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運命の出会い

 あれから、さらに一年が経った。俺は、変わらずにこのフロート城にいる。毎夜、俺は奴から繰り返し同じことを言われる。


お前は罪人だ。


俺の中から、その言葉が消えることの無いように、「奴」は俺にそう言い聞かせる。そして同時に、俺は何度も体も痛めつけられた。心身ともに傷が癒え、どこかに逃げられないようにでもするかのように……。

 俺は、心底疲れ果てていた。生きることに、なんの意味も見出せない。生きている価値を見出せない。自分でも、さっさと死ねば楽になれる……と、思うのに、俺は不思議と死なずに生き続けてきた。

いったい、何人の屍を踏みしめて、俺は生きているのだろう。そう、思った。何度も思った。けれども、俺は死ななかった。「死」を選択しなかった。毎日痛めつけられ、自分を責め続けながらも、生き続けた。


 死のうと思えば、いつだって死ねたはずだ。俺には剣が与えられている。この剣で自分を貫けばそれで終わりだ。それを分かっているはずなのに……俺はそれを、しなかった。


 俺には、国王の側近という肩書きが与えられている。もちろん、俺の働きが認められたとか、功績によるものだとか、そういうことではない。ただ単に、俺を虐め抜きたいがための、国王の処置だ。憎き仇である男の側近になれることを、誰が喜ぶものか。国王は、それを知っていて俺を側近という地位においたんだ。

それだけではない。このことはさらに、他の兵たちにも波紋を呼んだ。俺は、まだここへ来てたったの二年。兵士の中には、この道二十年だとか、三十年だとかいうベテランもいる。俺は、そんな彼らを差し置いて、側近などというとても高貴な地位を得てしまったのだ。それも、これといった功績を挙げたというわけではないというのに……だ。反感を買って当然。おそらくこれも、国王の計算のひとつなのだろう。俺をどこまでも孤立させたいらしい。この国、フロートの若き王は冷酷でどこまでも残忍な男だった。

「なんであんな子どもが……」

そして俺は、そんな国王の思惑通り、誰からも相手にされなくなっていった。もう長いこと、人と言葉を交わしていない。ただ一方的に、罵倒を浴びせられるくらいだった。

いっそ、このまま人の言葉を忘れてしまえればいいのに……そう、思った。そうすれば、国王に何を言われても、傷つかずにすむのに……と。


 人は、俺のことを避けていく。そして俺もまた、人を避けていった。俺に関われば、必ずその人が不幸になるということを、いい加減理解していたし、それに何より、人と関わることが、怖くてたまらなくなったからだ。もう、何かを失うことを味わいたくない。失う苦しみを味わいたくなどない。人を、自分のせいで不幸にすることだって我慢できない。

 国王が望まなくても、俺はもう、自ら選んでいた。「孤立」というものを。俺は、誰かと関わってはいけないのだと、自分で思うようになっていた。


俺はもう、誰にも関わりたくないし、誰も死なせたくない。


 この人生は既に終わっているんだ。村を焼かれたあの日に、俺もみんなと共に死んだんだ。そう、思うことにした。死んでいる人間に、感情は要らない。俺はただ、国王の人形でいればいい。そうすれば、これ以上誰かを傷つけることはないし、俺も傷つかなくて済むんだと、理解した。

その考えすらも、たとえ国王の思惑通りだったとしても、もう、構うものか。これ以上堕ちることは無いという所まで、俺は堕ち来っていた。


 それからの俺は、誰とも目を合わせない。口をきかない。ただひたすらに、国王の命令どおりに動いた。それこそ、本当に国王のいい操り人形かのごとく。

それでも、毎晩レイアスによる迫害は続いた。これまで、国王の一番の兵士として城に居た彼らにとって、俺の存在は疎ましかったのだろう。けれども、そんな痛みにすらもう、慣れていた。肉体的ないじめは、精神的いじめよりもずっと楽だと、思うようになっていたんだ。

