はじまり
血を煮詰めきったような色をしたスピネルの宝石が、男の指先から落ち、黒い床で硬い音を立てた。
「東」
王の呼びかけに、男の後ろに控えていた一人の剣使がすいっと出てきて、慌ててスピネルを拾おうとしゃがんだ男の背中に思い切り足を置いた。
体重の乗った重さにべしゃりと地面に崩れ伏した男の目の前に転がった黒く赤いスピネルを剣使は拾う。
「ああ……」
男は悲痛な声を出して、スピネルが剣使の手から王の手に渡るのを見つめていた。
王が低く呟く。
「何を恐れることがある。そなたの国は鉄鉱石の産地。交易で得ずとも、鉄を作り武器を作ることができる。だから、どうにかできると思い上がったのだろう?我が国に従わずとも、税を納めずとも生き抜いていけると」
王の指でつままれた宝石は、暗い室内でも、わずかな光を集めて内光する。
男が血走った目で訴える。
「妻を、妻だけはどうか、その石で、妻を助けて下さい」
「この石でか」
「妻の声がもうせぬのです!私はいい、どうか、妻は、助けてください」
剣吏は男越しに閉じられた扉を見た。扉の向こうには牢屋が並んでいるが、その端の牢屋に入れられた女の絶叫が先ほどまで厚い扉を通して漏れ聞こえていた。
「上等な石なのか?」
「私が国の王室を代々守護してきた、この世に二つとない石です。王はずっとこれを肌身離さず持って次代に伝えてきた価値のある石です」
「私に渡したから、もうその守護は途絶えたな」
男の舌が凍る。
「女は子供の助命と引換に、国の兵の割り当てについて口を割った。結局どの責めにも屈しなかった、覚悟の決まった女だったが」
動かなくなった男の傍に歩み寄り、王は膝を折る。
「世間は残忍な王だと言う。私自身もそうだと思う。では、なぜ女は私が子供を助けると信じだんだろうか?馬鹿な人民の命など、どうでもいいと思っている私を」
耳元でささやいた。
「私が約束を守る人間だと知っているからだ。人の価値はそこで決まるのに、あの女は約束を違えるお前を選んだ。だから死ぬ」
王は踵を返し、玉座に座った。
剣吏が刃を男の首にあてた。
「あの女の覚悟に免じて、子供の命は助けてやる。獣の餌にならなければ、誰かに拾われることだろう。だが」
「お前はだめだ」
王は笑った。
「お前はただこの宝石一つを守るべき天命であったのに」
「……話を、どうか」
「嘘つきめ」
王が手を振り、影のように寄り添っていた剣吏が大きく腕を振るった。
王は身を乗り出しその瞬間に見入った。
男の首が落ち、血が黒い石床を二度塗りするように広がっていく。
手をパン、と王は叩いて、
「高将軍に使いを出して伝えよ。鞠一族を赤ん坊一人を残して全て殺せと。後はいつも通り」
ふうっと息をついて、スピネルを掲げた。
「一度清めてから、わが子に届けよう。赤ん坊の命のような、真っ赤な宝石ではないか」
なあ、と侍従に同意を求めた。