王宮魔術師は惚れ薬を依頼されても、鈍感すぎて気づかない【コミカライズ決定!】
王宮魔術部に所属する私の職場は、当然王宮にあるわけで。毎日毎日、王宮に出勤する。歩いて。
たとえ移動魔法を使えても、きちんと正門を通らなければならない決まりなのよね。偉い人は馬車で通うけど、私は徒歩。
今日も今日とて出勤ラッシュの波に乗って、無駄に広くて美しい敷地をてくてくと歩いていたら、背後から、
「あいかわらず、ひでえ髪。鳥の巣かよ」
との声が聞こえた。
「あいかわらず、同じ文句。たまには違うことを言ったら?」
「言いたくたって、鳥の巣以外になんて表現するんだよ、このもじゃもじゃを」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、髪の毛に手をつっこまれた。
「触るな、変態」
「不思議だろ、リーアの髪の構造」
幼馴染の腐れ縁、ベルノルトがわざとらしい笑みを浮かべている。
「少しは手入れしたら?」
「無駄な時間は使わない主義って言っているでしょ。離して」
彼の手を払う。
私の赤毛は、とんでもないクセっ毛なのよね。どんなにがんばって梳いても、鳥の巣のようなぼわぼわになってしまう。昔、一度だけ魔術でなんとかできないかと挑戦したこともあったけれど、ダメだった。で、諦めた。新規の魔術を開発するのなら、もっと有意義なことに取り組みたい。
だから私はお世辞にも可愛いとは言えない見た目なのよね。でもいいの。魔術を探求するのに、外見は必要ないもの。
「そんなんだから行き遅れるんだよ。いい加減、ちゃんと考えろ」とベルノルトが鼻で笑う。
「別に結婚するつもりはないし。自分こそ」
「俺は山ほど縁談が来ている」
ちらりと幼馴染を見る。
「そ。選びたい放題でよかったわね」
「まいっちゃうよな」
ベルノルトはウルバン男爵家の次男だった。私のうちも男爵家。どちらも爵位しか持っていない末端貴族で、家は隣同士。家族ぐるみで仲良くしている。といっても彼と私は性格があわなくて、このとおりの有様だけど。
それが先月急に、ベルノルトがフォルマー公爵家の家督を継いだ。なんと彼は、フォルマーの直系にして唯一の跡取りだったらしい。昔ご令嬢が出奔して、一人きりで赤子を産んで死んでしまったのだとか。残された赤子を引き取ったのが、ご令嬢と親しかったウルバン男爵夫人だったというわけ。
確かにベルノルトは両親や兄妹と全然似ていなくて、不思議だったのよね。本人も気にしていたけれど、『母方の祖母にそっくり』と男爵夫妻が言うものだから、彼も私もそれを信じていたのよ。まさか養子だったなんて、びっくりだわ。
先月、突然真実を知らされたベルノルトはだいぶショックを受けていたけれど、最終的には全部受け入れて、フォルマー公爵となった。
で、もともとすごくモテていた彼は、更にモテるようになったみたい。ベルノルトは並外れた美男で、職業は令嬢がたに人気の高い近衛騎士、私以外の女の子には愛想がいいうえに、身分まで手に入れて、無双状態らしい。本人談だけど。たぶん本当なのよね。
ずっと独身主義だったけど、公爵となったからにはそうもいかないんだろうな。年貢の納め時というやつね。
「ていうか、あなたはもう公爵様なんだから徒歩通勤はやめたら?」
「隊長でもないのに、偉ぶれるかよ」
うん。そういうところだけは、いいヤツだ。
おぉっと、前方に同僚のエヴァン発見!
「じゃあね。女の子のことばかり考えていないで、しっかり仕事するのよ」
ベルノルトにそう告げて、走り出す。
「エヴァン!」
と名前を呼ぶと、彼は足を止めて振り向いた。
「ねえねえ、きのう話していた例の! いい術式を思いついたのよ!」
「ええ? いいの?」となぜかエヴァンが困った顔で首をかしげる。
「なにが?」
「彼。呼び止めてたよ?」
エヴァンの視線を追うと、ベルノルトが不機嫌な顔で私を睨んでいた。
「なにか気に障ることをしたかしら。まあ、いつものことよ」
気にしない気にしない。それよりも、術式よ!
