最強の魔術士
あれからもう、五日が経った。
あの日以来、俺はルシエルとは一度も顔を合わせることはなかった。このまま日が経てば、ルシエルも俺のことを自然と忘れてくれると思った。そして俺もまた、ルシエルのことを忘れられると思っていた。
心のどこかでは寂しさを覚えつつも、これでよかったのだという安堵も、同時に生まれてきていた。
城の中を歩いていたら、いつか、ルシエルとすれ違うこともあるかもしれないと思っていたが、そんなこともこの五日は無かった。城は広い……といっても、こんなにも顔を合わさないものなのだろうか。それとも、気配を察知して避けられているのだろうか。
いや、もはやそのどちらであっても構わない。
それからさらに、一週間が経った。この一週間は、いやに長く感じた。それは、忘れようとすればするほど、ルシエルのことが頭から離れなくなっていったからだろう。気になる人物が現れ、にっちもさっちもルシエルのことで頭がいっぱいになっていく。任務が下っても、どこか集中できずにいる俺がいた。
可笑しい。忘れようとしていたはずなのに、そう意識すればするほど頭の中はルシエルでいっぱいになっていく。城の人間のはずなのに、何故こうも出会わないんだ。
あれから、一度もルシエルと会っていない。ルシエルは、国王の犬であるという事実、「カガリ」である俺のことを知っていた。ということは、俺の部屋だってどこにあるかくらい、把握しているはずだと思う。別に、俺の部屋は他から隔離されているとかいうわけではないんだ。入ろうと思えば誰だって入れる。だから、一度くらい会いに来るかとも密かに思っていたりもしたんだけれども……あの人は、とうとう一度も部屋を訪ねては来なかった。
確かに、俺の部屋に訪問してくるなんていう物好きはひとりも居ない。俺なんかに関わったりしても、何の得にもならないことを、城の連中は知っているからだ。下手をすれば、減給どころか降格、最悪の場合、俺に肩入れしたなんていうくだらない罪を国王に問われ、命を奪われるかもしれない。そんな馬鹿げたことが、この城では本当に起きてしまうんだ。
ルシエルも城の人間だ。どこの部隊に所属しているのかどうかは分からないが、城で出会ったんだ。ここの者であると考える方が普通。ここに居るものなら、俺のことをちゃんと知っている。俺がどんな存在であるのか……。
だから、俺がいくら待ったところで、この部屋に来るはずがないんだ。
(何を期待しているんだ……俺は)
かぶりを振ると、俺は下弦の間というところに向かった。今日は週に一度開かれる、集会の日だった。
はっきり言って、嫌いな時間だ。大嫌いな男ふたりと、多くの冷たい視線に会わなければいけなかったからだ。明らかに気分が憂鬱になっていくのを覚えながら、俺は重い扉を開けた。
俺は国王の側近ということになっている。だから、列の一番前のところに立っている。でも、思い切り端が俺の位置だ。王座の前は、レイアス達で埋めつくされている……と言っても、そんなに数はいないんだけどな。神の子と呼ばれるだけあって、ごく稀にしか現われない、白・黒両魔術を扱う特別な者たちであった。神に選ばれしものだと、大切にされている。
「知っているか? あの男。ひとりで城を落としたらしいぜ」
レイアスの者だろう……。国王がまだ来ていないということもあって、私語をしはじめた。俺は特にすることもなかったから、黙ったままそれに耳を傾けていた。
(ひとりで城を……?)
誰だろう。そんなにも凄腕の男、ここに居たか? レイアスでも、ひとりで城を落とすっていうのは難しいはずだ。いや、彼らにならば可能なのであろうか。小さくて、特に兵力のない城ならば……。
「なんていっても、あのジェラード国を落としちまったんだぜ」
(ジェラード……っ!?)
