残酷な真実
フロートの国王、ザレスの為に戦う。
そんな毎日を、俺は一年ほど繰り返していた。ザレスは、剣を持って功績を挙げることを望み続けはしたが、それ以外に何かを強いることはなかった。むしろ、俺が功績を挙げて帰ってこれば、ザレスは温かく迎えてくれた。それを得るためだけに、俺は必死に剣を振るった。
俺にはもう何もないと思っていたけれども、新しい生き方を、見つけることができたと思ったんだ。
これでいい。
そう、少しずつだが、思うようになっていた。だからこそ、これからもこのようにあり続けようと思っていた。
けれども、そんな俺の思いは虚しく、「その時」は来た。
俺はいつものように国王に呼ばれて、王室に出向いた。当然、新たな戦務に向かわされるのだとばかり思っていた為、俺は何も身構えることなく、扉を開いた。するとそこには、国王の他にも男がいた。年は、俺よりいくらか上といった感じだが、まだまだ子どもの領域だった。
「これはジンレートと言う。レイアスの人間だ」
俺は、これから起ころうとしていることを、まったく予期などできずにいた。ただ、見知らぬ男と、いつもとどこかが違うザレスがいる。ただそれだけだった。
ザレス国王は、青年のことを「ジンレート」だと俺に紹介した。友達を紹介している雰囲気ではないことぐらいは、俺にも分かった。けれども、それが何を意味しているのかは、理解することができない。
「ジンレート、やれ」
「御意」
その瞬間。俺は、何が起こったのかわからなかった。目の前に真っ白な閃光が走って、目に突き刺さる感じがした。そしてその直後、体に大きな衝撃が走った。氷が、体中に突き刺さっているような感覚だ。
俺は、しばらく自分がどういう状況に置かれているのか、理解できずにボーっとしていた。そんな俺のもとに、ジンレートは余裕の笑みでゆっくりと歩み寄ってきて、倒れている俺の髪の毛を思い切り掴みあげた。
「痛っ……」
俺は、うつ伏せになっていたらしい。それに、ザレスからも距離が離れている。俺は、何者かの力によって、吹き飛ばされたようだった。無理やり顔をこの青年に上げられて、俺にようやく痛覚が戻ってくる。体中から痛みがこみ上げてきた。視線を落とすと、床には血が流れていた。はじめはそれが誰の血なのか、わからないほどの大量の血が、そこにはあった。
「獣の血も、赤いのだな……」
(……獣?)
そこには、優しかったザレスの姿など、どこにもなかった。冷たい目をした、人形のような顔をしている。血が、まるで通っていないかのような顔つきだった……。
「ザレス……国王?」
俺がそう呼ぶと、ザレスは鼻で笑った。
「まだ分からぬか? お前はどこまでもバカだな……。よい、教えてやろう。お前の村の人間を殺した人物の名を、な」
そのとき俺の鼓動は、大きく波打っていた。嫌な予感がする。俺は、ザレスの言葉を聞くのが怖かった。その先を、知りたくなかった。
ザレスは特定している。村の者達なんていう大きなくくりではなく、個人の名を挙げようとしている。彼は「人物の名」と言った。
長く、恐ろしいほど静けさを持った間に感じられた。本当は、一瞬の間だったのかもしれないが、俺にはとても長く感じられた。
「俺だよ。俺が村を焼いてやったんだ。レイアスを使ってな」
レイアス。この国を守る最強軍隊。特殊な魔術士によって構成された選りすぐりの兵士部隊だ。誰よりも、何よりも強い力を持ち、富と権力を持った兵士たち。
「……っ」
頭の中が、真っ白になった。今、この男はなんて言った? 村の人たちを殺した人間は、自分だって? どうして……どうしてそんなことが言える。どうしてこんな淡々と言えるんだ。俺は、胸が張り裂けそうになった。
「嘘だ……」
そのような言葉を、信じることはできなかった。
「嘘だ……」
俺は、繰り返し繰り返し、同じ単語を呟き嘆いた。そのような言葉を、信じたくなどなかった。
「そんなの、嘘だ!」
そして、ついには絶叫した。血は未だに滴れ落ちている。けれどもそんな痛みなんて忘れさせられるほど、突きつけられた事実は痛みを伴うものだった。
「嘘ではない。全て俺がやった。お前の親も、弟も……。いい顔だったなぁ」
この瞬間、これは嘘ではない……そう、はっきりとわかった。ザレスの顔からは、人間の顔が消えていたからだ。そして、鬼の形相が代わりに浮き出ている。この男が、俺の大切な人たちを奪ったのだと……嫌でも理解させられた。
でも、どうして……何のために!
