私の中の私は死んでくれない
ユリアンと離婚してから一ヶ月、気分は沈んだままだ。
「書類仕事ペースはいいんですけど、その顔じゃ政務院で演説できないでしょ」
ラスアジィンニコも指摘したように、多分今の私は酷い顔をしている。それも相当。
「私の存在が彼女の夢を阻んで、今度は私の存在が彼女の経歴に一生癒えない傷を加えた」
「いや今回に関してはあんた悪くないでしょ。務めを全うしなかったユリアンという女性に非があるように私は感じますよ」
彼は私の慰めている訳ではない。ただ彼は彼の主観で今回の件を解釈して語ってるだけだ。
「それは違うでしょ、ユリアンはただの女の子なんだよ、私と同じくらいの、15歳の女の子なんだ」
「でも彼女が貴族の娘であった事は変わらない。だから彼女がいたいけない少女であったとしても、義務を果たさなかった時点で糾弾されるべきでは?」
「貴方のように真面目に生きれる事が普通だと思わないで欲しい。私だって今すぐにこんなの投げ出したいんだよ」
そう言い切ってしまった時、彼は私を見下ろしていた。だけど彼の目はどこか優しいもので安心感すら覚えられた。
「だから私はそんな貴方に褒美を用意したのです。そろそろ到着するでしょうから後はごゆっくりと」
何を言ってるのかわからなかった。でも彼はそう言い残して去っていたのでどういう意味なんて聞く事ができなかった。
しばらくしてある身長の高い男性がこの部屋に入ってきた。その男性はとても筋肉質で顔も良く、そしてあの特徴的な金兜を被っていた。
「……は?」
意味がわからなかった。だって私の目の前にいるのはあの戦車競争の名選手、金兜のマクリヌスだ。何でここに?いや、ラスアジィンニコフはさっき褒美って言っていた。これが褒美なのか?だとしたら私は喜べないよ。
「貴方が私の新しい主人であると、そう命じられましたので」
主人。確かマクリヌスは有名奴隷ブリーダーの奴隷だったような。顔がいいから宣伝として戦車競争に出してる、みたいな事は聞いた事がある。つまりこの人は私の所に売られた訳か、ラスアジィンニコフが買い取って。
「私、奴隷なんて……」
転生前の世界というか、今でもそうだ。私の感覚として奴隷というのは非人道的であると、不道徳だと感じる。でも今までの私の、ひいてはノストルム中の人々の生活が大農園で働く奴隷によって支えられている事は変わらない。だから私は奴隷制度に対する代替案を確立できるまで奴隷に対して悪だとか善だとか言わないようにしてきた。でも、それでも、私が奴隷を持つっていうのは違うでしょ。
だからこの人にはノストルム市民権を与えて解放するべきなんだけれど、この人を今すぐ解放して市民生活ができるのだろうか。
「貴方は何ができるのさ、マクリヌスさん」
「戦車競争くらいでしょうか、あとは男娼として奥方や旦那様にお使えした経験があるので、そちらの方も」
「四則演算はできる?」
「いえ、全く」
奴隷法でも元主人が解放奴隷の面倒を見る事が義務付けられている様に、無責任な奴隷の解放は本当に唾棄されるべき行為なのである。だから私もそうしなくてはならないんだけれど、執務の間に勉強を教える事は叶わない。誰か暇そうな人を雇って勉強を教えようか。
「じゃあ、教えないと……」
私がそう言った時、彼は私の前に立ち、その大きな身体で座っている私を見下ろした。大きすぎる筋肉といい焼けた褐色の肌にオオカミのような目に、何だか違う生き物みたいだ。
「俺はやりたくありませんよ、勉強。だって汗水垂らして働くよりも皇帝の奴隷の方が楽そうだし稼げそうではありませんか」
それは事実だ。だって先先先代の皇帝は愛妾として奴隷を取っていた訳だけど、その奴隷はその辺の神星官とか政務官よりも給料を貰っていたらしい。でも何でその人が奴隷を取ったかと言うと、普通の人間にはやってはいけないようなアブノーマルな癖をもっいたからであり、その奴隷が一概に幸せだったとは言えない。この人はそれを分かって言っているんだろうか。
「もし私が貴方の人間性とか、尊厳というものを徹底的に損なう人だとしたらどうするつもりなの」
「そんなものは全て金に変えましたよ。それにあんたがそうやって言うって事はあんたがそんな人じゃないって事でしょ」
私は立ち上がり、彼の前に立った。立ち上がっても目線の高さは殆ど変わらない。だって彼の身長は私の感覚だとラスアジィンニコフの1.2倍くらいあるんだ。その証拠に私の頭のてっぺんは彼の胸の下にある。
「貴方は私の何も知らないでしょ。そう言い切れる根拠なんてどこにあるのさ」
「俺の友人がすげぇ女みたいな顔した奴でしてね、そいつの妹は病気で金が必要だった。だからあいつは自分を売りに出しましてね。ちょうどその時は自分の奴隷としての価値が跳ね上がった日でしたから」
女みたいな顔、自分の奴隷としての価値。あぁ、あの日か。イグニオン神星会議の結果美少年奴隷の価値が高騰した日だ。私のせいで美少年奴隷が増えてしまったあの日か。
「そいつは確か政府に買い取られた後に金貨持たせられて解放されたんだとか。妹を病院に入れてやれたって言ってました。で、それをやったのはあんたなんでしょ。なら俺があんたを知らないってのは違うってなりませんか?」
「パブリックとプライベートの人格は違うでしょ。私の外面がどんなによくたって、プライベートの所で貴方に途轍も無い事をしてしまうかもしようって考えてるかもしれないじゃん」
「私は変態皇帝ですっていいたいんですか?」
「そうかもしれないって……」
続きを言おうとした時、彼は私の話を遮ってこう言った。
「違うでしょ。あんた同じ顔してる。前の前の主人と同じ顔してる。あんた寂しいんじゃないのか?」
寂しい?私が寂しい?そりゃ、そうでしょうよ。だって離婚したんだし。寂しいに決まってる。でもそれが奴隷を買っていい理由にはならないでしょ、だって奴隷に対して不道徳だって思ってるじゃん。筋が通らないよ。
「俺は男娼です。奥方の、あるいは旦那様の心の埋め方は熟知している。そんなに寂しいなら俺を使ってください。そしたら俺を解放しようなんて思えなくなるでしょ」
「セラピスト仕草で知った気になってるんじゃないよ、私は貴方に慰められても……」
彼は巨大な筋肉で私を抱き締めた。ガッチリと壁のような肉、自分よりも暖かい体温。自分よりも大きな物に守られているという感覚。怖い筈なのになんか怖くない。むしろ何と言うか、安心する。
「これは賭けですがね、これであんたは俺を解放奴隷にしたいなんて思わないようになってくれたらいいんですけど」
あれ、私、泣いてる?何で泣いてるんだ。ユリアンの胸じゃ泣けなかったのに、何であったばかりのこの男の胸で泣いてるんだよ。
「ずるいよ、何でユリアンも貴方も、私が消したいものを消させてくれないんだ」
嫌だな、ずっとこんなんじゃ、私は一生楽にはなれない。




