第参弐話 嫉妬またはキス
「女郎蜘蛛。ココってお前の森?」
自分より低い位置から明らかに見下した眼がこちらを見ていた。
「そうねぇ、先々代の天童家当主から奪い取ってからココはあたしの物よ」
後ろからは女郎蜘蛛の声。俺の首筋をなぞるその指に全身の皮膚が粟立つ。
「言い換えなさい、先々々代の当主よ」
彼女はいつもより警戒していた。たかが妖怪に負けるはずない美希が・・・。
「美少女に命令される義理はないわ、あたしの妬んだ記憶は明確だもの」
「私が現天童家当主だということは・・・知らないか、雑魚は」
挑戦的な笑みを浮かべる額には汗がにじんでいる。
「なにか、聞こえた気がするわね。や~ぁね地獄耳って」
「雑魚は雑魚らしく陰に隠れて、耳をそばだてて怯えていればいいのよ」
弱々しい声で言う彼女の目はどこかうつろになり始める。
反対に女郎蜘蛛の瞳孔は開き、声を荒げた。
「綺麗だからっていきがってんじゃないわよ!私が雑魚だって!?はっ、笑わせないでよ、この女郎蜘蛛様がどれだけの大妖怪か知らないなんて、所詮はガキね!」
「知ってるわよ、だけどね、所詮はお前も古株なんだよ。今の時代についていってないわ」
「なに?!」
「だからこういってるのよ、“お前は私を妬むべきだ”とね」
「なんだい、きこえないねぇ。この坊やをたべても良いっていってるのかい?」
ぐいと顎を持ち上げられる。数センチ先の女郎蜘蛛の容姿は美しく誰もが認めるだろう。甘ったるい香りは酔いそうになるほど強く、意識が朦朧としてきた。
「どうしてそうなるの?」
横目で見た美希は青ざめていた。絶望と恐怖があふれている。
「はっ、坊やがそんなに大事なようだね、なぁに一緒に遊んであげるだけの話よ。純粋無垢な男なんて久々ね、楽しそうだわ」
美希は指を噛み続け次第に血があふれ出す。甘ったるい香りをツンとした彼女の血の臭いがかき消し、強制的に正気に戻される。
「あぁ、そんな男どうでも良いわ。お荷物なくらいよ。もっといい男なんて私の周りにあふれるほどいるもの」
くくくっ、と普段しないような笑い声で美希は吐き捨てた。
「あんたみたいな小娘が生意気ねぇ」
そばで女郎蜘蛛の上品な笑い方が耳殻を嬲る。
「ホントのはなし。私的にはお前が何故、私を妬まないのか解らないわ。かつては美人で名をはせた女郎蜘蛛も年老いれば只の老婆。なりふり構わず男に手を付けるなんて、そんな歳になってまで盛んなのね、さすがは古株」
「うっさいわね、こんな男いらないわ!それより、私が老婆だって?生意気にも程があるわ!」
突き飛ばされ、床に顔をこする寸前で瑠璃丸に拾われ美希の横に置かれる。
「なんか怒ってるけど大丈夫なの?美希」
「怒ってるんじゃないわ、妬んでいるのよ」
違いはない気がするけど・・・。美希は傷口から出る血を瑠璃丸の額に付ける。
一瞬、瑠璃丸の印が光った気がするが気のせいだろう。
そんなことを言っている場合ではない。
女郎蜘蛛の方を向くと、背の高いグラマーな女性が紫のドレスに身を包みたたずんでいた。
「あんたが死ねば、忌まわしき天童は滅びるのよね」
「えぇそうよ、私が最後。お前は天童家を妬んでいたんだっけ」
女郎蜘蛛は記憶をたどるように遠くを見つめしみじみと語り出す。
「私から全てを奪い、ココに閉じこめたあいつは天童家の当主だったのさ」
「結局すっぽかされて、一回も相手してもらえなかったくせにね。いやー恋多き女は優男に酔うってかんじかなぁ?」
茶々を入れられて不機嫌になった女郎蜘蛛は、美希を睨む。
すると、周りから火の玉の様な物が無数浮き上がってきた。
「さぁ、我が子や・・・ごちそうだよ」
そのかけ声に会わせて飛んできたのは火の玉の正体。小さい蜘蛛達だ。
美希は動こうとしない。
その度胸にはいつも感心するが、もう少し自分のことを大事にして欲しい。
ここは・・・俺が助けるべきだろう男として。
そう直感したものの現実はそう甘くない。
最近、火に嫌な思い出を作らされた俺は情けなく美希の後ろに隠れる。
しかし、周りは火だるまになるどころか水がドーム状になって俺達を包んでいた。
