二話目
大きい。
俺が済んでいる街、カストリア、森と山におおわれて海なんて見えやしないそんな平野の片隅にできた小さな町。
その郊外に、海を渡らんばかりに巨大な船があった。
木材と金属材を組み合わせてできた丸みを帯びた流線型の船体。
サイドには固い鳥のソレを模した翼が四枚取り付けられ、上部にはプロペラのようなものがいくつも折り重なっていた。
底部には砲台のようなものが取り付けられ、ぎらついた砲塔が虚空をにらんでいた。
そう、浮いていた。
木の高さほどに地上から離れたその海を渡る船は、地面に怒りを突き刺し、僅かに風に揺られながら見上げるばかりに虚空を漂っていた。
風に揺られ何十枚ものプロペラが静かに回り、両脇の翼がカタカタと揺れる。
コォオオオッ
僅かにエンジン音が聞こえてきて、今にも飛びだしそうに巨大な空飛ぶ船が空気を震わせ身じろぎしているのが見える。
どこまでも船先が澄んだ青空を指し、今にも空の海に潜っていきそうな――そこには飛行船があった。
空を泳ぐ、巨大な船があった。
「……」
「アルトッ」
と、感動に目を細めていた俺を呼ぶ声が聞こえ、尖った耳がヒクつく。
漂うのは少し甘ったる匂い。
突き出た鼻先を爪で少し掻き、視線を落とすと、俺は開いた飛行船の底、物資の搬入口から出てくる小さな人影に目を細めた。
真っ赤な髪は結って風に揺れ、はたはたと白と黒のローブは飛行船から噴きあがる蒸気に靡く。
見開く大きな瞳は紅く、輝いていて、幼い顔を綻ばせながら、俺の背丈の半分もいかなさそうな少女が息を切らして俺の下へと駆け寄ってくるのが見えた。
薄い胸元に抱えているのは分厚い本。
息が切れ、フラフラと立ち尽くす俺の下へと歩み寄ると、少女、ミアは毛むくじゃらな俺の顔を覗きこんで、照れくさそうに笑った。
「えへへ……すいません。もう少しで準備が終わりますので……」
「おう―――それは?」
俺はそう言って胸元の本を指さすと、ミアは肩を上下させながらキョトンと眼を見開き、自身の胸元にあるその分厚い本を見下ろした。
――真っ赤になる幼い顔。
こわばった顔から湯気が吹きあがり、ミアは俯いたまま慌てた様子で首を振るままに、首をかしげる俺からその本を腰の後ろに隠した。
「あはははっ……なんでもないですっ、なんでもありませんですっ」
「なんだ。魔術の教本とでも思ったんだが」
「――――はいっ、そうです。そうなんですっ」
「……。まぁ別に構わんが」
僅かにもたげた不信感を抑え、俺は再び、目の前にそびえる巨大な飛行船を見上げる。
すらりとしたフォルム。
廻る無数のプロペラ。
エンジン音が心地よく空気を震わせ、空中を漂いながらゆっくりと錨に引っ張られ空と大地の狭間を上下している。
大きい。
大きくて、夢がある。
こんな大きな船を見たのはいつ振りだろうか――目にその船の輪郭を納めながら、胸が自然と高鳴り、興奮に自然と尻尾が左右に揺れた。
「……よかった」
「――――ん?」
と、ミアがそう呟くのが聞こえ、俺が耳を震わせ振りかえると、ミアはまた照れくさそうに微笑みながら顔を真っ赤にして首を左右に目一杯振った。
「い、いえ……そのアルトは飛行船が好きだって聞いていたから。学校の方で用意してもらって」
「?言ったか?」
「―――き、昨日言いましたよっ」
少し責めるような目で俺を見つめ、ミアはそう告げる。
俺には覚えがない。
ただ彼女がそういうのなら、多分本当なのだろう。
俺は頭が悪いし、考えるのはそれほど得意じゃない。
それに、嘘かどうかは問題ではない。
今はこの場に飛行船が圧倒的なまでに目の前に存在していることが、俺にとっては何よりの魅力だからだ。
「……なぁミア。これにはいつ乗れるんだ?」
「うーんと……もうすぐしたら積荷を運び終えますっ。そしたらエフェクトラ山に出発しましょう」
「むぅ――先に乗ったらダメか?」
ペタンと垂れる耳。
少し頼むようなそぶりを見せると、ミアは顔を真っ赤にしてまた俯いてもじもじと身体をよじりながら、程なくしてコクリと頷いた。
「えと……特別、ですよ?」
「本当か!?」
「――本当に、空が好きなんですね、アルトは」
「見たことのない景色がある、それだけで心が躍る」
「……」
俺は呆けるミアを横目に飛行船を、そしてその先に広がる青く澄んだ空を見上げて、伸ばした手のひらを広げる。
太陽の光が遮られ、青空が俺の手のひらに吸い込まれる。
青い空が俺の瞳を青く染める――
「アルト……綺麗な目をしています」