事実、そうだ。肉体的な傷はやがて消えるが、精神的な傷は一生治ることなどない。受けたときのまま、鮮明に残り続けている。




 もう、何も怖くない。俺には何もないのだから。


俺の手には、ただひとつ。剣が一本あるだけだった。




 でも、そんなある日、俺の人生を変える人物に俺は出会ってしまった……。




 俺は、いつものように任務をこなして帰ってきた。ただ、いつもと違うことといえば、かなりの深手を負っているということだ。敵兵の中に、魔術士が紛れていた。彼らに攻撃され、俺は体中に傷を負った。しかし、当然のことながら誰も心配なんかしてはくれない。俺は城の裏庭の中にある、大きな木の下で、横になろうと思った。そうしていれば、痛みが和らいでいくことを知っていたからである。そこは、この城の中で唯一、心地のよい「風」の吹くところだったからだ。

 俺は通称「風の民」と呼ばれる種族の生まれだった。だからこそ、ひとよりも風が心地よいところを好むのかもしれない。そして、そこで俺は癒される。この城の中で俺がくつろげる場所といえば、ここぐらいなものだった。その木は、今となっては俺の唯一の「友」だった。どれだけ血を流していても、どれだけ泥にまみれていても、木だけは俺を拒絶したりせず、いつでも温かく迎えてくれた。


 俺は城門をくぐると真っ直ぐに、その木へと向かった。身体がひどく重い。自分が思っていた以上に、傷が深いようだった。少しでも早くあの木にたどり着き休みたいと思ったのだが、俺はその木の前まで来て、足を止めることになる。

先客が居たのだ。その人は、目を閉じている。眠っているのかもしれない。俺よりはかなり年上。でも、まだ年若き青年のようだった。

 俺は、気づかれないうちにここを離れようと思った。人の傍に、寄りたくなかったからだ。近寄ったところで、百害あって一利なしだ。

しかし、木に背を向け、後退しようとしたその時だった。俺は、不意に腕を掴まれた。

「……っ」

慌てて振り向くと、いつの間に起き上がったのか。寝ていた青年が、俺のところまで来ていて、俺の腕をしっかりと掴んでいた。けれども、憎しみなどを感じさせない、ただそっと、握っている感じであった。

「君もここで、休みに来たのかい?」

男の声は、とても優しかった。こんな声色、久しく耳にしていない。俺は、夢でも見ているかのような気持ちにさせられた。この男は、俺のことを知らないのであろうか。

(新人?)

ここの人間で俺に声をかけるものなど、もはやいなかったから、俺はそう思った。

「……」

俺は、黙っていた。その様子を不思議に思ったのか、男は首を傾げている。その仕草はとても優雅で、どこかの貴族なのではないかと思わせた。動きのひとつひとつに無駄がない。そして、隙もない。単なる貴族ではないことが窺える。

「どうしたんだい? 口が聞けないのかい?」

俺は、だんまりを決め込んでいた。そして、そのまま去ろうと思った。胸が痛む。この人を見ていると、家族のことをなぜか思い出してしまう。俺は、胸の中の傷を、えぐられるような感覚に見舞われていた。

「困ったな……まぁ、今日はいい。初顔あわせだ。明日は話せるといいね」

そして、男は俺の腕を放すと、そのままここを立ち去った。白いマントを風になびかせながら、音も立てずに去って行く。

そんな男の背中を目で見送りながら、俺は、胸の動悸をしばらく抑えることができずにいた。何もされなかったことへの動揺なのか、なんでこんなにもうろたえているのかは、分からない。ただ、あの男は何かがおかしい。そう、第六勘が告げる。

(明日? 明日もここで会うつもりなのか?)

俺は、絶対にここへはこないと、自分に言い聞かせた。あの男の傍にいると、本当に自分がどうにかなってしまいそうであった。



 

 しかし翌日、俺はまたそこに行くことになるのである。




 自室に戻ってきた俺は、木の根元で癒せなかった傷を治療しようと薬箱を開け、少しずつ集めていた薬草や包帯になりそうな布を取り出した。自室と言っても、たいした物どころか何もない。本当に、「無」といえるほどに何もなかった。

 俺は床に座り込んだ。壁にもたれかかり、深くため息をつく。どっと疲れがあふれ出した。魔術士から受けた傷からは、今も血が染み出ている。俺は服を脱ぐと、手ですり潰した薬草を傷口に塗りつけた。草からでた汁が傷口に沁みる。だが、これが傷に効くということは、村の大人たちから聞いて知っていた。

