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不穏なる再会

「師匠。届いた本、ここに置いておきますね」

あれから早や、十八年の年月が過ぎた。私は、変わらずにルシエル様の下で修行を続けている。ルシエル様のことを、心からお慕いしていた。

この十八年。色々なことがあった。とてもひと言では言い尽くせない。新しい出会い、別れ。そして、新たな罪。思い返せば、やはり私はいつだって闇の中に身を置いていたのかもしれない。けれども私は、まだ、生きている。多くの傷を負いながらも、確かに生きていた。

色々あったことの象徴として、髪を結うリボンがある。今の私が身につけているそれは、弟、ハルナの形見であった赤色のものではない。夏の、青々と茂った若葉の色だ。これは、ある孤児院で出会った「少年」が私にくれた、大切なリボン。ひとりで居るときはどこか淋しげな表情を浮かべ、私と居るときには、太陽のような微笑と安らぎを与えてくれた少年だった。その少年の笑みが、病んだ私の心を幾度となく救ってくれた。

師匠は俺に、「赤のリボンよりも、今身につけている緑のリボンの方がよく似合う」と言ってくださった。自然の中で生きてきた私には、血の色よりも、澄んだ若葉の色の方がよく似合うのだ……と。心が純粋な私には、その方が似合うと続けた。

もちろん、ハルナのリボンを捨てることなんて、ハルナの死後何年も経った今もなお、できなかった。そのリボンは今でも大切に、私の「秘密基地」の中に隠してある。城の中の個室では、いつ誰に見つかるかも分からない。だから私は、城から離れた山の中に洞穴を見つけ、そこを秘密基地として使っていた。こつこつと貯めたお金で買った剣などが、そこにはしまいこまれている。

「あぁ、すまない」

ルシエル様もまた、相変わらずだった。変わったといえば、あの頃よりも更に大人になられたということぐらいだ。肩程までしかなかった髪は、腰の辺りまで伸びていて、下の方でひとつに束ねられていた。そして、いつでも穏やかな表情で、変わらずに私を迎え入れてくれる。


私は今、国王や他のものたちには内密で、師匠の部屋を訪ねていた。師匠の部屋は本だらけだ。ほとんどのものが古文書だった。師匠は、暇さえあれば読書に励んでいる。そして私は、時間を見つけては本の整理をしに、ここへ足を運ぶのだ。時には、ここで勉学をしたりもする。

「今日もこれから出かけるのかい?」

いつものように師匠は、愛用の茶飲みを机の端に置きながら、本を読んでいた。相当古い書物なのだろう。表紙はボロボロで、どのページの紙も黄ばんでいた。私なんかが扱えば、簡単に破れてしまいそうな古い紙を、師匠は器用にめくっていく。ところどころに見える赤い斑点のようなものは、カビらしい。師匠はページをめくると同時に、そのカビを魔術で丁寧に消し去っていた。基本的に魔術をあまり使いたがらない師匠だが、こういうところでは、ためらいなく活用している。世界最強の男の魔術の使い方が、古文書のカビとりだとは、まさか誰も思わないだろう。私だけが知っている、師匠の秘密だった。

 しかし、この一見地味に見えるカビとり魔術は、実はとても高度な魔力の制御技能が必要らしい。そう言われても、魔力を持たない私にはピンとこない話なのだが、やはり師匠は最強だということなのだろう。

「はい。今日は、フィスコニアに行って参ります」

ルシエル様は本に視線を落としていたのだが、私の言葉を聞いてその目をこちらに向けた。いつもの穏やかな青い瞳が私を捉える。

「そうか……フィスコニアか。懐かしいね。税を取りに行くのかい?」

私はふっと息を吐いた。あの(・・)()から税を取っていないことを知っていながら、この人はこんななことを言うのだから……。


 フィスコニア。それは十八年前、私が落としに行った国だった。結局、私は返り討ちにあって、ルシエル様に助けていただいたのだけれども……あの国で、はじめて私とルシエル様は、本当の「師弟」になったんだ。そして、今ではかけがえのない「家族」に……。

