20.ケチャップアート※後書きあり
ぶちゃあ。
2人が昼食を始めようとした矢先、粘度性が高い物質が炸裂する音が発せられる。
その弾ける不快音に伴い、リールの麗しくも小さな手は真っ赤な液体に汚されていた。
また赤い粘液は純白のワンピースにも多量に飛散しており、色が酷く伸びて斑模様を生み出してしまう。
更に問題なのは綺麗に拭かれたばかりのテーブルや塵一つ無いカーペット、更に新品同然のソファが容赦なく台無しにされていることだった。
「んぇへへ、クロス~」
リールは柔らかなボトルを片手に喜々として笑う。
一見すると失敗を誤魔化すための笑いに思える。
しかし、きっと少女は本心から面白いハプニングだと認識して喜んでいるのだろう。
そして事件が発生する瞬間を目撃したクロスは知る。
どうして少女に調理を一任したとき、キッチンが瞬く間に本格芸術の作業場へ変貌してしまうのか。
「嘘でしょう、リール。どうしてオムライスにケチャップを掛けようとしただけで、こんな惨状を生み出せるのですか?それにケチャップは使い掛けでしたから、わざと握り絞っても起こり得ませんよ」
「不思議ミステリーだね~」
「たしかに不可解な怪奇現象ですけれども……。今回に限った出来事では無い以上、何らかの対策が必要かもしれませんね。それとも教えれば改善されることなのでしょうか」
何事も教えることは矯正の一歩になる。
だが、極端な事例だからクロスはどのような判断が適切なのか決めかねてしまう。
手当たり次第に試すという模索が無難かもしれないが、相手が一語一句鵜呑みにする幼子だから選択を絞らないと返って混乱させる。
そんな舞台発表に挑むような心意気で小難しいことを踏まえつつ、クロスは懸命に考えた。
「最初に必要なのは原因究明ですね……。リールは非力ですし、手が小さいですから握っても勢いは弱いはず。それに体の節々を触られたときは異様さを感じられませんでした」
「ねぇクロス~。リールね、あれこれ考える前にタオルが欲しいな。お手々を拭きたい」
「道理ですね」
「あと真剣な顔で難しいことを話すより、笑顔になる楽しいお話をしたいな」
「私もです。リールの笑顔は万病に効きますからね。故に摂取量と使用頻度厳守の劇薬ですし、不意打ちの晴れやか満点笑顔で心を打ち抜かれた際には髪の毛が逆立つほど激情に駆られ、心の奥底に潜むトキメキが覚醒します」
クロスは好みを語る時だけ異常な早口になる上、たった一言に余分な表現を詰め込んだ。
しかも妙に得意気だ。
その病的とも言える発作にリールは唖然とし、言葉を失いかけた。
しかし少女は理解しきれない時の返事パターンを用意していて、すぐに自分のペースへ切り換えてみせる。
「ふぅん?あっ、ところでリールね、ちゃんとお話を考えておいたよ!細かいこと……あのね、上手く言えない事とか分からない事も多いけど、いっぱい話せると思う!」
「ックフフ。どんなエピソードでも構いませんし、内容は曖昧で良いですよ。私みたく話している間に思い出す場合もありますから。ただ、先にお着替えしましょうか」
「着替えは後で良いよ~。だってね、多分また汚すもん」
あまり喜ばしい提案では無いが、良くも悪くもリールの言い分には説得力があった。
なにせケチャップのボトルを絞るという日常的な動作で惨状が生み出された。
そこを乗り越えても今度は食べるという行為の間に汚れが増えることは想像に難くない。
よってクロスは自分自身を納得させる他なく、諦観した目つきで汚れたカーペットを眺めた。
「まぁ……はい。そうしましょうか。こんな事もあろうかと『宇宙万能通販ショッピング』で汚れ落としを買っておきましたから、掃除は後回しでも挽回できるでしょう」
「それならリールが好きなだけ汚しても安心安全だね!」
リールが悪気無く言っていることは分かっている。
それでも許した途端に被害が拡大することが分かり切っていたため、さすがのクロスも厳しい表情で冷静に言いつけた。
「いえ、汚さないで下さい。なるべくで構いませんから」
「そうだね!その方が掃除がラクだもんね!」
「同意を得られて何よりです。ひとまず手拭きタオルを持ってきますね。それからリールの話を聞かせて下さい」
「うん!ありがとうね、クロス」
「そういう前向きで素直なところは本当に可愛いですね。私も完璧とは正反対の性格ですし、今回のことは誰にでもある一長一短という事にしておきましょうか」