エヴァンの意見を早く聞きたいのだから。
◇◇
「ね、ね、リーア! ベルノルト様って結婚相手を決めたのかしら?」
職場に着くと、女の子たちに囲まれて質問攻めにあった。
「さあ。たくさん縁談がきて嬉しいってはしゃいでいたけど」
「じゃあ、まだ可能性はあるわね」
女の子たちがきゃっきゃと喜ぶ。昼休みに話しかけに行こうかなんて話にまでなっている。
がんばってくださいな、と思いながら女の子の包囲網から抜け出た。
「可能性なんてないと思うけどなあ」
私同様、包囲網から脱出したエヴァンがつぶやく。
「あと一週間だし」
「なにが?」
「知らないのかよ」エヴァンが目を見張り、それからため息をついた。「ベルノルトさんはフォルマーの先代公爵夫人と、爵位継承から一ヶ月以内に婚約者を決めるって約束してるんだぞ」
「そういえば、そんなことを言っていたような気はする」
先代公爵夫人というのは彼の本当の、母方の祖母なのよね。確かにベルノルトにそっくりで、彼の両親は嘘はついていなかった。
夫人は夫の死後、必死に娘のことを探してベルノルトを見つけ出したそう。ふたりの仲は良好みたい。私も何度か公爵家の食事に招かれた。幼馴染だからかな。
エヴァンと一緒に、私たちの部署に向かう。調合科。主に薬を作る。
「で、さっきの術式なんだけど――」
エヴァンがまたため息をついた。
「え? ダメかな。いい考えだと思うんだけど。まずは確かめてみようよ」
「そうじゃなくて。ベルノルトさんのことは気にならないのか」
「大丈夫よ。たくさん縁談が来てるって言ってたから、ちゃんとお相手を決められるでしょ。ちゃらそうに見えるけど、約束事はきちんと守るヤツだから」
エヴァンが半眼を向けてきた。
「……なんであの人がわざわざ徒歩出勤しているんだと思う?」
「まだそこまでの地位じゃないから馬車はイヤみたいよ」
「じゃなくて」エヴァンが何度目かわからないため息をつく。「近衛騎士は特例で乗馬出勤が認められているだろ?」
「そうね。でも最初からずっと徒歩ね。大昔に理由を聞いたような気もするけど、覚えてないわ」
「明日、確認して来いよ」
「なんで?」
「このままだと、僕は決闘を申し込まれかねない」
「どういうこと?」
「二十五にもなってこじらせすぎなんだよ。わからないでもないけど」
「あなたたち、仲をこじらせるほど親しかったの。知らなかったわ」
今まで、そんなこと話してくれなかった。ちょっと淋しいわね。
「よくわからないけど、決闘になるほど仲違いをしているなら聞いてくるわ。徒歩出勤の理由ね。忘れないようにしないと。あとで手に書いておこうっと」
魔術以外のことはすぐに忘れてしまうのよね。
「うん。まあ。頼んだよ、リーア」
「任せて。で、術式なんだけど――」
◇◇
「リーア! 客対応に出てくれ」
調合室に戻ってきたエヴァンが言う。
「なんで? 今、エヴァンが行ったのでしょう?」
調合の手を止めずに尋ねる。今、いいところなんだけど。退勤までに終えてしまいたいのよね。
「リーアをご指名なんだよ。それは僕がやるから」
ええ……。やだなあ。思いついたばかりの新しい術式で調合した薬が爆発したから、別のを試し始めたばかりなのよ。
「行きなさい、リーア」
背後から上司の冷たい声が飛んできた。仕方ない。
エヴァンと交替して廊下に出る。王宮魔術部は王族と国家のための部署だけど、規定料金を払えば誰でも利用ができる。
手のあいている魔術師が対応する決まりで、基本的に指名は受けない。なのに受けたということは、依頼者は高位貴族か厄介な人物のどちらかね。
面倒だわ。さっさと依頼をこなして、早く研究に戻りたい。簡単な内容だといいな。
そう思いながら入った個別相談用の部屋にいたのは、ベルノルトだった。
「なにしてんの?」
「依頼だよ、依頼!」
「私を指名だなんて、どういう風の吹き回し?」
彼の向かいの椅子に腰かけて、記入済みの依頼書を手に取った。
「依頼は惚れ薬の調合……?」
