絶望のはじまり
もう、終わった。何もかもが……。
俺の生活も、俺の人生も、俺の家族の命。
俺の、村のひとたちの命……。
これが……全て、あいつの仕組んだことだったなんて。俺は、どうしてこんなにも間抜けだったんだ。腹が立つ、情けない。これほど憎いのに、殺したいほど怨んでいるのに、俺にはあいつの下しか、居場所がもうないんだ……。
これは、永遠の悪夢。
終わることのない、永遠の悪夢……。
ことのはじまりは、二年前だ。忘れもしない。よく晴れた、いい天気だった。寒い冬が過ぎて、暖かくなってきた春のはじまりの頃。三月二十四日のことだ。この日は、特別な日だった。俺の大切な弟、ハルナの三歳の誕生日だったんだ。俺たちの村では、誕生日の者がいる日は、村全体でお祝いをするのが習慣だった。俺も、心からハルナの誕生日をお祝いしようと思っていた。
その日を迎えるまでに、俺は村の友達と色々相談しあった。何をプレゼントしたら、ハルナは喜んでくれるかな……と。俺は、お金も価値あるものもほとんど持ってはいなかったから、何かを買ってあげるということはできなかった。当時七歳だった子どもなら、そんなものだ。
そこで、花を摘んできたらどうだと提案されたんだ。ハルナはもともと花が好きだったし、俺もそれはいい案だと思ったんだ。だから俺は、ハルナのために花を摘み、オリジナルの花束を贈ろうと決意した。
本当だったら、誕生日前日に花を摘みに行こうと思っていたんだけど、その日はあいにくのところ、雨が降ってしまっていため、俺はひとり、誕生日の当日に隣の山へ登りにいった。春先、花が咲きはじめる時期だ。山にはたくさんの花と、つぼみを付けた草花が一面に広がっていた。冬の間眠っていた木々からも若々しい芽がたくさん出ていて、新緑がとても美しかった。
俺はその景色を見ながら、ハルナが好きそうな小さくて可愛らしい花をたくさん摘んだ。前日雨が降っていた為、土が湿っていて、手は泥だらけになっていた。それでも俺は構わずにもくもくと花を摘んだ。
弟の喜ぶ姿を思い描きながら。
どうやって渡そうか、どんな顔をして渡そうか……そんなことを考えながら、日が暮れるまで花畑に居つづけた。村全体での祝いの儀式は日が暮れてからだ。村の中心に薪を組んで、炎をつける。そしてその灯りをみんなで囲んで食事をしたり、踊ったりするんだ。
誕生日っていうのは、この世に「命」を授かった大切な日だから、幾つになっても盛大にお祝いするのが、俺の村の慣わしだった。そんな村の在り方が、俺は大好きだった。
けれども、そんな幸せムードに包まれた俺は、この先地獄を見ることとなったのだ。
それは、この帰り道のことだった。村のほうから、煙が上がっていたんだ。それは、薪を燃やす炎とは考えられないほどの、黒々とした煙が上がっていた。それも、大量の黒煙だ。何かあったのだと瞬時に分かった俺は、慌てて村に引き返した。一度も止まることなく、村まで走り続けた。妙な胸騒ぎがして、嫌な汗がにじみ出ていた。こんなにも不安で、どうしようもなく怖いと思ったことは、それまで一度も無かったかもしれない……いや、無かった。
必死に、全力で走った。
子どもの足ながらも、村に着くときには息が切れて肺が苦しくなるほどまでに走った。
それでも、時はすでに遅かった。
村は全焼。みんなは……変わり果てた姿で、死んでいた。母さんも、父さんも、長老様も……姿が分からないほどに、みんな、みんな、黒焦げていた。俺はその光景を前に、絶望しか覚えなかった。いや、何を思えばいいのかさえ分からず、思考が停止していたのかもしれない。
俺が村にたどり着いて最初に目にしたもの。それは、「赤」だった。真っ赤に燃え盛る炎と、それによって映し出された村人たちの流した「血」の跡。すでにそこは、「村」とは呼べないほど、全てが焼き尽くされていた。
俺は、足元がふらつくのを覚えながらも、一歩、また一歩と自分の家が在ったはずの方へと向かった。ひどい煙で目も鼻も痛い。でも、何より胸が痛んだ。息苦しいのはきっと、煙のせいだけではない。痛くて、悲しくて、辛くて、俺は歯を食いしばった。
村を出る前には確かにあった家は、すでに炭と化していた。そして、柱の下敷きになるような形で、ふたつの塊が転がっている。俺は、呆然とそれを眺めることしかできなかった。怖くて考えられない、その先を。その転がっているものが、何なのか……。
「……ちゃ……ん」
思考回路が殆ど止まっていた俺を、呼び戻す声が背後から聞こえてきた。聞き間違えるものか。それは紛れも無い。俺の大切な弟、ハルナの声だった。
「ハルナ!」
俺はハルナの姿を探した。一見、周りは炎と煙と炭ばかり。弟の姿は見当たらない。けれども、確かに後ろから声がした。俺は地面に足を着き、頬まで土に着くまで体を低くして弟の姿を探した。
「ハルナ、ハルナ! どこだ。どこに居るんだ!」
返事は無い。それでも、諦められなかった俺は、必死に声をあげた。
「カガリだ。帰ってきたよ! ハルナ!」
力の限り叫んだ。すると、再び微かながら声がした。
「兄……ちゃん」
炎が目の前をちらついた。その灯りで、一瞬小さな手が炭の下で動くのが見えた気がした……いや、あれは絶対に手だった! 俺はその辺りにある炭を、熱を感じながらも一つずつ取り除いていき、必死になって弟の体を探した。熱を帯びた炭だ。俺の手も火傷を負っていく。でも、痛みなんか感じなかった。異臭も今は気にならない。目の前に、生きた弟が居るからだ。
(ここだ、ハルナがここに居るんだ!)