これといった教養もなく、文字も読めない俺だが、薬草に関しての知識だけは豊富だった。切り傷に効く薬草、火傷に効く薬草。その他、腹痛や頭痛などの病や症状に効く薬草など、それこそ、俺の知らない薬草などないというくらい、知識があった。それが幸いして、これまでに受けた肉体的な傷は全て自分で治療してくることができた。国王やジンレート、レイアスの兵士たちは、翌日には元気(とまでは呼べないかもしれないが)になっている俺をみて、何度も不思議そうな目つきをしていた。

 だが、今回の傷はやはり深い。なかなか痛みは治まらないし、かなりの失血で、眠さが襲ってきた。もしかしたら、これが最期の景色になるかもしれないと思うほどで、俺は窓から空を見上げた。


 澄んだ空だった。


とても綺麗な、青い空。


 眠る前に、俺はいつもの癖でひとつ結びにしている髪留めリボンを解こうと、頭に手をやった。しかし、そのとき俺は異変にようやく気づくのだった。これまでどうして気づかなかったのだろう。あまりにも失血がひどすぎて、神経が鈍っていたのかもしれない。

「……っ!?」

俺は、声にならない絶叫をひとり部屋であげていた。




「こんにちは。待っていたよ」

翌日のほぼ同時刻に、俺は再び裏庭の木に向かった。気が気でなくて、夕べはなかなか寝付けなかった。それは、俺にとっては深手の傷よりも大事なことだった。

昨日ここで出会った青年は、俺がここへ来ることを完全に予期していて、余裕を持ってここで待っていたようだ。根元には何冊か本が積まれており、手にも本を持っている。よほどの本の虫なのか。分厚いものばかりだ。ただ、なんて書いてあるものなのかは、俺にはわからない。俺には読み書きの教養ができないからだ。そういう教育をこれまでに受けたことがなかった。それに、そもそも覚える必要もなかったのだ。

 俺は、優雅に読書をしていたその男を思い切りにらんだ。

「どうしたんだい? 何を怒っている?」

何を? 白々しい。自分が仕組んだくせにと俺は再度男に睨みをきかせた。この男がこんなことをしなければ、俺はここには来なかったのに。会いたくないんだ。あんたには……そう言ってやりたい。とにかく、関わりたくなかった。他の誰よりも、関わりあいたくなかった。

「返せよ」

俺は、何ヶ月ぶりかに国王関連以外のひとに向かって言葉を発した。乱暴にそう言うと、男は俺に向かって微笑んだ。何を考えているのか、俺にはまったく理解できない。なぜ笑う? とにかくこの男とは関わらないほうがいい。この男の顔を見ると、胸がざわめくんだ。

「やっと口をきいてくれた。声変わりはまだか……かわいい声だね」

「なっ……!?」

男はさらりとそう言った。それを聞くやいなや、俺は一歩後退さると、赤くなった顔を隠そうと、手を顔のところまで上げた。そんな様子を見て、この男はくすくすと笑っている。でもその笑いは、国王が俺に対してする嘲りの笑いとは違っていて、どこか優しく、温かかった。こんな顔を見るのも久しぶりだ。俺に対してこのような笑みをくれるひとが、まだ居たなんて。俺は信じられないものを見るかのような目で、男をきっと見ていただろう。

「そんなことはどうでもいい! それより、俺のリボンを返せ!」

そう、昨日眠りにつく前に気がついたのだが、俺は毎日髪を縛っているリボンをつけていなかったんだ。それは、ただのリボンではない。弟の形見だった。弟が、最期に身につけていたリボン。全焼した村の中で、唯一残っていた形見。それを、俺はずっと身につけ続けていた。

赤い、血の色をしたリボンだった。これが、今の俺にとっては、戒めになっているのかもしれない。多くの人の血の上で、生きているんだと……。

「すまない。悪気は無かったんだが……こうすれば、君は必ずここに来ると思ったから、ついね」

微笑みながら、男は立ち上がった。

 男は、このリボンを俺が大切にしているということを、たった一瞬で見抜いたというのか? このリボンのことを、俺は国王にも、他の誰にも話したことがない。もしも話していたならば、今頃はとっくに国王か誰かに没収されていただろう。城の者が……俺以外のものが、このリボンの価値を知っているはずがない。だとしたら、あのとき、あの一瞬で見抜いたということになる。