「そうだよ」
ベルノルトを見る。頬が赤くなっている。珍しい。
「モテるんじゃなかったの?」
「モテる! 本命以外にはな」
「へえ。本命なんていたんだ」
ということは、結婚までの期限が迫っているのに進展がなくて、魔術に頼ることにしたってとこかな。
「でも、わかってる? 惚れ薬は使用方法に厳しい規則があって、それを破ると一発で逮捕されるのよ?」
「知ってる」
「なら、いいけど。そんなに切羽詰まっているの?」
ベルノルトは大きく頷いた。
「そうなんだ。じゃあ止めはしないけど、相手に内緒で飲ませるのはアウトだよ?」
だから実質、役に立たない薬なんだよね。相手に『惚れ薬だけど飲んでください』って頼まなければならないんだから。
「知ってるって」
「こっそりやればわからない、って考えはダメだよ」
「しつこいな」
「告知義務があるの。劇薬だからね」
依頼書を裏返して、ペンを取る
「じゃ、相手の特性を教えて」
「特性……ってなんだ?」
「まずは性別と年齢」
ベルノルトが『女性、二十五歳』と言う。
へえ。私たちと同じ年だ。
紙に書き込む。
「あとはなんでも。詳しくわかればわかるほど、効力が増すの。でも、名前は必要ないわ。個人の私的な事情だから、それは訊いちゃいけない決まりなんだよね」
「それなら……」とベルノルトはコホンと咳ばらいをした。「恋愛に興味がない」
「なるほど。そこを強化してあげる」
「ひとの話をきかない」
「困ったひとね」
「もう慣れた」
ふむ。他人に興味がないタイプかな。関心を高める要素もいれよう。
「好きなことには一途というか熱中しすぎるというか」
「それはいいね。活かしたいな」
「思い込みも激しい」
「恋に落ちたと思ったら、激しく愛しそうだね。うん、いい要素だわ」
「……なるほど。そう考えたことはなかったな」
紙から視線を上げる。ベルノルトと目が合った。
「惚れ薬はどのくらい効力があるんだ?」
「好きと思い込ませるのはできるけど、強弱は――いまのところ中ってところかな。時間は法律で三日以内と決まっているから、そんなもの。あ、効力がある間に婚姻届けにサインをさせるのは犯罪だよ」
「わかってるって」
「でも、そもそも飲ませられないと思うんだよね」
「ずいぶん否定するな。そんなに俺に売りたくないのか?」
「いや、作っても無駄になるのがね。今は研究中の調合があるから、余計なことはあまりしたくないの」
作ったからには、どれほど効果がでたかの追跡調査をしたい。でもそれもできずに捨てることになるかもしれないと思うと、モチベは上がらないよ。
ま、ベルノルトがこんな私的なことを私に頼んでくるなんて初めてだから、依頼はちゃんと受けるつもりではあるけどね。
「あとは真面目」とベルノルト。特性の話に戻ったみたい。
リストに書き加える。
「おそろしくマイペースなヤツで付き合いづらいけど、不思議とひとをひきつける。友人もいる。男友達も。いなくていいのに」
視線を上げる。
「私怨はいらないよ」
ベルノルトが首をすくめる。
「嫉妬なんてするんだ。意外」
「お前が気づいていないだけじゃん」
「こういう話をしたことないもんね」
「してる。リーアが聞いていないだけだ」
「そうかな?」
「そうだよ。すぐに忘れるし。――そういえばエヴァンに俺になにか訊いとけって言われなかったか?」
「ない――んん? あったような気もする。なんだっけ?」
盛大なため息をつくベルノルト。
「ほらな。ヤツが『リーアは手に書いておくと言ったそばから忘れてた』と言ってたぞ」
「ええ? なんだっけ。でもふたりの間で話が済んだなら、もういいよね。彼女の特性はこれで終わり?」
「もっと興味持てよ! ほんと、魔術のことしか頭にないんだからな。特性はアホ可愛いだよ! どうしようもないマヌケなのに、好きなことには夢中で可愛いの!」
「すごいノロケだね」
ベルノルトの勢いがすごいので、術式に組み込めない要素だけど一応リストに『アホ可愛い』と書き加える。
