第弐陸話 発端は負け戦で
午後2時15分、戦闘開始の合図の機械的な音が耳に入る。
Cランク準決勝、今この戦場に俺はいる。
ここまで来たら、彼女も満足するはずだ。俺はこの勝負は負けるつもりでいる。
今日は風がやや強め、最高の条件だ。風を『起こす』という能力を使わなくて済む。風を『操る』のは、それ程苦ではない。翼を使わずに済むのはありがたい。
能力には大きく分けて二種類ある。
一つは元々有るモノを操ったり、造り出したりすることが出来るもの。
(天兎族が元々持っている“風”の力はこれにあたる)
二つめは元々無いモノを造り出し、操る事が出来るもの。
ほとんど同じなんだが、どちらかというと一つめの方が『能力』に近く、二つめは『魔術』に近い。
しかし、『能力』は『魔術』が『科学』によって蹂躙されたものを総称してそう呼んでいるだけで源は同じだ。
元々の理に従ってるから強力・あり得ないから強力、と力差もほぼ一緒。
だから混同され、魔術を使う人も能力を使う人も皆『能力者』と呼ばれる。
相手は“炎水”魔術側の使い手焔条 晃弥だ。
“炎水”は読んで字の如く、液体化している炎。この炎水に触れるとたちまち着火する。
すぐに、相手は炎水を剣に纏わせる。小さな火柱にも見える液体が剣の周りを螺旋し続けている。たまに聞こえるドロドロという不吉な音。
能力を使うのは体力、精神力がいる、それ程長時間使用は出来ない。
能力者は皆、普通に能力を展開しているように見えるが、実はこのテストでは高度な計算力を要求されている。相手を殺すのではなく倒すということは、抑制しながら制御する必要性があり、能力テストの醍醐味はその計算力と戦闘技術を測定することだ。
だから、戦うのに技術を使うのに体力を制御するのに頭をフルに使うこのテストでは長時間、能力の発動をするのは難しい。
結果、すぐに斬りかかってくる。
--ブォン--
熱風が頬、振り下ろされる剣の風切り音が左耳をかすめる。
「ッチ、避けたか」
俺にとって避けることくらいは容易だ。いつもは美希や会長に馬鹿にされてるが、それはあの二人が強すぎるだけで、野桐中で見たら俺の成績は中の上に収まっている。
そもそも俺は“天理”総真。
天兎族の上に立つ血統がそれぐらい出来なきゃ、示しが付かない。
翼を持ったその時から天兎族は自分たちの力(天兎族であること)を背負う義務がある。
そう易々と負けてられないんだ。
剣に触らないようにしながら相手を風で『撃つ』。相手に一極集中の風を高速で起こし、ただ当てる。風属性の能力を持っている能力者なら誰でも使える技。
だが、上手くあたる位置を考えて撃ち込めばっ!
「・・・カッ・・」
相手から聞こえて来たのは悶絶する声、みぞおちを殴る二倍の力で撃たれたのだ。
1、2歩後退する焔条は、呼吸を整えてニヤリと笑う。
「何だ?それでおしまいか?」
(ん?相手が剣を持っていない!?)
