15.リールの猛勉強ラブレター
ある穏やかな日のこと。
宇宙空間なので時間感覚は曖昧だが、まだ早朝という時間帯にクロスは出かける支度を済ませ、リール宛てに音声メッセージを残した。
それは留守番をお願いする内容であり『野暮用で出かけています。お昼過ぎには戻りますので、お腹が空いたら冷蔵庫の物を食べて下さい』というものだ。
そしてリールがメッセージに気が付いたのは起床してから数十分後のことであって、少女は寝ぼけた表情のままソファに座り込む。
「クロス、どこかへ行っちゃったんだ。リール1人で遊んでもつまらないし、テレビでも見よ~」
リールが起きたのは昼前だ。
つまり少女からすれば暇潰ししている間にクロスが帰って来るようなもので、それまでは日課になっているドラマ観賞で大人しく過ごす事にした。
それから数時間後、クロスは自身のテレポーテーション能力で帰宅する。
ただし彼女が瞬間転移した先は自宅の玄関やリビングなどでは無く、シャワールームだ。
そのまま彼女はリールとの挨拶よりも先に洗濯やシャワーを浴びることを優先し、至る所に付着した真っ赤な汚れを丹念に洗い流す。
「ふぅ……。私の行く先々で待ち伏せとは、相手方もずいぶんと暇を持て余していますね」
クロスは一息つきながら気分をリフレッシュさせる。
やがてシャワーを終えた彼女はラフな格好へ着替えた後、次はリビングへ向かった。
「ただいま帰りました。退屈していませんでしたか?」
声を掛けながらリビングへ足を運べば、そこではリールがお気に入りのソファに座っていた。
いつも通りだ。
そして普段のリールならば、クロスの姿を見るなり即座に彼女の腹部へ目掛けて体当たりするところだ。
だが、その予想とは真逆の反応を示していて、少女はテーブルへ向かって前のめりの姿勢を保っている。
また鉛筆を手に集中しているらしく、少々素っ気無い態度で返事してきた。
「お帰りなさい、クロス」
一見すると丁寧な言葉遣いに聞こえる。
しかし、あまり意識せずともリールが無理やり不慣れな喋り方をしているのだと気づけてしまうほど、かなり発音が怪しい。
更に淡々とした言い方とは裏腹に、本当は抱き付きたいという気持ちが些細な挙動から見え透いている。
クロスはそんな少女の不自然な様子に違和感を抱きつつ、なるべく自然な対応で表面上の変化を指摘した。
「あら、自分から髪を束ねているなんて珍しいですね。それに伊達メガネまで掛けて……オシャレですか?どちらも似合っていてカワイイですよ」
彼女の発言通り、リールは自前の長い金髪を束ねることでポニーテールにしていて、黒ぶちフレームの伊達メガネを掛けていた。
その恰好は気分転換のオシャレに見えると共に、何らかの役作りの最中にも思える。
そして褒められたリールは気分を良くしたらしく、とても得意気な声色で答え始めた。
「フフン。今のリールはね、超優等生だから。真面目な勉強家で、クラスのみんなを引っ張る委員長様だよ」
「学園物ドラマの真似ですか?それで、いつになく熱心に勉強している訳ですね。たしかに形から入るのは学習の効率化を捗らせて……」
それとなく状況を察したクロスは話を合わせようとした。
だが、テーブルの上を覗き込んだ途端に摩訶不思議と遭遇した声のトーンになっていた。
「ふむ?これは……なるほど?」
ずいぶんと要領得ない反応になってしまったのは、リールが紙面上にカラフルかつ歪な模様を描いているからだ。
はっきり言って思うがままに絵を描いているようにしか見えず、勉強の真っ最中とは思い難い。
それに描いている線がガタガタという部分を考慮しても、それら模様は図式や文字の類として認識できない。
良く言えば、呪符で使われていそうな独特の記号が連なっている。
悪く言えば、災難が纏わりつきそうな禍々しい魔法陣だ。
クロスがそんな感想を胸中に押し込む一方、リールは照れ臭そうに目元をにやけさせながら教えてくれた。
「これはね、ラブレターだよ」
「おや、てっきり秘密の暗号かと思いました。それで、その大変ユニークなラブレターを渡す相手とやらは……」
「クロスにはまだ秘密~。んぇへへへ、教えてあげないよ~」
「ックフフ、そう言われると気になりますね。ところで素敵な想いを伝えるラブレターですから、もう少し読みやすい文字にしましょうか。文字の美しさで与えられる印象が変わりますよ」
「おぉー……?」
リールは抽象的な説明が理解しきれず、気が抜けきった曖昧な反応を示す。
しかし、それもそのはずだ。
なにせリールは他者の文を読み解いた経験が極端に乏しい。
だから相手の性格を文字から読み取れるイメージが湧かない上、文章だけで気持ちが充分に伝わると思い込んでいる。
そんな健気な少女の想いを台無しにさせないため、クロスはもう一枚の紙を用意した。
「まず私がお手本を書きます。それをよく見て真似すれば、より真っ直ぐに想いが伝わるはずです」
「えー?でも、それだとクロスにお手紙の内容を教えないといけないよ。あと……真似したらリールの字じゃなくてクロスの字になっちゃうでしょ?」
そう言われたとき、クロスの脳内では様々な考えが飛び交う。
2人の間にある優先順位が異なるせいで、どれもリールの発言を否定する考えばかり思い浮かんでしまった。
だが、彼女は自身の意見を押し付けず同調した。
「その通りですね。であれば……、私は文字の調べ方を指南するだけにしましょう。ただし、正しい文字の書き方を自力で調べ上げるのは苦労しますよ。大丈夫ですか?」
「あのね、クロス。ラブレターは好きな人に渡すんだよ?それなのに自分が大変だからやめるって事は無いと思うんだ。本当に大好きなら、どんな苦労も押しのけるよ!」
「愛を証明するためなら苦難は厭わないってことですか。それに加え、リールは障害があるほど燃え上がるタイプですね」
「フフン、その方がどらまちっくだからね!」
「あぁなるほど。よく分かりました。それなら私の文字を真似させようとしたのは無粋ですね」
クロスは、リールはドラマの主役になりきりたいのだと解釈した。
それが分かれば扱い方は難しくなく、上手く囃し立てながら文字の調べ方を教える。
ただリールが一通りの基礎知識を覚えられても、初めての手紙を書き切るのには多くの時間が必要だ。
文章を考える、文字を調べる、文字を丁寧に書く、そして間違いあれば書き直す。
どの工程も少女にとっては勉強と挑戦であり、根気よく頑張る精神力が求められるとクロスは考えていた。
「っと勝手に思い込んでいましたが、案外大丈夫そうですね」
「んぇへへ~」
リールはずっと楽しそうな笑顔で書いている。
ひたむきに取り組んでいて集中が途切れる気配すら感じられない。
もはやクロスが率先して教えなくても、リールは自力で問題を解決してみせるだろう。
彼女はそんな輝かしい姿を見届け、安心した顔つきを浮かべながら立ち上がった。
「私はおやつを用意しますね。リールは引き続き頑張ってください」
「うん!」
リールは快活に返事するものの、視線は相変わらず手紙一直線だ。
まさしく作成作業に取り組む職人を彷彿させるほど一心不乱で、それだけの情熱を手紙に注ぎ込んでいるのだろう。
同時に少女の恋愛に対する真剣さが垣間見えて、クロスはちょっとした物寂しさを覚えた。