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プロローグとは名ばかりの日常

「だーかーらーッ! スク水なんて着ないって言ってるでしょッ!」


「そんなこと言わないで、ユーリ。あなたなら絶対に似合うわ」

「そうだよぉ〜。ユーリちゃんが着れば大繁盛間違いなしだよぉ〜」

「ユーリさん、ここは大人しく着ましょう」

「嫌ったら嫌ッ!」


 ――初秋の平日の午後。

 微かに肌寒くなってきた季節のとある一日。

 此処、喫茶『メルトーメ』の店内には先ほどから甲高い怒声が響いていた。

 いつもの光景といえばいつもの光景なのだが、今日は特にうるさい。

 静かに読書を嗜みたい俺のような人間にとっては迷惑この上ない。

「はぁ」

 俺はため息をつきながら読んでいた本を閉じ、怒声の震源地に向き直って言った。


「おい、そろそろ観念したらどうだ? お前さえ合意すればもう決まりなんだろ?」

「アンタはカンケーないでしょッ! 黙ってて!」

「……ンだと?」


 怒声の主である金髪の女がこっちをキッと睨んできた。ただでさえキツめの顔がさらに険しくなっている。

 こいつの名はユーリ。この店のスタッフ、すなわちメイドである。

 一見モデルのようだが、出るとこはしっかり出ている体型にこの店のシックな制服がよく映えている。

 金髪なのは生まれつきで、なんでも日本とドイツのハーフらしい。認めたくはないが、見た目だけは相当の美人と言って良い。ただしこいつの場合、問題はその中身だ。


「関係ないとはなんだ関係ないとは!」

「だってそーじゃない。じゃあアンタが着てみなさいよ!」

「は、はぁ!?」


 お、俺が……? ス、スク水を……?

 ……いやいやいや。ないない。


「あ、それアリかも〜!」

「アリなわけないでしょ、(かえで)さん!」


 そんな姿を客の前に晒したら売り上げ的に逆効果どころか俺の手が後ろに回りかねない……。

 ちなみに(かえで)さんは、この店のお色気担当ともいうべきグッドルッキングお姉さん。その溢れんばかりの蜜肉は男ばかりでなく、時に女性をも魅了する。

 加えて母なる大地のような穏やかな性格の持ち主でもある。

 実際に楓さんの笑顔(と豊満な体)を目当てにくる客の多いこと。

 ただしちょっと……いや、かなり抜けているところが玉にキズでもある。


「うわ、アンタがスク水着てるとこ想像したらキッツ……」


 ユーリがドン引きした顔でいう。


「テメーが言うな!」

「確かにキツいですね。その日の体調によっては嘔吐も辞さないです」

「おいコラ、最中(もなか)……。ちょっと言い過ぎだぞ……」


いくら俺でも今のは傷つく……。

 最中(もなか)はこの店の最年少。小さな体にも関わらず店一番のしっかり者だ(というよりも周りがしっかりしてなさ過ぎるのだが)。仕事は何事もそつなくこなすが、性格はドライそのもの。ユーリと並んでこの店の毒舌ツートップの一人である。

 事実、俺自身も何度涙目にされたかわからない。ちなみに今この瞬間もそうだ。

 

 「そもそもなんで俺がスク水を着る着ないの話になっているんだ? おかしいだろ」

 元はと言えば、最近の客足の乏しさを踏まえてみんなで解決策を練っていたのがこの話の発端だ。

 そして「何かイベントをやりましょ〜」と楓さんが提案した。

 その中の案として上がったのが、全員が一日中スク水を着て接客をするスク水デーの開催というわけだ。ちなみにこれを言い出したのも楓さん。


「うーん、困ったわねえ。衣装は全員お揃いじゃないとイベントデーとは言えないし……」


 少し離れたカウンターに座っている眼鏡の女性(これまた美人)が呟く。

 この人は遊佐(ゆさ)さん。この店の店長兼最年長スタッフだ。年齢はここだけの話、三十の大台に乗っているとかいないとか。

 しかしその見た目はとてもそんな風には見えない。パッと見は大学生の楓さんと同年代に見えるほどだ。

 ちなみに俺の遠い親戚でもある。


「けっ、こんなやつほっとけばいいんですよ、遊佐さん。俺はユーリ以外のみんなのスク水が見れればそれで満足です」

「別にあんたのためにやるわけじゃないのよ……」

「……あ」


 しまった……つい本音が……。

 周りから冷ややかな視線を感じる。


「……理夢(りむ)くん、そんなこと思ってたの?」


 楓さんが不信感たっぷりに言う。


「いや、ちがう! ちがうんです! 俺はただコイツに興味がないってことが言いたかっただけで――痛ッ!」


 その瞬間、左頬に衝撃が走った。

 ユーリが何かを投げてきたようだ。


「……いってーな、ったく」

 

 俺は激しい音を立てて床に転がったその『何か』を目で追う。

 ……なんだ、モップか……。

「……ん?」


 ――はぁ!? モップ!?


