伯爵令嬢の面倒な婚約者
「あなたを愛しているからです。」
ああ、なんて甘美で、待ち望んだ言葉なのだろう。
***
伯爵令嬢ベルナデット・デンバーは大きなため息をついた。
婚約者でもある侯爵令息レオナルド・クリフォードの姿を見つけてしまったせいだ。
「ベルナデット、レオが見当たらないのよ。一緒ではなかったの?」
おっとりとした侯爵夫人がベルナデットに声をかけたのは、第三王子の婚約披露パーティが始まろうとしている時間だった。
確かに、ベルナデットをエスコートして会場入りしたところまでは一緒だった。
「先にシガールームに顔を出してくるから、家族と待っていてほしい。」
と言われ、離れたのはいつだっただろう。
「申し訳ございません、シガールームに行っておられるとばかり・・・」
ベルナデットも困ったように微笑む。内心では(またか!)と悪態をついてはいるが。
「おそらく美しい花を見つけて庭にでもおりてしまったのでしょう。声をかけて参りますわ。」
(どうせ可愛らしい令嬢でも見つけて声をかけてるんでしょうよ!はあ、なんで私が・・・)
心の内を見せない貴族らしい言い回しは面倒だが、直接言うのは憚られる内容もうまく誤魔化せる。
「そうね、こんな大輪の花を目の前にして野花に気を取られるなんて勿体ないことだわ。すぐに飽きて戻ると思いますが声をかけてくれると助かるわ」
夫人はゆったりとした口調だが、扇を持つ手に力が入っている。
きっとレオナルドが戻ってきたらだいぶ絞られるに違いない。
それを想像するだけでちょっとは溜飲が下がったのでレオナルドを探しに行くことにした。
それが、こうだ。
「ああ、君をずっとエスコートできないのは何て辛いことだろう!」
芝居がかった声が聞こえてきたのは、やはり会場の外にある庭園からだった。
「レオ〜いつまでもこうしていたいわぁ〜」
甘ったるい鼻にかかったような声を出しながら私の婚約者にしなだれかかっているのは、子爵令嬢だったか、男爵令嬢だったか・・・
どちらにせよ礼儀のなっていない小娘だ。
面倒だ。
なぜこんな貴族が集まる場のわかりやすい逢引き場所で大きな声で自分の世界に浸ってるのだ。
恥晒しであることは当然として、政敵が攻撃しやすい隙をあからさまに作ってどうする。
ため息が止まらない。
声をかけるのも邪魔になるだろう、と踵を翻して戻ろうとしたその時だった。
「デンバー嬢、お声をかけなくてよろしいのですか?」
いつの間にか後ろにいたのはハワード公爵令息だ。ああ、見られてはいけない政敵の筆頭じゃないのよ。
「ええ、婚約者は仕事の最中のようですので、私が邪魔をしては・・・、ああ、これは失言でしたわ。失礼しました。」
(浮気じゃなくて情報収集の仕事的な何か・・・よ!)
「なるほど、仕事・・・では邪魔をしてはなりませんね。会場までエスコートさせていただいても?」
「過分なお申し出、恐れ入りますわ。ですが会場は目の前。ひとりで結構です。」
「そうですね、婚約者殿が見たら誤解を招くことでしょう。(お前の婚約者はやらかしてるみたいだがな?)失礼いたしました。」
嫌味の応酬で疲れそうになったが、引いてくれたことにホッとした。
さっさと会場に戻って夫人に言いつけてやらなくては。
なんだかまだ何か言いたそうな彼を置いて、さっさと会場に戻ることにした。
それを見ている他の誰かの冷たい目線には気が付かないままに。
私がひとりで会場へ戻ったのに気づいた夫人からは何も言われなかった。
目が合った時に、決して笑っていない目でそっと目配せをもらったくらいだ。
ああ、本当に我が婚約者殿はよろしくない。まさか、あのはしたない娘と一緒に会場入りするだなんて!
