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18.望み

 夢を見た。

 王太子殿下に、『もっと太らないと食えない』と言われる夢だ。

 ここで色っぽい誤解をしないでいただきたい。

 その時の私の姿は仔豚だった。

 殿下のあの冷ややかな眼差しとその言葉に恐れおののいている哀れな仔豚だったのだ。



「なんか、ものすごくびみょーな夢を見た気が……」

 目が覚めたら自分の寝室だった。

 ここのお姫様ベッドの天蓋の中は海の底だ。『水底の白ユリ』という、こちらでは誰でも知っているおとぎ話をモチーフに、海底でゆらゆらと揺れる白百合と色とりどりの魚が泳いでいる光景が広がっている。話中に出てくる七匹いるはずの亀を探してるけど、まだ、最後の一匹がみつかっていない。

「妃殿下、お目覚めですか?」

「……うん。昨日、途中で寝てしまったのね」

 簡素なワンピースだったせいかそのままベッドに突っ込まれている。

「……あら」

「何?」

 リリアの視線の先、枕もとにキラリと光るものがある。

「何?」

「王太子殿下のカフリンクスですわ」

 リリアの指先には、大きな紫水晶と黒真珠を組み合わせカフリンクス……カフスボタン……がきらめく。

 品の良い豪奢……殿下の趣味はシンプルでありながら職人の技術が光る品であることが多い。選んでいるのが本人なのか側近なのかはわからないが、センスがよいのだろう。

「王太子殿下?なんで?」

「昨夕、殿下がいらしたんです。妃殿下を寝台に運んでくださったのは王太子殿下ですわ」

「…………そのせいか」

 夢の原因はそれか。

「何がです?」

「何でもない」

 仔豚として食われる恐怖に怯えた夢の話なんてしても、たぶんわかってもらえないだろう。

「何の用だったの?起きなくてまずかった?」

「いいえ、寝かせておくようにとおっしゃったのは殿下ですから……たいした用事ではないとおっしゃっていました。シオンさま……ギッティス大司教が同行しておりましたので、おそらくそのせいかと……」

「ギッティス大司教って……リリアの乳兄弟よね?」

 先ごろ、首都を含むギッティス地域の大司教となったのがシオン様。称号は、殿下ではなく倪下。

 よくは知らないけど、大司教以上が倪下と呼ばれるらしい。

 ルティア正教には、キリスト教で言う教皇にあたる地位がない。最高権威者は国王陛下で、宗教的な指導者の最高位は最高枢機卿。現在は元王族のジュリアス倪下だ。

「はい。……先日のおやつをたいそう気に入ったようで……王宮に滞在中でらっしゃったので、昨日も匂いに釣られて来たんだと思いますよ。一人ではこれないから、王太子殿下にねだって」

「どうして一人では来られないの?」

 元王子様なら王宮はどこでもフリーパスじゃないのかな?

「聖職者と言えど、殿下のご許可をいただかなければこちらには来られません。こちらは、一応、後宮に分類されますから……成人した男性は出入りを制限されます。護衛が騎士である為に妃殿下はあまり意識されていないと思われますが」

「そうなの」

 そこまで厳しかったとは知らなかった。

「シオン様に王太子殿下を納得させる理由なんてありませんもの……残念ながら、妃殿下はお寝みでしたのでお目当てのおやつにはありつけなかったわけですが……」

 くすくすとリリアはおかしげに笑う。さすが乳兄弟だ。遠慮がない物言いをする。

「食いしん坊なの?」

「ええ。一緒に何回厨房に潜り込んだ事か……本宮でのお話ですけどね」

「リリアがそんなことするの?」

「何しろ、一緒に居たのがいたずらっこのシオン様でしたから」

 よく一緒にいろいろ怒られてましたよ、と笑う。

 どんな人なのかな、ギッティス大司教。リリアの乳兄弟ってだけですごく興味ある。

 王太子殿下と第二王子のアルフレート殿下って、見た目はあんまり似てない。大司教がどちらににているのかがちょっと気になった。




 身支度を整え、朝食の時間。朝食はこちらでメニューを注文することにした。

 パンとサラダ、卵料理、それにハムを焼いたものを添えて、スープとヨーグルトにジャムを添えたもの。

 変に工夫を凝らさなくていいホテルの朝食メニュー。

 毎朝作っていれば、きっと上達するだろう。

 心の中で文句を言っているだけでは状況は改善しないのだ。

「いかがですか?」

「パンはまあまあ。サラダはおいしい。卵は焼きすぎ。ハムは油でギトギトすぎ。スープは味が薄い。ヨーグルトとジャムはおいしい」

「……妃殿下」

「私の好みだから、と言えばいいんじゃない?腕が悪いとは言ってないわ」

「……言ってるのと一緒です」

「角が立たないようにうまく伝えてね、リリア」

 私はそっとナプキンで口元を拭う。

 出されたものは全部食べると教えられてきたし、実践もして来たけど、ここでは残す……残したものが無駄にならないことを知っているからできることだ。

 そもそも、この量は絶対に食べられない。メニューがホテルメニューだからってトレーにのせられて一人分が運ばれてくるわけではない。パンは籠いっぱいだし、サラダはボウルいっぱい。卵もハムも一皿ずつ……全部、軽く4、5人前はある。

