三話目
変わらない。
空の上から見る白い雲の海、冷たい風の匂い、何一つ下手だてることなく降り注ぐ日差しの痛み。
感じる空の感触は、あの日から全く変わらなかった。
いい匂いだ。
白く分厚い雲の間には、カステアの街が遠のいていき、山に囲まれた平原がどこまでも続いていた。
少し視線を上げれば、山の向こうに海、その上を小さな工船が広がる水平線に向かって泳いでいるのが見えた。
あの海の向こうには何があるのか。
風に目を細め、雲の下を覗きこめばそれだけ胸がはち切れそうなほどにはねた。
手を伸ばせば、届きそうなほど、いくつもの雲が見える。
手を伸ばせば――――
「あわわわっ、危ないですっ」
「あ……」
気がつけば、手すりの向こうから本当に手を伸ばしていて、俺は手を引いて、きしむ床の上を後ずさった。
そこは空飛ぶ飛行船の上。
頭上には上昇用のプロペラがいくつも折り重なりながら周り日差しを断続的に遮っているのが見えた。
側面には突き出た大きな翼、後方には光の粒を吐き出し、噴射口がいくつも設置し力強い推進で、蒼空を横切っている。
ギシギシッ
風を受け僅かに軋む木の装甲。
外の空にむき出しの側面下方のテラスに立ちながら、俺はぼんやりとするままに後ろを振り返った。
「もぉ……落ちるかと思いました」
「す、すまない……」
そこには呆れたような、責めるかのように、眉を僅かにひそめ頬を膨らませる幼い少女、ミアが俺を見上げていた。
ジトリと睨みつける視線。
迫力はないものの、責められて自然と尖った耳が垂れ、俺は突き出た鼻筋を少し爪で掻いては、上目づかいに見つめる彼女に小さく頭を下げた。
「怒るな……飛び降りるつもりはないんだ」
「本当ですか?……なんだかとても楽しそうでしたよ?」
「空は……好きなんだ」
「……」
それだけ言っても彼女の目線はまだ冷たいまま。
なんだか、怒っているというより、嫉妬しているかのような―――そんな目をしているようで、俺はほとほと困り切って僅かに視線をそらした。
「悪かった、もうしない……」
「―――別に責めてるんじゃないんですっ。ただもう少し軽率な行動をですねっ」
説教が始まった。
耳が頭にくっつくほど垂れる。
俺は苦笑いと共にムスッとしてがみがみとなる女房に、両手を頭のあたりにあげ、降参するようなポーズでひたすら彼女の言葉を右から左に流していた。
そして最後には、彼女はギュッと俺の服をつかんで、ジッと覗きこむ―――
「わかりましたか、アルトッ?」
「わかった……俺の女房は、本当にケツを叩くのが好きなようだな」
「に、―――女房……!?」
「……?」
幼い顔がみるみると紅くなっていく。
妙な反応だ。
俺は眉をひそめるままに、耳を尖らせ首をかしげると顔を真っ赤にして華奢な体をこわばらせる小さな相棒の顔を覗きこんだ。
「どうした?ミア」
「だ……だって……ににに……女房って……」
「ここで飯を作っているのはお前だろう。……俺の女房じゃないか」
「――――――」
「んん……なんなら呼び方をやめるが――――」
ブブブブブッ
紅い髪を振り乱し、少女はこわばった顔のまま真剣な表情で首を振り、さらに俺ににじり寄っては俺の服にしがみつく。
思わず後ずさるほどの剣幕。
それこそ手すりから投げ出されそうなほどに―――
「――――アルト……も、もう一回だけ……お願い……ねっ」
「俺の女房だ。今日もしっかり飯を頼むぞ。ハーフウルフは飯がないと腹が減って仕方がない」
「―――」
「ミアのメシは幸運にもとてもおいしいからな」
「ご―――ご飯作ってきますぅううううう!」
程なくして彼女はバッと惚ける俺の体から離れると、踵を返すままにそう叫んで、猛スピードでテラスの奥へと消えていった。
――炊事全般をしてくれるからそう呼んでるだけなんだが……。
まぁ彼女がそういう呼び名を好んでいるのなら、敢えてなにも言うまい―――俺はもたれかかっていた手すりから身体を離した。
そして再び空を駈ける飛行船を見上げた。
