従だったという。

 アーニャの私に対する気配りや好意には、きっとそういう記憶があるのだと思う。


(いつか、お母さんの話を聞けたらいいな……) 


 ナディル殿下の思い出だけではない、母を知りたい。


(殿下の初恋だったというお母さんがどんな人だったのか知りたい)


 べ、別にこれは嫉妬とかじゃないんだからね。

 私はとてもよく似ている容姿をしているらしいことはわかっている。

 でもほら、やっぱりいろいろ気になるでしょう?


 わたしが落ち着いてしばらくすると朝食が運ばれてくる。

 朝食を作るのは私の料理人だ。

 時間が許す限り、朝食は私ととると殿下はお決めになった。

 もう、朝のお茶のお菓子という体裁をとらなくてもいい。

 それだけでも後宮に来て良かったと思う。


(遠慮がいらないってことだもの)


 朝食のメニューは野菜が中心だ。

 ちょっと隙をみせるとすぐ野菜を避ける殿下に野菜をたっぷりとってもらうメニューにしている。

 まずは、レタスとチェシャ菜を中心とした葉野菜のグリーンサラダに摩り下ろしたたまねぎと人参をたっぷり使った食べるドレッシングをかけて。これだけだと手をつけなかったりするので、蒸し鶏を裂いたものを混ぜ込んである。

 それから、ふわふわのスクランブルエッグと分厚いハムのステーキ。

 パンは胡桃たっぷりの胚芽パンで、ザーデのバターも添えている。

 きれいな金色のコンソメスープには、人参や大根や芋類などの小さめ角切り野菜がたっぷり入っている。

 そして、デザートには温室育ちのビタミンたっぷりのオレンジが添えられる。


「このサラダ、お野菜もシャキシャキですし、ドレッシングもいい出来ですね」

「ああ、そうだな。……野菜はそれほど好まないが、肉があるから悪くない」


 ドレッシングは何度も試行錯誤をしてやっとたまねぎと人参の最適な分量をみつけだした。これができるまで、私の新しい料理人たちは毎食野菜サラダ尽くしで、とても健康的に痩せた者が出たらしい。

 口ではそれほど褒めなくとも、殿下が本当に悪くないと思っているのがわかる。


(だって、普通に召し上がってらっしゃるもの)


 本当に嫌いなものだと、食べるスピードが早くなるのだ。できるだけ早く飲み込もうとでもいうように。


「卵もふわっふわですね」

「ああ。火加減が上手になった」


 殿下のそのお言葉を聞いた給仕の女官が小さく目を見張る。

 お褒めの言葉というのが、相当珍しいのだろう。

 ふわっふわのスクランブルエッグはバターに塩コショウだけのシンプルな味付けなのだけど、卵の黄身がとても濃くて、本当においしいのだ。


(この卵でプリンつくりたいなぁ)


 絶対にナディル殿下もお好きだと思う。

 カラメルをややほろ苦めにした大人味プリン……この卵とここの牛乳だったら最高においしいはず!


「このハムはどこのハムだ?随分と味が良い」

「ミレディの実家である御料牧場に指示をして、特別に作ってもらいました」


 分厚いハムは表面にやや焦げ目をつけている。

 料理人たちには、脂が焦げすぎない程度に焦げ目をつけることを指示していた。脂の焦げた匂いはすごーく食欲をそそるから。


「特別に?」

「調味料に漬け込んで、煙で燻してもらってあるんです」


 ようは、それほど熟成していないソフトタイプの生ハムをステーキにしたと考えてもらうといいかもしれない。


「そうすると、ぎゅっと濃縮したお肉の旨みを味わえるハムになるのですが、乾燥を進めて熟成させると長持ちもします」


 焼いて食べるのはとても贅沢ですね、と笑うと、殿下は首を傾げる。


「燻製したということか?」

「はい。……何かおかしいですか?」

「いや、そういうわけではない。ルティアはいつも新鮮さにこだわるから、燻製や瓶詰めなどは好まないのかと思った」

「私、そういう意味での差別をする気はありませんわ。燻製も瓶詰めも缶詰も、どんな保存食だって大事な食材です。もちろん、見た目にもこだわりません。食材にあるのは、おいしいか、まずいかだけです」


 大事なことなので真面目な顔で告げる。

 あ、でも、携帯糧食は別ですから!