 あの時のことは、未だに鮮明に覚えている。フィスコニアの兵士に追い詰められ、崖から落ちた私を、国王に内緒で駆けつけてくれた師匠は助けてくれた。そして、クロアという少年の家を借り、私の傷を魔術で癒してくださった。

 どうやって師匠が私の居場所を突き止めたのかは、師匠が教えてくれないため分からない。でも、助けられたことは事実だ。

「えぇ、そうですよ。税を取りに行く真似(・・)をしてくるんです」

机の端に置いてあった、私が入れたお茶をすすると、師匠はにやっと笑みをこぼした。満足のいく答えが返ってきたからだろう。

「そうか。行ってらっしゃい」

実際に税を取りたてに行くのではなく、単なる真似ごとなのに、わざわざ遠くまで行く私がおかしかったのだろう。

 今までルシエル様と私が落としてきた国からは、事実上、一切税金の取立ては行われてはいなかった。けれども、徴収日にはちゃんと、フロートにお金が集まってくる。それが私もはじめは不思議だったんだ。けれどもある日、このからくりを師匠から教えてもらったんだ。

もっとも、このからくりを教えてくれたのは、割と最近になってからのことだ。知ってしまえばなんてことはない。そのからくりとは、ルシエル様が全ての国の税金を、肩代わりしていたんだ。私には、到底出来ないからくりだった。師匠だからこそ、これを為すことができた。


ルシエル様はレイアスの兵士。その給料は、他の兵士たちとは桁が違っていた。そのほとんど……全てのお金を、落とした国から払われるべく税金の換わりに、使っていたんだ。だから師匠は他のレイアス兵たちとは違って、まるで着飾ったりなどしないし、高価な宝石のひとつも持ってはいなかった。ただ時折、手柄として出る特別報酬などが入ったときには、ここの部屋に山積みにされているような本を買ったり、私の身のまわりのものを買ってくださっていた。私は、国王の側近というのは相変わらずの名ばかりで、お金はほとんど持っていなかったからだ。藁で寝ているということをどこで耳にしたのか、師匠はそれを知るやいなや、国王たちには内緒でベッドを作ってくれた。ベッドを買わず、木材を仕入れてきて日曜大工をするかのごとく、作ってくれるところがまた、節約家な師匠らしい。


『私は別に、金儲けをしたくてレイアスにいる訳じゃないんだよ。それに、貧しい村の人や、国からお金を取るなんて非情な行為。私には出来ないからね。これでいいんだ』


あまりにも師匠が質素な生活をし続けているものだから、あるとき私は、もう少しぐらい贅沢をしても、許されるのではないかと師匠に話をしたことがあった。すると師匠はそう、話してくれた。そんなことをさらりと言ってしまう師匠のことを、私は心から尊敬していた。


師匠は、この世界に生きるもの全ての命を尊く思っている。だからこそ、むやみやたらに自分の持つ力を使わないし、たとえ戦場に出たとしても、相手を傷つけることなどしなかった。誰にでも優しいお方なのだ。

師匠と出会った当初は、なぜ周りから疎ましく思われている私にあえて近寄ってきたのか、まるで分からなかったが、今なら、分かる気がする。師匠は、相手がどんな境遇にあろうとも、まるで気にしない方なんだ。私のどこに魅力を感じたのかは分からないが、おそらくは師匠の目をひく何かがあったのだろう。師匠は、こうと思ったことは必ず実行するひとだった。私がいくら避けようとしても、ありとあらゆる手を使って、困難な任務を承諾してまで、私に近づこうとしたひとだ。師匠のその実行力には感服する。