風を切り、雲の波に乗り空を泳ぐ木と金属でできた船。
エフェクトラ山まで続く長い道のりを鑑みて、天輪魔術学院の方が支給したもののようだ。
――その割には、カステアを含むアリオト大陸を支配する王家の紋章がいろんな所で散見できるが。
まぁ、天輪の魔術師は崩天の呪術師と並んで相当高位の魔術士であり、学院が王家と繋がっていてもおかしくないし、彼女が貴族の人間ならそれはなおさらのことだろう。
俺は敢えてそのあたりは問わず、だが別の方向で驚いたことがいくつかあった。
―――この船は俺と彼女しか乗っていない。
俺はこの船のことについて何一つ知らないし、メシだって与えられるままに喰って寝床を与えられるままに寝ている状況だ。
つまり、船の起動、制御、整備、そして攻撃―――全て彼女が行っているらしい。
九割がたが、天輪の魔術によってなされているということだ。
―――恐ろしく、そして凄い。
それだけの重荷を彼女は背負って、なおかつ顔を赤くして俺の為にメシを作ろうとしているのがなおさら恐ろしい。
正直、あんな子供に尊敬と羨望のまなざしを向けてしまうほどに―――
「……」
―――ただ、それ以上に疑問も覚えられた。
それはおそらく最初から感じられたことだった。
「……行こう」
カステアから船を飛ばして二日目。
エフェクトラ山まで一週間ほどある―――時間はまだあるし、聞きたいこと彼女に聞こうと思い、俺は彼女が赴いたであろう食堂へ足を運んだ。
そして食堂の扉を開く―――
―――いい匂いだ。
扉の隙間から漂うメシの香り。
それは、鼻のいいハーフウルフがそれだけで懐柔されてしまいそうなほどの強力なものだった。
「……。ミア」
少し狭い食堂。
十人ぐらいが行き来できる程度の空間の隅に、キッチンがあり、その中に小さな背中がせわしなく動いているのが見えた。
ローブは脱ぎ捨て、今は白いエプロン姿の後ろ姿。
俺の声に気がついたのか、こちらを振り返るなり、満面の笑みを浮かべては、彼女はキッチンを慌てて離れ、俺の下に駆け寄ってくる。
「アルトッ。ご飯もうすぐできますよっ」
「んん……いや、その少し聞きたいことが」
「食べませんか……?」
「いやその、さっきも食べた―――」
「……」
覗きこむ彼女の幼い顔が、どんどんと悲痛なものへと変わっていく。
困り果てて、尖った耳が垂れっぱなしだ。
―――悪いことを言っているわけではないのだが……。
そう考えながらも、俺は無言のまま、苦笑いをにじませるとともに、紅い瞳を潤ませる彼女に小さく頷いて見せた。
とたんに、彼女の顔が明るいものに変わる。
「えへへっ、すぐ用意しますっ。待っててくださいねっ」
「……」
――太らされそうだ……。
嬉しいような、悲しいような嘆きを胸に収めつつ、俺は食堂のテーブルに着くと、キッチンへと走ってく彼女の後姿を見つめた。
その背中は嬉々としていて、少し小躍りをしているようだった。
『幸せ』というものが全身からにじみ出ているようで、少し申し訳ない気持ちになった。
――戦いに行くのに、彼女はどうしてこうも楽しいのだろうか。
それとも、空を旅するのが、俺と同じように楽しいのだろうか。
それとも――――
「……ミア。一つ聞いていいか?」
食堂は狭く、声はすぐにキッチンの湯気の向こうに佇む彼女の笑顔に届いた。
「はいっ。なんでしょうかっ」
「……なぜ、俺なんだ?」
「?」
彼女は至極不思議そうに首をかしげる。
本当に不思議そうな表情をする。
そんなあどけない表情をされると、まるで俺が間違ったことを聞いているような気分になってしまい、俺は気まずさに鼻筋を爪で掻いた。
「いや……その……俺以外にも傭兵や兵士がいると思ってな」
「……」
「それに天輪の魔術師は優秀な連中ばかりと聞く――なぜ、彼らを連れていかず、俺なんだ?」
「――――明確な答えは、正直言って出せません……」
少し照れくさそうな、頬を赤らめはにかんだ表情を浮かべ、少女はキッチンから顔を出し、俺の下へと歩いてきた。
