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【4】水面の青空―2

 あきらめの早い奴だ。訳の分からない戦いが始まって数分経ったか、経ってないかのところで、止めるなんて。いや、これはもしかしたら、気障野郎なりの優しさなんだろうか。辻本が今どれくらいの力が発揮できるのか、傷つけない程度に確かめていたのかもしれない。早く戦いを終わらせたのも、辻本が病み上がりで、存分には体を動かせないと考えていたからなのかもしれない。

「そう。じゃあ返して」

 真は応える代わりに、《ハネ》を持ち主の方へ届けるように、《ハネ》を飛ばして送った。

 綾は《ハネ》を手のひらの上に浮かせ、《ハネ》がちゃんと自分のものだと確認する。そして真を解放させた。辺りには、綾が繰り出した攻撃のせいで水たまりができていて、直輝は水面をそっと覗いてみると、驚きのあまりにしゃがみ込んだ。今ここにいる色あせた場所とは違い、そこには鮮やかな青空が広がっていた。なにがどうなっているんだ。 

「さて、あとはこの淋しい少年さんの記憶を消すのみ。マイガール、俺がやる」

 真はそう言い、俺のほうへ歩いてきた。

「記憶を消す? ばかなことを言うな。それに、これはいったいなんなんだ! お前らはなんなんだ!」

 時が止まったような閉鎖された空間、翼がある二人、炎や水の攻撃、そして水面に映った青空と白い雲。

 ただでさえ、おかしなことを目の当たりにしているのに、今度は記憶を消す芸当までやれるのか。

 正直に言うと、記憶を消してもらった方がありがたいかもしれない。記憶を消してくれた方が、ちゃんと世界や俺が元通りになるかもしれない。辻本と気障野郎と会って、自分の中の世界が一気に崩れていくのが、自分自身よく分かっていた。それはつまり、常識だと思ってきたことが、今ここにいる空間や辻本たちには通用せず、常識を塗り替えられていくのだ。

 これ以上何かに巻き込まれてしまうのはごめんだ。元に戻してくれ。辻本と会うまでの記憶をきれいさっぱりに記憶を消してくれ。

「話してやってもいいけど、どうせ記憶を消すんだぜ? 聞いても無駄だってことだ」

 直輝は近づいてくる真をじっと待った。しかし、上から直輝の目の前に綾が翼をはためかせながら下りてきた。

「この人は私の恩人。そして知ってもらう義務がある」

「義務? おいおい、何を言っているんだよ?」

「こうやって空間に入れるのも、何か理由がある。すぐに消すのはよくない」

「でも、俺はすぐに消した方が良いと思うな」

 ひそひそ声で「人間は何をするか、分からないからな」と綾に言ったが、直輝の耳には筒抜けだった。

「もし誰かに言ったときには、まとめて記憶を消すから問題ないでしょ」

「そこまで知りたいもんなのかねぇ。まぁ、何にせよ、原因が分かったら、ちゃんと隅々まで消せよ」

 助けられているのか、それともそうじゃないのか。よく分からない。少なくとも、また更なる巻き添えがあるのは、間違いないだろう。俺の常識や世界を塗り替えてしまう奴が、まだ俺との関わりを断とうとしないからだ。

「それにしても、こうして久々にまた会ったけど、また可愛くなったな、辻本」

 そう言いながら、真は爽やかな笑みを浮かべた。

 それを言うタイミングが遅すぎだろ、と直輝は思った。

「あっそ」

 綾は指笛を鳴らした。

 すると、止まっていた周りが動き出し、再び肺の中に冷たい空気が流れ込んできた。同時に、綾と真の翼も消えた。

「本当に相変わらずだねぇ。ま、今度はちゃんとマイガールの心に火がつくように努力しないとな。それじゃあな、マイガール。またどこかで会おう」

 そう言った高木は姿を変え、小さな鳥になって空高く飛んだ。

 コマドリ、という鳥だった。コマドリは頭や胸、尻尾にかけて濃い橙色で、腹は白っぽい。ちなみにほとんどの鳥はオスとメスによって色が違う。俺が見たコマドリはオスだ。山里で繁殖を行うが、秋になると都会でも見られるようになる。

 安らぎを求め、公園でよくバードウォッチングをしていたり、鳥に関する本も何冊か読んだこともあって、ちゃんと鳥の名前や特徴もよく分かる。

 しかし、あのコマドリは絶対に高木だよな。人が鳥に変わるなんて、非現実的だ。やはり二人は人ではない。

 コマドリを見届け終えた直輝は綾に話しかけた。

「辻本、お前らはいったい……」

 綾は再び指笛を鳴らし、また閉塞的な空間が作られた。

「高木の言う通りね。勝手に入ってしまうなんてね」

 綾はそう言うなり、直輝の顔をじっと見た。直輝に見せたあの可愛らしい笑顔ではなく、眉を寄せ、口を一の字に結んでいて、少しも笑みがなかった。しかし、真に向けられた怒りの色はどこもないことから、これが自然体なんだろうと推測した。

「あなたはどうして仮想空間に入れるの?」

 か、仮想空間?