そんな師匠のもとについて、もう十八年。飲み込みの悪い私だが、それだけの年月を費やせば、師匠のおかげで「世界最強の剣士」にまで成り上がることができた。別に、その称号が欲しくて剣を持っていたわけではないが、尊敬する師匠に少しだけ近づけた気がして、私は嬉しかった。何より、今まで多くのことを教えてくださった師匠に、少しだけでも恩返しが出来たのではないかと思ったんだ。

最近では、国王からの虐めも落ち着いてきてはいる。虐め甲斐がなくなったということと、国王にとってより「目障りな存在」が現れたからだろう。国王は今、その存在を消すために、兵力を削いでいた。私に構っている暇もないという具合だ。

だが、虐めがなくなったことを喜べない私がここに居る。それは……今、国王の注意が向けられている人物の「正体」にあった。その人物こそが、私の人生を再び変えた、この緑のリボンの贈り主だったからだ。私は、ルシエル様が私を救ってくださったように、今度は私がその少年の師匠となり、救いたいと思っていた。現実は、そうは運んでいないのが苦しいところだが……それでも、諦めるつもりはもう無い。この少年との関係は、師匠にすら伝えてはいない。これこそ、誰にも言っていない少年と私のふたりだけの関係だった。




 少年とは、フロートが運営する孤児院で出会った。


 それは、偶々。


私が散策していたときに見つけた。




「では、行ってきますね」


そう言って、私は師匠に背を向けた。顔を見なくたって、師匠が今どんな顔をしているのかなんて分かっている。それだけ私は、これまで長いこと師匠の傍に居たんだ。


「あぁ、行ってらっしゃい」


師匠はいつでも、あたたかい笑みで私を見守ってくれている。闇の中で生きる私の、眩いほどの尊き光。




 私の人生は、まだ、終わってはいない。




 城を出て、私は山道を歩いていた。今回の任務は、特別に急ぎではないため、フィスコニアまでは歩いて行こうと思ったのだ。城に長居しているよりは、こうして外の空気を吸っている方が気分がまだ紛れる。そのため、私は出来うる限り寄り道をすることにしていた。思えば、師匠に出会ったばかりの頃、簡単に結果を求めるばかりではつまらないというようなことを言われていたような気がする。師匠も、こうして回り道をすることで、気分転換でもされていたのだろうかと思うと、こころのどこかで同じような道を歩みはじめることが出来ている今を、嬉しく思うのだった。

「今日は、天気もいい」

雲ひとつない青空。初夏のはじまりを迎えていたフロート領域の森林は、緑に溢れていた。こういう新緑を見ていると、よりいっそうあの孤児院の少年を思い出す。

「今頃は、どこを旅しているんだろうな……」

その少年も、今年で成人したと記憶している。孤児なのだから、誕生日も分からなければ本当の年齢も定かではないが、孤児院のシスターから伝えられていた歳が正確ならば、成人だ。もう、長らく会っていない。会ってはいけない立場にもいるのが現実だ。




 少年は二年前、フロートに反旗を翻した。




 以来、少年はフロートから命を狙われている。無論、私にも討伐命令は一応下ってはいる。その為、出来ることならば出会いたくない相手なのだ。少年には、私がルシエル様から教えていただいたことを、全て受け継がせている。武芸についてもそうだが、教養も身につけさせた。それがまさか、このような結果を招くとは、思ってもみなかった。

 もっとも、物覚えの悪かった私と違い、少年は物覚えがとてつもなく早かった。今では、どれほどまで自分に追いついてきたのか……或いは、私を超えたのかは、まだ剣を交えてみなければ分からない。ただし、そんなことは一生来なければいいと、内心では思っていた。

「カガ……?」

不意に、私の名を呼ぶ声が聞こえた。山道からではない。「風」の気配と声の方向からして、その声は森の中から発せられていると見た。私は、声がした方をハッと見た。まるで声変わりをした感じもない、よく私が耳にしていた温かみのある、高めの声だったからだ。