俺は思わず、声を出してしまいそうになった。ジェラードと言えば、ここ最近、クライアント王国に次いで勢力を持っている大国ではないか。それをたったのひとりで? いくらレイアスの兵士でも、さすがにすごいと言わざるをえない。認めないわけにはいかない。俺には、どうあがいたって出来ないことだ。当然、勝利を収めたといっても、手傷は負っているんだろうけど、それでも本当にすごいことだった。
「しかも……また無傷だそうだ」
「無傷で……っ!?」
ついに俺は、声をあげてしまった。普段、無口で何も語らないってことで通っている俺が、いきなりこんな声を上げてしまった為、俺はこの場に居る全てのものから視線を受けた。いつもの冷ややかな視線は大嫌いだけど、それとは違うこの視線もまた、あまりいいものではなかった。
「なんだよ、カガリ。お前、聞き耳立てていやがったな?」
もちろん。こうやって絡んでくる奴は、あいつに他ならなかった。金髪を逆立てた、ライオンみたいな男。ぎらっとした吊目で、青い光を放っている。俺の、大嫌いな人間のひとりだ。
事あるごとに俺に突っかかってきて、いちゃもんをつけ、俺をおもちゃのようにあしらってくる。毎晩、俺を傷つけにやってくる張本人だ。単なる暇人のように見えるが、若くしてレイアスの隊長を務めている。それだけの高い魔力を持ち合わせているのだ。その為か、誰も俺たちの喧嘩に割り入っては来ない。火の粉が飛んでくるのを、恐れているのだろう。
それには納得できる。レイアスといえば、魔術士の最高峰。その隊長に牙を向きたい人間なんて、仲間でさえ居ないであろうから。俺ぐらいなものだろう。何の後ろ盾も、今では失うものも何も無い、俺ぐらいしか居ない……。
「……それが?」
俺は、しれっとして言ってみせた。すると、その態度が気に入らなかったのだろう。ジンレートは俺の胸座をつかんできた。
「今日はやけにでかい口を叩くではないか……カガリ。そろそろ、本気で死にたいのか?」
「うるせぇ……ライオン頭。その手を離しな」
俺たちの喧嘩を、誰も止めはしないのはいつものこと。俺とジンレートはにらみ合いを続けていた。
この部屋中に、緊迫した空気が流れた。そんなとき、後ろからカツン、カツン……という、音が響いてきた。静かで、緊迫した空気の中紡がれていく唯一の音。一同はその足音に集中していた。
俺自身も、この靴音に聴覚神経を集中させていた。とても優雅で、規則的に紡がれていくこの音に。
「ジンレート様。国王陛下がまもなく到着されますよ。定位置にお戻りになられた方がよろしいのではないでしょうか?」
部屋が暗くて、はじめはそれが誰なのかが、分からなかった。でも、その声は……。
聞き間違えなどしない、あの人のものであった。俺がずっと、気にかけていた人。俺は、鼓動が激しく脈打つのを自覚した。
会いたくなかったのか、本当は会いたかったのか。正直なところ、どちらかはっきりとは分からない。そのどちらともが、俺の心の中に存在していたように思える。
「ルシエルか……ふん、命拾いしたな」
ジンレートは俺よりも長身だ。上から俺を見下してきた。
「どっちが……」
俺たちはしばらくにらみ合ってから、お互いほぼ同時に視線を外した。それから、俺に集まっていた視線は、少しずつ消えていったんだけれど、ひとりからは、熱い視線を受け続けていた。
「……君が、カガリかい?」
「えっ……?」
ルシエルは、初対面を装ってきた。俺は、この人が何を考えているのか相変わらず分からなくて、口をぱくぱくとさせていた。すると、ルシエルはふと微笑みながら言葉を続けてきた。
「ルシエル。レイアスのルシエルです。どうぞ、お見知りおきを」
そして、レイアスの定位置についた。
(レイアスの、ルシエル……)
ひとりでジェラードを、それも無傷で落としてしまうほどの実力者。
確かに、強いとは思っていたけれど、まさかここまで力を持っている人だったなんて。俺は、知らず知らずのうちに、自分の拳を握り締めていた。胸のうちに、強い思いを秘めながら……。
(ルシエル……俺の、目標だ)
