白月と魔術卿
はくげつとまじゅつきょう
月:白 月。魔術師。
アウゼル:アウゼル・ハウバーン。魔術師。《魔術卿》の異名を持つ。月の師匠。
:本編
月:「(M)それは、全てを呑み込む黄昏。一瞬で空を覆い、〝彼〟の到来を告げる」
月:「(M)黄金色の霧は悠然と闊歩し、やがて、一切を塵へと変える暴虐と化す」
月:「(M)逃れる術はない。ただ、ひとたび出遭ってしまえば――彼によって齎される、その蹂躙を、受け入れるしかないのだ」
月:「(M)其は――《黄昏を辿る王》。不明の幻影にして、絶望の象徴」
:コーリオ南東、ベサティアの荒野地帯
アウゼル:「……これはまた、ひどいもんじゃな……」
月:「(M)コーリオ南東部、ベサティア」
アウゼル:「あの美しき草原の景色が、こうも無惨な姿になるとは……」
月:「(M)かつて、この地には溢れんばかりの緑が広がっていた。しかし――今や、そこにあるのは――荒れた大地と、吹き荒ぶ砂埃だけ。まるで、最初からそうであったかのように。全ては、一変していた」
アウゼル:「月よ。精霊の声は聞こえるか?」
月:「……いえ。彼らがいたという痕跡すら、何も……」
アウゼル:「そうか……。やはり、霊脈とともに呑まれてしもうたか。……彼らもおらず、エネルギーの源も絶たれたとあれば、この地が再生するのに、あとどれほどの時間が必要となるか……」
月:「…………」
月:「(M)霊脈。それは、地中に流れる、巨大なエネルギーの奔流。曰く、その様は、まるで大空を舞う竜の如く。木々や草花、彼ら自然生命の源であり、そして――僕ら魔術師にとって、必要不可欠な魔力の源でもある」
月:「――師匠。やはり例の現象は、魔術が絡んでいるんでしょうか?」
アウゼル:「うむ……。精霊のみならず、霊脈にまで作用し、あまつさえ、それを消し去ってしまうとなれば……、そう考えるのが、最も自然じゃろうな。じゃが、疑問も残る」
月:「はい。霊脈を、いかにして消滅させたか、ですよね?」
アウゼル:「そうじゃ。霊脈とは常に流動し、大地を駆け巡っておる。たとえ、高出力の魔術を使用したとしても、使い潰すことは、本来不可能なんじゃ。仮に、このように霊脈を枯らし、流れそのものを断ち切ろうとするなら――それは、霊脈そのものを引き摺り出すか、同質量のエネルギーによって、一瞬のうちに破壊するしかない」
月:「でも、師匠。そうなると、方法は――」
アウゼル:「うむ。じゃが、わしらの知る方法と、まるっきり形が異なる以上、同じ仕組みのものか、断定することは出来ん。この目で見て、直接魔力の流れでも観察せん限りはな。それも、魔術の類であれば、じゃが」
月:「それは……、危険過ぎます。理屈の上ですら、防ぐ手段のひとつも思いついてないんですから」
アウゼル:「わかっておるよ。じゃが、もうそろそろ対策を講じねば、手遅れになってしまうやもしれん。わしらは魔術師じゃ。霊脈がすべて潰えれば、できることは何一つなくなってしまう。時には、懐に飛び込むことも必要じゃよ」
月:「ですが……」
アウゼル:「大丈夫じゃ。なにも無策で挑もうとは思っとらん。次の出現位置を予測できるわけでもないしのう。これは心構えの話じゃ。それと――わしの名にかかった、責任のな」
月:「師匠……」
アウゼル:「月よ。君が師匠と呼んでくれる、それこそまさに、わしの立場が持つ責任というものを、よおく示してくれておる」
月:「そんな……、僕は、そんなつもりじゃ……」
アウゼル:「おっと。嫌味に聞こえたかの。すまんな、そうではない」
アウゼル:「わしは、魔術という神秘に随分と長い間、触れてきた。そうして得た数々の見地、生み出してきた理屈は、わしの歴史、人生そのものじゃ。わしが何と呼ばれておるか、知っておるじゃろう。その名が持つ意味、背負う責任には、ちゃんと向き合わねばならん」
月:「…………」
アウゼル:「……少し、深刻にさせてしもうたかの。なに、今に始まった話でもない。ここ数十年、ずっと心掛けていることじゃ」
月:「…………」
月:「――師匠。僕は、どこまでもついていきますよ。師匠の一番弟子ですから。危険だからとか言って、置いていかないでくださいね」
アウゼル:「はっはっは! 安心せい。君にはすべてを教え込むと決めておる。それまでは、置いていったりなどはせんよ。しかと学べ、月よ。かの魔術卿が、唯一とった弟子なのだからな」
月:「――はいっ!」
:
月:「(M)《魔術卿》アウゼル・ハウバーン。僕の師匠であり、そして――世界最高峰の魔術師」