「……ラナン」

私が師弟関係を結んだ少年。その者の名は紛れもない、「ラナン」だった。私は動悸がするのを覚えた。会ってはいけないものが、ここに居る。相手はまるで無邪気な笑みを浮かべて、こちらに向かって来ようとする。

「カガ、久しぶりだな!」

ラナンは知っている。私が城の……フロート国の人間だということを。だが、今のところ殺気は感じない。警戒しているのは私だ。ラナンは、レジスタンス「アース」のリーダーである。色素の薄いブロンドの髪に、独特な緑の大きな瞳をしていた。耳には、瞳と同じ緑のピアスをしている。

「……それ以上、近づくな」

「うぃ?」

ラナンは首を傾げた。成人したという姿を、ずっと見たいとも思ってはいたが、このように面と面向かって会ってしまっては、剣を抜かずには居られまい。何故ならば……。

「ラナ、そこを離れなさい!」

そう。ラナンには仲間が居るからだ。ラナンだけならまだしも、この場をやり過ごせたかもしれないが、ラナンには律儀でしっかりとした青年、銀髪銀目の剣士、「リオス」という者がついていたからだ。

「何でだ?」

「何で……じゃ、ありません。カガリさんは、フロートの人間ですよ!」

その通りだ。リオスの言うことは正しい。そしてリオスの取る行動こそが、レジスタンスの在り方として正しいというものだ。リオスとも、剣を実際に交えたことはないが、私が訳あって「ラバース」に所属していたときに、この元ラバース兵であったリオスの功績は、間近で見てきていた。短い期間ではあったが、若いというのに筋がしっかりとしており、普段の性格も決して油断をせぬ、厳しいものであったと記憶している。ただし、ラナンがその「ラバース」に入隊してからしばらくして、その性格の刺々しさは、次第に薄れていき、穏やかなものへと変わったとも記憶している。

 それでも、敵を前にしてまで穏やかなほど、このリオスという男は優男ではない。どちらかといえば、切れ者だ。私はいつでも対応できるよう、剣の柄に手を掛けた。

「フロートの人間だけど……でも、カガは敵じゃねぇから」

リーダーであるラナンは、どこまでも甘い人間だった。ここまで甘い人間は、私はルシエル様くらいなものだと思っていたが、それと同等……或いは、それを超えるほどの甘さを持っていた。詰めも甘いのか、今では実の「弟」に命を追われる身でもある。どこまでも複雑な人間模様が、ラナンを取り巻いていた。それなのに、この明るい日差しの瞳は輝きを失うことはない。

「そんなことを思っているのは、ラナぐらいです。ラナが行かないのなら、僕がやります」

そう言うと、リオスは私たちの扱う西洋の剣とは違う、古代に栄えていた「日本」という国の刀のような剣を抜き、私との間合いを詰めてきた。森の中では足場が悪いため、こちらの山道の方にまずは出てくる。そして、厳しい銀の瞳を私に向け、青眼の位置で構えた。

「ちょっと、待てって……リオ!」

「相手になる」

私は鞘から剣を抜くと、一度腹の中の息を吐き尽くすと、そのまま息を吸い込みリオスと対峙した。リオスは癖の無い太刀筋で、躊躇することなく私の心臓部を狙って突きを入れてきた。それを一歩、右足を後退させて交わすと、私は相手の剣を振り払おうと下から上へと剣を振りかざす。しかし、剣がぶつかり合う前に、リオスは剣を一旦引き、姿勢を低く保つと今度は私の脚を狙って斬りこんで来た。悪くない動きだと、正直に思う。私は再び一歩下がり、チャンスを窺う。

「どうして斬り込んで来ないんです、カガリさん」

袈裟懸けに剣を振り下ろすリオスは、そう呟いた。斬り込みたくてここに居る訳ではないからだ。

 それにしても、まさかラナンがこんなにも城の近くまで来ているとは、思いもしなかった。これでは、命を獲ってくれと言わんばかりではないか。私は、ラナンが何を考えてここに身を置いているのか、理解に苦しんだ。いくらラナンとリオスが腕の立つ剣士だからといって、ふたりでこの巨大な国、フロートを落とせるとでも、思っているのだろうか。そうだとしたら、考えが甘すぎる。

