第参陸話 変装か変化
暗い空に月が輝く。天童の屋敷には一人、客が来ていた。
「お久しぶりです、お嬢」
ショートカットでアルトの声、妙にサバサバしているので男に見えてしまう。
「お疲れ様、どうだった?」
「好印象でしたよ、売り込み先が増えそうです」
「さすがは蛍。帰ってきたのに悪いんだけど私とまた一緒に来てくれる?」
彼女は跳ねて喜んでいる。・・・というか転んだ。
天原 蛍は意外とおっちょこちょいである。
「連絡は来てますよ、支度も調ってます」
そう笑顔で応えるものの、膝小僧からはたらたらと血が流れていた。
彼女は自分で常備している救急セットで治療を始める。
「そういえば、どこへ行くのですか?」
「とある研究室と貧民街と某国議事堂。お前には翻訳・護衛・連絡を任せる」
「承りました。足はどう致しましょう?」
「瑠璃丸?」
そういうと、白い天狼が顔を出した。頭を垂れて、喉を鳴らしている。
「蛍はどうするの?瑠璃丸で一緒に行く?」
瑠璃丸を撫でながら美希は聞いた。
「いえ、長距離は負担になるでしょうから、僕は自分で」
「じゃあ、白兎行ってくるよ」
そういって、美希は白兎を抱きしめた。
「まただね、ごめんね。心配しないで今度は一人じゃないわ」
「ご帰還なさるまでお役目、しかと果たさして頂きます」
「今度はちゃんと言えるね」
頷く白兎を見て微笑む美希は彼女の耳元でそっと呟いた
“いってきます”
“いってらっしゃい”
天狼は舞い上がり、蛍は薄黄色がかった翼を広げる。
その姿は月明かりに照らされてほのかに光っていた。
飛び去った彼女たちを見つめながら空を仰いでいた頃、珠璃は息を切らせながら走ってきた。
「一足、遅かったようですね」
「姫様も意地悪な、今日の仕事を3倍に増やされた・・・」
しょぼくれている珠璃を見て白兎は上品に笑う。
「彼女がやりそうな事ですね。それより他に用件があったのでは?」
「あぁ、白兎コレいるだろう」
小さな長細い箱をひらひらと片手で揺する。
「有り難うございます。これから、よろしく頼みます」
そういうと、白兎は大きな鞄を取り出す。それを見て珠璃は立て膝で礼をした。
「1時間ほどしたらお迎えに上がります。ご支度を整えて下さい」
「ああ、わかった」
その瞬間、白兎から表情が一瞬にして消え、話し方までもが全て彼女ではなくなった。
朝、今日はいつも道理に起床した。いつもと同じように朝食をとり、同じように家を出た。
天童家の門は相変わらず存在感が大きい。しかし、今日からしばらく少女が出てくることはないのだ。どことなく哀しい気分になるのが腹立たしい。
いつものように通りすぎる。
すると、その扉が開く音が後ろから聞こえた。驚きを隠せずに後ろを振り返ると、黒髪に青い瞳。右目を隠した前髪に、小さな背丈。無に近いほど感情の乏しい面立ちは精巧な人形のように整っている。
「・・・・・!?」
「・・・おはよう」
俺は挨拶を返す余裕さえ生まれなかった。
「!!!」
「どうした?そんなにおどろいて」
まるで、いるのが当たり前というように彼女はこっちを見つめ続ける。
「美希!?昨日、出張行ったんじゃなかったのか?」
「なるべく早く帰ってくると私は言わなかったか?」
「・・・だけど、こんなに早いなんて」
「『日常』を味わう暇もなく残念だったな、なんなら今日も遠出してやろうか?」
意地悪くニヤリと笑うその姿は美希そのものだった。
しかし、まじまじと観察すると違和感が襲ってくる。
「・・・・違う、なんかおかしい」
「何がおかしいと言うのだ?いつも道理の私ではないか」
「声も少し違うし、瞳の色が少し違う・・・美希じゃない」
「お前はストーカーか?声が違うのはこの間潰そうとした所為だし、瞳の色なんて確認する事はできないだろ?」
「美希は無意識に至近距離まで来るから、瞳の色は解るんだよ。間違えるはずがない、嘘ついてるだろ?君は誰・・・」
「---嘘はついていない、私は天童美希だ」
そう、真剣に応えた彼女はこちらを睨み、嫌そうな顔をした。
「あぁ、そういうことか“白兎”。今は誰もいないから無理するなよ」
美希であり美希でなく、彼女にそっくりな人がそういえば存在していた。
確かに白兎なら、髪の毛を染めてカラコン付ければ美希の影武者になるだろう。
「無理はしていない。変装は毎回やっていたんだ、転校してきてから今回で3回目なんだが気付かなかっただろう?総真も」
「そうですかい。まあ、大変なお仕事ですねぇ」
3回という言葉に動揺したのを隠すためにわざとそう返した。美希だったら絶対言わない。
「からかうな、主様が帰ってくるまでは今回、総真は休みになるんだ。天組に出勤する必要はない。それと私に関わる必要もないんだ」
「了解しましたよ~。それと、身長どうやって縮めたの?前髪は?」
「それ程、難しくはありません。魔術薬を作れば貴方もできますよ」
魔術薬は能力を短期間持続して発生できる薬で、昔の魔女とか言われる人達が作って生業にしていたと言う記録が残っている。ってか、それよりも・・・
「・・・白兎、口調戻ってる」
口元を隠すような、女子の驚きを見せてくれる白兎が美希とかぶってしょうがない。彼女なら、そんな女子っぽい仕草など俺の前でしない。
「学校では敬語で話していたから平気だと思うけど、天組にいる方が大変だね変装」
「お前ほどの変態はいないから、容易い。万一バレても慌てる職員など一人もいないさ」
「慌てる奴はいないだろうけど、変態ならいるんじゃないか?変人とも言うけど・・・」
「・・・いる・・・」
それは白兎も自覚していたんだな。みんな、直そうとはしないんだろうけど。
「だろうな、類友って奴?まぁ、がんばれよ白兎」
「お前、私を下に見ていないか?私は“美希”でもあるんだぞ?」
挑戦的なジト眼は怒ってる証拠だ。これ以上話していると大目玉食らいそうな気がする。
「別に、テレパシーとか使えないんだろ?美希も怒らねーよ」
そんな捨て台詞で、駆け足で校舎へ向かっていった。
(マジでみんな気付いてねーな。俺って天才かもしれない)
クラスメイトも天組の篠原でさえ、美希が白兎とすり替わっている事に気付かない。
そんななか総真は、自分が見破れた事が少し嬉しくて浮き足立っていた。
しかし、会長や美希から接触のない日(天組休日)と言うのはこんなにも暇だったのかと、総真は考え込んでしまう。
「なんかすることねーかなぁ?」
篠原にそう尋ねたのは、仕事を手伝おうと思ったからだ。
「特にない、かも知れないよ」
「かも知れないって何だよ?あるって事か?」
「あるけどさ、依頼人がちょっとね」
パソコンの画面をのぞくと“彼”の名前が記されていた。