---気付いたときはもう遅かった。
投げられ、地へ落ちようとしている剣にはさっき展開していた炎水がついたまま。
炎水で構成される溶けた水銀のようなモノが剣から散る。
「・・・うッ!」
左肩、右肘、左脇腹、背中多数・・・
背中を中心に熱湯がへばりついたような痛みが走る。
「悲鳴を上げないなんて、偉いじゃないか。大丈夫だよ、痕は残らないはずだから」
余裕を見せながら笑顔で話す焔条。さすがは準々決勝まで勝ち登ってきた生徒。一筋縄ではいかない。
厄介な炎水は背中から離れることなく今でも断続的に痛みを与えてくる。
気が遠くなりそうなのを唇を噛みしめて耐え続ける。
「・・・いっ・・・まだ決まってないぜ、焔条」
何とか立ち上がりながら風で炎水を飛ばす事に成功した。
まだヒリヒリとするものの、ずっとへばりつかれているよりはましだ。地面に落ちた炎水はじゅう、と音を立てて煙を上げる。
その間にも焔条は剣を手に取り、また炎水を纏わせていた。
「その状態で・・・ハハッ、我慢強いんだね天理君。でも、これでおわりだよっ!」
焔条が剣を真っ直ぐ振り下ろす。
炎水の能力は負傷しやすい、白刃取りをやったとしても一歩間違えればかなりのダメージだ。だが、やらなくてはならない。俺は集中力を一気に引き上げた。
斬りかかってくるタイミングと同時に総真はそれを迎え入れるように腕を開く。
刹那、きいぃん、という小さな音が剣の炎を消し、動きは素手が止めていた。
集中している時、総真の内で起きていたをこと本人は知らないだろう。
今までにないくらい高度な計算で放たれた彼の“風”は、総真自信の範疇を超え、“本当の彼の能力”を発動させていた。
その時、『彼』はやってくる。
“それは、まるで猛禽のように鋭い眼光”
彼の内に隠れるもう一人の自分。それは、数々の戦いを経て構成される存在。
総真は自分が呑まれる事にも気付かず、戦いの相手を殲滅しようと試みる。
目の前にあるその面立ちは冷静ながら相手に恐怖を呼んでいた。
「ひいぃぃぃ」
焔条はその場に尻餅を付く、少し後ずさりするその姿を只見下し続ける。
だが、相手も能力者。掌から構成するのは炎水、彼の目の前に突きつける。
すると、彼の目の前で炎水は弾け、人間が大やけどを負うであろう爆発が彼を包む。
ほぼゼロ距離からの攻撃。あたらないはずがない。
確かに攻撃はあたっていたが、爆煙に紛れて出てきたのは無傷の彼だった。
周りに纏っているのは強風、いつしか怒った美希が発生させたものと同じ・・・
ソレを防弾ガラス越しに薄暗い特別個人席で視る少女はわずかに口を緩める。
「想定外だな・・・おめでとう、クロノス」
少女の側にいる銀髪の娘は少女に冷たく吐いた。
「私も、ああいう風に生まれれば良かったですか?」
すると、少女は娘を見て首を傾げる。
「悔やんでいるの?白兎はこんな形で生まれたく無かったのか?」
「いいえ、私は幸せ者です。主様のおかげでこうして自分自身で動くことが出来るのですから・・・只、こうして生まれることが果たして貴方の願いだったかどうか・・・」
「だったらいいじゃない。そもそも私が願わなければ、白兎は生まれて無いでしょ」
ありがとうございます、と銀髪の娘は微笑んだ。
その時、テーブルに置いてある内線が鳴る。それを娘がとると、少女に回した。
ハアハアと息を切らして会長は準決勝の開催場へと走っていた。
やけに長い廊下は闘技場選手入り口に向かっている。
『もしもし』
「姫様ですか?珠璃です」
『どうした?息が弾んでいるぞ?』
「緊急です。今、クロノスの発動が初回のレベルを超えています。このままいくと、自我を失う可能性が有ります。私で極力対処しますが、姫様のお手を煩わせるおそれが・・・」
『わかった、準備しておく。相手生徒の救助を最優先にしろ』
「了解しました」
電話を切ると視界が開け、太陽が眼を差す。
その明るさに慣れると、目の前には恐怖で怯える生徒の姿があった。
今にも首に掴みかかろうとしている、総真の背にはまだ漆黒の翼がない。
背中を火傷しているせいだと思う、不幸中の幸いだな。
観覧席と闘技場のあいだに緊急用の防壁が展開される。さしずめ、姫様が手を回してくれたのだろう。暗くなった闘技場内に、彼の瞳だけが紅く輝いていた。