22.運動ルーム(仮)でゆるりと遊ぶ
昼食後。
クロスとリールの2人は、主にケチャップまみれの汚れをシャワーで流れ落とした。
更に両者共に上はジャージジャケットを羽織り、下はスパッツで運動靴という体育スタイルへ着替える。
当然、髪型も運動しやすいよう束ねる。
それから2人は充分な休憩時間を作らず、方向感覚が喪失する真っ白な一室へ移動した。
室内はどこを見ても均一な純白で統一されており、壁を認識できないほど影も無いから地平線が見えるような気がしてくる。
だが、ここは決して異空間では無く、クロスの居住船に備わっている一室だ。
まだリールが立ち入った事が無い部屋であって特別用途を想定した空間。
その部屋でクロスは愛刀を抜き身に持っていて、穏やかな表情でリールと向き合いながら喋りかけた。
「ではリール。腹ごなしの運動を兼ねた指導教育です。運動神経を養い、ケチャップを爆発させる頻度を下げていきましょう」
「気合いが入っているね。でもリールね、イチャイチャする時みたく優しく教えて欲しいな」
「安心して下さい。特段に戦闘プロフェッショナルを目指してない以上、遊びの範疇ですから」
プロ以外は遊びという言い分は極論である上、よく考えずともリールが望んだ的を得た返答になってない。
しかし、リールが彼女のズレた発言を気にする訳が無く、相変わらず能天気に微笑む。
「よかった~。それで一体何をするの?おにごっこ?」
「普段の私生活では得られない経験が人生の糧になります。題して……夕食の献立を賭けた大運動会ですね」
「わぁお!ってことは、勝者が夕食のメニューを決めて良いんだ!それで競技は?やっぱりおにごっこ?」
「思いつく遊びのバリエーションが少なくありませんか?たしかに2人だけだと競技は限定されますが」
「あっ、リール分かった!2人でする定番の勝負と言えば、にらめっこだ!」
元気を爆発させて期待たっぷりに答えてくれるのは、既にやる気が有り余っている証拠で良い傾向だ。
だが、このままでは埒が明かない。
そう悟ったクロスは身を屈めながらリールに顔を急接近させる。
もはや唇が触れていると思ってしまう程近すぎるが、その距離感でクロスが特殊な表情を見せつけているのは間違いない。
事実、不意のアプローチの甲斐あってリールは唾を吐くように息を噴いた。
「ぶっ……!?んぁあはははは~!なぁにクロス~。今のヘンテコな顔~!」
「場を和ませる秘蔵の一発芸です。ただ……変顔みたい言い方をされるのは少し困惑しますね」
「ううん、すっごく可愛かったよ!リールね、気に入っちゃった!」
「私もベッドで魅せるリールの顔がお気に入りですよ。ところでリールが鬼ごっこをしたいのなら、先にそちらをしましょうか」
「良いの!?やった!んぇへへ~。リールね、学校のドラマとか見てて、こういう遊びを一度はしてみたかったんだ~」
言われてみればリールは天涯孤独の日々を送った後、反社会集団に拾われ、その後にクロスと同棲だから同年代の子どもと遊ぶ機会が一切無いままだ。
やはり同年代同士でなければ、精神面で築き上げられないものはあるだろう。
ただクロスは目先のことに専念することにして、同年代の友達作りは頭の片隅へ追いやった。
「鬼ごっこならば、ちょうど準備運動にもなるでしょう。では僭越ながら私が鬼役を務めさせて頂きます。準備は良いですか?」
「良いよ!リールね、絶対に捕まらないから!」
「良い意気込みです。それでは始めますよ。よーい、ドン」
クロスは開始の合図として拍手も送った。
その軽快な拍手音と同時にリールは「きゃあ~」と楽し気な悲鳴をあげながら、クロスに背を向けて颯爽と駆け出す。
だが、最初に踏み込む一歩を除き、少女の走り方は拙く……あまりに酷い。
一目で天性による不器用さだと確信できる程ぎちこなく、わざと下手な走り方をしようとしても中々できない手足の振り方をしている。
また靴底か床一面にスライムが付いているのかと錯覚するレベルで、強い粘着力から脱出するような鈍い足の運び方だ。
しかも脚部の問題に限らず、上半身から頭部にかけて大きな円を描くように揺れている。
よって大げさな動作に反して移動している気配を感じられず、反射神経や骨格に問題を抱えているのかもしれないと心配になる酷さだった。
そのせいでクロスは手加減する意図とは関係無く、つい棒立ちで見守る始末だ。
「動物園の時も走り方は酷いと思いましたが、追いかけっことして見たら余計に酷いですね。転倒せずに済むあたり、体が慣れているのでしょうか」
慣れていると言ってしまったら良く聞こえそうだが、確実に矯正が必要なタイプの悪癖だ。
そしてリールは走ることに懸命になっており、クロスの行動を確認する素振りが無かった。
普通なら上手く距離を保ちながら逃げるために横目や振り返ったして視認するところだが、リールには他の行動を取る余裕が無いらしい。
それでも走る音や追われる気配の有無で鬼役が棒立ちであることに気づいて欲しいが、少女は思い込みのみで走り続けている。
おそらく注意散漫なのは幼さに加え、独特な走り方のせいだ。
「指南したい気持ちは山々ですが、教え上手ではありませんからね。それにどのような言い方をしてもリールには伝わりきらないでしょうし……。ふぅ、最初に会った人が物事を動画で教えた気持ちが今なら分かります」
それからクロスは楽しい雰囲気を損なわせないよう、一般的な子ども遊びとして適切な対応を取る。
彼女は幼子でも演技だと分かる驚かす声をあげ、歩行速度に緩急をつけた足取りで追いかけ回すのだった。