けれども、不思議と言うのは彼の座った位置だ。最強の魔術士と言われているのにも関わらず、隊長はあのライオン頭のジンレートだし、位の高いものが座るはずの前列ではないのだ……というより、前列どころかレイアス陣の最後列の中の、そのまた最後尾に腰を下ろした。これは、彼、ルシエルの地位がレイアスの中で最も低いということを意味している。世界最強がなぜこの位置にと、俺は首をかしげた。
だが、これに対して疑問を持っているのはどうやら俺だけらしい。他のレイアス兵たちや警備兵たちは、いつものことだという顔をしている。
これまでの二年間も、俺は今日と同じようにこの集会に参加し続けてきた。それなのに、これまでルシエルに気がつかなかったのは、彼が俺の居る最前列からではまるで見えないほど後ろの席に座っていたからなのだということを知った。
「国王陛下の着座だ」
ジンレートが声を上げた。そして、一同は面を下げて出迎えた。集会は、ルシエルの功績を称えるものだった。いつも、この集会の中身なんて、気にしたことは無かったが、今日の俺は耳を研ぎ澄ませて、全てを吸収するかのように、聞き入っていた。
ルシエル。
俺より十歳年上。レイアスという、王国フロートの魔術士部隊のひとりであり、世界最強の魔術士とうたわれている男。左耳に緑に輝くピアスを二つしている。額には、大きな刀傷があるが、古傷のようで、此処のところは無傷で戦場から帰還してくる。
城での主な居場所は裏庭の木の下、もしくは図書室。そして、自室であることが分かった。
ルシエルのファミリーネームについては、誰もが不明。名前も、本当に「ルシエル」というのか、謎であるらしい。一説によると、孤児ではないかという話もある。
魔術士であるが為、無論魔術はお手の物だが、剣術、馬術、弓術など、武器類など戦いにおいて必要なことは、全て会得している。読み書きの教養どころか、古代についての歴史にも長けている。
俺がこの数日で、調べあげたことだ。ルシエルのことを、もっと知りたいと思った。
「ルシエル……か」
俺は集会のあったあの日、下弦の間を後にしてから、ひとりルシエルのことについて考えるようになった。あれだけの強さを身につければきっと、もう、誰かを失うなんてことを味会わなくてもよいのではないかと思うのだ。
ルシエルのようになりたい。
俺の心の中に、はっきりとその意志が浮かびあがっていた。
謎は多いが、目標であることに変わりはない。その日から俺は、毎日今までの倍の時間を剣の稽古に費やすようにした。たったの数日間しか教わっていない剣の先生の姿を思い浮かべて、俺はひたすら剣を振るった。師匠にして申し分のない男から、俺は剣の手ほどきを受けていたんだ。それを知って、黙っているわけにはいかない。強くなるための最高のレールが敷かれたんだ。
(俺には、これしか生きる道がないんだから)
睡眠も食事も、ほとんど取らなくなった。そういうことをする間も、俺には惜しかったんだ。
ルシエルに会うまでは、俺はもう充分強くなったと思っていた。戦場へ出ても、それなりに遣り渡り合って来ていたからだ。でも、それは小さな世界の出来事であって、世界は広いことを知った。俺の強さでは、とても太刀打ち出来ない存在があることを知った。このまま甘んじていては、いずれは誰かに命を獲られるだろう。
ジンレートはレイアスの魔術士。しかも、あの強敵軍団を束ねる軍の隊長だ。それに比べて俺は、剣もいまひとつ。体術はまったくと言っていいほどなっていない。学識もなくて、背丈もない。ついでに言うと、体重もない。ひょろっこい身体をしていて、力技で来られたら、なかなか太刀打ちするのは難しかった。もともと、両親も弟も痩せ型。太りにくい体質の元で生まれて来ているのだと思う。それに加えて、最近はあまり食べていないし、食べていた頃だって、みんなと同じような食事が提供されていたわけではないのだから、痩せ衰えていくのは目に見えていた。
立場も悪いし、とにもかくにも何もなかったから、あいつと喧嘩をしたって……いつも、負けていた。おかげで、体中が傷だらけだ。なるべく長袖を着て、夏場でも露出を少なくしているのは、傷を隠す為であった。最近でこそ、そこまでの傷を負わなくなったといっても、昔に負った古傷の痕が、残っているのだ。
別に、魔術士に生まれたかったとは思わない。