「俺なんかより空の方がもっと綺麗だ―――相棒、お前とこの空を見てみたいな」
「――た、頼んできますっ」
「俺も行く。俺が言いだしっぺだからな」
そう言って、走り出そうとするミアを俺は引き留めて一緒に飛行船の下まで歩いて行った。
一緒に歩きながら、ミアは終始飛行船を見上げる俺の横顔をちらちらと見上げていた。
熱っぽい視線だ。
息遣いも少し荒く、何より、紅いその目は宝石のように輝いていた。
本当に、嬉しそうだ。
なんだろうか。
見られることはイヤじゃないが、なんだかむずがゆさを感じ、飛行船に目を輝かせつつも、なにやら恥ずかしい思いがして俺は興味深そうに覗きこむミアから少し視線を外した。
「ったく……こんなおっさん見ても仕方ないだろうに」
「子供みたいだもん。……可愛いですっ」
「……ったく」
「ふふっ……」
気恥ずかしそうに頭をかく俺を、ミアは頬を赤らめながらおかしそうにほほ笑む。
柔らかな笑顔。
そんな顔もできるんだなと、俺は彼女の横顔を見下ろしながら、感嘆に小さく肩をすぼめながら、少女の隣に並んで歩いていた。
と、遠く、飛行船の搬入口から人影が数人歩いてくる。
――ワァオ……。
どいつもこいつも立派な軍服を着てやがる。
カストリア周辺を始め多くの土地を支配する、その軍服の主はエトアナ王国。
なんで軍人がこんなところに―――
「――姫様ッ!」
とこちらに気付いたのか、慌てて数人の軍人は、駆けよって俺のそばにいたミアの下に頭を下げる。
ミアはというと、少し気まずそうな、息苦しそうな表情をにじませながら、目の前の軍人を見上げおずおずと後ずさる。
俺はというと、何を言うわけでも首をすぼめる彼女の横顔を見下ろし、眉をひそめていた。
「……姫様?」
「――えと、皆執事なんですっ」
「……執事が王国の軍人、か」
「兼任してるんですっ」
「……」
「嘘じゃありませんっ。本当ですっ」
――俺は頭が悪い。
考えるのは苦手だし、敢えてなにも問わず、小さく肩をすぼめるだけにとどめ、俺は口は閉じて目の前で頭を下げる軍人から目をそむけた。
「……勝手にしろよ」
「あぅ……」
「ったく……」
胸に渦巻くのは、ドロドロとした気分。
どうして―――そんな言葉がドロドロの心の中に浮かんでは沈んでいく。
言葉にならない、そんな気持ち。
へどが出そうだ。
気分はいつまでたっても晴れず、俺は気まずそうに首をすぼめるミアを横目に、頭上を漂う飛行船を見つめ、胸の奥に渦巻く嫌な気分を晴らそうとした。
「……」
「あの……アルト……」
「―――そこの軍人は構わないが、いつになったらこの船は動くんだ?」
「えと、整備が終わればすぐに、です……」
「わかった。それまで遠くで待っている」
「あ……」
止めようとするミアのか細い声に耳を閉じ、俺は再び飛行船の船体が全て見上げられる位置まで戻ることにした。
――なんで、か。
信用ならないんだろうか。
ならなぜ俺を雇う。それも一人で。
なぜ……。
グルグルと不快な感情が頭をよぎり、俺は草原の上に座り、寝そべって巨大な飛行艇を見上げながら、不満に口をとがらせていた
やがて飛行船を見上げながら、睡魔が襲ってくる。
風のささやきは草原の草はをなで、ざわめきは波のさざ波の如く耳を掠めて、心の波を穏やかのものに変えていく。
意識は風に乗り、遠く空へと持ちあがっていく。
スゥと瞼を閉じながら、暗闇の中に空が見える―――
子供のころから、ハーフウルフの父と共に大陸間輸送業の為によく飛行船に乗っていた。
いつも、手すり越しに空を見下ろしていた。
どこまでも広がる雲海。
分厚い雲がとぎれとぎれに水平線の向こうまで広がり、雲間からは並みだった青い海、深緑に染まった大地、海の真ん中にぽつんと佇む小さな孤島、色々なものが見えた。
夜の街の灯火はまるで闇に宝石を散りばめたように眼下に広がり、昼は雲の向こうに、大きな街の景色や人が歩いている様子がいつも飛行船から見えていた。
あの街にはどんな人がいるんだろう。
どんな景色があり、どんな生活があるんだろう。
どんな日常があり、どんな未来と過去があるのだろう。
あそこには何があるのだろう。
アレは何、アレは何。
そうやって雲の向こうの景色を見つめ、景色の中に見える全てを思い浮かべ、俺は手すりの向こう見える見知らぬ世界に手の平を広げていた。
空は青かった。
空はいろんな景色を俺に教えてくれた。
いろんな町並みを、いろんな海の色を、いろんな未来を俺に教えてくれた。