そして、俺の下にドロドロに煮詰めたトマトミールを差し出す。
いい匂いだ。
ヒクヒクと鼻先と尻尾の先が自然と動き、垂れていた耳が自然と興奮気味に尖って動くのがわかる。
「でも……一番の理由は、あなただから、です」
クスクスと甲高く微笑む声。
ハッとなり目を見開けば、そこにはテーブルはさんで向かいに座る小さな少女がいて、俺は気まずさに顔をしかめて目をそむけた。
それでも、尻尾はフラフラと左右に揺れる。
これは、生理反応だ―――そう言い訳しながら、彼女から差し出されるスプーンを手に取る。
「……どういう意味だ」
「ずっと、あなたを見ていました……」
「……」
「アルト、少し前まで王家の軍隊にいましたよね……」
「――――」
ミールを救おうとした手が止まる。
俺はギョッとなって目を見開くままに顔を上げると、彼女は少しいじわるそうな笑みをにじませ、俺の蒼い瞳を覗きこんだ。
そして、コクリと頷く―――
「……。やっぱり」
「――――なんで……」
「ん……私もよく王都の方に出向く機会がありますから」
「……」
「これでもエリート学校の人間ですよ?」
「そう、だったな……」
―――昔、俺は王国の軍人だった。
と言っても今から二年も前の話だ。
所属は飛行船中隊長―――いわゆる王国の空の部隊の一員だった。
王国の内外の治安を守る部隊で、その関係で空飛ぶトカゲ、翼持ちのドラゴン関係とは生身、機械、魔法に関わらずよく戦った。
ただ、それも二年前にやめてしまったが―――
「……。一つ、聞いていいですかアルト?」
「――――やめた理由、か?」
「ん……」
彼女が少し首をすぼめる仕草をして頷くのを見て、俺は苦笑いと共にテーブルに前のめりに身体を傾け、食事を進めることにした。
「大したことじゃない。……空にいるのがいやになった」
「……でもアルトはさっきとても楽しそうでした」
「傍にいるのがお前だけだからな。……お前といるのはあまり息苦しく感じない」
「――――そ、そうですか……」
「あの時は軍隊で規律ばかりで、雲を見下ろす事すら許されない場所だった。……外の景色を見る余裕がなかった」
「うん――――好感度はアップしてる……大丈夫……」
「――――まぁいいが……」
彼女にはこういう、ときどき自分の世界に入る癖があるようで、俺は少し脱力感に肩をすぼめながらも、俯いてぶつぶつ呟く彼女に言葉を語ることにした。
「まぁそんな関係でな、息苦しくなってやめた。……腕は認められていたみたいで、最後まで上司に引き留められたよ」
「オットーさんですか?」
「知り合いか……いやな繋がりだ。あのジジイ早くくだばらんだろうかね」
昔、イヤと言うほど軍隊の規律、自分の技術、魔法、そして武器捌きを教え込み、そのために俺を死ぬほど殴った男のことを思い出した。
オットー・サカフェル。
王国飛行船大隊の隊長で俺の直属の上司で、前世はドラゴンと言われるくらいに飛びトカゲを狩って殺して斬りまくった、王国ではドラゴン殺しの代名詞な男だ。
多分、俺もあの爺の徒党の一部―――およそ弟子か息子あたり―――と認識されてるだろう。
俺にとってはある意味、あの男は第二の父だった。
まぁ、こっちの父親は、早く首をひねって殺してやりたいところなのだが―――
「中々死なんだろうな……アレはしぶといので有名だから」
「あはは……オットーさん相変わらずですね……」
「だろう。……あれを殺すのが、俺の将来の目標の一つだ」
「……。本気っぽいのでなんか怖いです」
「アレを殺したい奴は飛行船隊の中には山のようにいる。まぁざらだよ、気にするな……」
「……」
「ただ、アレに引き留められても辞めたかったし、辞めざるを得なかった」
「え……?」
「それは―――」
―――轟音。
飛行船が傾くほどの衝撃が部屋全体を走り、テーブルが横転して、皿が割れると共にトマトミールが床に広がった。
「ふぁ……」
「敵か……」
断続的に船全体に走る衝撃。