そしてとうとう、俺は見つけた。身体のほとんどがひどい火傷を負っている、今にも事切れそうな弟の姿だ。
「ハルナ……もう大丈夫だから! 待ってろ。今、水を持ってくる!」
走って泉に水を汲みに行こうとしたときだった。弟は力なく俺の手に、自分の手を伸ばしてきた。そして、俺に向かって微笑んだ。
「兄、ちゃん……」
それが、弟の最期の言葉だった……。
俺はその場に崩れ落ち、泣き叫んだ。泣いたところで、どうにもならないことぐらい分かっている。それでも、俺は泣くことしかできなかったんだ。もう、全てが終わっていたんだ。助けられる命も、術も何もない。この村も、村人の「命」も、俺も終わったのだと感じた。ひとり残されたところで、生きていけるはずがない。こんなにも惨い光景を前にして、生きていける訳がない。
けれども、何時間か、もしくは何日も泣きつづけると、俺の涙はとうとう枯れ果て、俺は心身ともに疲れきった。ときの流れが分からない。俺は狂い始めていた。そして、泣くことにも疲れた俺の心には、ある醜い感情が芽生えていた。
(殺してやる……)
俺の身体は濡れている。もっと早く降っていれば、こんなにも燃えずに、村のみんなは助かったかもしれないのに。
雨だった。
今頃になって、村には大量の雨が降り注いでいるのだった。俺は憎らしげに空をにらんでから、再び地面に目を向けた。
変わり果てた村には、たくさんの武器が落ちていた。どの武器も血塗られている。べっとりとこびりついた血は、この雨でもぬぐいきれないらしい。
俺の村のひとたちは、武器なんて手にしない。だから、そこに落ちているたくさんの武器はよそ者が持ち込んだものなんだということに、すぐに気づいた。そして、その血が誰のものなのかも……。
武器の中には、何かの紋章のようなものが刻まれているものもあった。それは、となりの山にある村のシンボルだって、前に長老様から教えてもらっていた。だから俺は、あの村の人間がみんなを殺したんだと思った。そうに決まっている、違いないと思い、疑いもしなかった。俺はこの、はかり知れない負の感情を、どこでも誰でもいいから、ぶつけたかったのかもしれない。憎むものが欲しかったのかもしれない。
俺はそう思うと、縋る思いですぐに立ち上がって村の奥に入っていった。そこには洞穴がある。その洞穴は、この村で唯一武器が置いてある場所だった。
『カガリ、よいか? この武器を、決して手にとってはいけないよ。これは、誰か、大切な人を守りたいと思うときにだけ、使うことを許されるものだ』
(守りたかった。死なせたくなかった)
俺は、その剣を手に取った。すると、俺の中の憎悪はさらに心の中に浸透していった。
守るべきものはもう、全て失った。俺にはもう、何もなかった。できることは、嘆き悲しむことと、村人たちを死へと追いやったものたちへの……復讐だけだった。だから俺は、長老の言いつけを破り、大切なものを守るためではなく、大切なものたちの仇討ちのために、その封印されし剣を手にした。
「絶対に……許さない」
そう決心したまだ幼かった俺は、ひとりで復讐をするべくとなりの山へ向かったんだ。
すでに日が落ち、辺りは暗かった。松明も何も持たないで村を出てきたため、自分の目と月明かりだけが頼りだった。けれども俺は迷ったりなどしなかった。道ははっきりと見えている。そして、悲しみとも怒りともとれる感情は、鎮まる気配をもたない。たった一本の剣を握り締めたまま、俺は憎き者の住む場所へ走った。
月が真南にまで昇ってくる頃、俺はとうとう目的地に辿り着いた。村の入り口に建っている門には、武器に刻まれていた紋章と同じものが描かれていた。それを見て、俺の想像は確信へと変わる。すると同時に、怒りがさらに込み上げてくるのだった。怒りと悲しみ、孤独と憎しみで頭も心もどうにかなりそうだった俺は、武術の心得なんてまったくないにも関わらず単身で、背丈の低い俺には大き過ぎる剣を掲げ、村へと飛び込んでいった。
けれども、結果は悲惨なんていうものではなかった。これまで、何の心得もなければ武器だって扱ったことのなかった俺は、大敗を喫した。夜更けだというのに、村人、それも体格のいい男たちは武器をしっかりと装備して、まるで俺を待っていたかのように村の中央に陣取っていたのだ。どうみても武術の心得がありそうな彼ら、しかも大人と子どもの俺とでは、体格差もさることながら、剣の腕も何もかもが雲泥の差だった。俺に勝ち目など、はじめからなかった。俺の大切なものたちの仇を討とうと向かって行ったはずなのに、俺はその村の人間に、逆に殺されそうになったんだ。