そっと侯爵夫人を見ると、扇が折れそうなほど握りしめながら、目は怒りに燃えている。
「レオナルド、待ち侘びたわ。ベルナデットとともにご挨拶の準備をなさいな。」
レオナルドの左手にしがみついている端女は無視することにしたらしい。
軽く手を挙げ、夫人が私を呼ぶ。
ここでさっさとしがみついているどこぞの娘を振り払って私の手を取ればどうにでもなったものを。
「母上、ご紹介したい女性がいるのですが」
無邪気な笑顔で我が婚約者殿は恥の上塗りをする。
「結構よ」
いつものおっとりとした雰囲気はどこへ、侯爵夫人がピシャリと口を封じる。
「その腕についている汚れのことを言うのであれば、あなたはここでお帰りなさい。あなたはどうやら病にかかっている様子。ここで病を撒き散らすようなことがあれば王家に対する不敬ともなるわ。帰りの馬車の用意を。」
「母上!」
「帰りなさい」
これ以上の発言は許さぬとばかり、従者を呼びレオナルドを退席させた。当然くっついていた汚れも一緒に。
第三王子への挨拶は本来であれば婚約者とともに行うものではある。
病、と言うことでご配慮いただき私は自分の父母とともに挨拶へ行くこととなった。
これも全て侯爵夫人が一気に手配をし、我が家への配慮も含めて「急な病で退席することになったため今回は家族での挨拶とする」としてくれた。
直接の話を聞いていないものであれば十分納得のいく説明だ。
「本当にすごいわ、クリフォード侯爵家の皆様ったら」
「ああ、ベルへの影響もほとんど無しに速やかに采配する姿には感服だ。」
パーティが終わる前に、非公式ではあるが侯爵閣下からも謝罪をいただいた。
「でも、こちらからの抗議はそのおかげでできなくなったわ。婚約の解消もできない。」
レオナルドの醜聞はある程度揉み消されているとはいえ、本人の行動で知る人ぞ知る、と言うところまで伝わりつつある。
高位である侯爵家から非公式とはいえ謝罪も受け、公の場で恥をかかされるようなこともなかった状態でこちらから婚約の解消を願い出ることは不可能だ。
「このままだと、結婚後や将来侯爵夫妻が身罷られた後のことを考えると・・・不安よね」
父と母が不安に思うのも無理はない。
レオナルドはずっと私に対する態度を変えていないのだから。
私とレオナルドが出会ったのは、4歳の頃だ。
侯爵家の事業に我が家が関わることになったため、お互いの家でのやり取りが始まった。
一人娘である私が侯爵家と婚約を結ぶなど、本来であればあり得ないことであったが、レオナルドが絶対に!とわがままを言ったからだと聞いている。
「そろそろ養子の話も進めなければいけないのだが・・・そちらもまだ進んでいないのは解消に向けてだと思っていたんだが・・・」
と父がため息をつく。
伯爵家を継がせるために養子をとらなくてはいけないのだが、『事業にも関係するので、伯爵家を継ぐものは侯爵家が認めたものとする』という婚約時の契約で進んでいない。
来年にはレオナルドと私の婚姻が結ばれるのだから、伯爵家の将来を考えると養子をとらなければならないのにも関わらず。
ああ、面倒だ。
侯爵家から「今後の婚約についてお話がしたい」との連絡をもらい、会見が整ったのはパーティの1週間後であった。
「申開きのしようもない!」
応接室に通されて、開口一番侯爵閣下が放ったのは、平身低頭の謝罪だった。
「頭をお上げください、閣下。今後のお話ということで参ったのですが・・・」
困惑する父と青ざめている侯爵夫妻の横で、済ました顔で私に満面の笑みを浮かべているのはレオナルドだ。
「我が息子の醜聞は聞き及んでいることだろう。
もうレオナルドに侯爵家を引き継いでもらうことはままならぬ。
我が家は分家のものを養子とし、レオナルドからは継承権を奪う心づもりだ。
