失恋した女 その4
今日も相も変わらない通常業務を行っていた。
この町は小さい為、当然そこにある役場も小さい。
その為、様々な行政サービスの手続きを兼務するともしばしばだ。
戸籍や住民表、印鑑登録にパスポート。マイナンバーや各種証明書の発行等。
町の人口はさほど多くないはずなのに、どうしてこう毎日のように、人々は何かしらの手続きをしなくてはならないのか。
そして、そのやって来る人は、年寄りや中年の仕事関係のおじさんばかり。たまに若い人も来るけど、大体がカップルがパスポート申請をしに来たりする程度だった。
何が言いたいのかというと、結局、僕の将来の嫁さん候補となる人はこの町にはいないということだ。
若い女性と出会うには、向こうからこの町にやって来てくれなければ不可能だ。高校の同級生で、まだこの町で燻っている女の子は何人かは知ってるけど、僕の好みじゃないし…。
本当に結婚したければ、一刻も早くこの町を出ることが先決だと、頭では分かっているんだけど、やっぱりこの町を出たくない。
そう、今の僕はつまり、無い物ねだりをしているだけの日々なのだ。そんな消極的な姿勢でいる限りは、僕の願望は叶えられそうにないのであった…。
昼飯時の時間になった。役場を利用する人だって当然同じ時間に腹が減るわけだから、この時間帯は比較的いつも閑散としている。
「サルちゃん、行ってくるぞ」
イカがファイルを片付けながら席を立つ。
昼休憩は交代で取るのだが、昨日は僕が先に休憩を取ったので今日はイカの番だった。
僕はさっき手続きしたおじさんの住民票登録の残務処理に追われていて、イカの言葉は殆んど耳に入らず、適当に右手を上げて了解のサインを送った。
全く、さっきのおじさんは本当によく喋る人だった。
元々友人がこの前でやっている商売を今度引き継ぐことになったから、この町に引っ越してきたみたいだけど、本当はそんな商売はやりたくなかっただとか、この港で捕れる魚は美味いのかとか、夜に楽しめる店はないのかとかいう、業務とは関係のない話ばかりをフッてくるので、手続きに時間が掛かってしまったのである。
「腹減ったなあ…」
他に後から休憩を取る職員達に混じって作業をしながら、僕の腹の虫はさっきから鳴りっぱなしだった。あのおじさんのせいでこんな目に合わされているのかと思うと、腹の中の別の虫も騒ぎ出し収まらなくなりそうである。
「あの、すみません…」
窓口の方から声がした。僕は二匹の腹の虫のせいで、心中穏やかではなかったので、その声がしても反応を示さなかった。悪いなとは思ったけど、職員は他にもいる。今の僕は忙しいのだ。
「すみません…」
もう一度、申し訳なさそうにその声が耳に届いた。その声のトーンと方角から、まず違いなく僕に向かって呼びかけているのが分かる。
僕は小さくため息を吐いた。いくらなんでも二回も呼ばれて振り向かないのは問題ありだ。とりあえず、女の人の声だったし、一応対応してみるか。役場の職員としてあるまじき態度だと分かってはいるけど…。
「…おまたせしました。あ…」
僕は振り向いた瞬間、思わずポカンと口を開けて固まってしまった。
だって仕方がない。窓口で僕を呼ぶ声の主が、あまりにも綺麗な女の人だったのだから。
僕の腹の中の二匹の虫もさっきまで真夏の蝉のようにけたたましく鳴き叫んでいたのに、急に秋の夜長にゆったりと鳴く鈴虫になってしまった。
そう、まるでこの綺麗な女の人に求愛するかのように…。