「何が狙いだ」

口が堅く、賢明なリオスが応えるはずはない。リオスは、案の定何も答えることなく……いや、それどころか私の声など聞こえていないかのように、顔色ひとつ変えはしなかった。歳の頃はまだ二十二。年齢よりも大人びて見えるのは、容姿だけではないであろう。

 方や、ラナンは二十歳というのに背丈も低く、声変わりもせず、一見少女に見える容姿をしていた。髪も肩を越すくらいには伸ばしている。私が出会った頃は、本当に幼かった為、このようなものだと思っていたのだが、その頃と比べてみても、見た目には変化が殆ど無いといってもいいくらいだ。背丈は若干伸びているというものの、純粋で穢れを知らないような無垢な輝きを放つ瞳は健在。よく、あのフロートの左翼「ラバース」に在籍していたといいながらも、擦れなかったものだ。大概人というものは、力を得てある程度の権力と金を手にすると、欲を知り輝きを失っていくものだ。リオスという男もまた、はじめはそうだった。権力の亡者……とまでは行かなかったかもしれないが、少なくとも擦れてはいた。それが普通なのだから、恥じることでもない。

 だが、ラナンと出会ってからというもの、リオスをはじめとし、ラナンが率いていたクラスは変わっていった。それをよしとしない者は、当然のことながら居た。ラナンがラバースに居た頃から、ラナンはフロートから目をつけられていたのだ。しかしそれは、ラナンがただ単に、純粋だったからではない。その純粋さに加え、他の兵士を遥かに凌駕する力を持っていたからだ。




 クライアント王国。




 フロートの恐れていた、最も強い大国……だった。過去形になったのが、そう。ラナンの力にあった。ザレス国王は、クライアントにレイアスは決して送りこむことは無かった。何故ならば、クライアントにはルシエル様に匹敵するのではないかとさえ言われる、魔術士が軍師として存在していたからだ。当時はまだ、成人前の少年。名を「サノイ」という。

サノイは少年時代から戦線に自ら立ち、指揮を執っていた。ザレスは、そんなサノイの軍師としての能力と、魔術士としての能力に恐れをなしていた。絶対的権威であるはずの「レイアス」が負けてしまっては、フロートの名声も最強伝説も終わる。そう、考えたのだ。それを考えれば、ザレスがレイアスをクライアントに送り込まないという選択肢は、至極当然の結果でもある。

 そこで、諸刃の刃となったのが、捨て駒となっても構わなかったもうひとつのフロートの力、「ラバース」であった。だが、フロートもただただ負け戦をしにクライアントへ行くのでは面白くは無い。はじめは、ラバースでの最高位クラスである「Sクラス」を討伐へと向かわせていた。しかし、一向にクライアントは崩れることは無かった。サノイの軍師力と、その魔術の力、そして統制力の前では、ラバースSクラスは為す術が無かった。

 しかし、実質ラバースで最も力を持っていたのはSクラスの人間ではなく、一番最下位クラスに居た「ラナン」だった。痺れを切らしたラバースの責任者、「クランツェ」はラナンに命令を下した。


「クライアントを滅亡させよ」


 その命令を受けたDクラス隊長のラナンは、副長であったリオスと共に、Dクラスの仲間を引き連れ、クライアントへ向かった。そこで、はじめてサノイと対峙し……なんと、一度の戦闘でクライアントを、サノイを落としてしまったのだ。どのような戦いを繰り広げたのかは、報告には無い。私も見てはいないので、よく知らない。だが、そのとき既にラバースを離れ、城の住人に戻っていた私には、想像も出来ないことだった。Dクラスのメンバーで、遠く離れた地まで名を轟かせる「サノイ」という軍師を陥落させるとは……。どこまでの力らを身につけたというのだろう。その力は、もはや私を超えていたのかもしれないとさえ、思える。

