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鏡の中の儀式

作者: 闇男

## 第一章 完璧な家庭


三田村家の朝は、いつも午前六時きっかりに始まる。母親の恵美子が一番最初に起床し、家族全員分の朝食を用意する。父親の正治は六時半に起床し、新聞を読みながら朝食を摂る。長女の由香里は中学二年生で、六時四十五分に起床。次女の真理は小学五年生で、七時に起床する。


この時間割は、恵美子が家族のために綿密に計算して作り上げたものだった。一分たりとも狂うことは許されない。もし誰かが遅れようものなら、恵美子の顔は瞬時にこわばり、冷たい視線が問題の人物を射抜く。


「お母さん、今日は友達と一緒に帰りたいんだけど」


ある朝、由香里がそう切り出した時、恵美子の手が一瞬止まった。卵焼きを焼いていたフライパンの中で、じゅうっという音が響く。


「だめよ。あなたには今日もピアノのレッスンがあるでしょう」


恵美子の声は静かだったが、そこには有無を言わせぬ威圧感があった。由香里は黙って頷くしかなかった。


正治は新聞から目を上げることなく、この光景を見ていた。彼にとって妻の支配的な態度は、もはや日常の一部だった。むしろ、家庭が秩序正しく運営されていることに満足感さえ覚えていた。


真理は姉のやり取りを見ながら、自分の胸の奥で何かがざわつくのを感じていた。しかし、その感情に名前をつけることはできなかった。まだ十歳の彼女には、家庭内の微妙な力関係を理解するには幼すぎた。


三田村家は外から見ると、理想的な家庭だった。父親は大手商社に勤める管理職で、母親は元教師という知的な専業主婦。二人の娘は成績優秀で、習い事も欠かすことがない。近所の人々からは「完璧な家庭」と称賛されていた。


しかし、この完璧さの裏には、誰も知らない秘密の儀式が隠されていた。


## 第二章 鏡の部屋


三田村家の二階には、誰も使わない小さな部屋がある。恵美子はそれを「お母さんの特別な部屋」と呼んでいた。部屋の扉には鍵がかけられており、恵美子以外は誰も入ることを許されない。


その部屋の中央には、大きな姿見の鏡が置かれている。周囲の壁にも、大小さまざまな鏡が隙間なく配置されている。部屋に入ると、無数の自分の姿が映し出される仕組みになっていた。


恵美子は毎晩、家族が寝静まった後にこの部屋に入る。そして一時間ほど、鏡の前で何かをしていた。家族の誰もが、その時間に何が行われているのかを知らなかった。


ある夜、真理は喉が渇いて目を覚ました。台所へ水を飲みに行こうと廊下に出ると、二階から微かな声が聞こえてくる。母親の声だった。


「真理はもっと素直にならなければいけない。由香里は母親の言うことをちゃんと聞く良い子になりなさい」


真理は階段を静かに上がり、鏡の部屋の扉に耳を寄せた。


「正治、あなたは私をもっと愛するべきよ。私がこの家をどれだけ完璧に管理しているか、もっと感謝しなさい」


恵美子は鏡に向かって、家族一人一人に対する要求を口にしていた。まるで鏡の中の誰かと対話しているかのように。


真理は息を殺して聞いていたが、やがて足音が扉に近づいてくるのに気づいた。慌てて自分の部屋に戻り、布団をかぶって寝たふりをする。


しばらくして、恵美子が真理の部屋を覗きに来た。ドアがそっと開かれ、真理の寝顔をじっと見つめている気配がした。真理は必死に寝息を立てていたが、心臓は激しく鼓動していた。


翌朝、何事もなかったかのように朝食の時間がやってきた。しかし真理には、母親の笑顔がいつもより不自然に見えた。


## 第三章 完璧な娘


由香里は母親の期待に応えることに疲れ切っていた。学校では常にトップクラスの成績を維持し、ピアノのコンクールでも入賞を重ねている。しかし、それでも母親の要求は止むことがなかった。


「由香里、昨日のピアノの発表で、田中さんの娘さんの方が上手だったって聞いたけど、本当なの?」


恵美子の質問に、由香里は身を縮めた。


「お母さん、私は十分頑張ってると思うけど...」


「十分?十分じゃだめなのよ。あなたは三田村家の長女なんだから、常に一番でなければならないの」


恵美子の声は穏やかだったが、その奥に潜む冷たさを由香里は敏感に感じ取っていた。


由香里は自分の部屋に戻ると、机の引き出しから小さなカッターナイフを取り出した。左腕の見えない場所に、細く浅い傷をつける。痛みを感じることで、心の奥の重苦しさが少しだけ軽くなるような気がした。


この自傷行為は、半年前から始まっていた。最初はストレス解消のつもりだったが、今では母親からのプレッシャーを感じるたびに行う習慣になっていた。


真理は姉の変化に気づいていた。由香里が以前より無口になり、笑顔を見せることが少なくなった。しかし、家族の中でそのことを話題にする者はいなかった。


父親の正治は、娘たちの変化に気づいていないわけではなかった。しかし、家庭内の問題に深く関わることを避けていた。仕事に集中することで、家庭の複雑さから目を逸らそうとしていた。