ブチッという音がするたびに黒い血が散り、水に流されていく。
音が聞こえなくなると、ドームはみるみるうちに無くなって、傷を負った女郎蜘蛛と口の周りを赤く染めた瑠璃丸が対峙している。
「莫迦ね、虫は餌なのよ、常識でしょ?」
そういって、瑠璃丸の頭を撫でると彼(?)は幸せそうに尾を振った。
「今、こんなところで道草食ってる場合じゃないわ、さあ、早く!逃げるわよ!」
優雅に飛び立った瑠璃丸の上に乗った美希はどこからか持ってきた剣で宙を斬る。
すると切り口から別の空が生まれそこへと躊躇無く飛び込んだ。
穏やかな空が広がる。どうやら結界を斬って、高度の高い場所へ飛んだだけらしい。
今、俺が美希を風からかばうように抱いている体制だが、美希は全く気にしていないようだ。
「具合は?気持ち悪くない?」
「いや別に何ともないけど・・・何でそんなこと聞くんだ?」
「私と女郎蜘蛛の毒を同時に浴びて、何ともないなんて人間じゃないわね」
渋い顔をしてそう答える美希。じゃあ、あのツンとした臭いは毒だったのか・・・
「って、俺は味方じゃねーのかよ、ありえねーだろ毒ふっかけてのか!?」
「アレは気付け薬のつもりだったんだけどね・・・あーあ、そんなこと言われるくらいならやらなきゃ良かった。見捨てていれば喉痛めずに済んだのに」
彼女は半分わざとらしく、後半は本気で咳き込んでいた。
「・・・見捨てる選択肢があったのな、お前の中に」
彼女は俺の腕の中で器用に回転し、こちらを向く。至近距離からみてもパーツが何もかも小さく整っていて女郎蜘蛛とはまた違う綺麗さを生み出している。長い睫は伏せがちで、青い瞳でこちらを差すツリ目と少し脱力した表情。たぶんこれは、呆れている顔。
「・・・・・・」
美希は口を開け閉めするだけで、声を出そうとしない。俺は、唇の形だけで言葉を読み取るスキルは持ち合わせていない。それをふまえてわざとそうしているのだろう。
「だったら何で見捨てなかったんだよ」
「・・・・・・」
「何言ってるかわかんねーよ」
「・・・・・・」
いっこうに声を出してくれない。こっちを向いているのに無視されている気分で腹が立つ。
「いい加減、怒るっ・・・!?」
いきなり唇に触れる柔らかな感覚。
熟した果実のような甘い香りが呼吸をより困難にする。
しばらくして離れたと思うと、美希はうつむき急速に紅潮した。
「・・・・黙って」
反芻される艶のある声。
長いと感じたが、実際一瞬だったんだろう。
美希の行動にビックリして声を出すのにかなり時間がかかった。混乱した頭で考えて、そっと訪ねる。
「一つだけ、聞くぞ・・・いきなりどうした?」
「・・・・・・・」
そういうとまた、ジト眼でぱくぱくとその小さな口を開け閉めする。
「本当は声、治ってるんじゃねーのか?」
あまりにわざとらしく思えたので少々攻めてみた。すると、また声もなく返答される。
『・・・だまれ・・・』
そう命令されたような気がした。くるりと前を向いた彼女の耳は赤い。
凍てつく夜の寒さはその目の前の小さな少女の体温を余計暖かく感じさせた。
「見捨てる選択肢があったんだな」
『当たり前だ』
「じゃあ、何で見捨てなかったんだ?」
『お前が女郎蜘蛛に喰われるのが見たくなくて』いや、ただ嫉妬しただけ・・・だと思う。
「何言ってるのかわかんねー」
『わからないくていい』お前のためにもな。
「いい加減怒るぞ」
あぁ、自分は何て馬鹿なんだろう。
こんな物さっさと捨ててしまえば良かったんだ。・・・・・無視してれば良かったんだ。
何で巻き込んでしまったんだろう。巻き込みたくなかったと言ったら嘘になるけど。
お願いだから、そんな顔で見ないでくれ。
わたしは、優しくされる資格がないんだ。
『何でもない!お前が悪い!』そんなふうに話しかけるな。
「なおってるんじゃねーか?」
悪化したのは本当だが、受け答えは出来た。それ位はてきる。
だけど、そんなこと出来るわけない。言葉が見つからないんだ。
“どうすれば貴方は・・・・・・”