「ふざけんな! 殺す気か!」

「こらこらユーリ、やり過ぎよ。理夢が死んじゃったらこの店のゴミ出しどーするのよ」

「それだけ!? 俺の存在価値!?」


 遊佐さんもさらっとひどいこと言ってくれるなぁ……。


 その時、(カランカラン)という音と共に店の入り口のドアが開いた。

 ドアの隙間から、見知った顔がひょこっと現れた。


「ただいま戻りましたぁー」


 この店の看板メイドである色葉(いろは)がビラ配りから帰ってきたのだ。

 これで店のスタッフは全員、この場に揃ったことになる。


「おかえりなさい、色葉。どうだった? 手応えは」


 遊佐さんが問いかける。


「うーん、正直あんまりです……。人通りが少なくて」

「そっか……仕方ないわね」


 全員が心なし肩を落とす。


「あ……ところで!」


暗くなりかけた空気を吹き飛ばすように色葉が顔を上げた。


「イベントの内容、決まりました?」

「ああ……今話し合ってたとこなんだが」


 俺は返事をしつつユーリの方を見た。すると向こうも俺の顔を睨み返してきた。

「ふん!」

 そして全く同じタイミングでお互いそっぽを向く。正直、こんなとこで息は合いたくない。

 俺は咳払いした。


「若干一名反対者がいてだな。さっきからそいつのせいで決まるものも決まらないってわけだ」

「なにか良い案でもあるんですか?」

「まあな。一言で言えばスク水だ」

「すくみず?」

 

 色葉が首をかしげる。


「そんな方向で話が進んでたんですけど、ユーリさんがどうしてもスク水は着たくないって」


 最中が説明する。


「要するに胸に自信がなくて嫌がってるんだろ」


 その時、視界の片隅にユーリがモップを拾おうとする姿が映った。


「いや、嘘! じつは俺もスク水はどうかと思ってる! うん!」


 ユーリがモップを手から離した。

 ふぅ……危なかった。

 思わず額の汗を拭う俺を最中辺りが思いっきり軽蔑の眼差しで見ている気がするが、気にしないことにしよう。

 ……俺だって命は大事なのだ。


「そうなんだ……」

 

 色葉がそれなら仕方ないね、と微笑む。


「よし、じゃー別の案でも考えよっか」


 色葉の言葉にみんなが頷く。

 たとえ仕事とはいえ、本人の嫌がることを無理強いはできない。

 ましてやそれがスク水なら……尚更だ。

 俺たちもそれをわかっているからユーリに対し説得こそすれど、強制はしない。


「でも……ちょっとだけもったいないな」

「ん、なにがだよ?」


 色葉の言葉に思わず反応する俺。


「ユーリちゃん、スク水似合うと思うんだけどな」

「……え?」


 いったい何を言い出すかと思えば……。

 色葉がなにやら考え込んでから、再び顔を上げる。


「うん、もったいない! ユーリちゃん絶対似合うよ! スク水!」

 

 色葉はユーリに駆け寄って手を握りしめた。


「に、似合わないって!」


 色葉の突然の行動に唖然とする一同。

 あのユーリすら若干逃げ腰だ。


「あたし、ユーリちゃんのスク水姿みたい! あたしも恥ずかしいけど、頑張って着てみるからさ! ユーリちゃんもどう? 思い切って一緒にチャレンジしてみない?」


 異性が口にしたら大分アウトな内容を口にする色葉だった。

 ユーリが黙りこむ。

 しかしその顔に先ほどまでの頑なさはない。

 どうやら少し悩み始めているようだ。

 そう、ユーリは色葉に弱い。

 この店でユーリのことを説得できるのは色葉だけなのだ。

 

 次の瞬間、ユーリが伏し目がちに口を開いた。


「わ、わかった……。色葉がそう言うんなら……やってもいいけど」


「やった! ありがとう、ユーリ!」


「わ〜い、決まり〜!」


 楓さんが椅子の上から飛び上がって喜ぶ。

 ――ガシャンッ!!

 案の定、テーブルに当たって派手にコケた。


「だ、大丈夫ですか!? 楓さん!」

 

 最中が慌てて駆け寄る。


「え~ん……いたいよぉ……」


 幸い大きな怪我はなさそうだ。


「もう……気をつけなさいよ、楓」

 

 遊佐さんが呆れたように注意する。


「ごめんなさぁ〜い……」


 テーブルが一つひっくり返っている。

 やれやれ……後片付けが面倒そうだ。

 しかし、改めて色葉はすごい。俺らが束になってもできなかったユーリの説得を一瞬で完遂するとは。


「よーし!」


 遊佐さんが立ち上がった。


「スク水デーは二週間後に決まり! それまでにバッチリ準備するわよ!」

「「「おおー!」」」


 色葉たちが手を振り上げる。

横目でユーリを見ると、色葉たちの勢いに圧されたのか遠慮がちに拳を肩の辺りまで挙げていた。

 それにしても二週間後か。このメンバーだとすんなり行くと思えないのはなぜだろう……。

 これから心配事が増えそうだ。 


 おっと、前フリが長くなった。

 これはそんなメイドたちと俺の些細な日常を綴った話だ。

 そもそもスタッフでもない俺がなぜこの場所にいるのか、その経緯から始めることにしよう。

 

 

 それは数ヶ月前に遡る――。


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