恵美子は娘たちの変化を、成長の過程として捉えていた。むしろ、自分の教育方針が正しいことの証明だと考えていた。


「思春期の子供は難しいものよ。でも、きちんとした指導があれば必ず良い方向に向かうの」


近所の母親たちとの会話で、恵美子はそう語っていた。


## 第四章 儀式の真実


ある夜、由香里は頭痛で目を覚ました。薬を飲もうと母親の寝室に向かう途中、再び鏡の部屋から声が聞こえてくるのに気づいた。


今度は真理だけでなく、由香里も扉の外で耳を澄ませた。


「私は完璧な母親です。私は完璧な妻です。私は誰よりも美しく、誰よりも賢い」


恵美子は鏡に向かって、自分を賞賛する言葉を繰り返していた。


「由香里は私の作品です。真理も私の作品です。正治も私の作品です。この家は私の王国です」


その声には、異常なまでの陶酔感が込められていた。


姉妹は息を呑んだ。母親の本当の姿を目の当たりにして、これまで感じていた違和感の正体が明らかになった。


「私に逆らう者は許しません。私の完璧な世界を壊そうとする者は、排除されなければなりません」


恵美子の声は次第に激しさを増していく。


「真理はもっと従順になるべきです。由香里はもっと完璧になるべきです。正治はもっと私を崇拝するべきです」


由香里と真理は顔を見合わせた。母親の狂気じみた独白に、二人とも震えていた。


突然、部屋の中で何かが割れる音がした。恵美子が鏡を叩いたようだった。


「なぜ思い通りにならないの!なぜ私の完璧な家族を作れないの!」


恵美子の叫び声が響く。姉妹は慌てて自分たちの部屋に戻ったが、もう眠ることはできなかった。


翌朝、鏡の部屋の扉には新しい鍵が取り付けられていた。恵美子はいつもと変わらない笑顔で朝食を用意していたが、その目の奥には昨夜の狂気が潜んでいるのを、由香里と真理は感じ取っていた。