月:「(M)見た目は、白髭をたくわえた、小柄な老紳士といった風体だけど――頭に被ったシルクハットには、師匠お手製の黄金細工が飾られ、身に纏った外套から覗く、杖をついた手には、色とりどりの宝石が嵌め込まれた指輪が煌めく」
月:「(M)それら装飾品は、師匠の魔術において、要となる媒介であり――《魔術卿》という名の所以だ。そして僕は――かつて、その神秘の輝きに、魅了された」
月:「(M)今でも、昨日のことのように思い出せる。六年前――師匠と初めて出逢った、あの日のことを」
:回想、六年前
月:「(M)当時、僕は周りの人たちから、いじめられていた。それは、僕が少し変わった子供だったからだ」
月:「(M)その時は、〝妖精さん〟と呼んでいたのだけれど――つまるところ、僕は《精霊》と会話をすることができた」
月:「(M)精霊――それは、生物の理から外れた、超常の一種。人には知覚できず、ただし、生物の感情に作用されて、その行動や考えに、力や知恵をもたらし、助けとなる存在。火事場の馬鹿力や、咄嗟のひらめきは、彼らによる、そういった手助けの一例だと言われている」
月:「(M)僕は、物心ついた時から、彼らと会話することができた。でも、周りはそんな僕のことを、気味悪がったのだ」
月:「(M)魔術師と呼ばれる、神秘を扱う者が現れて、すでに一世紀。それでも、全てのおとぎ話が、現実と捉えられたわけではないように、精霊の存在が、肯定されたわけではない。むしろ、魔術師によっては、精霊はいないと、否定する者までいた」
月:「(M)僕には、親がいなかった。だから余計に、孤独だった。僕にとって、唯一の拠り所は、彼らだけだった」
月:「(M)でも、考えてしまったんだ。その日――僕は。〝彼らさえいなければ〟って。そうなれば、みんなから気味悪がられることもないし、こんな寂しい思いをしなくて済むのに。って」
月:「(M)それは――たった一瞬の、気の迷いだった。だけど、その心のざらつきを、彼らは見逃してはくれなかった」
月:「(M)彼らは、証明しようとしたんだと思う。自らの存在を。その実在を。僕が、はぐれものにならずに済むように。――彼らは、あらゆる魔術を発動させた。でも、そのやり方は、あまりにも暴力的だった」
月:「(M)彼らが発動した魔術は、災害の如く、瞬く間に街を破壊していったのだ」
月:「(M)――悲鳴が、誰かの泣き叫ぶ声が、あたりで絶え間なく響き渡る。僕は街の中央で、その惨劇を、ただ見ていることしかできなかった」
月:「(M)震えながら、小さな声で、〝ごめんなさい〟と、みんなに謝りながら」
アウゼル:「――君かな。精霊と話すことができるという、子供というのは」
月:「(M)――僕は、驚く。その男は、いつの間にか、僕の後ろに立っていた」
アウゼル:「ほっほ。驚かせてしまったかのぅ。まずは自己紹介、といきたいところじゃが――どうやら、それよりも先に、この事態を収める必要があるようじゃな」
月:「(M)――男は、あくまでも穏やかに、貯えられた髭を撫でながら、そう言った。そして、シルクハットに飾られた、黄金細工のひとつに指を触れて――男は、詠った」
アウゼル:「【煌煌なる天帝よ。爆ぜる烈火の如く――招来せよ】」
月:「(M)黄金細工から火花が散り、光の束が奔流となって溢れ出した。それは街の上空に集って、ひとつの巨大な繭のようになり――やがて、その繭が解けると、中から巨大な鳥が顕れ、天を衝く咆哮と共に、その翼を大きく羽ばたかせた」
月:「(M)それは――荘厳で美しい、火焔を纏った霊鳥だった」
:
月:「(M)精霊たちの動きが、硬直する。霊鳥とはすなわち、神性の一種。同じ超常の類であっても、その格は、彼ら精霊たちよりもずっと上だ」
月:「(M)その存在が、目の前に降臨している。街を覆い尽くさんほどの大きな翼を広げて、鮮やかな猛りの焔は、僕たちを圧倒していた」
月:「(M)……やがて、災禍は収まった。精霊たちはその気配を霧散させ、神聖なる霊鳥に降伏を示した。そして――希望を灯した火焔が、青空に透けて消えゆくまで――人々は、静かにその様を見届けた」
月:「(M)――これが、僕と師匠の出逢い。僕と《魔術卿》との出逢い。そして、憧れの始まり」
月:「(M)僕にとっての――原点となる日の出来事だ」
:現在、夜
:コーリオ西南、ウォーエルの森林地帯
:月、うたた寝から目を覚ます
月:「……ん。……うん。ちょっと、懐かしい夢を見てたよ」