「あとは?」
「――赤毛で緑色の瞳」
「え、私と一緒じゃない。散々ひとの赤毛をバカにしていたくせに」
顔を上げたらベルノルトがうつむいて額を押さえていた。
「あ、だから本命の話をしなかったのね」
『赤毛、緑瞳』と書く
「容姿は関係ないんだけど。せっかくだから色を赤から緑のグラデーションにしてあげる」
「……頼む」
「はい、承りました。お支払いはどうする? 前払い、後払い、近衛騎士はお給料からの天引きもできるけど」
ベルノルトは後払いを選択して、力ない足取りで帰って行った。金額の大きさに驚いたのかもしれないわね。
それにしても――
特性リストを見る。
ベルノルトの恋の相手はずいぶん厄介みたい。
正直なところ幼馴染で腐れ縁で独身仲間の彼が結婚をするのは、置いていかれるみたいで淋しい。けれど、ここは腕によりをかけて完璧な惚れ薬を調合してあげよう。
「どんな子なのかな」
あのベルノルトが惚れ薬に頼るほど好きな相手だなんて。顔を見てみたい気がするわ。
◇◇
ベルノルトから注文を受けてから三日。最高傑作の惚れ薬が完成した。個別相談室に受け取りに来た彼に、透明な瓶に入ったそれを渡す。窓から入る光に透ける、赤から緑のグラデーション。
「……きれいだな」とベルノルトが感嘆の声を漏らす。
「でしょ。ひとあし早い結婚祝いよ。がんばったんだから!」
「そりゃどうも」
「あのね、王宮魔術師としてはそれを使う相手を訊くことはできないんだけど、幼馴染としてベルノルトの本命を訊くのはセーフなんだって。エヴァンが言ってた」
ギロリとベルノルトが私をにらむ。
「言いたくないか。じゃあいいや」
さすがにさ、自分と同じ赤毛と緑瞳の女の子だと気になるじゃない。でも、教えてもらえないのか。残念だな。
「どう飲んでもらうか、策は立てたの?」
「当然」
ベルノルトが瓶のコルクを抜く。きゅぽん!といい音が部屋に響いた。
「あけるのは使うときだけにして。劣化が早ま――」
目の前に瓶を差し出された。
「飲めよ。お前のことだから、効果を知りたいんだろ?」
「知りたいけど、私が飲んでも仕方ないでしょ」
「いいや。最初からリーアに飲ませるつもりだ」
怖いくらいにベルノルトが真剣な顔をしている。
「私で実験するの?」
「本命はリーアだよ、鈍感女。これを飲んで俺に惚れろ。きちんと口説かれろ」
え?え?え?
どういうこと?
「いっちょまえに混乱するな。お前はことごとくスルーしてきたが、俺は告白も交際の申し込みも求婚もしてきたぞ。お前が真に受けてないだけで!」
「き、記憶にないですけど!?」
ちょっと待って。本当に全然思い当たる節がないわよ!
「わかってる、リーアは俺に興味がないんだ。だからひとの話を聞いていない」
「いやいや、いつ求婚なんてしたの?」
「爵位を継いだ時にも言ったぞ。俺のもとにくれば、フォルマーの財力で魔術研究所くらい作ってやるって」
確かにそれは言われた。けど、
「スカウトだと思ってた!」
「なんでだよ。まあ、いい。これさえ飲んでくれれば」
ずいっと瓶を近づけられる。
「本当に私にのませたいの?」
「特性リストを見返せよ。まんまリーアのことだろうが」
反論しかけて、なにも言わずに口を閉じる。私はそうは思わない。けれどベルノルトとの付き合いは長い。彼がふざけていないのも、嘘をついていないのもわかる。
ということはベルノルトは私を好きなの?
そんな素振りは微塵もなかったのに?
「好きな男はいないんだろ? リーアのほしい環境はつくる。それ目当てで構わないから俺と結婚してくれ」
ええと……。
結婚なんてするつもりはないのよ。仕事が大好きだもの。
でも、よくわからない。心臓がうるさすぎて、思考がまとまらないのだもの。
「ベルノルト」
「なんだ」
「私の代わりに、レポートを書いてね」
瓶を手に取り、惚れ薬を一気に飲み干す。
身体が燃えるように熱い。
もう効果がでたの? 早くない?