こんな状態の息子の嫁として、ベルナデット嬢を我が侯爵家に迎えることも忍びない。
さらに、養子に迎える予定の人間はすでに婚姻済みですでに子もある。
しかしながらここまでよくしていただいているデンバー家とのつながりも断ち難い。」
「父上、ここからは私が。」
控えていたレオナルドが満面の笑みを浮かべて私にひざまずく。
「ベルナデット、やっと君への愛を隠さずに済むようになった。
侯爵家嫡男というしがらみがなくなって、君は愛する伯爵領から離れなくてもよくなったんだ。
僕を君の婿として、伯爵家へ入れておくれ。領民たち、君の家族、君が愛する全てを愛すると誓うよ。
結婚してほしい。」
ああ、本当に面倒だ!この男は婚約してからずっとそう。
2人きりの時だけは砂糖を口から吐き出しそうなくらい甘い言葉を私に注ぐのだ。
私が令嬢方から嫌がらせを受けたり嫌味を言われるのをかわすために放蕩息子のふりをして、全ての批判を自分に向かわせるのだ。
「それが婚約者としての僕の仕事だよ!」
とそれを臆面もなく言い放つのだから。絆されるってもんでしょう。
「この息子は・・・自分の婚約者のためなら我が家がどうなっても構わないなどと酷いことを言うのよ。
結婚が近くなったから手段は選ばない、などとまさか王家のパーティで恥を晒すようなことをするとは思わなかったわ。
ごめんなさい、ベルナデット。一応あなたへの愛だけは本物だというのだけは保証するわ。手段を選ばない子だから、手綱を握るのは大変かもしれないけれど・・・」
泣き出しそうになっているのを隠しもせず、侯爵夫人がまた頭を下げる。
隣で父が、口をぱくぱくと開け閉めしながら私とレオの顔を見比べている。
母は「こういうことか」と納得いった様子で父の脇腹を突いた。
「コホン」
咳払いをし、父が言う。
「娘が蔑ろにされていたわけではない、ということは理解できました。我が家の養子の話も進んでいなかったので、おそらくこういうことを見越していたからということでしょう。
伯爵家、としては優秀な後継としてレオナルド君が入ってくることに異論はありません。ですが。」
大きなため息をついた後、話を続ける。
「父としては娘の気持ちを第一に考えたい。意図があったとはいえ、公の場で恥をさらす危険もあったような態度をずっと続けられた娘がどう思っているのか。」
父は私をじっと見つめ、発言を促す。その瞳には、嫌なら断っても構わない、むしろ断れ!という父の叫びが見えるようだ。
くすりと笑って私は答える。
「お受けいたしますわ。レオナルド様、侯爵閣下、夫人。なぜなら」
真っ直ぐにレオナルドを見つめて、私は答える。
「あなたを愛しているからです。」
***
「ベル、僕のベル!ハワード公爵令息とはほんっとうになんでもないんだよね!!!君をエスコートしようだなんて許せない!」
「当たり前じゃない。『婚約者に蔑ろにされるあなたを見てはいられない』なんてポエムまがいの手紙が届いてたけど、お前に関係ないだろうって送り返してやったわよ。
ほんっとうに面倒なんだから周りも確認してお仕事してくれないと困るわ!
・・・でもお仕事とはいえ、他の令嬢がベタベタするのは・・・やだった。」
「あー!かわいいベル!ごめんよ!これからは君だけのそばにいられるよ!」
「急に態度を変えたら、『後がないから必死だ』なんてレオが言われたりしない?」
「言われたってなんともないさ!君のそばにいられるなら他のことなんて些細なことだよ!」
「もう、レオったら・・・」
「・・・うちの息子はベルちゃんがいないと本当にダメなので、引き取っていただけて助かる。」
「えーっと、はい・・・」
父たちのため息が聞こえる気がしたが、些細なことだ。