 ただし、ラナンはクライアントを滅ぼしたには滅ぼしたのだが、誰一人として犠牲者を出さなかった。それがまた、一部の人間……特に、アンチ・フロートの民衆には評価されている。

 クライアントの最高軍師であったサノイのことすら、命を取らなかった。戦って満足したのか、ラナンはサノイの命を生かすよう、クランツェに直談判したのだ。それを呑まないのならば、自分はラバースを抜ける、とも。

 ラナンが抜け、レジスタンスにでもなったならば、ラバースは崩壊する。そう考えたクランツェは、サノイの命を結局助けることになるのだが、その結果、今、自分たちの首を絞める結果となった。




 ラナンは、リオスを連れラバースを脱退。




 そして、リオス、サノイと共にレジスタンスを立ち上げ、フロートに反旗を翻す。




 レジスタンス、「アース」の出発だった。




「……」

アースとは、いつか戦わなければならないと思っていた。分かっていた。だが、今は戦いたくなど無い。いや、いつになってもきっと、戦いをする決意なんて、私には出来まい。私はただ、知りたいだけだ。この者たちの力を……。

「リオ、やめろって!」


 キン……!


 金属と金属がぶつかり合う音が鳴り響いた。私の剣とリオスの剣が交じり合う寸でのところで、ラナがダガーを引き抜き、鞘で私の剣を、ダガーでリオスの刀を押さえ込み、私たちの動きを止めた。

「いい加減にしろよ! リオも……カガも!」

「ラナ……」

リオスは、そのラナンの声を聞くなり一度私の顔を見て、厳しい顔つきをしてから、一息吐き、刀を鞘に収めた。リオスとしては、不本意なのだろう。ただ、私としてはこれでも充分な拾得だった。リオスの剣さばき、切っ先の動きを実際に感じとることが出来たし、大よその力量も知れた。そして、ラナンだ。ラナンから少し離れたところで抜刀しあっていたというのにも関わらず、ラナンは瞬時に私たちのもとへ入り込み、私たちより頭ひとつ分よりは小さい身体で、本気で合い交えようとしていた私たちの剣を取り押さえこんだのだ。その素早さにも感心するが、小さな身体のどこにそのような力を秘めているのか。不思議に思えた。

「俺たちは、カガの敵かもしれない……だけど、敵じゃない!」

私はラナンのその言葉を聞いて、こころのどこかでほっとした。「敵じゃない」という言葉が、ラナンの口から聞けて、嬉しかったのだ。だが、それと同時に、不安もこみ上げてくる。

「……何を言っているんだ」

私は、もとよりラナンを倒すつもりも無ければ、ひっ捕らえるつもりも無い。ここでの出来事も、城へ報告するつもりもない。ラナンがここに居たと、フロート城の近辺に居ると知られれば、この辺りの警備は厳しいものとなるだろう。私にその気がなくとも、ザレスやジンレートは、ラナンを目の仇にしている。ラバースを抜けられ、さらにはレジスタンスなんていうものをつくり上げてしまったラナンの力を、脅威としているからだ。ラナンは、魔術士ではない。リオスもまた、魔術士ではない。ふたりとも、剣士だ。ジンレート率いるレイアスが本気でぶつかれば、きっとラナンも無事には済まないであろう。しかしザレスは、それをしようとはしていない。万一にでも、ラナンに返り討ちにあうことを、恐れているからかもしれない。

 先ほどまで、雲ひとつ無い青空が広がっていたのだが、少しずつ太陽が雲で見え隠れしはじめ、とうとう完全に雲によって、覆い隠されてしまった。黒くて分厚い、雨雲だ。フィスコニアのある西の方角に目を遣ると、此処よりも更に黒い雲が覆いかぶさっている。時には、雲の中に稲光が見えるため、雷雨となっているようだ。身体が気だるく感じるのは、この雨のせいでもあるのかもしれない。