## 第五章 支配の構造


恵美子による家族の支配は、巧妙で徹底的だった。彼女は直接的な暴力を振るうことはなかったが、心理的な圧迫によって家族を思い通りに操っていた。


朝食の席で、恵美子は何気ない会話の中に支配的なメッセージを織り込む。


「真理、昨日の算数のテスト、何点だった?」


「85点でした」


真理の答えに、恵美子の表情がわずかに曇る。


「85点?由香里が同じ年の時は、いつも100点だったけどね」


この一言で、真理は自分が期待に応えられていないことを痛感させられる。


「でも、お母さん、85点でも良い方だと思うけど...」


正治が妻をフォローしようとすると、恵美子は冷たい視線を向けた。


「あなたは甘すぎるのよ。それだから子供たちが向上心を持たないの」


この発言で、正治は黙り込んでしまう。家庭内で恵美子に逆らうことの無意味さを、彼は長年の経験で学んでいた。


恵美子の支配手法は、常に「家族のため」という大義名分を伴っていた。


「私がこれだけ厳しくしているのは、あなたたちを愛しているからよ」


この言葉を聞くたびに、家族は罪悪感を抱くように仕向けられていた。


由香里は最近、学校のカウンセラーと話をする機会があった。しかし、家庭の問題について相談しようとすると、なぜか言葉が出てこなかった。


「うちは普通の家庭です。お母さんは厳しいけど、それは愛情だから」


そう答える自分に、由香里は違和感を覚えていた。


真理も同様で、友達から家族の話を聞かれると、いつも無難な答えを返していた。


「お母さんは完璧な人なの。お料理も上手だし、家もいつもきれいにしてくれるし」


しかし心の奥では、何かが間違っているという感覚が日に日に強くなっていた。


## 第六章 亀裂


ある日、由香里が学校から帰ると、真理が泣いているのを見つけた。


「どうしたの?」


「お母さんに怒られた。友達と遊ぶ約束をしたって言ったら、『そんな時間があるなら勉強しなさい』って」


真理の涙を見て、由香里は自分の中に怒りが湧き上がるのを感じた。


「真理、お母さんがおかしいって思ったことある?」


由香里の質問に、真理は驚いた顔をした。


「お姉ちゃん、そんなこと言っちゃだめだよ」


「でも、本当にそう思わない?他の家のお母さんとは違うよ」


由香里は思い切って、これまで心に秘めていた疑問を口にした。


「夜中に二階で何かしてるのも変だし、いつも私たちを監視してるみたいだし」


真理は姉の言葉に、自分だけが感じていたわけではないことを知って安堵した。


「私も変だと思ってた。でも、お母さんに逆らったら怖いから言えなかった」


姉妹は初めて、母親への違和感を共有した。


その夜、二人は真理の部屋でひそかに話し合った。


「お母さんの部屋で聞いた話、覚えてる?」


由香里が鏡の部屋での出来事を持ち出すと、真理は身震いした。


「忘れられない。あの時のお母さん、別人みたいだった」


「私たちを『作品』って言ってたよね。人間だと思ってないみたい」


由香里の言葉に、真理は恐怖を感じた。


「どうしたらいいの?お父さんに相談する?」


「お父さんはお母さんの味方だよ。何を言っても無駄だと思う」


姉妹は絶望的な気持ちになった。


しかし、この会話をきっかけに、二人の間には新しい絆が生まれていた。


## 第七章 父親の沈黙


正治は妻の異常さに気づいていないわけではなかった。しかし、それを認めることは、自分の人生の選択を否定することにつながると感じていた。


結婚当初、恵美子の完璧主義は彼にとって魅力的だった。家事も育児も手際よくこなし、常に美しく知的でいる妻を、正治は誇りに思っていた。


しかし年月が経つにつれ、その完璧主義が病的なものであることが明らかになってきた。


恵美子は正治の行動も細かく管理しようとした。帰宅時間、休日の過ごし方、友人との付き合い、すべてに口を出してくる。


「あなたの同僚の田中さんって、奥さんの管理ができてないみたいね。家計も奥さんに任せっきりなんでしょう?」


恵美子のこの種の発言は、正治に他の家庭との比較を強要し、自分の家庭が「正常」であることを確認させようとするものだった。


正治は次第に、家庭での議論を避けるようになった。妻に逆らうことの無益さを学習し、表面的な平和を保つことを選んだ。


娘たちの変化についても、正治は見て見ぬふりをしていた。


由香里の成績が下がった時、恵美子が娘を厳しく叱責するのを見ても、彼は何も言わなかった。


真理が友達の家に遊びに行くことを禁止された時も、正治は沈黙を保った。


ある夜、正治は書斎で一人になった時、自分の人生について考えていた。


いつから自分は家庭内で発言権を失ったのだろうか。いつから妻の顔色を伺って生活するようになったのだろうか。


しかし、その答えを見つけることは、正治にとってあまりにも苦痛だった。


翌朝、いつものように恵美子が用意した朝食を食べながら、正治は新聞に視線を落とした。家族との会話を避けることで、現実と向き合うことを先延ばしにしていた。


## 第八章 儀式の進化


恵美子の夜の儀式は、日を追うごとに複雑になっていった。


鏡の部屋には新たな道具が持ち込まれていた。家族の写真、彼らの私物、そして小さな人形たち。


恵美子は人形に家族の名前をつけ、思い通りに動かして遊んでいた。


「由香里人形、もっと笑顔になりなさい。真理人形、お母さんの言うことを聞きなさい」