惚けた声を上げ椅子から倒れかける少女の腕を引っ張り立ち上がらせると、俺は戸惑うミアの顔を覗きこんだ。
「ミア。飛行船の防壁は掛けてるか?」
「は、はい……リンケーア……アストライア……」
俯きながら呪文を唱えては、彼女の華奢な身体全体に淡いエメラルド色の文様が浮かび上がった。
その模様はいくつも螺旋を描き、或いは幾何学的に白い肌に刻まれ、目を閉じる彼女の息遣いに合わせて明滅を始める。
そして、見開いた彼女の瞳は蒼く染まり、髪は自然とエメラルド色に染まっていく―――
「……敵、凄い敵意。フィールドエフェクトの外にいますが、関係なく攻撃しています」
「直に破られるな。行こう」
「誰でしょう……」
このしつこさ、手早さ―――よく知る感触だった。
「……風のドラゴンだ―――エフェクトラ山から飛んできたんだろう」
そう言って、俺は彼女を立ち上がらせると、揺れる床にふらつきながら、不安と驚きに目を潤ませ、覗きこむように彼女は俺を見上げた。
「な、なんで……まだ距離はすごくあるのに……」
「恐ろしいだろう。風はいろんなものを伝える―――油の匂い、鉄の匂い、血の匂い、戦いの匂い、そして人の敵意」
「……」
「奴らはどれだけ遠くても風を伝って全てのことを聞き、あらゆる距離を飛んで群れに害をなすもの達に襲い掛かってくる」
「――――防衛本能……すごい」
「船の防御を固めろ。俺は出る」
「わ、私も出ます」
「手間取るなよ相棒」
「エルクシュ……アルト・ラナフェル―――大丈夫……船のシールドエフェクトを強化しましたッ」
そう言いながら、彼女の体に浮かんでいた光の模様が消える。
それと共に、船全体の揺れが収まるのを感じる。
だが、鼻先をかすめる憎悪にも似た敵意は未だに俺の背筋を凍らせ、反射的に全身の体毛を逆立てている。
まだ船の上方に、敵がいる。
こちらを見下ろし、睨んでいる――
――上等だ。
自然と牙が口の端からこぼれ、笑みが滲む。
俺は興奮に零れる荒い吐息を抑えつつ、きしむ床を蹴りあげ、食堂を出るままにミアと共に廊下を走った。
「ミアッ」
「武器はあそこの階段を上がって奥の倉庫に―――」
「先に行っておけ、すぐに俺も出張るッ」
「は、はいっ」
俺は言われるままに階段を上がり、一旦甲板へと出る彼女を背に、薄暗い倉庫へと向かった。
――――錚々たる顔ぶれがそろっていた。
全て、対ドラゴン用の装備ばかりだ。
柔らかく貫通しにくく、なおかつ衝撃も和らげるうろこをもつ竜狩り用、大凡人では担げないほどに巨大なバレルを搭載した、対軟装甲用貫通狙撃銃。
通称<アトモスの大槍>アトモス・ラインバレルカンパニーが作った手動リロードの最高峰のライフルが六丁もある。
弾丸も特殊な巨大徹甲弾。懐に入って五発か。
他にも竜斬りの大剣<ゴルド>炸裂弾内臓の血塗りの大槍<アンガースパイクmkⅡ>がそれぞれ五本。それに対ドラゴン用の魔術兵装、ドラゴン払いの必需品<モルテスの大毒>がある。
――これにしよう。
俺は巨大なライフル<アトモスの大槍>を片手に担ぐと、弾丸を適当に漁り、それからもうひとつ倉庫の奥に眠っていたソレを手に取った。
―――ドラゴンソウルと呼ばれる道具。
この小さなガントレットタイプのデバイスはよく飛行中隊にいたときに使ったものだ。
これは竜と会話する為のもの―――戦いに勝利することは、戦わない事でもあると、わが忌まわしき父、オットーは俺に口酸っぱく語ったものだった。
「今の俺に扱えるか……」
正直口下手なのは百も承知なのだが―――それでも俺はそのガントレットを手に取ると、腕にはめ込み、巨大ライフルを肩に担いで踵を返そうとした。
ドォオオンッ
部屋を出ようとした瞬間、一層船が揺れる。
遠くで小さな気配が闘っているのが見える。
出遅れている―――焦りに口の端をニィと歪め、俺は地面を蹴りあげると共に倉庫を後に、彼女の下へと駆け寄った―――
少しファンタジーな予感。でも適当な感じ(*´ω`*)眠い