確かに力を欲してはいるけれども、それは、今の俺がこういう戦いの中に身を置いているからだ。村にいたころには、強くなりたいだなんて、一度たりとも思ったことは無かった。そもそも本当は、戦いなんて嫌いだったのだ。俺は、どんなに小さな争いごとでも、好まない性格だった。
魔術士に生まれれば、望まない戦いが嫌でも起きたと思うから、魔術士に生まれたかったとは思わない。レイアスに入れるような稀有な存在ならまだしも、黒魔術士に生まれてきたら、生まれたときから迫害を受けることになると聞いたことがある。
黒魔術士特有の、黒き瞳に黒き髪が、「不吉」だと言われ、今では「悪魔」だと呼ばれている。そのため、フロートでは「悪魔狩り」という名目で、黒魔術士の排除を続けている。しかしその実態は、単に攻撃魔力を持ち合わせた黒魔術士を排除したいというフロート国王の陰謀なのだが……そんなことを、下々の民が知る由もない。民は、黒魔術士を「悪魔」だと信じて疑わない。俺もまた、ここへ来るまで本当のことを知らなかった。
黒魔術士に対して、何の迫害も受けない存在のひとつが白魔術士だ。白魔術士は、攻撃魔力を持たないがため、無害と思われているのだ。主な力は治癒で、国王から脅威とみなされていない。それゆえに、迫害を免れている。地域によっては、白魔術士は「天使」と呼ばれる。
そして、フロートが何よりも可愛がっているのが、この黒と白の双方の力をあわせ持った魔術士、通称「神子」と呼ばれる、極々珍しい魔術士であった。彼らの力は通常の黒魔術士や白魔術士と比べてみても、抜きん出たものがあって、国王はこの力を軍力として集めているのだ。
フロートはどの国よりも今、権力を持ち、財力も持っている。そのため、レイアスには多額の報酬が支払われている。その金欲しさに、神子はフロートの人形に成り下がる。フロートにたてついて王国を破り、自らが国王となるよりも、フロートの人形になり金だけを巻き上げて生活する方が得策だと考えているのだろう。現に、神子は続々とこのフロート城へ集まってくる。
魔術士には、努力でなれるようなものではない。あれは、生まれながらの資質なのだと、以前誰かが言っていた。生まれもっての力なのだ。そんな力、俺にはない。だから、生きるためには「努力」でそれを補うほかなかった。
「魔術士……か」
俺は、ふと空を見上げた。今は真夜中あたりであろうか。綺麗な満月が空に浮かんでいた。
「……ルシエル」
闇の中で、ひときわ目立つ光。残酷なほど暗い闇に包まれた城の中で出会った、唯一の俺の光。月は、俺の中でのルシエルだと思った。眩い光で闇夜を照らす光は、孤立しているがとても穏やかな光を放ち続けている。
「呼んだかい?」
「……っ!」
俺はびっくりした。まさかこんな時間に人がいるなんて。それも、今、もっとも会いたくない人がここに居るなんて……。
「剣の稽古。ちゃんと、続けていたんだね。突然消えてしまったあの日から、君は一度も湖にも裏庭にも来なかった。正直、心配していたんだよ」
あの集会で、俺はこの人の立場を知った。世界一強い人間。桁外れの魔術を扱うレイアスの兵士。それなのに、なぜだか地位はジンレートよりも低く……いや、誰よりも低い地位にいた。それがどうしてなのかは、分からなかったけれども……きっと、何か理由があるはずだ。この人には、教養がある。馬鹿じゃない。そして、過去や詳しい素性についてを誰も知らないという、謎の男……。
「心配御無用。俺は帰る」
慌てていることを声には出さないようにしたが、俺は急いで部屋に帰ろうとした。けれども、ルシエルはそれを邪魔してきた。いつものように、俺の腕を掴んで俺を行かせまいとする。
「待ちなさい。どうして私を避ける? 私は、君に対して何かいけないことをしたかい?」
違う。あんたは善いひとだ。城の警備兵たちから聞いたけれど、傲慢なレイアス兵とは考えられない優しさで、俺だけじゃなくて、城で仕えているみんなに対して、平等に……いや、それ以上に接しているらしい。城に住み込みで働いているメイドに対しても、親切だっていう噂だ。