人形を使った儀式は、恵美子にとって現実の家族を操る練習の場となっていた。


ある夜、恵美子は鏡に向かって新しい宣言をした。


「今度の日曜日に、特別な家族会議を開きます。そこで新しいルールを発表します」


鏡の中の自分に向かって話しかける恵美子の姿は、もはや正常な精神状態とは言えなかった。


翌日の朝食時、恵美子は予告通り家族会議の開催を告知した。


「今度の日曜日、午後二時からリビングで家族会議を行います。全員参加です」


恵美子の表情は穏やかだったが、その目には有無を言わせぬ強さがあった。


「何について話し合うの?」


正治が尋ねると、恵美子は微笑んだ。


「この家をもっと良くするためのルールについてよ。みんなで決めましょう」


しかし、その「みんなで決める」という言葉の真意を、家族は理解していた。


由香里と真理は不安な視線を交わした。母親の新しい企てが、家族にどんな変化をもたらすのか、二人には予想がついていた。


## 第九章 家族会議


日曜日の午後二時、三田村家のリビングには家族四人が集まった。


恵美子は事前に用意した資料を取り出した。そこには「三田村家家族憲章」と書かれている。


「皆さん、今日はこの家の新しいルールについて話し合いましょう」


恵美子の声は教師のように権威的だった。


「まず第一条。家族は常に互いを支え合い、お母さんの指導に従うこと」


恵美子が読み上げる条文は、一見すると普通の家庭のルールのように聞こえた。


「第二条。家族の秘密は外部に漏らしてはいけない。私たちの特別な絆を守るため」


この条文に、由香里は身震いした。


「第三条。個人の時間よりも家族の時間を優先すること。友達との約束よりも家族との約束が大切」


真理は自分の自由がさらに制限されることを理解した。


「第四条。成績や習い事において、常に最高の結果を目指すこと」


「第五条。家族会議は月に一度開催し、お互いの改善点を話し合うこと」


恵美子が読み終えると、リビングに重い沈黙が流れた。


「質問はありますか?」


恵美子の問いかけに、誰も答えなかった。


「それでは、みんなでこの憲章に署名しましょう」


恵美子は署名用の紙を取り出した。


正治は躊躇していたが、妻の視線を感じて仕方なくペンを取った。


由香里と真理も、従うしかなかった。


署名が終わると、恵美子は満足そうに微笑んだ。


「これで私たちは本当の家族になりました」


その言葉の裏にある恐ろしい意味を、家族は感じ取っていた。


## 第十章 監視の日々


家族憲章が制定されてから、三田村家の雰囲気は一変した。


恵美子による監視はより厳格になり、家族の行動すべてがチェックされるようになった。


由香里が友達と電話で話していると、恵美子が側に来て会話の内容を聞こうとする。


「誰と話してるの?何について話してるの?」


恵美子の質問に、由香里は嘘をつくようになった。


「学校の宿題について相談してただけ」


しかし、恵美子は簡単には騙されなかった。


「本当に?あなたの表情を見ていると、何か隠しているように見えるけど」


この種の詰問は日常的に行われるようになった。


真理も同様で、学校から帰ると必ず恵美子による「報告会」が待っていた。


「今日は誰と話した?どんな話をした?先生から何か言われた?」


質問は執拗で、真理は疲れ切ってしまった。


正治への監視も強化された。


「今日は何時に帰ってくるの?どこで昼食を取るの?誰と会うの?」


朝の出勤前に、恵美子は夫の一日の予定を詳細に確認するようになった。


正治が予定と違う行動を取ると、その理由を詳しく説明させられた。


家族全員が、常に恵美子の視線を感じながら生活するようになった。


自分たちが監視されていることを知った家族は、次第に恵美子の前では演技をするようになった。


しかし、この演技は家族の精神的な負担を大きくしていた。


## 第十一章 真理の反抗


ある日、真理は学校で友達の誕生日パーティーに誘われた。


どうしても参加したかった真理は、恵美子に許可を求めた。


「お母さん、今度の土曜日、友達の誕生日パーティーに行きたいんだけど」


恵美子の表情は瞬時に険しくなった。


「だめよ。土曜日は家族の時間でしょう」


「でも、すごく仲の良い友達だから」


真理が食い下がると、恵美子の声が冷たくなった。


「家族憲章を忘れたの?友達との約束よりも家族との約束が大切だって決めたでしょう」


その時、真理の中で何かが弾けた。


「おかしいよ!他の家のお母さんはそんなこと言わない!」


真理の叫び声に、リビングの空気が凍りついた。


恵美子の顔は真っ青になり、目には怒りの炎が宿った。


「真理、お母さんに向かってなんという口の利き方をするの」


恵美子の声は低く、脅迫的だった。


「でも本当だもん!お母さんは僕たちを人間だと思ってない!」


真理は泣きながら二階に駆け上がった。


恵美子は真理を追いかけ、部屋の扉を激しくノックした。


「真理、出てきなさい!今すぐお母さんに謝りなさい!」


しかし真理は扉を開けなかった。


その夜、恵美子は鏡の部屋でいつもより長い時間を過ごした。


「真理は反抗期なのね。でも大丈夫、必ず私の言うことを聞くようになる」


鏡に向かって呟く恵美子の声には、恐ろしい確信が込められていた。


## 第十二章 姉妹の結束


真理の反抗を機に、由香里の中でも変化が起こり始めた。