恐る恐るベルノルトに目を向けると、泣きそうな顔をしていた。変な表情なのに、すごくかっこよく思えて、なぜだか見ていられない。すごいな、私のつくった惚れ薬は。
ベルノルトの手が伸びてきたと思ったら、頬に触れられた。心臓が口から飛び出しそうなぐらいにうるさくなる。
「三日間、口説くからな。薬の力でいい、恋に落ちたと思い込めよ。そうしたら激しく愛してくれるんだろ?」
「……いや、わからないよ」
出た声は、自分でも驚くほど弱々しかった。
だってベルノルトなんかに、急に好きでしたなんて言われてもさ。どうしていいか、わからないもの……。
◇◇
その日から、時間の猶予がないベルノルトが周りの目を気にせず口説いてきた。おかげで世間には私が彼の結婚相手と認識されてしまったみたい。
しかも困ったことに三日経っても、薬の効果は消えなかった。
――エヴァンは、とっくに消えていると主張して譲らなかったけれど。
そんなことはないと思うのよね。
とりあえず、フォルマーの財力で作る魔術研究所が魅力的なので、求婚を受けることにした。私がはけたほうが両親が喜ぶし。幼馴染の窮地を助けるのだと思えば、ね。
それにしても、ずいぶんと強力な惚れ薬をつくってしまったわ。
後悔はしていないけれどね!
《おわり》
◇おまけ・ベルノルトのお話◇
『まさか、彼女が惚れ薬をのむなんて』
惚れ薬を飲んでもらおうと、本気で思っていたわけじゃない。
俺は真剣にリーアを好きだ、ということを彼女にはっきりと分からせたかっただけだ。
リーアは子供のころの感覚のまま、いつまで経っても俺を異性だと意識してくれない。思いのたけを伝えたって、とんでもない方向に勘違いしたり、スルーしたり。
恋愛に興味のないヤツだし、ほかの男にも無関心だから長期戦でがんばろう――と考えていたら、いつしか二十五歳になっていた。
しかも本当のばぁさんが、死ぬ前に俺の結婚式に出たいと泣いて頼んでくる。
切羽詰まってはいたが、惚れ薬は俺を意識してもらうきっかけにするだけで、愚直に口説き落とすつもりだった。
なのに。
リーアはそれを飲み干した。
これは俺の求婚を受ける覚悟がある、ということでいいんだよな?
リーアは真っ赤な顔で小刻みに震えながら、うるんだ目で俺を見上げている。エヴァンの情報によると薬の効果が出るのは、平均で十分後らしい。じゃあ、この状態はなんだ? 素、ということだよな?
そっと頬に触れたら、リーアは盛大にビクリとして目を泳がせた。
完全に俺を意識している。
もしかして思い込みの激しい性格が、俺にとって有利に働いているんじゃないか?
いや、なんだっていい。
この好機をいかすんだ。
「好きだよ、リーア」
リーアが下を向いたまま、小さくうなずく。
まじか! 初めて正しく伝わったぞ。
「俺を見ろよ」
「……遠慮しておく……」
聞き取れるギリギリの小声。こんなリーアは見たことがない。
「どうしてだよ」
「この薬、効き方がハンパないみたい」
いや、まだ効果は出てないはずなんだが。
そうか。リーアはエヴァンが俺にタレコんだことを知らないんだ。
「そうか。レポートに必要だから確認するが、俺に好きと言われて、どんな気分だ?」
「どうだろう……」
リーアはぷるぷると震えている。
ああ、顔が見たい。
顎に手をかけて上を向かせる。
真っ赤な顔のリーアは、必死に俺と目が合わないようにしている。
「ちゃんと教えてくれよ。お前が書けといったんだぞ」
「そうだね。ええと。うん、驚いている」
「で?」
「びっくりだよね」
「同じじゃね?」
「……なんていうか」
リーアの視線が激しく動く。俺以外のところに。
「よくわからないけど、これからも一緒に通勤できるのはほっとしたかな」
なんだよそれ。
「俺が結婚するのがイヤだったんだ」
「そんなことはない――あるのかな。よくわからないよ」
恋愛脳じゃないもんな。それは俺が一番よく知っている。
ていうか嬉しすぎて顔がにやける。叫びたい気分だ。
リーアは一度意識すれば、こんなに素直になるのか。
「というかベルノルト、手を離してくれるかな」
「断る。リーアこそ、俺を見ろよ。キスしたい」
リーアがビクリとする。
「ダメ! 惚れ薬の効果が出ている最中はキス以上は禁止! 捕まるよ!」
そうだった。リーアが飲むと思っていなかったから、規約は気にしていなかったんだが。
え、ていうことは、この可愛いリーアを目の前にして、俺は三日もお預けなのか!?