誰からも好かれていて、誰からも必要とされている、俺とは真逆の人間。俺なんかと関わりあって、人生を崩させるわけにはいかない。彼は、多くのものにとっての希望の「光」なんだ。
「あんたには関係ない」
「関係ならあるよ。私は君の師匠になったのだから」
(あんたとは……もっと早くに出会いたかった)
それが、俺の本音だった。そう、出来ることならば、俺がまだ村に居た頃に出逢えていたならよかったのに。城に連れてこられてすぐに、出逢えていればよかったのに。そうしたら、俺は迷わずこの男の手を取っただろう。この男の師事を仰いでいたであろう。今はもう、道を選ぶことすら叶わない。俺に用意された道は、ただひとつだった。
孤独で在り続けること。
国王の人形であり続けること。
それだけだ。
「違う。あんたは、俺の敵だ」
「……敵?」
ルシエルは首を傾げ、俺のことを見てきた。俺の胸の中には、色々な感情がこみ上げてくる。早いところこの場を去らないと、俺の心が持ちそうにない。俺は、まだルシエルが何か言っているようだったけれども、聞こえないふりをして、ここを足早に立ち去った。
その日、俺は自分に暗示をかけた。ルシエルのことを、これ以上考えなくてもいいように……これ以上、心が揺れないようにするために。
(忘れろ……あの人は、俺には関係ない。関係……ない)
それからまた、数週間が経った。俺は国王の命令で、少し遠い国に来ている。そこは、まだまだ開発途中の国で、規模も小さい国だった。でも、なかなか有望な剣士が多いらしくて、俺はこの国を抑えるように言われて来た。このまま野放しにしておけば、いずれはフロートにとって、脅威となるかもしれないと考えた国王が、早めに手を回したのだ。だが、おそらくはこの件に関しては急を要してはいないのだろう。急を要するならば、単なる剣士、しかも半人前である俺ではなく、レイアスの方を機動部隊へと参入したはずだからだ。もしくは、魔術を持たない庸兵組織の「ラバース」という、フロートのもうひとつの組織を動かしていたはずだ。
「剣士……か」
俺はいつも、ひとりで任務地に行かされていた。他の兵士たちは、チームを組んだり必ず団体行動をしていたのに……だ。俺だけが、ある意味「特別」扱いだ。
生きるか死ぬか。
いつもギリギリのところで俺は城に帰るけれども……今回は、本当に厳しいように思えた。そう、勝てる可能性は百ではない。むしろ、その成功する可能性は失敗する確率よりも低い。それを分かっていて、国王は俺をひとり、ここに送っているはずだ。だからこそ、この件は早急に片さなければならない件ではないと言えるのだ。もしも確実にここを抑えたいと思うのならば、俺ではなくやはりレイアスを送り込むはずだし、レイアスでなくとも、俺よりももっと腕の立つ部隊を送り込んでいたはずだ。
レイアスはフロート国の右翼軍。国王が最も信頼を寄せている最強兵士部隊だ。そして、フロートの左翼を担っているのが「ラバース」という組織だ。ラバースの特徴は、兵士たち全てが魔術士ではないということ。そして、傭兵組織であるということだ。フロート国王から勅命を受けた首領が実質を任されており、S、A、B、C、Dというクラス編成になっている。Sクラスが最高位クラスであり、Dクラスが最下位クラスだ。その下には、養成クラスというものがあるらしいが、詳しくは俺も知らない。クラスごとに隊長と副長が設けられているらしい。
クラスの位を上げることは難しいことだと耳にしたが、難しいからこそ、それなりの報酬が得られるらしい。だが、ラバースとレイアスとではそもそも報酬の桁が違う。それなりの報酬と言えども、それはレイアスの比ではなかった。
ラバースは、ザレスの考えでは捨て駒も同然なのだろう。裏切り者が出ようとも構わない。だからこそ、低賃金で働かせる。もし有能なものが裏切ったそのときには、国の最終兵器とも呼べるレイアスを出陣させればいいのだ。ラバースとは、その程度の組織意識。されど、フロートの左翼であることは間違いない。彼ら、特に上位クラスの剣の腕は一流だ。俺ひとりの力と、組織としてのラバースの力を比べれば、明らかにラバースの力の方が上である。それにも関わらず、国王は俺を出向かせたのだ。単なる嫌がらせでなければ、他にどんな説が考えられる?