いや、あの男が来なかったら、俺は間違いなく死んでいただろう。
「何をしているんだ?」
年は二十歳か、そこそこといったところだろうか。体中を斬られ、殴られ、身動きができなくなった俺の目の前に、ひとりの青年が現れた。
「こんな小さな子をいじめて、良心は痛まないのか?」
すると、不思議なことに村人たちは剣を収めて、俺を殺すのを止めたのだ。俺は、命を救われた。
このとき俺は、全てを失った中で、たったひとつの光を見たと思ったんだ。その男が、俺に向かって優しく微笑むから、俺はそう錯覚してしまった。そうだと思い込んだ。だからこそ俺は、疑いもせず、差し出された手をそっと掴んで立ち上がった。
「ひどい傷だな。お前、名前は?」
「……カガリ」
俺は、神を見るかのような目で青年を見上げた。俺よりもずっと背が高い。そして、とても作りのいい服を身にまとっていた。この村のものではないことは一目で分かった。彼からは、まったく違った気配を感じていたからだ。気高く、高貴な感じのする男だった。
「カガリか……どうだ? 私のところに来ないか?」
俺には、この人しかいない。何もかもを失った俺に、唯一与えられた生きるべき場所がそこにはある、そう思った。俺の命を救ってくれた、このひとの為にこれからの人生を奉げようって、心に誓ったんだ。
俺は、差し出された手を握ったまま、そのまま男の後についていった。全てを失った俺に、再び自我を持たせてくれた人間だった。彼は俺にとって、特別な存在となった。
男がどこへ向かおうとしているのか、俺には見当もつかなかった。男がどこから来たのかなんて聞かなかったし、興味もなかったからだ。どこだって構わない。焼け野原と化してしまった村を捨てることには正直心が痛んだが、あそこでひとり生きていくことは、とても出来そうにもない。だから俺は、ただ黙ってその男について従った。
俺は、優しい両親と村人たちに囲まれて、世間のことも何も知らず、生きる術も何も知らずに今日まで生きてきてしまった。だから、たったひとり取り残されても、生きていく手段を知らなかったんだ。この青年に助けられなかったら、俺はあの村で殺されていただろうし、万一あそこで命ながらえたとしても、長くは生きられなかっただろう。その辺に居る野獣の餌になるか飢えるかで死ぬのが目に見える。
それに、例え男が行き先を教えてくれたとしても、俺はきっと理解できなかったろう。何せ、知識がないのはもちろんのこと。かつ、俺はほとんど自分の村から出たことがなかったからだ。他の村のこと、人間のことなんて、知らないに等しかった。そんな閉じられた世界に俺はずっと居たんだ。
もちろん、そのことに不満なんて持っていない。知らなければ、それを不幸だと思うこともないからだ。確かに、他の村や町にも出かけてみたいと思ったことはある。けれどもそれを、長老や両親はよしとしなかった。尊敬する彼らの言いつけを破ってまで外に出たいとは思わなかったから、俺は自ら長老たちの言いつけを守っていた。だから、外の世界についての知識は、かなり疎かった。
男が着いた先は、大きな「家」だった。それは、これまでに見たこともない家だった。長老様の住む家よりもずっと大きくて、頑丈そうだ。何せ、木で作られていないんだ。これは、石で作られているのだろうか。その家だけで、俺の村の何倍もの広さをしている。後に、それが「城」と呼ばれるものだということを知った。
俺は「ザレス」と呼ばれる、俺を助けてくれた青年の部屋に招かれて、しばらくそこで生活した。山から出たことのなかった俺には、見るもの全てが珍しく、村のみんなを失って傷心しているものの、少なからず、興奮している自分がいることを自覚していた。そしてそれを、恥ずかしく思うほど、俺は大人ではなかった。
ただ、あの瞬間、村人たちの死を目にしたときに抱いた殺意だけは忘れない。忘れられない。自分自身が生まれてはじめてもったその殺意と憎悪という感情に、俺は日々恐怖を覚えていた。俺の中には、夜叉がいる。これこそが、自分の本質なのかもしれないと、度々怯えた。