:精霊たちに優しく触れながら
月:「――あの日、師匠と出逢ってから、僕の人生は一変した。憧れは、僕にとって生きる活力になった。魔術について、もっと知りたい。そして――君たちのことも。もっと知らなきゃと思った。……ふふ。うん、そうだね。今は、たくさんのことを知ってる。君たちとも、こうして分かり合うことができてる」
月:「もし、あの日、師匠と出逢っていなかったら――僕はきっと、後悔と恐怖に押し潰されていた……。――だけど、贖わなきゃいけないことは、まだある。あの日の……、悲しみや苦しみ。それは、僕が背負わなきゃいけないものだから」
月:「この旅路には、その意味も込めてるんだ」
アウゼル:「……んん。――月よ。起きておったのか」
月:「あ、ごめんなさい、師匠……、起こしてしまって……」
アウゼル:「なに、気にすることはない。――精霊と話しておったのか?」
月:「はい。――そういえば、師匠。懐かしい夢を見ました。師匠と初めて会った日の夢です」
アウゼル:「おぉ、それはまた……、本当に懐かしいのう。そうか。あれからもう6年になるか……。時間というものは、過ぎてしまえばあっという間に感じるものじゃのう」
月:「ですが、僕にとっては――とても濃い、満ち足りた6年でした」
アウゼル:「そうか。そう言ってもらえると、わしも嬉しいのう」
アウゼル:「――さて。東の空が白み始めた。目も覚めたことじゃ。行くぞ、月よ」
月:「はい、師匠!」
:
月:「(M)ベサティアから西へ1時間ほど――打って変わって、広大な自然が広がるウォーエルの森林地帯で一夜を明かした僕と師匠は、そこから南へ2時間ほど歩き、コーリオ一の賑やかさを見せる街――ライブズへと辿り着いた」
月:「(M)その目的は、僕たちが追う、ある現象についての資料探し――の、はずだったんだけど……」
月:「……ずいぶんと騒がしいですね。なんというか、街の活気とはちがう、妙な慌ただしさというか……、落ち着きのない感じ、というか……。事件や事故でもあったのでしょうか?」
アウゼル:「うむ……。どうやらその答えは、彼が握っているようじゃな」
月:「(M)師匠の指差した先に目を向ける。そこには、大きなカバンを肩に提げた一人の少年がいた。彼は、紙の束を頭上に掲げながら、こう叫んでいた」
月:「(M)――「号外!」と」
:
月:「(M)《黄昏を辿る王》。それは、この世界を脅かす、ある異常現象の名だ」
月:「(M)空が、一瞬にして黄昏に染まり、その黄金色を映す帳の下、大地を悠然と歩く、人型を模した霧が現れる。〝彼〟は、やがて数歩あるいた後に消え去り――瞬間、その消失点を中心として、広範囲を呑み込む極大の衝撃波が発生する」
月:「(M)これまで、数多くの被害を生み出してきた、文字通りの災害。しかし、その発生理由や仕組みについては一切明らかになっていない」
月:「(M)僕と師匠が追う、謎の異常現象。精霊や霊脈さえも完全破壊する、災厄の体現」
月:「(M)そして、今また――新たな犠牲となった地が、その号外には記されていた」
月:「(M)場所は――トリノスクィア。西の大国――ウィナーズドットにある、都の名前だ」
月:「……師匠」
アウゼル:「うむ……。ここ数ヶ月、かの現象の発生頻度は高くなっておる。今回に関しては、一週間も経っておらん。これが、ただの〝気まぐれ〟なのか、あるいは何かの予兆なのか――ともあれ、いよいよもって、猶予は無さそうじゃの」
アウゼル:「――月よ、ウィナーズドットへ向かうぞ。なんにせよ、現地へ赴かねば、まともな情報は得られんじゃろう。ここ数日から続いて、また移動の多い日々となる。大丈夫か?」
月:「もちろんです、問題ありません! 師匠が行くところ、どこまでもついていきます! それに――こんなところで、弱音を吐いてはいられませんから!」
アウゼル:「――うむ。よくぞ言ってくれた。じゃが、無理はするな。肝心な時に体力がなくては意味がないからのう。意地の張りどころを、間違えぬようにな」
月:「はい、わかってます。師匠こそ、無茶はしないでくださいね」
アウゼル:「ははは! 言うようになったのう! ……うむ。わしも気をつけよう」
アウゼル:「――さて。それでは出発じゃ。ゆくぞ、月よ」
月:「はいっ! 師匠!」
月:「(M)――こうして、僕と師匠の旅路は、新たな目的地を得た」
月:「(M)目指すは西――ウィナーズドットの都、トリノスクィア」
続