 髪を結うのに使っている、単なるリボンだ。換えがあるとは思わなかったのだろうか。この男は、俺がこのリボンを取り返しに来ると確信してここに来ていた。

「さて、行こうか」

「はっ……?」

そう言うなり、男はすたすたと歩き出した。俺にリボンを返す素振りはまるでない。不安になった俺は、慌てて男を追いかけた。

「待ってくれ! 頼むから、俺のリボンを返してくれ!」

しかし、男は振り返って俺に微笑みかけるだけで、足を止めることはなかった。俺は嘆息しながらも、男の後に渋々ついていった。なんとしてでも、あのリボンだけは返してもらわなければならなかったんだ。あれは、俺に残されたたったひとつの、家族の形見だったから。あの村が過去に存在していたのだということを、唯一俺に示してくれるものだったから。俺には、もうあのリボンしか残されてはいないんだ。

 

 男は、フロート城外に出ると、そのまま森の中へと進んでいった。いったい俺をどこへ連れて行くつもりなんだろう。森の中といっても、人によって作られた道ではない、本当の獣道……とも言えないような、木々の生い茂った中を、枝をかき分けながら歩いていった。俺は悪戦苦闘しながら男の後を追っているのだが、男は俺とは違って容易に奥に進んでいく。これほど足場が悪いのにも関わらず……だ。この男、相当できる。単なる貴族ではないと思っていたが、武術の心得があることは確かだ。それも、かなりの腕前だ。

(何者なんだろう……)

城に住む者が持っている、嫌な雰囲気はまったく感じさせない。それどころか、温かくて優しい空気を持ち合わせている。この自然とも同化しているような不思議な空気を持っていた。とりあえず、俺は警戒心だけは解くことにした。解かないと、この森に住む獣たちが寄って来る。先ほどから、獣たちが自分に対して警戒している視線を感じていたのだ。俺は、ひとよりも獣と意思疎通ができる。だからこそ余計に、獣たちが警戒していることが分かった。

 それにしても、本当にこの男は何者なのだろうか。城にいるのだから、王家の者か、警備兵か……あるいは、魔術士部隊レイアスの者なのだろうか。でも、王家の者が集う席で、彼を見かけたことはなかったから、おそらくは王族ではないのであろう。ならば、警備兵かレイアスの者ということになるが……。どちらも、考えにくかった。ただの警備兵にしては、身のこなしがよすぎる。そして、レイアス兵にしては、この雰囲気がありえなかった。レイアスは、俺のことを目の仇にしているからだ。何の力も持たない俺が、国王の側近という地位に就いたことを、誰よりも根に持っているのがレイアスだ。彼らは稀有な存在。世間では「神子」と呼ばれる魔術士だ。その矜持高さが許さないのだろう。

 俺は色々と観察しながら男の後を着いて来ているのだが、男はそれに気がついているのであろうか。湖が見えるところまで来ると、男は足を止めた。

「着いた、着いた。いい天気でよかったね」

そう言うと、男は俺がすぐ後ろにいることを疑いもせず、にっこりと微笑みながら振り返ってきた。そして、周りを見るように促す。だから、それにつられて俺は周りの景色に目をやった。

「うわっ……」

その自然の美しさに、俺は思わず声を漏らした。それは、素晴らしいなんてものじゃなかった。湖の水は澄んでいて、日光を照らしている様子がとても綺麗で、その湖には周りの木々が映しだされている。なんだか、夢のような世界であった。俺の村の周りにも、綺麗な場所はたくさんあったけれども、ここはもっと、特別な感じがした。そう、とても神聖な感じだ。フロート城の付近にこんな場所があったなんて、知らなかった。

「気に入ったかい?」

「うっ……」

思わず頷いてしまいそうになり、私は慌てて息を呑んだ。関わるな……と、自分に言い聞かせ警告する。俺がこうして男に着いて来たのは、リボンを返してもらうためだ。これ以上、関わりあってはいけない。

「さっさとリボンを返せ」

動揺しながらも、俺は平静を装い今回この男のところへ来た目的を為そうとした。帰らなければならない。少しでも早く。それなのに、男はじっとこちらを見ているだけで、動こうとはしなかった。

