人生は、自分だけのものです!
ずっと、人生が苦しかったです。
常に全力120%で
我慢をし続けることしか知らなかったから。
まあ、いっかなんて思えなくて、
完璧主義すぎて、
常に自分を追い込んできました。
やるからには、常に、上を目指してました。
部活も、勉強も。
解決方法が
我慢する方法しか知らなかったのです。
どんなにしんどくても
どんなにつらくっても
努力して
我慢し続ければ
自ずと結果はついてきたんです。それなりに。
だから、電◯の自殺した人が、なんで自殺したのか
なんとなくわかります。
今まで我慢して生きてきて
我慢して乗り越えきて
我慢をする方法しか知らない。
我慢をすることでの、成功体験しか知らないんだと思いました。
いくらでも逃げ道があったのに。
たぶん、要領のいい人って
逃げ道を、逃げ道って思ってないんだな。
って考えてます。
あたしからしたら、辞めることや諦めることや休むことは、逃げ道にしか見えないんです。
でも、要領のいい人は、
辞めることは、さらに良いステージに進むための手段。
諦めることは、株の損切りみたいな考え方で
最大限の利益を得るための必須な手段。
休むことは、パフォーマンスを上げるための、最善手。
みたいに考えているんじゃないかなぁ。
って推測してます。
あたしの中では、考えられない考え方なので、あくまで推測です。
我慢してなんぼの人生しか知らないので
子どもにも我慢させてしまう。
この事については、今でも
どうしたら、いいのかわからない。
■自分人生は自分で舵を取ること、親でも恋人でも配偶者でも、舵を握らせてはいけません、自分の人生では自分が主人公です!
あたしは、昔から、人に何かしら教えることが好きでした。
そして、育てることが好きでした。
よく、ときメモや人生ゲーム、シーマン、赤ちゃんを育ててどんな大人になるかシュミレーションする
いろんな育成ゲーム的なやつをやっていました。
だから、10個下の弟を育てるのが大変面白かったです。
とりあえず、自分は勉強得意だったので、
勉強や勉強の仕方やコツを教え、
おすすめの塾を教えました。
このときにこれを、こうやってしたらよかったってのをあたしが経験してきたものを全部やり直させてみました。
中学までは、あたしの方が優秀だったのに、
まんまと抜かれました。
結局、弟は、センター試験で9割以上取って、
現役で(←これがすごいよな!)
慶応の薬学部と
東大の理科Ⅱ類に受かりました。
でも、あたしは弟の育て方を間違えました。
そうです、
前述したとおり、
自分の人生のやり直しをさせてしまいました。
あたしが中学時代に目指していた薬学部に入れたいな。
まあ、本人のために、とりあえずの目標として、
薬学部を目指しとけば、
他の行きたい学部に行ける学力が
自然と付いていくので、潰しが利くだろう。
って、ぐらいのスタンスで私はいました。
別に、ここじゃないと許さん!みたいな感では、
決してなかったのです。
本人も、小学生中学生高校生の間は、薬の開発をしたい。
って言ってたんですよ。
だから、それ応援して、一緒に勉強していたんです。
しかし、弟は
実は、明確なやりたいことがなかったようです。
それを、言うことができなかったのかな。
そんだけの信頼がなかったのか、もしかしたら、本当は優しい子なので
あたしや母の期待を裏切りたくなかったのかも知れません。
高校に入って成績が急に上がりだした頃、
やっと、自分はやりたいことがないので、
今は学部を決めることができない。
だから、東大に行きたい。
と、初めて、自分の意思を伝えられました。
成長したね。
東大の仕組みとしては
受験時に学部は決めていません。だいたいの理系の分野は決まって入ります。(理Ⅲは医学部的な、弟は薬学部にいきやすいように、理Ⅱに入りました。)
入学後、学生たちは、一般教養の成績を集めて、その成績によって、行きたい学部が決まります。
弟は、その一般教養の選考の際に、
東大の中でも真ん中より上ぐらいにおったみたいで、
無事、東大の薬学部に入りました。
それから、弟がおかしくなりました。
結局、
本当に自分がやりたいことではなかったので、
自主留年工学部に入り直すことにしました。
それでも、やりたいこと、メランコリーになってしまったのです。
大まかには、薬を患部に直接届けるナノロボットの研究がしたい。
って言ってました。
弟にさらに試練が訪れます。
大学でとても仲の良かった、
エナジードリンクが大好きな友だちが、
心臓の関係で急逝しました。
弟は、他県の実家の葬式にまで行っていました。
また、弟が変になりました。
今のあたしにはわかります。
大切な人の死は、とても痛いのです。
あぁ人が死ぬってこういうことなんだ。
と、漠然とでなく
現実のものとして受け止め、
大切な人の死の痛みに耐えながら、
いろんなことを考えたことでしょう。
苦悩したでしょう。
いろんな後悔やいろんな想い出に
心が引き裂かれたことでしょう。
そういう、魂の修行をして、
今のあたしと同じように、
やっと、自分の人生に向き合って、
自分の人生をやっと生きられるようになったのだ。
と思います。
そういう魂のレベルまで、
強制的に格上げされるのが、
大切な人の死なのです。
弟も病みましたが、
今は、立ち上がって
自分で考えて、自分の人生を生きてます。
何年もかかったと思います。
そして、沈んでしまったタイミングが
学生にとっては、めちゃくちゃ貴重なタイミングだった。
と思います。(就職に直接影響するから。)
あたしも二年はかかりました。
でも、そのおかげで、
今すごく心が楽なんです。
平穏なんです。
プラトー。
平野がずっと、続いていて地平線が遠くに見える感じです。
あたしは、小さな頃から
ずっと、何かに追われながら
将来を不安に思いながら、
その瞬間、瞬間に
全力で打ち込んできました。
歩みを止めたことはありません。
ありのままのことばのとおり常に、
思慮深く考えてきました。
思考を停止したことはありません。
思考を止めると、脳死だと思ってしまうんです。
よく、考えすぎだ!
って言われます。
もう、癖なんでしょうね。
こうやって、文章を書きながらも、
他のことも考えながら、
子どもの観ているYouTubeが適切なものか聴きながら判断し、
子どもがやっているゲームで、嫌なことが起きてないかチェックして、
明日の朝御飯何しようかなっとか、
めっちゃ、マルチタスクに考えてます。
考えないと、窒息しそうになるんです。
鮫やマグロが泳ぐのを辞めると
酸欠で死んでしまうのと、同じような感じで
考えが止まることを知りません。
もう慣れたけど、きっと人より疲れてます。常に。
プラトーにはなったけども、
考えるのがとまらなくって
今度は、いらんことばかり気がついてしまいます。
気がついたら改善策やエビデンスとか考え出します。
やめられない、とまらない、かっぱえびせんっ!
次は、だんだん不穏な雰囲気。
利権とか国の方針とか、、、
国に対して、マイナスな意見なので、
暗殺されたらどうしよう(笑)
もし、急に不穏な死を迎えたら、
誰かスクショしといて、
この小説を誰か、世の中に出してください。
世の中のために、
あたしが生きてきて学んだことを伝えていきたい。