妹が母親に立ち向かう勇気を見せたことで、由香里も自分の感情と向き合うようになった。


「真理、大丈夫?」


その夜、由香里は妹の部屋を訪れた。


「お姉ちゃん、私間違ってるかな?」


真理は不安そうに尋ねた。


「間違ってないよ。お母さんの方がおかしいんだ」


由香里ははっきりと答えた。


「でも、お母さんに逆らったら怖いことになるかも」


真理の恐怖は現実的だった。


「二人で力を合わせれば大丈夫だよ」


由香里は妹の手を握った。


姉妹は初めて、母親に対抗することを真剣に話し合った。


「お父さんはどうかな?味方になってくれるかな?」


真理の質問に、由香里は首を振った。


「お父さんはお母さんが怖いんだと思う。私たちと同じで」


姉妹は父親も母親の支配下にあることを理解していた。


「じゃあ、私たちだけでなんとかしなきゃいけないのね」


真理の言葉に、由香里は覚悟を決めた。


「学校の先生に相談してみようか?」


由香里の提案に、真理は希望を感じた。


「でも、家族のことを外で話すのは憲章違反だよ」


真理の指摘に、由香里は苦笑した。


「あんな憲章、おかしいって分かったでしょう?」


姉妹は、母親の作ったルールに従う必要がないことを確認し合った。


## 第十三章 外部への相談


翌週、由香里は学校のカウンセラーである山田先生を訪ねた。


「先生、家族のことで相談があります」


由香里は緊張しながら切り出した。


「どんなことですか?」


山田先生は優しく微笑んだ。


「お母さんが、ちょっと普通じゃない感じで」


由香里は言葉を選びながら話し始めた。


家族憲章のこと、夜の儀式のこと、監視のこと。由香里は思い切ってすべてを話した。


山田先生は真剣に聞いていたが、時折困惑したような表情を見せた。


「それは確かに心配ですね。お父さんはどう思っているんですか?」


「お父さんは何も言いません。お母さんに逆らえないみたいです」


由香里の答えに、山田先生は考え込んだ。


「由香里さん、これは専門的なケアが必要かもしれません」


山田先生の言葉に、由香里は希望を感じた。


「でも、まずは家族全体で話し合いが必要でしょう」


山田先生の提案に、由香里は不安を覚えた。


「お母さんは絶対に認めません。むしろ怒ると思います」


由香里の心配は的中していた。


「そうですね。では、もう少し様子を見てからにしましょう」


山田先生は慎重な対応を選んだ。


由香里は相談したことで少し安心したが、根本的な解決にはならないことも理解していた。


帰宅すると、恵美子がいつもより鋭い視線を向けてきた。


「今日は遅かったのね。何かあったの?」


恵美子の質問に、由香里は心臓が早鐘を打った。


「図書館で勉強してました」


嘘をつくことに慣れてしまった自分に、由香里は悲しさを感じた。


## 第十四章 恵美子の過去


恵美子の異常な支配欲は、彼女自身の幼少期に根ざしていた。


恵美子の母親は、娘に完璧を求める厳格な女性だった。


「恵美子、あなたは特別な子なのよ。だから普通の子以上に頑張らなければいけないの」


母親のこの言葉が、恵美子の人生を決定づけた。


恵美子は常に母親の期待に応えようと努力し、実際に優秀な成績を収めていた。


しかし、どれだけ頑張っても母親からの愛情を感じることはできなかった。


母親の愛情は常に条件付きで、成果を出した時にだけ与えられるものだった。


成人してからも、恵美子は完璧であることでしか自分の価値を感じられなくなっていた。


結婚当初、正治は恵美子の完璧主義を魅力的だと感じていた。


しかし、恵美子にとって夫や子供たちは、自分の完璧さを証明するための道具でしかなかった。


鏡の部屋での儀式は、恵美子が自分の支配力を確認するための行為だった。


鏡の中の自分に向かって語りかけることで、現実の家族も自分の思い通りになるという幻想を抱いていた。


恵美子は自分の行動が異常であることを認識していなかった。


むしろ、家族のために最善を尽くしている愛情深い母親だと信じていた。


この自己欺瞞が、恵美子の支配をより巧妙で執拗なものにしていた。


恵美子にとって、家族が自分に従わないことは、自分の存在価値を否定されることと同じだった。


だからこそ、真理の反抗は恵美子にとって許しがたい裏切りと映ったのである。


## 第十五章 エスカレート


真理の反抗以来、恵美子の支配はさらに厳しくなった。


家族の外出は完全に管理され、友人関係も制限されるようになった。


「由香里、今度の土曜日のピアノの発表会、お母さんも一緒に行くわ」


恵美子の申し出に、由香里は困惑した。


「お母さん、いつもは一人で行ってるけど」


「今回は特別よ。あなたの演奏をしっかり見ていたいの」


恵美子の本当の目的は、娘の監視だった。


真理の行動も、以前にも増して厳しくチェックされるようになった。


「今日は学校で誰と話した?どんな話をした?」


恵美子の質問は執拗で、真理は答えに詰まることが多くなった。


「覚えてません」


真理がそう答えると、恵美子の表情が険しくなった。


「覚えてないはずがないでしょう。正直に答えなさい」


恵美子の追及に、真理は泣き出してしまった。


この光景を見ていた正治も、さすがに気になり始めた。


「恵美子、少し厳しすぎるんじゃないか?」


正治が妻に意見すると、恵美子は夫を睨みつけた。


「あなたは甘すぎるのよ。子供の教育に口を出さないで」