「返せって言ってるだろ!?」

痺れをきらした俺は、男にぐいっと歩み寄った。男の手にリボンは握られていたので、それを奪い返そうとしたのだ。しかし、俺が近づくと意外にも、男の方からリボンを差し出してきた。だから俺は、睨みながらそれを受け取った。

「はじめからそうやって、さっさと渡せよな」

そしてすぐさま城に帰ろうとしたのだが、俺は、後ろから不意に腕を引っ張られた。昨日とは少し違う。俺の腕を掴む手には、力が込められていた。男はどうやら俺を返すつもりがないらしい。一体なんの目的があってこんなことをしているのか、まるで分からない。この男も、国王やジンレートたちと同じで、俺をいたぶりにでも来たのか。

「何をするんだ! 離せよ!」

男は、俺のことを悲しそうな目で見ていた。いや……哀れんでいるのか? 俺は一刻も早く、この男の視界に届かない所まで逃げたかった。この男、何かが変だ。俺をいたぶるつもりはどうやらないらしい。だから余計に、俺をこうして掴まえている意味が分からなくなった。

「君……名前は?」

この男、本当に俺のことを知らないのか? もしかしたらそうかもしれないと少しは思っていたけれども、まさか城に住んでいて、俺のことを知らない奴が本当にいるとは思わなかった。国王にひいきをされている、あるいは、国王をたぶらかしている……ってことで有名な、突然の出世をさせられた俺のことを知らない人間が、城内に居るわけがなかった。

「……あんたこそ、何者だよ」

俺はとうとう男の素性を知るべく言葉を発した。男は、俺に言われてはっとしたような顔をした。それで、軽く頭を下げながら応えた。

「そうだね。自らも名乗らずにして君の名前を聞いたりしてまって、すまなかった。無礼を働いてしまったね」

男は俺に謝罪すると同時に顔を上げ、優しく微笑んだ。

「私はルシエル。君は?」

そして、自分の名を名乗った。ルシエル。聞いたことのある名だった。

謝罪までされてこう言われては、俺は名乗らない訳にはいかなくなってしまった。本当は、言いたくなどなかったのに。言おうかどうか悩み、俺は何度も名前を言いかけては息を飲み込み言葉をやめ、再び空気を吸うということを繰り返した。

「……カガリだよ。悪いか!」

結果、俺は名前を吐き捨てることになった。俺は名乗ると同時に立ち去ろうとしたのだが、男は俺の手を離さない。だんだんと、腹が立ってきた。この男とは、本当に関わりあうべきではないと俺の頭が警告を発している。何を考えているのか、まるで分からない。俺に対して明らかに悪意を持っているものたちの方がまだ可愛い。あいつらの心情は手に取るように分かるからだ。それに比べてこの男ときたら……。何ひとつとして、分かることがない。

「離せよ! この野郎っ……!」

思い切り、俺はルシエルとか言う男の脛を蹴っ飛ばした。脛に衝撃が加えられると、かなりの痛みを発するから、それで俺の腕を離すと思ったんだ。すねは万人の弱みだ。けれども、俺の思惑通りにはならなかった。ルシエルは、顔色ひとつ変えやしない。すねを蹴られてもまったく痛くないというのか?

「……荒れているなぁ、カガリ。何をそんなに、苛々しているんだい?」

何を? お前が俺を足止めするからじゃないか。苛々する……本当に。俺はだんだん自制が効かなくなってきた。あふれ出す怒りの感情を抑えきれなくなり、思うがまま言葉を吐き出した。

「お前のせいだろう!? さっさと離しやがれ!」

「その言葉遣いもなんとかしないとね。城に住むには相応しくない」

それが引き金だった。俺の中で何かがぶち切れた。

「誰が城なんかに住みたいものか! うるさいんだよ……俺のことを何も知らないくせに、俺に構うんじゃねぇ! 消えろ、迷惑だ……っ!」

一気にそこまで言い捨てると、俺は大きく息を吸った。しかしルシエルは、やはり悲しげな眼差しで俺を見ているだけであった。そして、しばらく彼は黙り込んだ。けれども、俺の手を離す気配はない。