ここ数週間の間で、俺は前とは比べ物にならないくらい強くなった……と思う。でも、ここに居る有望な剣士たちとやり合っても、勝てるとは思えない。相手が個人ならばまだしも、ここは一国だ。世界最強の男ならばまだしも、俺個人に、一体何が出来るというのだ。
(死ぬ……かもしれないな)
いつだって、死ぬのは怖いって思っていた。でも今回は何故だか、心が落ち着いているのだ。どうしてだろう……と、思いながらも俺は城下町に入っていった。本当に死と隣り合わせになったとき、人とは落ち着くものなのだろうか。
「誰だい? あんたは……」
よそ者の俺を、街のひと達は当然ながら訝しげな目をしながら見てきた。こんな目にも、もうさすがに慣れていた。俺はひと息つくと、彼らの目を死んだ魚のような目で見た。これから自分がすることを思うと、まともな目では見ることができなかったのだ。
いくらやっても、この仕事には慣れてはくれない。これしか俺には生きる道がないのだと思っていても、俺は自分がしている行為を肯定的には捉えることができなかった。
だからこそ、心を殺すしかなかったんだ。
「フロートのカガリだ。俺は、この国を鎮圧に来た」
街は、一気に静まり返った……。
「今日も……居ないな。カガリはいったい、どこへ行ったんだろう」
私は辺りを見渡してみた。そう広さのない裏庭だ。木陰に隠れていたって、すぐに見つかるような気がするのだが、見つからない……ということは、カガリはここには居ないのだろう。私は肩をすくめた。
ここ最近、ずっと避けられ続けている。その理由はおそらく、私を気遣ってのことだとは思うのだが……でも、私は別に、国王から何かを仕掛けられたからといって、国王の望みどおりにやられるほど弱くはない。そして何より、私はあの子に自分の総てを継がせたいと思っているし、心から、傍に居て欲しいと思っているのだ。それなのに、カガリは私の想いなんていうものは完全に無視だ。事はなかなか、思っている通りにはいかないものである。
これまでの人生は、割と思うがままに生きてきたつもりだったのだが、ここへ来て困難に直面した。だが、根をあげるつもりはさらさらない。基本的に、負けを認めるのは嫌いだった。どこまでも、負けず嫌いなのだ。その性格ゆえなのか。気づいたときには「世界最強の男」などという、たいそうな称号を与えられてしまっていた。そのことには、正直自分でも驚いている。
(世の中には、まだまだ強いものは居るというのにね)
私は内心で笑みを浮かべた。国王はまるで知らない。本当の世の中というものを。自分の目線でしか、物事をはかれないのだ。もっとも、それも無理のない話だとは思うのだが……。
誰だって、全てを知ることなど叶わないのだ。まったく世界の違うものの話など、知る由もないだろう。
だが、そのことに気がつかないというのは愚かでしかない。人は、いつだって謙遜の心を持っていなければならないものなのだろう。その心を失えば、その先はない。それ以上、前へ進むことはできまい。
「ルシエル様。国王陛下がお呼びでございます」
裏庭の中をぶらぶらと歩いていると、歩み寄ってきた警備兵に呼び止められた。私は足を止めると、彼の方に向き直った。
「あぁ、ヘクセルくんか。国王が呼んでいるって?」