恵美子の反応に、正治は再び沈黙してしまった。


夜になると、恵美子は鏡の部屋でより激しい独白を繰り返すようになった。


「なぜ思い通りにならないの!なぜ私の愛が伝わらないの!」


鏡を叩く音が、深夜の静寂を破った。


## 第十六章 計画


由香里と真理は、この状況を変えるための計画を練り始めた。


「お母さんの夜の儀式を録音できないかな?」


由香里の提案に、真理は目を輝かせた。


「それを先生に聞いてもらえば、お母さんがおかしいって分かってもらえるかも」


姉妹は携帯電話の録音機能を使うことにした。


しかし、鏡の部屋は厳重に鍵がかけられており、近づくことも困難だった。


「扉の外からでも録音できるかな?」


真理の疑問に、由香里は首を振った。


「部屋が二重扉になってるから、外からだと音が聞こえにくいよ」


姉妹は別の方法を考える必要があった。


「お母さんが部屋に入る前に、中に隠れるのはどう?」


真理の提案は危険だったが、他に方法がなかった。


「でも、見つかったらどうなるか分からないよ」


由香里の心配は現実的だった。


「でも、このままじゃ私たちはずっとお母さんの奴隷のままだよ」


真理の言葉に、由香里は決意を固めた。


「分かった。今度の金曜日にやってみよう」


姉妹は恐怖を抱きながらも、行動を起こすことを決めた。


この計画は危険だったが、彼女たちにとって唯一の希望でもあった。


## 第十七章 潜入


金曜日の夜、由香里と真理は計画を実行に移した。


恵美子が一階で後片付けをしている間に、二人は二階に上がった。


鏡の部屋の扉は、いつものように鍵がかけられていた。


しかし、由香里は窓の外に設置された非常用の梯子から、部屋の窓にアクセスできることを思い出した。


「真理、下で見張りをしてて。お母さんが上がってきたら合図して」


由香里は妹に指示を出した。


慎重に梯子を登り、窓から部屋に侵入した由香里は、その光景に息を呑んだ。


部屋中に配置された鏡は、由香里の姿を無数に映し出していた。


中央の机には、家族の写真と小さな人形が並べられている。


人形には「パパ」「由香里」「真理」という名札がついていた。


由香里は急いで携帯電話を取り出し、録音の準備をした。


階下から恵美子の足音が聞こえてくる。


真理が約束の合図をすると、由香里は慌ててクローゼットに隠れた。


扉が開かれ、恵美子が部屋に入ってきた。


「今夜も私の王国で会議を開きましょう」


恵美子は鏡に向かって話し始めた。


「真理の反抗は許せません。もっと厳しくしつけが必要です」


恵美子の声には冷たい怒りが込められていた。


「由香里も最近、態度がおかしいです。何か隠しているに違いありません」


由香里は身震いした。


「正治ももっと私を支援するべきです。私の教育方針に口出しするなんて許せません」


恵美子は人形を手に取り、思い通りに動かし始めた。


「みんな私の言うことを聞くのです。私がこの家の女王なのです」


その光景は異常で、由香里は恐怖で震えていた。


録音は成功したが、由香里は部屋から出るタイミングを見つけられずにいた。


## 第十八章 発覚


恵美子の儀式は一時間以上続いた。


由香里はクローゼットの中で、息を殺して待っていた。


やがて恵美子が部屋を出て行く気配がしたが、扉の音が聞こえない。


不審に思った由香里がそっと覗くと、恵美子がクローゼットの前に立っていた。


「出てきなさい、由香里」


恵美子の声は氷のように冷たかった。


観念した由香里は、震えながらクローゼットから出てきた。


「何をしていたの?」


恵美子の質問に、由香里は答えることができなかった。


「私の神聖な部屋に勝手に入って、何を企んでいたの?」


恵美子は娘の携帯電話に気づいた。


「その携帯、見せなさい」


恵美子が手を伸ばそうとした時、由香里は携帯を胸に抱きしめた。


「だめ!」


由香里の拒絶に、恵美子の目が怒りで燃えた。


「私に逆らうの?この家で私に逆らうことがどういうことか、分かっているの?」


恵美子の声は脅迫的だった。


階下から真理の足音が聞こえてくる。


「お姉ちゃん!」


真理が駆け上がってきた。


「真理も一緒だったのね」


恵美子は姉妹を見据えた。


「あなたたちは私を裏切ったのね。私がどれだけあなたたちを愛しているか分からないの?」


恵美子の言葉には、歪んだ愛情と怒りが混在していた。


姉妹は互いに身を寄せ合い、母親の怒りに震えていた。


この瞬間、三田村家の隠された真実が白日の下に晒されたのである。


## 第十九章 真実の暴露


翌日、由香里は録音した音声を山田先生に聞かせた。


「これは深刻ですね」


山田先生の表情は重かった。


「お母さんの精神状態が心配です。専門のカウンセラーに相談する必要があります」


山田先生の判断に、由香里は安堵した。


「でも、お母さんは絶対に病院に行きたがらないと思います」


由香里の懸念は現実的だった。


「まずは、お父さんと話をしてみましょう」


山田先生は正治との面談を提案した。


学校からの連絡を受けた正治は、困惑していた。


「妻が娘たちを虐待している?そんなはずはありません」


正治は最初、学校の指摘を否定した。


しかし、録音された音声を聞いた時、正治の顔は青ざめた。


「これは本当に恵美子の声なんですか?」