それから数分して、彼は一度ゆっくりと頷いた。


「決めた」

今度は何だ。何でもいいから、いい加減に手を離して欲しいところだ。大体、俺なんかに付きまとっても、いい事なんて何ひとつないのだから。百害あって一利なしだ。俺にとっても、迷惑この上ない。こんなところを誰かに見られでもしたら……。

「今日から私が君の師匠になろう。私のことは、師匠とでも、ルシエルさんとでも好きに呼べばいいよ。君は……見たところ、魔術士ではなさそうだね? じゃあ、ありとあらゆる武器の使い方と、体術を教えてあげよう。それと、その言葉遣いと身のこなしも直さないといけないね。うん、これから忙しくなりそうだ」

この男がマイペースで、何を考えているのか分からないことは昨日、今日とで分かってはいたつもりだ。けれども、まさかここまで意味の分からないことを唐突に言いだすとは思ってもみなかった。


なんて言った?


俺の師匠になるだと?


馬鹿じゃないのか、この男は。馬鹿でなければ、とんだ阿呆だ。それとも間抜けかどちらかだ。とにかく普通じゃない。抜けているにも程がある。

「師匠なんて要らない。俺は充分戦える」

事実、これまでの一年間。俺は生き続けてきた。誰の手も借りずに、剣術だって体得した。これ以上、要らない。何も欲しくない。


関わりたくない。


ひとが……怖い。


「それに、俺はさっきから消えろと言ってるだろ!?」

すると、今度は俺の腕をつかむ力をぐっと強めてきた。顔も、悲しげな表情から変わっている。すでに師匠として振舞いはじめたというわけだ。俺の意志なんて、まったくもって聞き入れられない。かなりの自己中心的な男だ。相手のことを考えるという思考が欠如しているのではないかと思うほど、思い込みが激しく、強引な男だった。

「カガリ。私は仮にも年上だよ? そのような言葉遣いをするものじゃない。少しずつでもいいから、言葉遣いには気をつけなさい。強くなるためには、ただ闇雲に修行をすればいいっていうものではないのだよ。心身ともに、鍛えなければ意味がない。言葉遣いもそのひとつだと、私は思うよ」


強く……。


その言葉が、なぜだか俺の胸に強く響いた。どうしてなのか、俺は自分自身を振り返って見た。毎日毎日、国王の命令どおりに動く生活。戦地に駆り出され、憎い王の為に傷を負う……。時には、死ぬんじゃないかってくらいの深手も負った。それでも、俺は剣を持ち続けている。王のためにしかならない剣を振るい続けている。


それはどうして……? 


俺は自問自答した。


俺は……生きるために、強くなりたいんだ。死にたくないから、相手よりも強くならなきゃいけない。

村の人たちみんなを死なせておいて、自分はこれほどまでも生に執着を持っていて、すごく醜く思われるけれども……死ぬのは、怖かった。何よりもきっと、怖かったんだ。

あんな姿を見たからかもしれない。幸せとはかけ離れた、苦しみしか感じられない村人たちの死に様を、見せ付けられたからかもしれない……。俺は何よりも、死を恐れた。自分の罪を責めながらも、生きながらえようとした。

みっともないことだ。自分でも、笑える……いや、泣けるくらいみっともなく、恥ずべきことだとは分かっている。充分強くなったとも思っていた。だけど、確かに魔術士相手には、まだまだ俺の剣術では、足りないものがあった。それは昨日の戦いで、分かった。それに、毎日のように続いている、レイアスからの虐めでも、明らかだった。


それらからも、身を護れるようになるのだろうか。


俺にはまだ、可能性があるのだろうか。


「……本当に、強くなれるのか?」

この男は間違いなく強い。この男が戦っているところなんか、見たことがあるわけではないけれども、絶対に強いと確信できた。ここまでの身のこなしを見た限りでもそう思えるし、何よりも俺の第六勘がまたしても働いているのかもしれない。戦場に出て、数多くの人を見てきたが、これほどまでの「力」を感じることは無いに等しかった。

 男は不意に、俺に向かって微笑んだ。

「もちろんだよ、カガリ。君に、私の持てる力すべてを教える。それを、ひとつずつ吸収しなさい。そうすれば君は、誰にも負けないくらいの力を発揮できるようになるよ。私が見たところ、潜在能力はかなり高そうだからね」