「でも、これって残りは厨房の人が食べるのでしょう?自分達でまずいって思わないのかしら」

「王族としてはかなり質素な部類に入る食事ですが、一般市民にはごちそうですから……味は二の次です」

「味は二の次か……そうよね。私が味をうんぬん言えるのは、餓えていないからだもの」

 溜息。何度も思うことだけど、私は恵まれている。

「……先はまだ長いわ。諦めたらはじまらないものね」

 私は何もこれ以上豪華にしろと言っているのではなく、この材料をおいしく調理して欲しいと願っているだけ。おいしく料理され、おいしく食べてもらわないと材料だって可哀想だ。

「本日のご予定はいかがいたしますか?」

「……王太子殿下のご予定はわかる?よければ、お茶をご一緒できないかお伺いして。カフリンクスもお返ししたいし、ケーキもお届けしたいから」

 突然の訪問などはあまりしないほうがいいだろう。ただでさえ忙しい方なのだし。

「かしこまりました。すぐにお調べいたします」

 リリア、その含みのある笑みをやめてほしいです。何か恐いから。

「……その予定の件と一緒に、近衛の公館に行くことの許可も取ってきて下さい」

「直接行かれるのですか?」

「はい。……伯爵にお願いしたいこともあるので」

「使いを出しますが?」

「私がお願いするのですから、私が出向きます」

 それがスジだと思うのだ。

 リリアが小さな溜息をつく。

「……なぁに?」

「いえ。妃殿下がお人形でなくなったのは嬉しいのですが、下手に行動力があるのも困りものだと思いまして」

「これでも、だいぶ遠慮してます」

 お姫様ぶりっこしてます、かなり。

「……ずっと遠慮していて下さいね」

「状況によりけり、ですね」

 私は静かな笑みを浮かべ、リリアは溜息をついた。



 王太子殿下の宮は、相変らず静寂に包まれていた。

 私が案内されたのは、先日と同じ部屋だった。殿下は、もう白薔薇が咲いていない庭をぼんやりと眺めている。

「おはようございます、殿下」

「おはよう」

 ゆっくりと殿下は私を見る。あれ、もしかして不機嫌?何でだろう?

「昨日はすいません。寝入ってしまって……」

「いや。格別の用事があったわけではない」

 うん、やっぱり不機嫌だ。声のトーンとか、表情とかでわかる。

(おお、わかるなんて、なんか夫婦っぽいぞ)

「外出をしたいと聞いたが……」

 なるほど、それがひっかかったのか。

 だから、朝のお茶なんだね。……私としては午後のお茶のつもりでいたから、朝のお茶を指定されたのはちょっと意外だった。

「はい。近衛の公館へ……シュターゼン伯爵にお願いがあるのです」

「願い?」

「はい。……私の家庭教師であったルハイエ教授が亡くなられてからだいぶたちますが、次の家庭教師がまだ決まっておりませんので……伯爵にお願いできないかと思いまして」

 シュターゼン伯爵は武人でもあるが学者でもある。当然、私の家庭教師をすることができる。伯は私に剣を捧げているのだから、命じればそれでいいのだけれど、やはり、教えてもらう身としてはそれはちょっとどうかと思うので、直接依頼をしようと思ったの。

「何か知りたいことでも?」

「はい。いろいろとたくさん」

 にこやかに答えると、殿下はちょっと首を傾げる。

「………例えば?」

「例えば、食用のチーズが何種類くらいあるのか、とか」

「チーズ?」

「そうです。柔らかいものや硬いもの、白いものもあればオレンジのものもあります。原材料……乳牛や水牛やヤギの乳であるかなどで違いがありますよね。あと、製法によっても違いがあると思うのです」

「………………そうだな」

 何?その、困惑した表情は。

「別にチーズに限ったことではないです。食べ物って地方ごとに特色がありますよね」

「ああ」

「……そういうの、知りたいんです」

 何があって、何がないのか。個人的にとっても大事。

「………………知ってどうするのだ?」

「食べてみたいです」

 にこにこと私は笑顔を向ける。

 実は私には探している食材がある。そう、カカオ。コーヒーがあるなら、カカオだってあるはずだ。

 それから、サツマイモ。スイートポテトを作りたいです。それにいざという時にも役に立つし。

 あと、もし見つかればソバとワサビ!