正治は信じられない様子だった。


「お父さん、お母さんがおかしいって、ずっと気づいてたでしょう?」


由香里の指摘に、正治は言葉を失った。


長年見て見ぬふりをしてきた現実と、ついに向き合わなければならなくなった。


「私は何をしていたんだ」


正治は自分の無責任さを悔いた。


山田先生は家族療法の専門家への相談を強く勧めた。


「恵美子さんには専門的な治療が必要です。そして、あなたがた家族全体でのカウンセリングも必要でしょう」


正治はようやく、家族の危機的状況を理解した。


しかし、恵美子にそれを受け入れさせることは、容易ではないことも分かっていた。


## 第二十章 対決


その夜、正治は恵美子と話し合うことにした。


「恵美子、私たちは話し合う必要がある」


正治の真剣な表情に、恵美子は警戒心を抱いた。


「何について?」


「子供たちのことだ。君の教育方針について」


正治の言葉に、恵美子の表情が変わった。


「私の教育方針に何か問題があるというの?」


恵美子の声には怒りが込められていた。


「学校から連絡があった。由香里と真理が心配な状態だと」


正治の報告に、恵美子は激怒した。


「学校の人間に何が分かるというの!私は完璧な母親よ!」


恵美子の叫び声が家中に響いた。


「恵美子、君は病気かもしれない。専門家に相談しよう」


正治の提案に、恵美子は錯乱状態になった。


「私が病気?冗談じゃないわ!病気なのはあなたたちの方よ!」


恵美子は二階に駆け上がり、鏡の部屋に立てこもった。


部屋の中から、鏡を叩く音と恵美子の叫び声が聞こえてくる。


「私は完璧なのよ!誰も私を否定することはできない!」


恵美子の絶叫は、近所にまで聞こえるほどだった。


正治は警察に通報することを考えたが、妻を精神病院に送ることの重さに躊躇した。


しかし、子供たちの安全を考えると、もはや選択の余地はなかった。


## 第二十一章 救出


正治の通報により、精神保健福祉士と警察が三田村家に駆けつけた。


恵美子は鏡の部屋に立てこもったまま、外に出ようとしなかった。


「恵美子さん、扉を開けてください。お話ししましょう」


精神保健福祉士の呼びかけに、恵美子は応答しなかった。


部屋の中からは、時折鏡の割れる音が聞こえてくる。


「お母さん!」


真理が恵美子を呼びかけたが、反応はなかった。


やがて、専門家の判断により、扉が強制的に開けられた。


部屋の中では、恵美子が血だらけの手で鏡を叩き続けていた。


「私は完璧よ!誰も私を否定できない!」


恵美子は現実を受け入れることができずにいた。


精神保健福祉士により、恵美子は病院に搬送された。


診断の結果、恵美子は重度の自己愛性人格障害と診断された。


医師の説明によると、長期間の治療が必要だということだった。


残された家族は、恵美子のいない生活を始めることになった。


最初はその静寂に戸惑ったが、次第に自由を実感するようになった。


由香里と真理は、ようやく自分たちの感情を素直に表現できるようになった。


正治も、家族の父親としての責任を果たすことを学び始めた。


家族療法のカウンセリングを受けながら、三田村家は真の意味での家族の絆を築いていくことになったのである。


## 第二十二章 回復への道


恵美子の入院から三ヶ月が経った。


三田村家の生活は徐々に正常化していたが、完全な回復には時間がかかることが明らかだった。


由香里は学校のカウンセリングを定期的に受けながら、自分の感情と向き合っていた。


「最初は罪悪感があったんです。お母さんを病院に送ってしまったって」


由香里は山田先生に胸の内を明かした。


「でも今は、あれが正しい判断だったって分かります」


由香里の表情には、以前の緊張感がなくなっていた。


真理も少しずつ変化していた。


友達と遊ぶことを許され、子供らしい笑顔を取り戻していた。


「お父さん、今度の日曜日、友達の家に遊びに行ってもいい?」


真理の質問に、正治は優しく頷いた。


「もちろんいいよ。楽しんでおいで」


正治自身も変わろうと努力していた。


家族療法のセッションで、自分が長年にわたって家族の問題から逃げていたことを認めた。


「私は父親として失格でした。妻の異常さに気づいていながら、見て見ぬふりをしていた」


正治の告白に、娘たちは複雑な気持ちを抱いた。


しかし、父親が変わろうとしていることは理解できた。


家族三人は、新しい関係性を築くことに集中した。


恵美子のいない生活は、最初は不安だったが、次第に自然なものになっていった。


## 第二十三章 恵美子の治療


病院では、恵美子の治療が続いていた。


担当医の田中医師は、恵美子の症状について詳しく説明した。


「恵美子さんは、自己愛性パーソナリティ障害の典型的な症状を示しています」


田中医師の説明を、正治は真剣に聞いていた。


「治る可能性はあるのでしょうか?」


正治の質問に、医師は慎重に答えた。


「完全な回復は困難ですが、症状の改善は期待できます。ただし、長期間の治療が必要です」


恵美子自身は、まだ自分の問題を認めることができずにいた。


「私は病気じゃない。家族の方がおかしいのよ」


恵美子の主張は一貫していた。


医師は根気強く治療を続けていたが、恵美子の抵抗は強かった。


「家族に会いたい。私の子供たちを返して」


恵美子は定期的に家族との面会を要求していた。