 雨の夜。


 村人たちは、残虐に殺されている。


 未だに悪夢は見続けている。あのときの光景が脳裏に焼き付いており、ふとした瞬間にそれを思い出し、胸が痛くて仕方なくなる。私は、これ以上ここに留まっていても、誰かに見られでもしたら、ラナンたちの命にも関わるし、私も落ち着いた自分を見失うかもしれないが為、早急に此処を後にしようとした。

 緑色をした木々がざわめいている。私のこころの中を、映し出しているかのように……。

「ラナン。私には、お前たちを倒すよう命令が下っている」

私は剣を収めると、リオスの顔を一度見てから、顔を下げて小さな身体をしているラナンに目を向けた。孤児院で会っていた頃のラナンは、裏庭でひとり寂しそうにしており、いつでも泣き出しそうな顔をしていたが、今のラナンの瞳には、迷いも曇りも無い。真っ直ぐで汚れの無い、希望に満ちた光を灯している。

「カガ……俺たちと、一緒に来いよ」

「え……っ?」

予想もしていなかったその言葉に、私は思わず目を見開いた。


 今、何と言った……?


「俺たちと一緒に、フロートを倒そう!」


 空耳ではなかった。


「カガの力が、必要なんだ!」


 私の力を、唯一の愛弟子……弟のような存在であるラナンが、求めてくれている。


「カガ……だから!」


 嬉しい。


 だが……。


「……行けないよ、ラナン」

私は、かぶりを振って、俯いた。私は国王の犬だ。別に、その肩書きに拘っている訳でもなければ、気に入っている訳では決してないし、むしろ、早く解放されたいと願っている。だが、ザレスがこれまで徹底して私を孤立化させ、私の力を欲してきているというのに、今になって、急に手放したりするのだろうか。それは、考えにくい。

無理にでも城を抜け出すことは、簡単かもしれない。発信機なんていうものは無いんだ。時折、私の後を付いて回る密偵のようなザレスの支配化である輩も居るが、今日はそのような者の空気も感じない。そうなると、これはチャンスなのかもしれない。ここでラナンたちと合流して、フロートから離れれば……私には、自由が待っているのかもしれない。

失った弟、「ハルナ」にそっくりな容姿をしているラナンとの出会いは、運命的なものだった。ハルナが生きているような錯覚に陥るほど、ふたりは似ていた。


だからこそ……私は、フロートから出る訳にはいかないんだ。


「行けない……ラナン」

「どうして!」

さらさらとした、色素の薄いブロンドの髪を風になびかせながらも、ラナンは必死に声を上げた。その様子を、リオスはただ静かに見守っている。何かあったときの為か、小柄のところに手を掛けて、いつでも抜刀出来るようにもしているところを見ると、リオスは私のことを、信用していないらしい。それもそうだろう。私とリオスは、ラバース時代の軽い面識程度で、実際に顔を合わせて話すのは、これが初めてなのだから……。フロート国王であるザレスの側近である私が、賞金首であるラナンを放っておくはずがないと、考えているに違いない。リオスは、ラナンに絶対的忠誠を誓っている。リオスは、ラナンに会って本当に変わった。刺々しさが消え、使命感に生きる「男」らしさがより磨かれたように感じる。

「どうして来てくれないんだよ、カガ!」

「私が共になれば……お前に、危害が及んでしまうからだ」

そう……これまでに、私に関わってきたものは、命を落とすか、大怪我を負ってしまってきていた。全てがザレスの思惑通りなのだが、そうさせてしまっているのは、私の所為。私は、本来ならば自害でもするか、本当に独りにならなければいけないのだ。有害である私に、生きる価値が見出せない。ただ、今の私には、ルシエル様という存在がある。ルシエル様との関係は、未だに国王にもジンレートにも知られていない。だからこそ、というわけでもないのだが、万一ばれた場合でも、ルシエル様なら、その絶対的力、世界最強も魔術士の力を以ってして、屈服させることが出来るのではないか……と、今では思うようになっていた。