自慢ではないが、私はこの城に仕えているものの名は全て把握している。どんな階級のものでも、苗字から名前まで覚えていた。どうして覚えるようにしたのか……それはやはり、負けず嫌い精神が加担しているのではないかと思う。自分にも負けたくないのだ。自分に妥協をしたくない。私は、完璧主義者だった。だからこそきっと、中途半端にひとの名前を覚えることを嫌ったのではないかと思う。
それにしても国王は、私にいったい何用だろうか。しばらくの間は任務を入れないようにして欲しいという要求を呑んでもらって、先日ひとりでジェラード国に向かったのだが……その約束を早くも裏切って、また私を戦地に駆り出すつもりなのであろうか。
そのようなことを思いながらも、無視するわけにはいかないので、私は国王の部屋にと向かった。ただ、万一任務を入れられそうになったなら、即座に断ろうと心に決める。王の意に背いた行動を出来るのは、おそらく私ぐらいなものであろう。
「分かった。ありがとう」
どうせ何かあっても断るつもりなのに、わざわざあの堅苦しい部屋に行かねばならないとは、面倒くさいものの他ならないと胸中で呟きながら、私は王の控える部屋へと向かった。その足取りは、重い。
「ルシエル……来たか」
「失礼いたします。陛下……何用ですか?」
今はカガリ探しをしていて、忙しいんだけどな……と、胸中でひとり呟いていることを、この国王は、知る由もないのであろうな……なんて思うと、なんだか少し滑稽に思えてきた。思わず笑みがこぼれる。だが、国王に怪しまれることはない。笑顔は私のひとつの武器だからだ。常に笑っている私が、どんな場面で微笑んだとしても、怪しまれることはよほどない。
「この度はご苦労であったな。よくぞまぁ、あれほどの国をひとりで落とした。お前の腕を疑っていた訳ではないが……正直なところ、驚いた」
「お褒めに預かり、光栄でございます」
なんて、心にも思っていないんだけれども。それにしても、私もけっこう性格がひねくれてきたものだ。最近、どうもストレスが溜まっているみたいで、心と言葉にギャップが頻繁に出てしまうようになっていた。
これもそれも、カガリが私を避けるからだ。私はカガリの傍に居たいというのに、どうしてカガリは頑なに私を避け続けるのだろう。
そういうわけで、国王の言葉なんて正直上の空だった。とにかく、早くこの場から立ち去りたかった。そればかりを考える。
「それを踏まえてもだが、話がある」
それはそうだろう。話があるからこそ、私をここへ呼んだのであろう。用もないのに呼んだとでもあれば、温厚な私でもこころ穏やかではないかもしれない。今の私ならば言葉が悪いが……キレそうだった。それぐらい、私は苛立っていた。自分の思い通りになかなか事が運ばないことくらいで、ここまでこころが荒れてしまうとは……私もまだまだ、子どもなんだなと自嘲する。
せっかく無理をしてでも、もぎ取ってきた長期休暇なのだから、私はカガリを探すことに全ての時間を費やしたいんだ。さっさと終わらせてくれと言わんばかりに、私は訊ねた。
「話とは?」
何を言われても、最初から断ろうと決めていることに変わりは無い。
「お前を、昇進させたいのだ」
だから、当然のごとくの対応をした。
「お断りいたします。失礼します」
「待て、待て……」
せっかく話が早くすんだと思ったのに……呼び止めないで欲しかった。そのとき、ふとカガリの行動を思い出してみた。こういうときに、カガリがわざとらしくもよく使う手を使えばよかったのだと思った。
(……無視というか、聞こえないふりをすればよかったのかな?)