しかし、医師の判断により、当面の間は面会が制限されていた。


「恵美子さんが自分の問題を認識するまでは、家族との接触は控えた方が良いでしょう」


医師の判断に、正治は複雑な気持ちを抱いていた。


妻を愛していた気持ちは残っていたが、子供たちの安全が最優先だった。


治療は長期間に及ぶことが予想されていた。


## 第二十四章 新しい日常


恵美子の入院から半年が経過した。


三田村家の生活は、完全に新しいリズムを持つようになっていた。


由香里は高校受験に向けて勉強していたが、以前のような強迫的な完璧主義はなくなっていた。


「今度のテスト、85点だった」


由香里が報告すると、正治は素直に喜んだ。


「よく頑張ったね。君が努力していることは分かってる」


正治の言葉に、由香里は安心した表情を見せた。


以前なら、85点は恵美子にとって「不十分」な点数だった。


しかし今では、由香里自身が満足できる結果であることが重要だった。


真理も大きく変わっていた。


友達との時間を楽しみ、様々な活動に参加するようになった。


「お父さん、今度クラスで演劇をやるんだ。見に来てくれる?」


真理の誘いに、正治は喜んで応じた。


「もちろん行くよ。楽しみにしてる」


家族の会話に、以前のような緊張感はなくなっていた。


三人は自然に笑い合い、お互いの存在を楽しんでいた。


家族療法のセッションも継続していたが、問題の解決よりも新しい関係性の構築に焦点が当てられていた。


「私たちは新しい家族になったんですね」


真理の言葉に、正治と由香里は深く頷いた。


## 第二十五章 過去との決別


一年後、正治は恵美子との離婚を決意した。


この決断は容易ではなかったが、家族の将来を考えると必要なことだった。


「お父さん、それで良いと思う」


由香里は父親の決断を支持した。


「お母さんが変わってくれたら良かったんだけど」


真理は少し悲しそうだったが、現実を受け入れていた。


恵美子の治療は続いていたが、根本的な改善は見られなかった。


彼女はまだ自分の問題を認めることができず、家族が自分を裏切ったと考えていた。


「私は被害者よ。家族に愛情を注いだのに、裏切られた」


恵美子の主張は変わっていなかった。


医師は家族に対して、恵美子との関係を一旦断つことを勧めた。


「恵美子さんの回復のためにも、家族が距離を置くことが必要です」


医師の助言に従い、正治は離婚手続きを進めた。


娘たちは母親との思い出を完全に否定するわけではなかったが、新しい人生を歩むことを選んだ。


「お母さんの良いところもあったと思う。でも、あの生活には戻りたくない」


由香里の言葉が、家族の気持ちを代弁していた。


三田村家の暗い過去は、ようやく終わりを告げたのである。


## 第二十六章 癒し


離婚から二年が経った。


正治は一人で二人の娘を育てることに専念していた。


最初は不安もあったが、家族の結束は以前より強くなっていた。


由香里は高校生になり、将来の目標を見つけていた。


「心理学を勉強したいんだ。私たちのような家族を助けたい」


由香里の決意に、正治は誇りを感じた。


真理も中学生になり、明るく活発な少女に成長していた。


「今度、友達を家に呼んでもいい?」


真理の質問に、正治は笑顔で答えた。


「もちろんいいよ。みんなでご飯を食べよう」


三田村家は、本当の意味での温かい家庭になっていた。


家族それぞれが自分らしさを大切にし、お互いを尊重する関係を築いていた。


恵美子のことを完全に忘れたわけではなかったが、彼女の呪縛からは解放されていた。


「私たちは自分の人生を生きているんだ」


正治の言葉に、娘たちは深く頷いた。


鏡の部屋は、もう存在しなかった。


恵美子の退院後、正治はその部屋を完全に改装し、家族の団欒室に変えていた。


新しい部屋には、家族の笑顔の写真が飾られている。


それは、三田村家の新しい歴史の始まりを示していた。


## エピローグ 真の家族


五年後、由香里は心理学を専攻する大学生になっていた。


真理は高校生で、演劇部の活動に熱中している。


正治は一人で娘たちを育て上げたことに、静かな誇りを感じていた。


「お父さん、ありがとう」


由香里が突然そう言った時、正治は驚いた。


「何を?」


「私たちを守ってくれて。遅かったけど、最後には私たちの味方になってくれた」


由香里の言葉に、正治の目に涙がにじんだ。


「私こそ、ありがとう。君たちが強く育ってくれて」


家族三人は、互いに抱き合った。


恵美子は今も治療を続けていたが、家族との接触はなかった。


彼女の作り上げた「完璧な家族」の幻想は完全に崩れ去っていた。


しかし、その廃墟の上に、本当の家族の絆が築かれたのである。


真理は演劇の舞台で、家族の物語を演じることがあった。


それは悲劇ではなく、希望の物語だった。


「家族って、血のつながりじゃなくて、お互いを大切に思う気持ちなんだと思う」


真理のセリフが、観客の心に響いた。


三田村家の秘密の儀式は終わった。


新しい儀式は、毎日の普通の生活の中にあった。


朝食を一緒に食べること、お互いの話を聞くこと、時には喧嘩をして仲直りすること。


それこそが、真の家族の儀式だったのである。

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