こうして俺は、この男、ルシエルのもとで修行することになった。国王以外の人間と、関わり合いを持つことなど、この生涯二度とないと思っていた俺に、突如として舞い降りた、数少ない出会いだった。


 はじめはもちろん抵抗があった。だからこそ、この男には予め口止めをしておいた。


決して俺と会っていることを他の誰にも漏らさないように……と。


男と俺のふたりだけの密会にとどめるように……と。


そうするほかなかった。万一、この男と俺が関わりあいを持っていることが国王の耳にでも入れば、この男の命が危ないからだ。いくらこの男が強く、すこぶる出来る人間だったとしても、あの残忍なザレス国王に敵う奴なんて、この国には居ないだろう……いや、世界といっても過言ではないだろう。

フロートは、どの王国よりも権力も武力も持った国だった。そして国王ザレスはその頂点に立つもの。いかに力を持つものだって、権力の前ではなかなか思うようにその力は発揮されない。世の中とはそういうものなのだ。それを俺は、この城の生活でうんざりするほど思い知らされていた。




 出会ってから二日目のその日は、そのまま解散する事になった。何やら準備があるだとかなんだとかいいながら、ルシエルは湖を去っていった。同時刻、明日もこの湖へ来るようにと、俺に告げてから……。

本当に関わりあいを持ちたくないのならば、翌日から湖へ行かなければよかった。俺には、選択をすることが出来た。すでに、今日ここへ来た目的は果たされていたからだ。ルシエルに奪われたリボンは、ちゃんと取り返して、今は自分の手の中に戻って来ている。


行かないほうが賢明なのだ。あの不思議な男の為にも……。そんなことは、悩まなくても考えなくても分かることだった。行かなければ、要らぬ心配も何もする必要がない。俺がとるべき答えなんて、分かりきっていた。


俺は夜、自室から空を眺めていた。狭い自室で出来ることなんて限られている。毎日の日課にしている筋トレは、もちろん済ませてからだが、俺は小さな窓から夜空に目をやっていた。俺が逃げ出せないように、このサイズの窓を用意したのではないかというほど、それは、子どもである俺すら通り抜けが難しいほどの大きさだった。しかし、空を見る分ならば、これくらいでも充分な広さだ。村から見た空よりはずっと狭い。けれども、そこにあるのは限りない空の他ならない。あの頃見ていた空と、何も変わらない。変わったのは、「俺」だ。

 今日は雲も少ない。星がとても綺麗に輝いていた。死んだものは星になるのだと言い伝えられているが、村のみんなも、この空のどこかで星となり、輝いているのだろうか。地上を見ているのだろうか。もしそうなら、今の俺のことを、どんな思いで見ているのだろうか。

(会いたい……)

自分も同じ道をたどれば、みんなに会えるのかもしれない。けれども俺は、まだその道を選ぶことが出来なかった。俺は、身勝手さに毒づきながら深くため息を漏らした。そして、ゆっくりと目を閉じる。

 何度でも思う。選ぶべき答えは分かっている。誰とも関わらず、生きていく道を選ぶべきなのだ。けれども、その心の奥にある俺の醜い感情は、その道をよしとはしない。自分勝手な感情は、「生きたい」という強き意志を生み出す。


いや、弱いからこそ生きたいと思うのかもしれない。死ぬことが怖いから、俺は「死」に背を向け、「生」に執着するのかもしれない。


翌日俺は、強くなりたい、生きたいという一心に負けて、おもむろに指定されたあの湖へと足を向けた。

やはり、そこまで行くまでに木々でかなり足止めをくらう。体中に擦り傷ができていった。いくら枝をどけて道を作ろうとしても、次から次へと木々が道を封鎖していく。それだけ、緑が豊かだということだ。そして、俺が選んだ道が困難のはじまりであることも、意図していたのかもしれない。




その日から、ルシエルによる修行は開始された。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 過酷な運命の中でもがくカガリとルシエルの出会いが情感豊かに描かれていて、胸を打ちます。 人が怖い、という或る意味普遍的な感情をファンタジーの中心に持ってきた点も素晴らしいと思います。 [気…
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