「それで?」

「例えば、寒冷地で痩せた土地でも育つ作物がわかっていたら、それを他の地域の似たような土地で栽培する事も可能だと思うんですね」

「……なるほど、それはおもしろい。適した作物を作ることが出来れば、少なくとも餓える事はない」

「はい。……それに、あくまでも小麦に拘るなら、それを売って小麦を買ってもいいわけです」

「ああ」

 大切なのは、安定した生産高を得る事だ。

「あと、お酒やお茶。地域によって違いますよね。同じ麦酒でも北部と南部ではまったく違います。芋で仕込むお酒や、麦で仕込むお酒や、米で仕込むお酒……いろいろあります。きっと皆地元のものが一番だと言うでしょうが、それぞれがそれぞれにいいところがあると思うんです」

「そうだな」

 ダーディニアは広く豊かな国だ。国土が広いせいで、それぞれの地域では文化も習慣も気質もまったく違う。南部と北部などは同じ国とは思えないほど違うし、東部と西部もまた違う。

 建国時のいきさつから、多様な民族を内包する国家であるが、それゆえの争いも多い。特に南部と北部の人間は伝統的に仲が悪いと言われている。

「そういうのを知って、皆にも教えてあげたい。互いに良い所を認め合うようにすればいいと思うのです。……私は政治とかの難しいことはわからないですけど……『おいしい』は万国共通だと思うので」

 人によっておいしく感じる味は違うものだけど、『おいしい』と感じる気持ちは一緒だ。

「私は、この国のいういろいろなことが知りたいです。どこの地方ではどういうお祭があるか、とか。どういう風習があるか、とか。食べ物の違いだけでなく、……文化とかそういうものも知りたい」

「なぜ?」

「だって、自分の国のことじゃないですか」


 私の国……そう、ダーディニアは私の国だ。

 今は、はっきりと言い切れる。

 日本を忘れたわけではない。でも……それは、今はもう遠い。

 まるで夢だったように感じている。……鮮やかで生々しい夢。まるで胡蝶の夢のように。

「良い心がけだ」

 王太子殿下は、わずかに笑った。

 そう。今の、笑顔だと思う。本当にわずかだったけど……。

「歴史についてだいぶ学んでいたようだが……」

 あ、やっぱり、気づいていたのかな?アルティリエのしていたこと。

「はい。それも、無駄なことではなかったと思います」

「ああ、そうだ。無駄なことなどない」

「でも……あまり覚えていないのです。そのあたりのこと」

 うっすらと記憶はあるけれど、はっきりとしていない。

「……そうか。もったいないな」

「そんなことないですよ、別に大学に入学することがすべてじゃないですから」

 アルティリエは大学に入学するつもりだったかはともかくとして、いずれ、受験しようと考えていた。

 残されていたノートや論文の下書きを見ればそれはわかった。

「そうなのか?言語と歴史は水準に達している。……法律も一年もしっかりとやれば入学できないことはあるまい」

「…………なぜご存知なのですか?」

「自分の妃のことだ。知っておくべきだろう」

 リリア、バレてるよ。たぶん、知らないだろうって言ってたくせに。

 私は、少し温くなったお茶に口をつける。

 おやつはクッキー。ちょっと固かった。ちょこっと牛乳いれればさくっとするのに。

「……忘れてしまったから何とも言えないんですけど、入学するつもりはなかったと思います」

「なぜだ?」

「だって……学者になってどうするんですか?もっと、大事なことがあるんですよ」

「大事なこと?」

「……殿下、私は殿下の妃なのです」

 それが、アルティリエにとって一番大事なことだった。だから、アルティリエの署名はいつも王太子妃 アルティリエ=ディス=ダーディエだった。

「だからといって学びたいという意欲を制限する必要はあるまい」

「学者になりたかったわけではありません。殿下に相応しい妃になりたかったのです」

「……………………そうか」

 大きく見開かれた瞳。こんな表情は初めて見る。

 何をそんなに驚いているんだ、この人は。

「そうです」

 私はきっぱりと言う。

 王太子殿下はちょっとだけ困惑したような表情をし、それから、また少しだけ口元をほころばせた。

 殿下が笑うと、何か企んでそうで怖いなぁと思ったのは内緒。



 

 たまりかねた殿下の秘書官が乱入してくるまで、私達はまた二人で静かにお茶を飲んでいた。




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