「ナディルさま、おいしい!は、正義なのですわ」


 そう。おいしければ、その形状も見た目も問わない。

 味が良ければ、たいがいのことは許すことが出来る。


「……おいしいは、正義か……」

「はい。……私、レバーとかはそれほど好みません。でも、おいしくつくったレバーパテは最高だと思いますし、臓物の入っていない『ギュルスク』なんて、『ギュルスク』ではありませんでしょう?」

「……そうだな」


 『ギュルスク』というのは、ダーディニアの名物料理の一つだ。元々は、東部と北部の境目あたりの地域で食べられていた壷煮込みシチューで、何代か前の国王陛下の大好物だったことから王都で爆発的に流行し、名物料理となった。

 たまねぎや生姜をたっぷりといれ、モツやスジなどをぐつぐつに煮込んでドロドロになっているブラウンシチューなのだけれど、熱々をたべるととってもおいしい。

 私はこれを殿下がお忍びで連れ出してくれたユトリア地区の屋台で食べた。


「魚介は基本、新鮮なものが良いですけれど、お肉は熟成が大事です。チーズだって新鮮なものがおいしい場合もあれば、熟成させた方がおいしい場合もあります。おいしい!というのは一つの側面からだけでははかれないのです」

「ルティアは賢いな」

「……殿下、からかってらっしゃいます?」

「いいや。本音だよ。……君と話をするといつも驚かされる」


 私は殿下の言っている意味がよくわからなくて首をかしげた。バカにされているというわけではないけれど、賢いと思われるような話をしているとも思えない。


「ルティアのところの料理人は、何を作ってもうまいな。このパンも格別だ」

「皆、勉強熱心なのです」



 私の料理人は、前の王太子妃宮で下働きだったキリルとノイに加え、アル殿下のところから帰ってきたサージェと新しく雇い入れた二人、それから、エルゼヴェルトからきた御菓子職人のエルダを加えた六人でチームを組んでいる。


「このスープもとても味わい深い」

「干した野菜の皮などを利用したブイヨンで作りました」

「ぶいよん?」

「旨みが凝縮した煮汁です」

「……君といると口が驕ってしまう」

「殿下は、驕るくらいでちょうどいいです。携帯糧食ばかりではどうかと思いますから」


 一緒に食事をとらない昼や夜などは未だに携帯糧食を召上っていると聞く。

 いずれ、そちらのほうも私のほうで何とかしたいところだけど、無理に押し付けるつもりはない。


(朝食やお茶菓子のおいしさをもっともっと知ってもらおう)


 それで、昼や夜は物足りないと思ってもらうのだ。


(殿下がご自身に望んでもらうのでなければ、長続きはしないもの)


 お菓子と軽食の差し入れはこれまで通りドンドンしてゆくつもり。


(次の目標は昼食よね)


 一歩ずつ着実に進んでゆくべきだろう。

 

「今日の昼餐会では四公を紹介しよう。そなたが事故で記憶がないことは皆承知しているから、特に気にせずともよい」

「はい。何か特別にお話しなければいけないことなどはございますか?」

「いや。特にない」


 四公のうち、会った事があるのは父である東公くらいだ。

 何だかんだで残る三人とは直接の面識がない。


「他に気をつけることは?」

「四公が君に敵意をもつことはないし、彼らの君への忠誠を疑う必要はないだろう。ただいろいろと世話を焼いてくるかもしれないから、その点だけ気をつけなさい」

「世話を焼く、ですか?」

「……彼らにとって君は特別だ、ということだ」


(それはたぶん、私が唯一のエルゼヴェルトだから……)


「鬱陶しければ無視して構わない。君は、それが許される身だから」

「……わかりました」


 そううなづきはしたものの、実際にはよくわかっていなかった。

 楽観的な私は、あっさりと殿下とご一緒なのだから問題ないと判断する。


(ナディルさまがいるなら、大丈夫)


 自分でも不思議なくらい、絶対的な信頼を寄せていた。


「ナディル様、オレンジも召上って下さい。瑞々しくておいしいですよ」

「……ああ」


 少し甘さよりも酸っぱさが勝るけれど、この時期に食べられる新鮮な果物は貴重だ。


(まあ、ほとんど毎日オレンジばかりだけど)


 冬摘みのベリーもあるけれど、生食で食べるにはちょっと酸っぱすぎる。


(今日は無理だろうけれど、近いうちにケーキでも焼こうかな)


 エルダにレシピを教えて焼いてもらってもいい。


(オレンジケーキか……ううん、冬積みのベリーでタルトを焼いてもいい)


 湯気のたちのぼるロブ茶が出されると、そろそろ朝食を終わりにしてくださいの合図だ。

 名残惜しいけれど、そろそろ立ち上がらなければいけない。


「ごちそうさまでした」


 ナプキンを置いて、立ち上がる。


「……ルティア」


 同じように立ち上がった殿下がこちらに歩み寄ってきた。


「はい?」


 殿下は、私の手をとると袖口のボタンに愛用している紫水晶のカフスをかぶせる。


「アクセサリーは渡せないが、カフスならば問題ないだろう」

「?????」

「お守りだ」


 何のお守りだろう?と思ったけれど、殿下が何となく満足そうだったので問うことをやめた。


(あ……)


 己の上に影が落ちたと思ったら、そっと殿下の髪が頬を撫で、額に口付けを一つ落とされた。


「では、また後ほど」

「…………はい」


 最近、何かスキンシップが増えたような気がするのは私の気のせいなのか……また生ぬるい笑みを見せられることはわかっていたけれど、あとでリリアに聞いてみようと思った。



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