「そのとぼけた顔を見る限り、どうやら無意識に入ったみたいね。記憶を探る必要もなさそうね」

「ちゃんと俺の質問に答えてくれよ」

「後に記憶が消されるというのに、知ってどうするの?」

 綾にそう言われたときに、直輝ははっとなった。知ってどうするんだ。記憶が消されるからそう思っているわけじゃなく、知って、これからどう行動に移そうかと考えている自分に気づいたからそう思っているんだ。

 余計なことに巻き込むのはごめんだと思っていたのは、正真正銘俺だったはずなのに。

「消すんだったら消してくれ」

 元の俺に戻そうと思ったのか、そんなことを言った。

「すぐにはできない。こうしてあなたに仮想空間に勝手に入られたら困るのよ。ちゃんと解明しないと、あなたのような人間たちが、いずれ、私たちにも被害が与えてしまうことになるかもしれない。そうなる前に、記憶をちゃんと消す。消しても効果がなければ、最悪――」

 綾の目が細くなり、目線が鋭くなる。

「――あなたを殺すことになるかもしれない」

 逃げ続けても、ひたすら追いかけると言うことらしい。そして、巻き込まれないと、殺される運命らしい。本当に、関わってはいけない人と関わってしまったようだ。

「じゃあ俺が殺されないように、俺も一緒に考えるから、その仮想空間やらなんやら、ちゃんと詳しく話してくれるか?」

「そうね……。まずは《トリ》から話した方がいいかもしれないね」

 綾は近くにある木に寄りかかる。

「私たち《トリ》は、ここにいる鳥とは違って、力を持っている。人の姿に変えたり、仮想空間を作ったり、記憶をいじれることができたり。さらに、攻撃手段や防衛手段として、精霊を呼び出すことができる」

「その精霊っていうのは、さっき文字から出てきた炎とか水、かまいたちのことか?」

「そう。精霊はパートナー的な存在で、お互いの信頼が大事なの。お互いに信頼していないと、文字を書いても精霊は出てこない。逆に、親友みたいに信頼し合っていると、文字を書かなくても、そして唱えてなくても、精霊が呼び出せる。その精霊が呼び出せるのは《ツバサ》がある人間の姿のときだけ。《ツバサ》っていうのは、あなたが見た通りの翼だけど、これが精霊を呼び出す原動力になる。大きさや数によって強さが変わるけど、大きさは己の心の強さに、数は《ハネ》の数に比例する」

「《ハネ》って、俺が渡したあの《ハネ》か?」

「全部で六枚」

「え?」

「《ハネ》は全部で六枚。残るはあと三枚。原因は分からないけど、いつの間にか《ハネ》がなくなっていてね。探しているのよ」

 これは俺に助けを求めているのか?

 いや、俺はもう助けないぞ。

 話を少しそらさせるように、仮想空間について訊いてみる。

「それで、仮想空間ってのは?」

「仮想空間はそのままの意味よ。何から何まで自分で仮の空間を作らなきゃいけないから、さすがに風や日差しとかの自然現象は作り出せないの。他の奴らが入れなくするような閉塞的な空間でもあるの――《トリ》しか入れないけど」

「あなたはもしかして弧鳥?」

「なんだよ、それ?」

「自分が《トリ》だとは知らない《トリ》のことよ。でも、それは大抵記憶をいじられた《トリ》がほとんどで、それが《トリ界》で問題になっていて――《トリ界》って言うのは、私たちが住んでいる、ここから空高いところにある世界のことよ」

 《トリ界》という言葉を聞いた直輝が首を傾げていたので、綾は詳しく説明した。

「つまり、俺はすでに《トリ》の何者かに記憶をいじられていて、勝手に人間だと自覚している、と言いたいのか?」

 腹や胸の辺りから何かが煮えたぎってくる。

「可能性はあるでしょ。《ツバサ》さえ出してくれれば、あなたが弧鳥だって判明できるから、《ツバサ》を出してみてよ」

「もし出せたとして、俺をどうするつもりだ?」

「《トリ》として再教育してもらうしかない。それが決まり事になっていてね」

「だったら断る」

 次に綾が言う前に即座に反抗をした。

 ふざけるな。苦労を重ねるに重ねてきたことや、積み重ねてきた思い出が全て嘘の記憶だと言うのか。そんなことがあるはずがない。アルバムや写真は今でもある。嘘だと言う証拠なんて、あるわけがない。

 睨みつける直輝をよそに、綾は木に寄りかかるのを止め、立ち尽くす直輝の近くまで歩き出す。

「いずれ分かるときが来るよ。自分が何者なのか。そのときまでゆっくり待ちたいところだけど、私には時間がなくてね。そうも言っていられないのよ。今月末までここで《ハネ》を探しているけど、ちゃんと後藤を見張っているからね。変な動きでも見せたときには、ちゃんと覚悟していてね」

 覚悟というのは、きっと殺される覚悟とか、死ぬ覚悟のことだろう。

「それじゃ、話したことは話したし、私はもう行くよ」

 綾は指笛を鳴らし、仮想空間を消した。そして、服の入った紙袋の乾いた音を鳴らしながらすたすたと歩く。直輝は黙ったまま、綾とは真逆に向かって歩き始めた。

 記憶を消してほしかった。知らない方がよかった。しかし今更後悔してもしょうがなく、知ってしまった以上、もう後戻りはできない。ひたすら前進するしかない。歩き続けるしかない。

 直輝は天を仰いだ。仮想空間には自然現象までは再現することが難しいと言っていた。だったら、なんで水面に色鮮やかな空が映っていたのだろう。非現実的なことを目の当たりにしたせいで、いよいよ幻覚まで見えてしまったのかもしれない。

 幻覚だったとしても、色のない仮想空間の中で見たあの空は、とてもきれいに見えた。

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