こんな小さな町だけではない、いろんなところに人は住んで、いろんな所に様々な景色があることを教えてくれた。
俺にとって、空は俺を育てた揺り籠であり、世界を描く大きなキャンバスだった。
世界そのものだった。
俺は、父と共にそんな世界を空の上から見つめ、空と共に生きてきた。
ただ、それだけだった―――それなのに……。
「アルト……」
―――声が聞こえる。
悲しげに、俺を優しく包む声。
ヒクリ……
尖った耳が揺れ、ゆっくりと瞼を開けば、まばゆい日差しが俺の目に入り、頭の裏においてた手を、俺は目差しに充てた。
そして光に目を慣らしながら、僅かに視線を動かせば、そこには俺のわきに座り、不安げに覗きこむ小さな人影。
彼女は優しく俺の額を撫でながら、悲しげに視線を俺に向けていた。
その手はとても熱っぽかった。
いつの日か、俺を優しくなだめてくれた父のように、暖かった。
「……アルト、私ね……」
――いい匂いだ。
少し寂しげにつぶやくたびに、うっすらと汗の匂いが華奢な彼女の体から突き出た鼻先をかすめていき、胸の奥にグッとしみついた
胸を締め付けられそうな痛み―――彼女は悲しんでいる。
とても―――
「……ごめん……その」
「―――ったく」
光に目が慣れる。
俺は慣らした目をゆっくりと開くと、目尻をこするままに草原のベッドに横たえていた上体を起こした。
そしてすぐ隣に座る彼女を見下ろし、俺はその目を細める。
不安げに見開く紅い瞳。
ギュッと白と黒のローブにおおわれた胸元を抑えるままに視線を落とし、少女は座ったまま肩を不安げにすぼめて俺の傍に蹲っている。
そしてグッと伸ばした俺の手を前に、首をすぼめ身を丸くする―――
「……ありがとう」
「―――ふぇ……?」
クシャリ……
長い赤髪をすきながら、ミアは惚けた表情で俺を見上げる。
まだ幼い、酒場に入り浸っていた俺には似つかわしくないほどに幼い表情だ。
だが、見つめれば見つめるほどに、その顔は愛おしく思え、俺はぎこちなく口の端を歪めながら、なだめるように彼女の髪を梳き、そっと額を撫でた。
その額は少し汗ばんでいて、少し熱ぽかった。
だけど、その熱は俺にとってはそれほどいやなものではなかった。
優しく、とても心地がいいものだった―――
「……」
「アルト……?」
「―――時間か?ミア」
「う、うん……」
「なら行こう」
「アルト―――笑って、います?」
「――お前のおかげだよ」
「?」
「なんでもない」
そう言いつつ、俺は惚ける彼女を横目に立ち上がり、少し離れた場所に見える巨大な飛行船を見上げた。
そしてその向こうに見える青空に目を細める。
グッと手の平を伸ばし、その向こうに青空を捉える―――
――――親父。
青い空の向こう、心にキャンバスを描き、俺は未来を見つめる。
そしてその未来へと、俺はまた一歩を踏み出していく。ただ見るだけじゃなく、自分の足で大地と空を歩いていく。
かつて父がそうであったように、俺もまた強きハーフウルフとして―――
――――行ってくる。
心が震える。
行こう。
俺は青空に掲げていた腕をおろすと、地面を蹴りあげるままに、少し戸惑いがちに首をかしげるミアを横目に飛行船へと足を運んだ。
今にも飛びだしそうな、空の翼へ―――
「行こうか、ミアッ」
「なんか、楽しそう―――どうしたの?」
「お前のおかげで、懐かしい夢が見れた」
「夢?」
「いつか聞かせてやる。エフェクトラまではそう短くない道のりだからな」
「――――うんっ、聞きたい。私アルトのお話を聞きたいっ」
「だったら少しはお前のことも話してくれよ、相棒」
「あぅ……」
「いつまでも隠してくれるなよ。俺はお前に背中を預けたいんだ」
「――――うんっ、必ず」
「いい子だ―――行こうっ」
「うんっ」
草原を撫でる風が背中を押す。
草穂が舞い上がり頬をかすめ、空へと舞い上がっていく。
目でその緑を追いかけ見上げるままに空は青く、舞い上がる草の穂は風と共に空を駆けあがっていく。
その空は透き通るほどに蒼く、俺は目を細めて、ニィと笑みを浮かべた。
その空の向こうに見える、まだ見ぬ景色に心を躍らせ、そして空に向かって俺は歩いていく。
かつて父がそうであったように、今はこの少女と共に――――
うん、どんどん長くなっていく。あれこれ元短編だよね?うん?なんかやばい長さになる?取り返し付く?
まあいいか(*´ω`*)お付き合いいただけければこれ幸いです