 しかし、ラナンとリオスは別だ。ふたりとも、動きは悪くない……むしろ、良い動きをする。ジンレート対峙しても、一対一ならば、遣り合えるかもしれん。だが、所詮は私と同じで魔術士ではない。魔術士には、剣士ひとりや、ふたりで立ち向かったところで、どうにもならないのが現実だ。

「危害って、何だよ」

私が剣を鞘に収めたからか、ラナンもダガーを腰にしまっていた。大きな瞳で、必死に私に喰らい付いてくる。引き下がることを知らない。昔から、「こうする」と決めたことは、必ずやり遂げるのが、ラナンという少年だった。ラナンの持つ緑の瞳は、奥深く、見ていると吸い込まれそうだった。

「私は、疫病神だから……」

「誰が……誰が、そんなことを言ったんだよ! 俺は、今まで一度たりとも、そんな風にカガのことを思ったことは無い!」

私の決心が、鈍りそうになる。動悸がしてきた。息苦しい。この痛みは、何なのだろう。痛みから解放されたい。その為には、ラナンの仲間になるべきなのか……それとも、ここを早く立ち去り、フィスコニアに向かうべきなのか……。

(何を迷っているんだ……)

私は、胸中で呟いた。迷うような問題ではない。私なんかが、ラナンの仲間になど成れるはずが無いのだ。そんなことをしては、ザレスの怒りを買うだけだ。益々にラナンへの追っ手が増え、しょっ引かれてしまうことであろう。

「久しぶりに元気そうな顔を見ることが出来て、嬉しかった」

それだけ告げると、私は西へ向かって歩き出した。すると、後ろから腕を掴まれる。華奢な手だが、その手のひらには剣だこがたくさん出来ている。横目でそれを見ると、色白な、女性のような手がそこにはあった。

「行くな、カガ。これ以上、カガを独りにさせたくない」

私の決心を、またしても鈍らせることをラナンは言い放った。私は目を硬く瞑った。そして、あのときの惨劇を思い出す。


 村を焼かれ、全てを失った……あのときのことを。


 口の中に、血の味が広がっていく。知らず知らずのうちに、唇を噛み切っていたのだ。ザレスへの怒りもそうだが、無力で無能過ぎた自分を呪った。血の臭い、立ち込める黒々とした煙、炎。村人たちの呻き声が、聞こえてくるような酷い在り様。それが、目の前に広がった。

「……っ!」

私は思わず目を覆い、酷い頭痛に襲われた。此処のところは穏やかで、ルシエル様との時間も癒しに感じ、忘れかけていた遠い記憶が、一気にフラッシュバックした。

「カガ……?」

『お兄ちゃん?』

うっすらと開けた瞳の前には、緑の瞳の……青い目だったはずの、実弟ハルナが居る。背丈が伸びているが、どう見ても幼き頃のハルナにしか見えない。声だって、幼い。頭の中に、ハルナの声が響く。

「ハルナ……」

「へ?」

そんなはずが無いことは分かっている。だが、記憶が交錯して自分の都合の良いようにでっち上げられていく。実は、みんな生きていて、あのとき焼けたのは、違う村で。私は今、こうしてハルナと現に会っている……そう、思えて仕方が無い。

「カガ、しっかりしろよ。俺は、ラナだろ?」

「カガリさん、どうかされたんですか?」

頭が割れそうだ。現実を見ようとすればするほど、意識が拗れて行く。そして次第に、意識が遠のいていくのを感じた。周りが揺らいだと思うと、足元から崩れ落ちる感覚に陥り、私はその場に倒れこんだ。

「カガ……っ!?」




 遠くで、ハルナの声がしている。





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