だから俺は、二度と剣は持たないと心に決めた。剣さえ持たなければ、醜い心を封じ込めていられると思ったからだ。俺は、もうあんなことをしたくはない。あんな想いをしたくない。仇であろうとも、やはり、誰かを傷つけるなんていう真似を、俺はしたくはなかったんだ。
でも、その約束は長くは続かなかった。
「剣の修行をしろ」
あるときザレスは俺にそう言い放った。強い口調であり、それは指示ではなく、命令というものだった。彼は、この国の王だということを教えられていた俺は、それを断ることができなかった。王の命令は絶対だ。長老よりも偉いのだから。それゆえに俺は、嫌々ながらも剣を持った。その瞬間、あのときの光景が頭に浮かぶ。村人たちの死、そして、返り討ちにあった自分の姿が。今では癒えているはずのそのとき負った傷の痕が傷む気がした。その痛みで、涙が出そうになるほど辛かった。
それでも俺は、命の恩人である国王が自分の力を欲するならば……と、剣を必死になって握った。だから俺は、瞬く間に他の兵士たちよりも強くなった。それは、剣の才能があったとか、そういう訳ではまったくない。他の誰よりも、長い時間剣を持っていたからにすぎない。他の兵士が食事をしている間も、俺はひたすらに剣を振り続けていた。脳裏によぎる光景を振り払うかのごとく、ただひたすらに剣の稽古に励んだ。何の才能も持たない俺が剣士として生きていくには、これぐらいの努力をしても足りないぐらいだった。
手本とすべきひとも居ない。村の中でも俺は本当に何も出来ない方のものだったから、はじめはどう練習すればいいのかさえ分からなかった。それこそ本当に、ただがむしゃらに、夢中になって剣を振り回していただけというものだ。
しかし、時折警備兵たちが指導官を前に訓練しているのをたまたま通った廊下の窓から見えたときがあり、あのように練習すればいいのかということを知った。警備兵たちのところに参加するのではなく、俺は窓から見た景色を思い出しながら、見よう見まねで剣を振るっていった。
(俺が強くなったら、ザレス様は喜んでくださるだろうか……)
嫌々ながらも剣の修行を続けるのは、他でもない、俺の命を救ってくれた若き青年王のためだ。ザレスが望むことだからこそ、俺は毎日欠かさずに続けていたんだ。
他の誰よりも剣と共に過ごしていた俺は、暫らくしてから本格的に戦場にも出るようになった。国と町村。ときには、国と国なんていう大きな争いもあった。全てはこの世界をひとつに統一するためのことらしい。国王は、この世界を王国「フロート」の領地にしたいらしい。こんなにもいい国王なんだから、きっと、統一されるべきなんだと、幼い俺は簡単に物事を考えていた。
そんな俺でも、はじめは戦場に出ることが怖かった。俺みたいな子どもが、何か出来るような場所ではないということは、過去の記憶で思い知らされている。「戦場=死」という概念から抜け出せないでいた。だから、はじめて戦場へ行けと命令が下ったときには、心の奥からそれを拒みたかった。けれども、恩人に向かって拒否をすることは、俺にはとてもできなかった。
しかし、一度戦場に出てみれば、俺はあのときの何も出来なかった俺ではないということに気がついたんだ。俺より剣の立つ人間は、そうはいなかったのだ。一対一で俺に勝てるものはおそらく居ないと思えるほどにまで、俺の剣の腕は上がっていた。そして、剣を交えれば交えるほど、俺は強くなっていった。それは、喜ばしいことではないのかもしれない。誰かを傷つけるなんていう行為だ。それも、俺は別に憎んでも怒りを覚えているわけでもないような人間ばかりが相手だ。そんな相手を、何人も切り捨てていくことが、いいことのわけがない。戦場へ行けと命令が下るたびに、俺は心の奥で嘆いた。
けれども、俺が戦利の報告を持って帰ってくると、ザレスは喜んでくれたんだ。それが、俺は嬉しかった。
恩返しができているんだって、思えたから……。
それだけが、俺の救いだったんだ。
俺の行為は、間違っていないと言ってくれているように感じられた。
もちろん、それはただの俺の都合であって、俺がしていることは人殺しに近いことに変わりない。自分のしていることは、どんな言葉をもってしても、正当化されないことぐらい、ちゃんと分かっていた。