でも、一応自分の仕えている主君であるわけだし……それはさすがにまずかろうと思い直し、私は、一度は背を向けた国王の方に、再び向かい直った。
「どうして昇進を拒む? お前は何を考えている? レイアスの隊長にでもしてやろうと言っているんだぞ? 今とは比べ物にならないくらいの金が手に入るんだぞ?」
金だとか地位だとか名誉だとか。そいうものに執着はないし、魅力もまったく感じていない。それなのに、この国王といったら……そのようなもので私を釣ろうとは、愚かでしかない。私も、見くびられたものだ。そんなことを考えている時点で、私の中での国王の評価は下げられていくのだ。そんなもので、私がどうこうなると思わないでほしい。そのことに気づかない国王は全く持って、愚かとしか言いようが無い。私の矜持は、そこまで低くはない。
「欲しくはありませんよ、そのような地位は。それに、仮にでも私なんかを隊長にしてみてください。ジンレート隊長がお怒りになるでしょう? 私は彼の恨みを買いたくなどありません」
「……それだけか? お前が昇進を拒む理由は」
話はついたな……そう思った私はきびすを返して、再び扉に向かって歩き出した。そして、扉の前に立つと私は一度足を止めた。
「そうですよ、陛下」
そして、静かにその部屋を後にした……。
(昇進を拒む理由……か)
そんな理由、知ってどうなる……と、思わず笑いがこぼれた。
王の部屋を出てから、私は再びカガリ探しの続行に出た。そろそろ知らせが届いてもいいはずだ。誰も知らない、私だけの探し方だ。私は、誰もいない外に向かって声をかけた。
「カガリの居場所はつかめたかい?」
誰もいないはずの場所から、私にしか聞こえない声で返事が返って来た。
「このっ……いい加減に帰りやがれ!」
いや、俺だって帰れるものなら帰りたい。だが、そうはいかないんだよ。このまま帰ったりでもしたら、どんな仕打ちを受けるものか。想像するだけでも、古傷が痛んだ。
茶髪の青年兵士らに、俺は詰め寄られていた。ひたすら防戦一方。このままでは、やられるのも時間の問題だった。
(いっそのこと、ここで殺してくれ)
そうすれば、俺はルシエルのことを考えなくてもすむようになるし、何より……全ての苦しみから解放されるから。
それにしても、やっぱりここの人ってばみんな強い。そろいもそろって、皆、凄腕の剣豪ときた。彼らを見て、俺もこうやって動けたらいいのにと、何度も思った。
ルシエルは、相手の動きが見えるようになれば、自分もそうやって動けるようになるって言っていたけれど……本当かなぁ。相手の動きは見えているつもりだが、俺の動きはやはり、どこかぎこちない気がしてならなかった。
「……っ!」
先ほどからずっと、相手の攻撃を受け止め続けつつ後ずさりを繰り返していたのだが、とうとう追い込まれた。俺は丘の上まで誘導されると、足場をなくすところまで押されてしまった。首もとには剣を突きつけられている。
「これで終わりだ……フロートの犬め!」
「……その呼び方は、嫌だ」
これが、俺の最期の言葉だったら……なんか、それはもっとイヤかな、なんてことを思いながら、俺は丘の上から転げ落ちていった。
風の声を聞いた私は、血相を変えてすぐさま行動に移した。一刻を争う事態になっているなんて、思いもしていなかった。国王の相手なんて、している場合ではなかったのだと、毒づいた。
(間に合うか……)
いや、間に合わせなければならない。私は、馬を走らせるよりも早い方法で、此処、フロート城を後にした。それは「転移」という、非常に高度な魔術であった。この魔術は、私が今知っている中では、私以外誰も扱えない。空間を移動する魔術だ。疲労感がとてつもなく襲ってくるため、そう易々と使えるものではないのだが、今はこの方法でカガリの元へ駆けつけるほか無かった。
(死ぬな……カガリ!)
私は、己の甘さを憎んだ。