「どうしてみんなを殺した! どうして俺を助けた!? 答えろ!」
「黙れ。意見できる立場か? お前は」
「何を言っているんだ!」
ザレスは、不敵な笑みを浮かべて俺を見下した。
「何人もの村人を、今ではお前も殺しているだろ? 同罪だよなぁ?」
俺はハっとした。そうだ……俺だって、今は剣を振るう立場にある。でも、俺は無抵抗の者を殺してなどいない。俺はかぶりを振った。
「憐れだな?」
言葉と共に俺は、ジンレートに思い切り蹴飛ばされた。口の中に、鉄臭い血の味がいっきに広がる。口の中を切ったんじゃない、吐血したんだ。
「まぁ、よいではないか。全てを教えてやるよ。なぜ村を焼いたのか? それはな、お前を手に入れるためだよ、カガリ」
ザレスは相も変わらず淡々とそう告げる。まるで、当然のことを述べているかのように。何事もなかったかのように。残酷な事実をその口は紡いでいく。
「なっ……んだと」
それは、まったく予想もしていなかった言葉だった。俺を手に入れるため? 意味が分からない。俺を手に入れて、一体何の得があるっていうんだ。俺のような、単なる子どもを手に入れて……。
「前々から目をつけていたんだ。風の(・)民だとか言われるあの村に、近年稀にみるほどの能力を持った子どもがいると……。俺は、かねてからそれを自分のものにしようと考えていた。そして何度も遣いを送り、その獣をこちらによこすように言ったのだが……頑なに、あの村人共に拒否されたのさ」
ザレスは不意に笑みを浮かべた。これまでの温かさなど、微塵も欠片も感じさせない、どこまでも冷酷な笑みだった。そして、一拍置いてから後を続ける。
「だから、強行手段に出たんだよ」
俺は、体が震えていることを自覚した。この男に対する怒りもあったけれど、何よりも自分を許せなくて、震えあがっていたんだ。
「村を焼き、その人間を孤立させれば手に入れられる……とな。それに、村に他の村の連中がやったと思わせるような物を置いておけば、必ずそいつはその村に復讐に行くとも思った。そして、返り討ちに遭うそいつを、救ってやれば、そいつは俺に感謝し、喜んで俺の下に来るだろうと、策略を立てたのさ」
その後に、「まさかここまで筋書き通りに行くとは」と笑い声を飛ばした。俺はその声を、受け止めることが出来ず、ただ遠くで物音が聞こえるぐらいかのように耳にしていた。集中できない。まともな思考ができない。
俺のせいだったなんて……。
俺の存在が、みんなの存在を消してしまったなんて。
俺さえいなければ、俺さえ生まれてこなければ、みんなは死なずにすんだのに……いや、それだけではなく、俺は何も知らずに、こんなところでのこのこと暮らしていたんだ。自分の仇であるはずの人間を助けるために、今まで自分の気持ちに嘘をつきながらも剣を握っていたんだ。
俺は、悲しくて、悔しくて、堪らなかった。けれども、涙は流れない。全ての感情がピークに達し、もはや涙を流す余裕さえ残っていなかったんだ。
「分かったか? お前は罪人だ。お前のせいで村の人たちは死んだ」
「お前が……お前がやったんじゃないか」
俺の声は震えていた。声ひとつしぼりだすだけでもひどく集中力を要する。もう、これ以上何も考えたくない。何も聞きたくなかった。
「元凶はお前だ。そして、お前はなんの罪も無い隣山の人間に殺意を抱いた」
(それも……お前のせいじゃないか)
これ以上、声を出すことは出来なかった。俺の中で何かが消えていく……それを、自覚した。
「あぁ……そうそう。感謝しろよ? その殺意を感じ取った俺は、お前の望みを叶えてやったよ」
俺は、嫌な予感を覚えて、伏せいていた顔をあげ、ザレスの方を見た。すると、嫌な笑みを浮かべて、俺の方を見てきた。人間を見ている目ではない。明らかに俺を見下す目だ。
「全員、殺してやった」
そのとき、俺の中で何かが切れた。その瞬間俺は、無意識のうちに剣の柄に手をかけていた。そして、俺を押さえつけていたジンレートを振り払うと、ザレスに躊躇せずに斬り込んでいった。ザレスまでの距離はたいしてない。俺はあっという間にザレスの元に詰め寄り、剣を振りかぶった。
しかし、その剣がザレスを捕らえることは無かった……。
「うっ……」
相手にダメージを与えることはできず、代わりに胸に激しい痛みが走り、腹の中から何かがあふれてきた。そしてそれを、そのまま逆らわずに吐いた。すると、大量の血が口から出てきた。零れ落ちる血は、あっという間に床に水溜りを作る。
真っ赤な水溜りを。
ザレスにやられたのではない。ザレスに向かって剣を向けた瞬間、横に控えていたジンレートの魔術によって、攻撃を受けたのだ。短く低い声で、魔術を放つための呪文がかすかにだが聞こえていた。
「おいおい。苦労して手に入れた私の人形だぞ? 殺すなよ?」
俺は、意識が遠のいていくのを自覚した。それから、完全に意識がなくなるまで、そうはかからなかった。
暫らく、ザレスは俺に悪魔の囁きを聞かせ続けた。ザレスは、何度も何度も、繰り返し俺にこう言った。俺が、悪夢から覚めないように。俺が、立ち直ることのないように。くり返し、くり返し……。
『お前は罪人だ』
『誰もお前を愛さない。お前は独り。一生、私の人形として生きろ』
『お前には、この城しか居場所がないんだ。私の下でしか生きられない』
俺は、もう、全てが終わったのだと思った。俺の人生も、みんなの人生も。何もかもが終わったのだと……。ただ残ったのは、測り知れない罪の意識と、自分に対する嫌悪。そして、この男への憎悪。それだけだった……。
しばらくしてから暗い部屋に投げ入れられて、俺は呆然としていた。そして、なんの音も聞こえなくなってから、俺は声に出さずにただじっと、涙を流していた……。
泣いても何も変わらない。突きつけられた現実は、夢ではないのだと思い知らされるだけだ。この悲しみは、この痛みは夢ではない。全てが現実。目を背けたくても、国王の言葉が心にまとわりついて、離れてはくれなかった。
どこまでも堕ちていく。
そんな感じがした。
どこまでも暗い闇が、俺の眼前に広がっていく。
その闇に、光は一筋もなかった。
この世は、こんなにも真っ暗で、無情だっただろうか。
今の俺には、もう、何も無かった。
何も見えない、闇の中……。
これまで隠されてきた、真実と共に……闇の中へといざなわれる。