リールがまだまだ未熟な幼児なのは明らかであるため、尚更寛容な心で見守るのが適切な対処だろう。
またクロス自身が言っているように、彼女は彼女で本物の惨状を生み出す才能と悪癖がある。
その悪質な一面に比べたら、部屋を汚すくらい可愛いものだ。
そうしてクロスがタオルを取って戻るのに30秒も掛からなかったのだが、その短い往復時間の合間にリビングはより一層様変わりしていた。
「おや、おかしいですね?さほど目を離してないはずなのに、なぜ天井から赤い液体が滴り落ちているのでしょうか。ボトルはあらぬ場所へ落ちていますし」
「あのね、ケチャップを……その置こうとしたら急にロケットみたく飛んでいっちゃった!リールの神秘的な力が作用しているのかも!」
「なるほど、つまりリールの仕業ですか。ついでに言うと、テーブルにはミステリーサークルが新しく出来上がっていますからね。貴女の芸術的な才能が余すことなく爆発していて感涙します。心打たれました」
クロスはこの惨状をアートの一種だと決めつけることにより、自身を強引に納得させて精神的苦痛を緩和させようとした。
ただしリールは彼女の心境を敏感に察知していて、大慌ててで叫んだ。
「そっ、そんな悲しそうな目をしないで!大丈夫だよ!クロスが汚れ落としを買っているし、リールも掃除を手伝うから!」
「その申し出は心温まりますが、汚れ落としのボトルを触らせた瞬間に中身が爆発四散するでしょうね」
「えっと、その時は飛び散った洗剤を綺麗にするために……洗剤落とし?をしようね」
リールの拙い提案を聞いたクロスは、少々淡白な声色で適当な相槌を打った。
「そうですね。通販サイトで探しておきます。あとリール専用の生活トレーニングルームを用意しますね。貴女に必要なのは抜根的にして大胆な矯正指導みたいです」
「あー……うん。リールね、クロスのことを信用しているよ。でもね、優しく教えて欲しいな」
「その点は心配しなくても大丈夫ですよ。遥か昔、私に人間の道理を教えようとした人物を手本にしますから。その方は人情深い教師だったので、普段の私では思いつかないような良いアプローチになるでしょう。期待しておいて下さい」
身構える必要は無いと伝えたいらしく、クロスは優しい言葉を投げかけながら緩やかに微笑んでみせた。
するとリールは具体的な指導方法を伝えられてないことを気にも留めず、彼女の発言を信じて一安心する。
それから2人は気を取り直して、ちょっとスペシャルなオムライスを食べ始めた。
※リールがケチャップで部屋中を汚して、クロスがリビングから離れた合間の出来事。
クロスが手拭きタオルを取りにリビングから離れた直後のこと。
ひとまずリールはケチャップが付着してしまった手のまま、ボトルをテーブルに置こうとした。
「そういえば……、リールの力で汚れを集めて戻すことできないかな。そうしたらクロスも嬉しいよね」
破壊し尽くされた惑星を元通りにできるリールならば、飛び散った汚れなど造作も無く対処できるだろう。
少女はそれに似た考えで力を行使させると、ボトル内に残っていた少量のケチャップが急速に集結した。
その結果、ケチャップは突如して微小サイズのスライムらしき生物と化して鳴き始めるのだった。
「ピギィ!」
「わわっ!えっと多分……原料?にまで戻っちゃった!そもそもこのケチャップ、これから作られていたんだ!?」
「ケチャッアプ!」
「あっ、ボトルが暴れて……えいやっ!」
汚れが拡大する前に処理したいと思い、リールは掛け声を発しながらボトルを拳で叩く。
するとボトル内に生息していたケチャップの原材料は勢いよく弾けた。
「ふぅ、これで一安心……」
本人はすっかり解決したつもりだが、当然そんな後先を考えてない力技で収拾がつくわけが無い。
それどころかボトルは外側からの打撃と内側で弾ける衝撃を同時に受けてしまい、華麗に回転しながら宙を舞った。
「あう、あう!?」
ほんの数秒足らずの間に望ましくない出来事が次々と起きてしまい、ついにリールは目を回すほどパニック状態に陥る。
だから改めて被害を最小限に抑えようとしても、事が上手く進む要素が皆無だ。
そのため少女の善意から始まった健闘は、虚しい終わりを告げられる。
ボトルはケチャップを噴出しながら部屋の隅へ転がり、テーブル上には最初オムライスに描こうとした模様が誕生してしまうのだった。