嘘だろ……。
◇◇
無事に三日間が過ぎた。わりと初期に、リーアに手出ししても彼女が申告しなければバレないことに気づいたが、必死に自分を押さえた。
惚れ薬が抜けたリーアに、俺とキスしたいと思ってもらいたいからな。
とはいえ、薬が効いたリーアの可愛さときたら。俺が『好き』と伝えれば嬉しそうな表情をするし、ちょっと手でも握ろうものなら自分から恋人繋ぎに変えてくる。
惚れ薬、ほんと劇薬だわ。俺に対して。
我ながらよく理性を守れたもんだ。
ただ、ひとつ不満がある。惚れ薬が効いているはずのリーアは、俺に『好き』と言ってくれることはなかった。
夕方の橙の光の中、リーアと並んで庭園を歩く。退勤するだけだが、せっかくなので散策をしたい。
そう誘うと、リーアは赤い顔でだまってうなずいた。惚れ薬が切れた彼女は、ややぎこちない。手も繋いでくれていないし、微妙に距離もある。
誰もいない一角まで来ると俺は、
「効果が消えて、どんな気分だ?」と尋ねた。
「それがまだ、効果があるみたいなんだよね」
いやいやいや。んな訳あるか。数時間前と、明らかに挙動が違う。
だいたい丸三日以上効果が続いたら、法律違反だろ。リーアがそんな失敗作を作るはずがない。
「……なんで、そう思うんだよ」
問うと、彼女はますます赤くなって視線を彷徨わせた。
「だって。まだヘンなんだもん」と、リーア。
なにが、とは訊かなかった。
嬉しすぎて走り回りたい気分だ。
「だが三日経った。俺はキスしたい」
リーアが口を引き結ぶ。しばらくすると、彼女はうなずいた。
おっっしゃあ!!
許可が出た! 効果の切れたリーアから!
神様、ありがとう! ここまでガマンした俺、偉かった!
リーアを怯えさせないようそっと、触れるだけのキスをする。もっとしたいが、今は耐えろ。
代わりに彼女の背中に手を回し、軽く抱き寄せた。
嫌がるそぶりはない!
「好きだ、リーア。結婚してくれ」
またしばらく待つ。
それから彼女はごくごく小さな声をで、
「いいよ」
と答えた。
「俺を好きになってくれたか?」
「……わからない」
わかんないのかよ!
「でも」とリーアが続けた。「ベルノルトでなかったら、惚れ薬なんてのまなかったと思う。感情が薬で左右されるのは、怖いもん」
「それって『好き』でいいんじゃないか?」
「強引!」
「なら、今でなくていい。いつか『ベルノルトが好き』と言ってくれ。俺はリーアが考えている以上に、待ったんだからな」
彼女に回す腕に力を込める。
そう、俺は待ったんだ。これからもまだ、待てる。
「ベルノルト」
「なんだ」
「あなたのそういうところ、好き」
「そうか。ありがとな」
「あとね。惚れ薬の効果だと思うけど。あなたに好きと言われると私、嬉しいみたい」
それは絶対に俺を好きだから!
このアホ可愛いヤツめ。
「リーア。俺はお前が好きだし、可愛い」
彼女がますます赤くなる。
さらに口説こうとしたとき、彼女は顔を上げた。羞恥まみれのはにかんだ表情。その小さな口から発せられたのは――
「もう一度、キスをする?」
ああ、もうこれだから。どれだけ俺を翻弄すれば、気が済むんだ。
「一度と言わず、何度でもしたいんだが」
余裕のあるフリをしてかっこつけて。
それから、恋人しかできない、深くて甘ったるいキスをした。
《おわり》